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青の羅針儀  作者: 奈木 一可
第一部
17/99

04:皇帝来りて-07

 武闘大会及びキオノエイデ皇帝歓迎の祭りは、盛況のうちに終わった。

 武闘大会について言えば、あの後「南海諸島の魔術師」が辛くも十人近い挑戦者を勝ち抜き勝利を収め、「東方の剣士」は騎士団の騎士と互角の戦いを繰り広げて引き分けになったと聞くものの、実際の戦いぶりは見ていないので分からない。それは別に食べ物が切れたので買いに行っていて見逃したとかそういう訳ではなく、第三戦が終わった後、私とシェーベールさんは医務室を訪ね、レインナードさんと合流してそのまま帰ったからだ。

 いや全く、レインナードさんの考えは分からない。医務室を訪ねた時を思い返すと、今でも目眩がするような気がする――


「いやー、久々に楽しかったな!」

 そんな声が聞こえたのは、私とシェーベールさんが手八丁口八丁で会場のスタッフを丸め込んで医務室に連れて行ってもらうことに成功した、まさにその瞬間だった。

 さあ扉を開けよう、という時にそんな声が聞こえてきたものだから、私は思わず引き攣った半笑いになるし、シェーベールさんは溜息を吐くしで、今まさに案内を終えて去ろうとしていたスタッフの人に微妙に憐れんだ目で見られた。雇用契約を結んでいる傭兵の様子を確認するのは雇用主として当然のことであるとか適当を述べ立てて連れてきてもらっただけに、変な同情というか気遣いというかをもらってしまったことは想像に難くない。余計なお世話だけど。

 シェーベールさんにつられて吐きそうになった溜息を呑み込み、医務室の扉をノックする。短い間の後、

「はい、どうぞ」

 許可をしたのは、女性の声だった。医務室に詰めている医師だろうか。

「失礼します」

 何はともあれ、扉を開ける。それほど広くない室内にはベッドが六床、その奥に衝立で目隠しをされた診察場と思しき区画があるようだった。ベッドはどれも空いているので、声の主たちは衝立の向こうにいるのだろう。私が先頭に立ち、バルドゥルさんと一列になってベッドの間を奥に向かって足を進める。

「すみません、お取込み中ですか?」

「んにゃ、大丈夫だ」

 一応、衝立の前でもう一度声をかけると、軽い返事があった。大丈夫、ということはこの向こうに立ち入ってもいいということだろうか。少し迷ったものの、衝立の脇を抜けて進んでみることにした。

「……失礼しまーす……」

 ひょいと顔を覗かせてみせると、ちょうどこちらを向いていたレインナードさんと目が合った。お、と目を丸くしたレインナードさんが、くしゃりと笑う。

「ようライゼル、さっきは手え振り返してくれてありがとなー。振り返してもらえなかったら、早々に精神的ダメージを負うとこだったぜ!」

「そうですか、それは良かった。恥を忍んだ甲斐がありました」

「そこまで言うか!?」

「冗談ですけど」

「冗談に聞こえねえ……。あ、その髪飾り着けてくれてんだな」

「そりゃあ、可愛いですからね。着けますよ」

 そう答えると、レインナードさんは何日か前に見たような嬉しそうな顔になった。ぬう、そんな顔をされると、何と言うか、こっちの方が逆に恥ずかしい……。

「あ、そういやバルドゥルはどしたよ? 一人なのか?」

「ここにいる」

「なんだ、後ろにくっついてたのか」

 おっと、うっかり会話を始めてしまったせいで後ろがつかえていた。そそくさと衝立の奥へと足を進めれば、後に続いてシェーベールさんが入ってくる。

 衝立の奥には、よくある病院の診察室のように、机や椅子の一式が揃えられていた。レインナードさんは並んだ二脚の椅子の片方に座って、もう一方に座る女性の手当てを受けていたようだった。黙々とレインナードさんの剥き出しの上半身――胴体に手早く包帯を巻いていくのは、やはり女性の先生で……って、今更だけど明らかに手当て真っ只中だったコレ! 上脱いでるし! なのに何で入室許可したかなあ!?

「わざわざ二人揃って――あっ、あれか? 見舞いに来てくれたって訳か?」

 どこから突っ込めばいいのか分からない私に向かって、投げられたのは陽気極まりないそんな言葉だった。しかも、手当てをされている張本人から。

 はああ、と堪えるのも限界になった溜息が零れ落ちる。

「どうしたよ、そんな溜息吐いて」

「……何でもいいです、もう。とりあえず、勝利おめでとうございました」

「おお? よく分かんねえが、ありがとな!」

 にかりとレインナードさんは破顔する。あれだけの激戦を繰り広げた後だとは到底思えない、軽やか過ぎる表情に気のせいではない頭痛がした。……いや、ここは敢えてそこまで大怪我をせずに、且つ本人としては非常に楽しめたらしいことを素直に祝福すべきなのだろうか。

 レインナードさんの顔をじっと見つめて考えていると、きょとんとした顔で「どうした?」と首を傾げられた。その額や頬にはいくつもの切り傷の痕が窺えるものの、どれも治癒魔術を施した痕跡が見て取れる。二、三日もすれば、ほんのわずか痕が残るくらいにまで治ってしまうに違いない。日本にいた頃には、考えられない技術。それがあるからこそ、怪我をすることに対して意識が甘くなってしまうのではないか――なんて、後ろ向きに考えすぎかしらん。

 軽く息を吐く。考えても答えの出ないことにかかずらうのは止めよう。そう思って、未だ不思議そうな顔をしたレインナードさんに、何でもないと首を横に振ってみせようとし、

「お知り合いかな?」

 ふと第三者の声が上がった。他でもない、今まさに現在進行形でレインナードさんの手当てをしている――今度は右手に包帯だ――先生。年は三十前後といったところか、くすんだ赤の髪をひっつめて束ねた、いかにも敏腕といった雰囲気の人だ。

「あ、はい。そんなところです」

「だったら、よくよく言い聞かせてくれないかね。戦闘に興じるのも結構だが、文字通り自分の手を焼くほどの魔術を使ってまで楽しむのはいかがなものかと思う」

「はい!? 何ですかそれ!? もしかして、右手の包帯そのせいですか!?」

 思わず目を見開いて言うと、先生は呆れ果てたとばかりの表情で頷き、レインナードさんは「まあ、そういうこともあるよなー」とまた訳の分からないことを言って笑った。

 二度目の溜息が、口を突いて出る。

「自分の術で自分の手を焼くとか、凄腕の傭兵が何をしてるんですか……」

「いや、だから言ったろ? 俺あ魔術得意じゃねえんだって」

「だからって、自分の手を焼くまでやることがありますか!」

 あんまりにもあんまりな言い分だったので、クローロス村にいた頃に妹のやんちゃを叱った時以来、相当ぶりに声を張った。そうだそうだと口にする代わりに深々と頷く先生の向かいで、レインナードさんはばつの悪そうな顔をする。

「あー、分かったよ、悪かったって……」

「その口ぶりだと、全く反省していなさそうだが」

「うっせえ、返事以外のまともな発言がそれかよお前! おめでとうとか、お疲れとか、もっと他の言葉はねえのか!」

 ぼそりと厳しい意見を放ったバルドゥルさんに、レインナードさんが食って掛かる。これに関しては、私も擁護しようがない。

「制御が上手くいかないにしろ、槍に何か細工をするとか、保護の為の手袋をするとか、せめてなんかこう……工夫はあるべきでしょう」

「この暑いのに手袋はひどくねえか?」

「……何を言ってますかねあなたって人は……」

 よりにもよって、真顔で言いよった。なんかもう、色々通り越して脱力してしまいそうである。暑い寒いで装備を決めて怪我をしてちゃ、それこそどうしようもないでしょうが!

「細工ったって、俺はそういうのからきし分かんねえし……あ、ライゼル、そっちこそそういうの得意なんじゃねえの? どっちにしろ砕けた槍も直さねえといけねえし、暇な時でいいから手え貸してくんねえ?」

「それは構いませんけど――だったら、槍の破片とか借りられると助かります。相性のいい鉱物を探さなきゃいけませんし。柄も金属でできてるんですよね? その割にはいつも軽々扱ってましたけど」

「俺には軽く持てるんだよ」

「持ち手を選ぶ魔術が掛かってるってことですか? そう言えば、そんな話前にしてましたっけ――」

 とりあえず破片を学院に持って行って、鉱物標本室で片っ端から相性調べだ。この辺はアルドワン講師に相談してもいいかもしれない。折れた部分に魔石を埋め込んで、魔力の流れを上手く操作して手を保護するようにするとかすればいいかな。いや、でもそれだと耐久性に問題が出るかも……。

「お嬢さん、お嬢さん。話をすり替えられているよ」

「はっ!?」

 そうだった、槍の修理も大事だけど、今はその話よりももっと重大な話題が!

「あーあ、折角話を逸らしたってのに」

 ああもう、またこの人はそういうことを言う……!

「ヴィゴ、それくらいにしろ。さすがにハント嬢が怒髪天を突く」

「へいへい。次から少しは気を付ける、約束だ。……これでいいか?」

「言質取りましたからね」

 へえい、とレインナードさんは気のなさそうな様子で頷く。その態度に一言物申したい気もするけれど、ひとまずは自分から約束させたということで納得しておくべきかしらん。

 そんなことを考えていると、レインナードさんの右手に包帯を巻き終えたらしく、先生が顔を上げた。

「さて、処置はこれで完了だ。顔の創傷は明後日には完治しているだろう。腹は四日、右手は大分焼けているから一週間といったところかな。それまではくれぐれも安静に」

「へーい」

「頼りない返事だな……」

 疑わしそうな顔でレインナードさんを見た先生は、次いで何故か私に目を向けた。

「この患者はどうも医者にとって限りなく厄介な類と見える。話は聞かなさそうだし、するなと言ったことも平気でしでかしそうだ。そういう患者には、お目付け役がいる。……私の見立てでは、お嬢さん、あなたが相応しいと思うのだがね」

「はあ……まあ、それなりに日々付き合いのある知人ではありますから、手を貸すにやぶさかではないですが」

「では、スヴェアにはそう伝えておこう。ヴィゴ・レインナードはライゼル・ハント嬢が快癒まで見張ってくれると」

「――はい!?」

「何だと!?」

「何と」

 にっこりと笑った先生の口から飛び出したまさかの名前に、三者三様の驚きの声を上げる。私とレインナードさんとシェーベールさんは顔を見合わせた後、半ば呆然として先生を見た。言われてみれば、確かにその青い眼はどこか見覚えのある色に近いような気もする。

「スヴェア・ルンドバリは姉でね。私はロニヤ・ルンドバリ、王立グリシナ病院で医者をしている者だ。今後顔を合わせることもあるだろう、宜しく頼む」

 そう言ってにこやかに差し出された手を拒むことなどできるはずもなく、私はロニヤ先生と握手をした。


 ――かくして私達は妙なしてやられた感を抱きつつ、帰途についたという訳なのである。

 帰りの道中でお土産を買いながら清風亭に帰ったら帰ったで、スヴェアさんの早すぎる根回しによってこれまで利用していた宿を解約されたレインナードさんが肩を落として「……新しい宿はここに用意してあるんだと」とやってきたりしたけれど、とりあえず私達の武闘大会は無事に終わった。終わったと言ったら、終わったのだ。

 しばらくは同じ宿で過ごすことになった右手の不自由なレインナードさんのお手伝いをしたり、学院で調べ物に奔走しなければいけないかもしれないけれど、どうと言ったこともない。平穏のうちに入ることだ。

「それにしても、何でシェーベールさんじゃなくて私をお目付けに選んだんでしょうね。私じゃ腕力が必要になった時とか、お呼びでないと思うんですけど」

「……さー、何でだろーなー」

 まあ、これまでお世話になった分返せると思えば、別に構わないけれど。

 ……ああ、そうだ、忘れていた。レインナードさんと戦い、惜敗した霜の巨人は絶命してはおらず、只今商工ギルド保有の氷室で療養中なのだという。ある程度身動きができるようになるまで氷室で眠り、冬を待って北の山脈に帰る予定なのだとか。

 何だかんだで、武闘大会では一人の死人も出ずに済んだらしい。キオノエイデの皇帝も自国出身の傭兵が素晴らしい戦いを見せたことで、かなり上機嫌になったという噂だし、とりあえず全ては丸く収まったと言えなくもない、のかもしれない。

「しっかし、今日も暑いですね」

「もう夏だなあ」

 清風亭のレインナードさんの部屋から見上げた空は、青く澄み渡っていた。

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