表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
青の羅針儀  作者: 奈木 一可
第一部
2/99

00:愚者は巡る-02

 一眠りしたら実は全て夢だった――などということもなく、それから私は日々を純然たる赤ん坊とし過ごした。身動きも会話もできない状況にあって十全にできるのは、考えることくらいだ。未だかつてなく、と自信をもって言い切れるほど、毎日毎日いろんなことを考えた。

 何がどうなっているのだろう。夢を見ているのだろうか。そう考えて、否と否定する。死者は夢を見ない。死んだこと自体が夢だったのでは、と考え、また有り得ないと自己否定する。あの痛みは本物だった。あの悲しみも本当だった。……第一、そんなところまで遡って否定していては、きりがない。根本的な土台までもが揺らいでしまう。

 ――私は死んだ。それだけは確かだ。死んで、何かが起こって、ここにいる。……ということは、これは所謂「転生」というものなのだろうか?

 さりとて、平穏に過ぎていく日々の中では、思い付いた仮説を証明するような事態が起こることもなかった。仕方がないので、何かと眠りたがる赤ん坊の身体に鞭を打って、ひたすら情報収集に徹することにする。

 まず分かったのは、ここがアシメニオス王国の東方――クローロスという名前の村であるということだ。サロモンさんとアナイスさんのハント夫妻は、その村で狩人と仕立て屋をして生計を立てているらしい。そして、その娘にあたる私はライゼルと名付けられ、髪は父譲りの薔薇色、眼は母譲りの深い緑色という、何とも色彩豊かな外見になっていた。以前は実に日本人らしい黒眼黒髪だっただけに、最初に鏡で自分を見た時は驚いた。

 そんな新生私が生を受けたハント家はサロモンさんとアナイスさんの他に、父方の祖父母であるシモンさんとバベットさんが同居する二世帯五人家族だ。よくよく耳を澄ませていたところ、何でもサロモンさんはこの近辺では弓を扱わせれば敵う者はいないという凄腕なのだとか。アナイスさんもアナイスさんで素晴らしい腕を誇るらしく、遠い街からもオーダーが来きているような話がちょくちょくされていた。

 また、犬遣いのシモンさんとバベットさんも独自に仕事をしており、三匹の大きな犬と共に羊を飼っていた。犬はミモザ、カトレヤ、イリスといって、三匹とも雌犬である上に元々の知性も高いのだろう、まだろくに歩けもしない私の面倒を度々見てくれた。よく躾けられ、手入れをされた犬たちの毛並は、いつもふかふかとして太陽のにおいがした。

 良くも悪くも、子は親を選べないと言う。であれば、私はまず初めに最大の幸運を引き当てたのだろう。温かなハント家の中で、私は愛され慈しまれ、育まれた。

 確実にサロモンさんに遺伝したのであろう、厳つい顔をでれでれにしながら、シモンさんは私を構ってくれた。それはバベットさんも負けず劣らずで、二人は割と頻繁に私を取り合って喧嘩をし、大体シモンさんが負けた。そうするとシモンさんはサロモンさんから私を奪うことに躍起になり、哀れ子供との触れ合いの時間を奪われたサロモンさんは居間の隅で煤けていることが多くなった。アナイスさんはそんな一家の様子を、ニコニコと笑って眺めていた。

 ハント家は、クローロス村は、平和だった。

 平和な日々の中で、私は着々と育っていった。自分の足で立って歩けるようになってからは、シモンさんとバベットさんの仕事についていくことが多くなった。三匹の犬たちの背中に乗せてもらうこともあったし、気ままにその辺を走り回って犬たちと遊ぶという、激しく童心に帰った所業を成したりもした。お陰で、ほんの子供でありながら、四半世紀近く生きてきて未だかつてない体力を誇ってしまっている気も、若干しなくもない。


 そんなある日、これまでの平穏を消し去ってしまうような大問題が発生した。

 外見は四歳ばかりであろうとも、私の頭の中にはライゼル・ハントとして生まれる前に生きてきた二十三年分の記憶や知識が詰まっている。村にある教会では司祭さんが勉強を教えていたけれど、お世辞にもそれは高等複雑な部類のものではなく、読み書きや初歩的な算数が精々だった。だから、うっかり仕出かしてしまったのだ。

 初めて勉強を教わりに訪ねた、その日。試しにと出された算数の問題を、勢い余って片っ端から全部解いてしまうなんて迂闊なことを。だって今まで暇だったんだもん、ついうっかり……と胸の内で自己弁護をしたところで、もうどうにもならない。

「おお、神よ……。この子はこの世に顕現なされたあなたの現身なのでしょうか」

 んな馬鹿な、と思いながら、私は大袈裟に天を仰ぐ司祭さんを半笑いで見ていた。自分の仕出かしたうっかりが、まさかそこまでことを大きくしてしまうとは思わなかったのだ。

 結局、初日にやらかしてしまったせいで、司祭さんから勉強を教わるという話は流れることになった。真面目くさった顔で「私がお教えできることは、何もないようです」と言われてしまっては、私としても返す言葉がない。挙句の果てには、神童などという不本意極まりない称号まで頂いてしまう始末である。

 お陰様で、これまでの平穏は台無し。その代わり、シモンさんの喜ぶこと喜ぶこと。

「ライゼルの将来は、こりゃ宮廷魔術師かのう!」

「あんた、気が早いよ。……けど、早いうちから魔術を覚えておくのは良いかもしれないね。サロモン、司祭様に話しておいておくれよ」

「……ライゼルがやりたいと言えば、な」

「最近のライゼルは、ミモザとカトレヤとイリスと遊ぶのが随分と楽しそうだものねえ」

「むう、あの三匹とここまで通じ合えるとは……やっぱりゆくゆくは儂の後継者に」

「あんた、さっきと言ってることが違うじゃないか」

「ライゼル、どうする。魔術の勉強を、してみたいか」

「うーん、よく分かんないけど、やってみたい!」

「あら、即答。本人がそう言うなら、これで決まりね」

 かくして、私は司祭さんに勉強ではなく魔術を習うことになった。この世界には、そんなファンタジックなスキルがあるらしい。噂によれば人を襲うモンスターもいるらしく、まさしく剣と魔法の世界という奴なのだろう。

「ライゼルさんは、風の魔術に天稟がありますね」

「それって、つまりどういうことですか?」

「単純に言えば、風を起こせます」

「そのまま過ぎますがな」

 いつも通り生真面目な顔をして言った司祭さんに、思わず裏拳でツッコミを入れた。

 教会の礼拝堂の裏手の一室を臨時の教室として、司祭さんは魔術の講義をする。通い始めた頃はほとんど毎日のように授業は開かれたけれど、二年目に入った最近はほとんど隔日から二日おきくらいの頻度だ。それは教わることがなくなってきたということではなく、単に私も忙しくなってきたからだ。

 この頃の私は、前みたく羊追いについていって遊ぶのではなく、きちんとした仕事としてシモンさんに同行している。三匹の犬たちとの意思疎通も、抜群――とは言わないけれど、結構できるようになってきた。バベットさんが家を離れられなくなったので、その代わりを果たさなければいけないのだ。

 バベットさんが羊飼いの仕事を離れるようになったのは、別に身体を壊したとか、そういった理由ではない。寧ろめでたいことで、つい先日アナイスさんの懐妊が発覚したのである。以来、ハント家の在り方は少し変わってきている。バベットさんがアナイスさんのお世話をしたり、代わりに家のことをしなければならないので、更にその代理ということで、私がシモンさんにスカウトされたのだ。

「これでライゼルはじいと毎日一緒だのう!」

「だねー」

「ふはは、羨ましかろう、バベット!」

「ふんっ!」

「ぐはっ!?」

 そんな大人げない会話の末に、バベットさんの鉄拳がシモンさんに炸裂したことも、あるにはあったけれど。とりあえず、ハント家は今日も平和だ。

「あ、じいちゃん鼻血」

「ぬおっ!? ……熊殺しの腕は衰えておらなんだか……」

「……あんた、今、何だって!?」

「あっ、いや、何でもない、何でもないぞ!」

「黙らっしゃい、聞こえてたんだよ!」

「ま、待て、バベット、落ち着け、話せば、話せば分か――」

 ドカッ、バキッ、グシャッ――そんな物騒な音が、聞こえたような気もしたけれど。……一応、今日も変わらず平和、のはずである。


 暑い夏の日に生まれたハント家の二人目の子供は、また女の子だった。

 妹が生まれる頃には私の魔術の腕もいくらか上達し、風を起こすだけでなく、風を読む、風を操って離れた場所のことを探ることなんかもできるようになっていた。風を起こして涼ませてあげると、妹はいつも嬉しそうに笑ってくれる。それが私も嬉しかった。

 ベレニスと名付けられた妹は、アナイスさんと同じ鳶色の髪と緑色の眼をしていた。それでも髪質は私やサロモンさんと同じものが遺伝したらしく、ふにゃふにゃとうねっている。アナイスさんは見事なストレートなのに、三人そろって天然パーマ。話によれば、今はスキンヘッドのシモンさんも若い頃は大層な癖毛だったそうである。強すぎる、天パ遺伝子。

「ねーちゃ、ねーちゃ」

「なあに、ベレニスちゃん」

 ベレニスが生まれてからはバベットさんも羊追いの仕事に戻り、私はもっぱら妹の面倒を見るのが仕事になった。私がこんな風だから、ひょっとしたら妹も「そう」なのではないかと淡い期待やら不安やらを抱いてみたりしたものの、今のところ順調にただの赤ん坊で、安堵すればいいのか落胆すればいいのか、よく分からない。

 今のところ、私はただの頭のいい子供ということで通っていた。六歳になり、それなりに舌も回るようになっているので、事情を説明しようと思えば出来たけれど、何となくしないままでいた。打ち明けた話を一蹴するような人たちじゃないとは分かっているけれど、折角生まれた子供がそんな奇妙な有り様であると知らされるのは中々愉快なことではないのではないかと思うと、打ち明ける気にもなれなかったのだ。

「ねーちゃ」

「はいよー、何ですかー」

 幸いにも、ベレニスは私に懐いてくれている。モミジみたいな手を私に伸ばしてきては、ぺしぺしとあちこちを叩くのが、何故か好きらしかった。小生意気な弟はいたけれど、妹に恵まれたことはなかった。初めての妹という存在は、懐いてくれていることもあって、素直に愛しく思えた。

 そして、私が八歳になった春、二人目の妹――リリトが生まれた。バベットさん譲りの黒髪に、サロモンさんやシモンさんと同じ青い眼をした子だった。

 リリトはサロモンさんに似たのか寡黙な子供で、お喋りなベレニスとは真逆の性格だった。そのせいで三歳になる頃には五歳のベレニスと衝突することも少なくなく、私はしばしば姉妹間闘争の仲裁をする羽目になった。こういう時、二十三年分の精神力があってよかったとつくづく思う。本当に本当の十一歳だったら、とてもじゃないけど取っ組み合い掴み合い噛み付き合いの喧嘩の仲裁なんてできなかったに違いない。間違いなく、放って逃げた自信がある。

 この頃になると司祭さんから習う魔術もかなり上達してきて、風で攻撃することもできるようになってきたし、より詳細に周辺の様子を探ることもできるようになってきた。結構頑張っているんじゃなかろうかと、我ながら思わなくもない。

 その結果、私は妹たちの世話係からジョブチェンジ、サロモンさんについて山に入ることになった。狩りや弓の扱い、動物の捌き方――慣れとは恐ろしいもので、何度か試行するうちに何でもない作業と化した――を習ったり、逆に風の魔術を使って探索をしてサロモンさんの補助をしたり。その合間にまた教会で魔術を習い、私は着々とこの地に住むものとして成長を遂げていった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ