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青の羅針儀  作者: 奈木 一可
第一部
19/99

05:司祭長の懺悔-02

 教会から清風亭に帰り着いたのは、予定通りに午後三時を少し過ぎた辺りだった。清風亭の一階は昼間には食堂として、夜には酒場として活用されるけれど、ちょうどこの時間はお客が少なくなる。ひそりと足を踏み入れた一階のフロアはやはりと言うべきか無人になっており、給仕のラシェルさんがテーブルを拭いているところだった。

「お帰りなさい、ライゼルさん」

 扉を開けて入ってきたのが私だと気付いたラシェルさんが、にこりと笑って迎えてくれる。

 私より二つ年上のラシェルさんは、十五歳の頃から清風亭で働いているという看板娘さんだ。緩く編んだ金髪が柔らかくて素敵な笑顔に良く似合い、常連客からは無類の人気を誇る。かく言う私も度々食事や古着の差し入れを貰ったりとお世話になりまくっている次第であるので、水面下で結成されているラシェルさん親衛隊の一員であることは言うまでもない。

「ただいま戻りました。これ、お土産です。旦那さんと女将さんは厨房ですよね? 手が空いた時にでも食べてください」

 帰り道に買ってきたお土産のお菓子を渡すと、ラシェルさんは「まあ」と表情を綻ばせる。

「ありがとう。この箱、マリフェンかしら」

「はい、夏の新作が出てたので」

 マリフェンは大通りにある、結構有名なお菓子屋だ。人気があって混むことは混むのだけれど、客が流れるのも速いのでそれほど並ばずに買うことができた。

「レインナードさん、部屋にいます?」

 ついでに尋ねると、ラシェルさんがはっと息を呑む仕草を見せた。……おや、これは……。

「……もしかして、安静命令無視してその辺うろついてるんですか?」

「え、ええと、その、私が頼みごとをしてしまって」

 ラシェルさんの灰色の双眸が全力で泳いでいる。ラシェルさんは純朴な人柄で、要するに嘘が吐けない人なのである。その辺も一部の常連客に可愛いと受けて親衛隊が増える遠因となっているのだけれど、まあ余談だ。

「レインナードさんが勝手に何かしてるってことですね。……どこでやってますか?」

「その、裏庭なんだけど……あの、ライゼルさん、怒らないであげてね? レインナードさんも厚意で」

「厚意は結構なんですが、あの人は自分が怪我人だってちゃんと分かってるんですかね……」

 溜息を吐きつつ、フロアを突っ切って裏口へ向かう。ラシェルさんの困ったような表情には、意図して気が付かなかった振りをした。

「ううん……あっ! ライゼルさん、後で裏庭にお茶持っていくわね」

「え? いや、お構いなく……」

「遠慮しないのよ!」

 私の言葉に聞く耳持たず、ラシェルさんはテーブルを拭き終えると厨房へと向かっていった。お茶はいらないといえども、もう一つマリフェンの箱を持っている以上、説得力は薄いか。ここは素直に厚意に甘えておくことにしよう。

 或いは、そうやってお茶を持ってくることで私にガミガミやられているレインナードさんの援護をしようとしているのかもしれないし。だったらどうしようもないので、早々にラシェルさんの説得は諦めることにして、裏口から再び外に出る。

 眩い日差しに、一瞬目が眩んだ。

「お、ライゼルじゃねえか。どうしたよ?」

 そうして聞こえる、陽気な声。ついでに、かーんと軽やかな音。

「誰かさんを探してまして」

「ん? 俺か?」

 直射日光の当たらない物陰に移動しながら瞬きをして、視界を取り戻す。

 さほど広くはない裏庭には、ちょっとした倉庫や物干し場が備え付けられている。今は干し物もないらしく、ぽっかりと空いた一角で、何やら斧を片手――よりにもよって右手だ――にパカンパカンと小気味よく薪を割っていく半裸の男。汗でむやみやたらに輝くムキッとした腹筋背筋その他諸々の筋肉。……ああ、暑苦しい頭が痛い。

「ええ、一週間は安静の命令を早々に破って何か勝手にやってるらしい、どっかの誰かさんのことです」

「いや、安静は右手だけだろ。他は別にな?」

「黙らっしゃい怪我人。何で脱いでんですか服を着なさいとか普通に右手使ってんじゃありませんとか色々ありますがともかくそこに直りなさい」

「へい」

 そこ、と薪の山の前を指差すと、斧を置いたレインナードさんがすごすごとやってきて正座をする。返事は良いんだ、返事は……。

「いいですか、ロニヤ先生は一週間は安静にと言いました。裏を返せば、一週間我慢すればいいんです。それが、なんですか。まだたったの四日目! 四日目にして挫折ですか! しかもわざわざ右手で薪割りなんぞして! 傷が悪化したらどうするんです! お腹の傷が一応治ったからって、気を抜き過ぎじゃありませんかね!」

 ロニヤ先生の言った通り、およそ四日で治るという見立てだったレインナードさんのお腹の裂傷は、今はもう薄らとした痕が残るばかりにまで治っている。けれど、右手はまだ立派に治癒途中で、包帯だって取れていないのだ。そんな状況なのに普通に薪割りとかしてる神経が、なんかもう信じられない。

「でもよー、右手以外は平気なんだぜ。身体動かしてねえと鈍るだろ」

「じゃあ百歩譲って、せめて右手を使わないとか気を使うべきでしょうに!」

「さっきまでは左手でやってたんだよ」

 おのれ、ああ言えばこう言うとはこのことか!

「はー……。暖簾に腕押し過ぎる」

「ノレン?」

「何でもないです。後で傷の様子を見ますから、とりあえずこれ以上右手で薪割りするのは止めておいてください。それから、服着てください。露出魔ですか」

「人聞きの悪いこと言うなよなー。この陽気で薪割りしてたらよ、そりゃ汗かくだろ。暑いだろ。そしたら脱ぐだろ」

 脱がねえよ。反射的に言い返しかけた言葉を呑み込む。表からは見えねえんだからいいじゃん、と言うところを見るに、一応配慮はしていた模様ではある。けど、もうやだ疲れてきた。

「……もーいーや。さっき出掛けたついでにお土産買ってきたので、おやつにしましょう」

「お、まじでか。ありがとなー」

 けろりと立ち上がったレインナードさんが近寄ってくる。だから服を着なさいって。

「さっき出掛けたって、どこ行ってきたんだ?」

「教会に。村で魔術を教えてくれた司祭さんのお師匠さんがいるそうで、少し話を聞きに行ってました」

 まだ割る前の薪、つまり丸太をレインナードさんが二つ持ってきてくれたので、椅子代わりに二人並んで座る。ああ、そう言えばお茶が届くんだっけ。

「ちょっと忘れ物したので、中行ってきます。これ、持っててください。まだ中は見ちゃだめですよ」

「ん? ああ、おう」

 マリフェンの箱をレインナードさんに預けて、裏口から再び清風亭の中へ。厨房に行けばいいだろうか、と歩き出せば、まるで申し合わせたようにラシェルさんがやって来るのが見えた。その手のお盆には、アイスティが注がれたグラスを二つ載せている。

「すみません、ラシェルさん。お茶、頂いていいですか?」

「ええ。持っていくと言ったのに、取りに来てもらってしまってごめんなさいね」

「いえいえ、淹れてくださってありがとうございます。それに、今の裏庭には目の毒がいますしね……」

 そう言うと、ラシェルさんがきょとんとする。説明するのも厄介なので、そのまま流してしまうことにするけれど。

「お説教は短く終わらせましたから、大丈夫ですよ」

 代わりにそう言うと、ラシェルさんはほっとしたように微笑んだ。本当にいい人だ。

 お盆を受け取り、それじゃあ、と別れて裏庭に戻る。レインナードさんは律儀にマリフェンの箱を持ったまま、丸太に座って待っていた。未だに半裸で。何故さっきの間に服を着ないのか。もう溜息も出ない。

「戻りました。はい、これラシェルさんからの差し入れです」

「お、どーもな」

 レインナードさんの隣の丸太に腰を下ろしつつ、グラスと箱を交換。自分の分のグラスは取らずに、ひとまずお盆ごと地面に置いた。座った膝の上にマリフェンの箱を載せて、開ける。

 中には季節のフルーツタルトとマドレーヌが二つずつ。右手にマドレーヌ、左手にタルトを持って取り出してみれば、

「何か随分差があんな。やっぱ怒ってんのか……」

 隣で微妙にしょぼくれた顔をされた。自業自得だけど、勝手に誤解しておる。

「いくらなんでも、そこまでセコいことしませんから。これ、どっちもレインナードさんのです。ほら、手え出して」

「おお!? そーか、何か悪いなー」

 レインナードさんの手にマドレーヌとタルトを置き、自分の分のマドレーヌを取り出す。綺麗なピンク色が可愛らしい。

「んじゃ、有難く」

「はい、召し上がれ」

 大きく口を開けたレインナードさんが小ぶりの円いタルトに齧りつくのを横目に、マドレーヌを食べる。控えめな甘さに、ふんわりと優しくほぐれる食感が中々……。

「んで、教会じゃちっとは為になる話でも聞いて来れたか?」

「まあ、為になると言えばなる話でしたけど、それ以上に色々面倒臭くて」

「面倒臭い?」

「元々司祭さんは王都にいたんですけど、色々と七面倒臭い事情があってクローロス村――私の故郷ですけど、そこにに出向することになったらしいんですよね。で、お師匠は司祭さんを呼び戻したい。けど、多分、司祭さんにはその気がない。――どうしたものか困ってたところに、都合よく弟子の弟子が訪ねてきたので、搦め手に使えないかと……って言うと、言い方が悪いですけどね」

「孫弟子を唆して、弟子を呼び戻させようってか」

「有体に言えば。そんなことにまで関わってられないんで、断って帰ってきましたけど。下手したら教会内部のパワーゲームにまで巻き込まれかねないじゃないですか」

 それだけは御免である。そんなことにまで関わってはいられない。

 溜息を吐いてマドレーヌを飲み込み、タルトを齧る。酸味のある果実がクリームの甘みを引き立てていて、ああ、口の中が幸せ。

「なんつーか、スヴェアの勝手の時にしろ、お前さん予想外にしがらみが多いってか、厄介事に巻き込まれやすい境遇なのな」

「らしいですね。自分でも知りませんでした。知りたくなかったですけど」

 そう答えると、会話が途切れた。さくさく、互いに咀嚼する音だけがかすかに落ちる。

「そう言えば、学院の方で色々調べてきましてね」

 タルトも食べ終わったところで、再び口を開く。おう、と答えるレインナードさんはとっくに食べ終わっていて手持無沙汰にしているのは分かっていたけれど、敢えて放置しておいた。いや、別に怒らせた意趣返しとか、そういう訳ではなく。私は純粋に味わって食べてただけである。ほんとに。

「あの槍は火魔術に親和性を付加して赤く変性したミスリルで作られているようなので、接ぎと補強には同じミスリルが必要ですね。それから魔石加工学の先生に相談したら、柄尻と穂先の近くにヴァトラ石を混ぜ込んで火を誘導するを作るのはどうかって提案がありました」

 ミスリルは本来白銀色をした、鋼よりも硬く、魔力の伝導性が非常に高いという希少金属だ。ヴァトラ石は別名を炎喰らいの石と呼ばれる魔石で、その名の如く炎を引き寄せて内部に溜め込む性質がある。今回はその性質を利用して、槍を媒介に発生する炎を穂先ないし柄尻に誘導し延焼を防ぐ役目を果たしてもらおうという次第。

「いいんじゃねえの。問題があるとすりゃ、ちと重さが変わるくらいか?」

「そうですね、ヴァトラ石を混ぜ込む分少しだけ増えます」

「それくらいなら、許容範囲内だろ。後は俺が慣れりゃいいだけの話だ」

「なら、その方向で進めましょう。槍を実際に補修加工する職人さんは、商工ギルドで信頼できる人を探します? それとももう懇意の鍛冶師さんとかいますか?」

「ちょいちょい研ぎを頼む鍛冶師がいるから、そいつにできるか訊いとくわ。火を誘導する術式は掛けてくれんだよな?」

「レインナードさんの方で心当たりの人がいるなら、そちらの方がいいと思いますけど」

「できねえのか?」

「……できなくはないですけど」

「じゃ、頼むわ」

「軽っ! 言っておきますけど、私まだ学生ですからね!? そりゃあ、万が一のことも考えて魔石加工学の先生に同席をお願いして了承はもらってきましたけど、私はプロじゃなくてアマチュアですから!」

「ほれ、やっぱそうやって手を打ってあんだろ。それなら大丈夫ってもんだ、宜しく頼むぜ」

 にひ、と笑ってレインナードさんは言う。はああ、と思わず堪えきれない溜息が口を突いて出た。本当にいいのかなあ、という気はしてならないけれど、肝心の当人がそう言うのであれば、仕方がない。私は全力で仕事をするだけである。

「ああもう、分かりましたよ。……見通しが定まったところで、最終的な問題は素材ですね。ミスリルとヴァトラ石の確保。ヴァトラ石はそこまで希少なものでもないですし、商工ギルドに在庫があるんじゃないでしょうかね」

「なら、そっちで探しちまった方が手っ取り早いか。ミスリルは……そこらで気軽に買えるもんじゃねえし、買うにしたって高いしなあ」

「武闘大会の賞金も一瞬で吹っ飛ぶくらいですよね、多分」

「……採りに行くべ」

「ガレカーン地底湖近辺の坑道を掘るか、ジルド浮遊遺跡で既製のミスリル製品を探すかの二択でしたっけ。どっちにします?」

「掘っても見つかる気しねえんだよなあ。浮遊遺跡なら、ざーっと探ってありそうな場所絞れたりしねえ?」

「まあ、魔力の濃そうなところを探すくらいならできると思いますけど」

 魔力によく馴染む性質のあるミスリルなら、ひょっとしたら魔力の濃い場所を探しているうちに見つかるかもしれない。……かもしれない。

「そんなら費用は俺が持つし、他に見つかったモンがあって欲しいのがあったら持ってっていいから、一緒に行ってくんねえ? ちゃんと護衛も兼ねて面倒は見るしよ」

「夏休みに入ってからでいいなら、大丈夫ですけど……逆に私でいいんですか? バルドゥルさんとか、他に魔術に長けた人をギルドで探した方が確実じゃありません?」

「あ? 俺は魔術で探れる奴が必要で、そっちは資金繰りに使えそうなものを取ってくる必要がある。お互い利害は一致してんだから、わざわざ他の奴を探すのは手間じゃねえか」

 その論は私が足手まといになることを想定していないのか、私というオマケがついていても大丈夫だという自信の表れなのか、どっちなのだろう。……とは言え、レインナードさんの意見も間違ってはいない。稼げる機会になるべく稼いでおきたいのも本音だ。

「レインナードさんがいいなら、それで構いませんけど。今月の下旬に試験があるので、それまで身動き取れないんですけど、大丈夫ですか?」

「賞金もまるっと残ってるし、暮らす分には問題ねえから大丈夫だ。それに、どっちにしろ浮遊遺跡に行くにゃあ、代用の槍を持ってかねえとならねえだろ。手が治ったら鍛冶屋んとこに槍預けるついでに見繕ってくるから、それ持って軽い仕事受けて暇潰ししてらあな」

 そういう次第で、レインナードさんの槍補修計画はまとまった。

 ひとまずここで私がすべきは、憂いなく浮遊遺跡の探索に出掛けられるよう、きちんと試験をパスできるように対策を練っておくことだろうか。後は、暇を見てアルドワン講師に術式の構築について相談もしてみよう。

「……ところで、いい加減服着ません?」

「だって暑いだろ」

 しれっとした返事。すぐ隣に半裸の男が座っているという珍妙な事態にありながら、大人しくマドレーヌとタルトを食べて話もした自分の忍耐もしくはスルー力に乾杯。

「私これでも女なんですけど。自分で言うのもどうかと思うんですけど、花も恥じらう十七歳なんですけど」

「……きゃーって恥らった方がいいか?」

「そうじゃない……」

 真顔で言うな。

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