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青の羅針儀  作者: 奈木 一可
第一部
15/99

04:皇帝来りて-05

 クストールの森から帰ってきてからというもの、学生生活は実に平穏だった。

 セッティ家のアレが概ね片付いてくれたお陰で授業妨害もなく、エリゼくんがちょいちょい突貫して来るので以前ほど孤独でもない。アルドワン講師は何かと便宜を図ってくれるし、一月前に比べると劇的な改善だ。

 ギルドの方でもスヴェアさんとレインナードさんの話し合いは円満に終わったらしく、あれ以来スヴェアさんから意味深な手紙が来ることもない。その代わりに、時に交互に、時に一緒に、二人の傭兵から手紙が届くようになった。それは王都の中で発生したささやかな仕事への誘いだったり、はたまた美味しい店を見つけたからという食事の誘いであったりした。

 もちろん、手紙の差出人はレインナードさんであり、シェーベールさんだ。薬草採取の一件から後、私達三人の間では付かず離れずの交流が続いている。薬草採取が無事に終わったことを伝える為に三人で「薄明亭」を訪ねたこともあったし、「清風亭」で帰還祝いという名の飲み会が開かれたこともあった。一応、私はまだ十七歳なので、お酒は遠慮しておいたけれど。レインナードさんもシェーベールさんも、とんだザルで驚いた。

 賑やかに穏やかに過ごすうちに日々は流れ、いよいよ夏も間近になってきた。太陽はかんかんと照り、空は抜けるように青く、緑は鮮やかさを増す。そんな六月の終わりも目前という時分に、北の大国から皇帝はやってきた。

 そして、それはおよそ半月前に薬草採取依頼事件が発生するに至った元凶とも言える、アシメニオス国王とキオノエイデ皇帝が席を並べて観覧する武闘大会がいよいよ開催されるということでもある。折角なので武闘大会を三日後に控えた夜、例の如く三人で「薄明亭」でご飯を食べることにした。気分としては、ちょっとした壮行会である。

「えー、それではレインナードさんの勝利を祈りまして、乾杯」

 僭越ながら私が音頭を取らせて頂いて、がしゃん、とエールの注がれた二つのジョッキと、アイスティーのコップがぶつかり合う。今回はカウンターでなく隅のテーブル席に陣取る私達をニコニコと笑顔で眺めている親父さんは、カウンターの中でちょっとだけ杯を掲げた。さすがに営業中なので、大々的に加わる訳にもいかないという次第である。

「いよいよ明々後日ですか」

「おうよ!」

「対戦相手はどいつにしたんだ」

「そりゃー、やっぱ一番の大物だろ!」

 商工ギルドが力一杯宣伝しているお陰で、ここ数日街でそのチラシを見ないことはない。挑戦者を迎え撃つ顔ぶれは、前に親父さんが言っていたものとほとんど変わりはなく「暗黒大陸の猛獣」「東方の剣士」「北の山脈の巨人」「西国の戦士」「南海諸島の魔術師」の五名だそうだ。正確には、四名と一頭と言うべきかもしれないけれど。

 その中で一番の大物と言ったら、やっぱり……

「巨人、ですか?」

「お、正解」

「北の山脈から招かれた、霜の巨人だったか。……ふむ、悪くない相手かもしれんな」

「剣士や戦士とはその辺で戦えるが、巨人はそうそうお目に掛かれねえからなあ」

「猛獣はどうなんです?」

「戦うっつーよりは、飯狩ってる気分になるだろ……」

 何とも言えない表情でレインナードさんは呟く。狩人の娘としてはその気持ちも分からないではなかったので、そうですねと頷き返すに留めておいた。

「シェーベールさんは参加しないんですか?」

「特に賞金が入用という訳でもないからな」

「俺だって金に困ってる訳じゃねえぞ」

 軽く首を傾げて言うシェーベールさんに、レインナードさんが不服そうに反論する。要するにレインナードさんは戦うこと自体が目的になり得るけれど、シェーベールさんはそうではないということなのだろう。まあ、大会に出る=賞金を獲得する――すなわち勝つ、と自然に言えるのはさすがの自信だと思うけれど。

「じゃあ、観戦には行きます? 昨日、清風亭の旦那さんからチケット貰ったんですけど。ペアチケットだったんで、一枠空いてるんです」

「……では、お供仕ろう」

「いや、普通に観戦してくれていいんですけど……」

「席ってどの辺だ?」

「さあ、商工ギルド経由のもらい物らしいんで、いい席なんじゃないんですか?」

「じゃ、見っけたら手え振ってやるよ」

 満面の笑顔で言われた。いや、別に嬉しくない訳ではないけども、そんなことをされたら少々恥ずかしい気もするというか何というか。

「……それ、振り返した方がいいですか?」

「寂しいこと言うなよ……」

 暫し考えた末に答えると、何とも言えず悲しそうな顔をされた。犬耳とか生えてたら、ぺたんと萎れてそうなしょんぼり具合である。その上、シェーベールさんまでじっとこっちを見てくるし――な、何だこれ! 私が悪いのかこれは!?

「……じゃ、ささやかに振り返しますね」

「そこは派手にいこうぜ、派手によ」

「地味に穏やかに過ごしたいんです、私は」

 最近すっかりこうして行動を共にすることにも慣れてきただけあって、何だかんだ会話は弾んだ。さりとて、私は明日も学院に登校しなければならないので、余り夜更かしもできない。遅くなる前に会はお開きになり、今日は俺がと言い募るレインナードさんを同行者に清風亭へ戻ることになった。

 夕よりも断然人の減った通りを、並んで歩く。既に何度目かも分からないくらいには、今やよくあることだった。

「今日はわざわざありがとうなあ」

「いえ、こちらこそ。いつも色々お世話になってますし。……あんまり怪我しないように、頑張ってください」

「おう、ちゃんと契約破らねえ程度に引き際見ながらやってくら。心配すんな」

 そう答えるレインナードさんは、どこか落ち着かない風だ。そわそわしている、というか。わざわざ帰り道の同行を志願してきたこともあるし、何か話でもあるんだろうか。

「まあ、実際そこまで心配はしてないんですけど――あのー、レインナードさん?」

「な、何だ?」

「いや、何だはこっちのセリフというか。何かさっきからそわそわしてますけど、私に用事でもあります?」

「へ!? あー、いや、その、用事っつーか、何つーか」

 はたと歩む足を止めたレインナードさんが、もごもごと口ごもる。珍しい、いつもは考えるよりも先に喋っちゃう感じなのに。つられて私も足を止めて、その顔を見上げてみたものの、どうにも視線が合わない。というか、露骨に目が泳いでいる。

「……そのー、何だ、前に緑の石の飾りもらっただろ」

「ああ、課題のついでの?」

「そーそー、それよ。そのお返しをな、考えてたんだよ。……んで、やっと良さそうなのを見っけてさ」

 言いながら、レインナードさんは小さな包みを取り出す。薄紅色の包装紙とリボンでラッピングされたそれは見るからに可愛らしく、こう言っては失礼だけれど、ごつくていかにも戦士然としたレインナードさんにさっぱり似合わない。

「どこのお店で見つけたんですか?」

「んー……商工ギルド。大通りの飾りとか売ってる店はきらきらしてて入りにくいっつか、よく分かんねえし」

「まあ、ああいうとこって基本貴族とか富裕層向けですもんね」

 普通に貧乏一歩手前の私と違って、腕のいい傭兵であるレインナードさんとかは金銭的に困ることはそんなに無さそうなイメージだけれど、かといってああいう場所に縁があるようにも思えない。その点、商工ギルドは立ち入るにも気が楽だ。私がスフリーゼ石を買い取ってもらったみたいに、仕事のついでにしても訪ねる用事はぽこぽこ出てくる。

「……で、ともかく、これ」

 ずい、とレインナードさんが薄紅の包みを突き出してくる。薄々分かってはいたけれど、本当に私にくれるつもりのようだ。今日はレインナードさんの為の会だったはずなんだけどな。

「別に見返りを期待して渡した訳じゃありませんし、本当にただの課題のついでだったんですけど」

「それはそれ、これはこれだろ。いいもんをもらったから、礼をする。当然の話だ。――いいから、ほら」

「はあ、そういうことでしたら有難く頂きますけど」

 このままだと押し付けられそうだし、ひとまず包みを受け取る。私が渡した時とは大違いのきちんとした包装に、何とも申し訳なくなるような、居た堪れないような。

「今開けてみてもいいですか?」

 返事の代わりに頷きがあったので、包装を破かないように慎重に開ける。

「……髪飾り?」

 包まれていたのは、小さな花の飾りだった。ピンで髪に差すタイプのもので、ふわりとした丸みの花弁を形作るのは、ほんのわずか透ける結晶と艶やかに輝く銀色。都合三輪並んだ格好のその花には、見覚えがある。クローロス村にもよく咲いていた――ビオラだ。

 花が花であるだけに、綺麗というよりは可愛い。可愛いけれど、作りは緻密で美しい。ごてごてと派手すぎることもなく、すらりとした印象の意匠は実に私好みだった。

「俺は魔術はそう得意じゃねえんで、何か付加するってのはできねえし。ギルドの職人に頼もうかと思ったんだが、贈り物を装備にしてどうすんだって言われてよ」

「まあ、私は装備にしちゃったんですけど」

「俺は傭兵だから別にいいだろ」

「そうですかね」

「そうなんだよ。――つー訳で、それこの前の礼な! 気に入らなかったら……あー……俺の心が折れるんで、何も言わずに持っといてもらえると助かる」

 尻すぼみの声。また見えない犬耳が萎れているような錯覚。

「いや、何でそんな後ろ向きなんですか。普通に可愛いので、有難く使わせて頂きますけど」

 若干慌ててそう答えると、レインナードさんはにへりと緩んだ顔で笑った。見えない犬耳も、きっと立ち直ったに違いない。そう思わせる、ほっとしたような笑顔。若いとは言え立派な大人であるはずなのに、その顔はまるで少年のようだった。

「そーか。いや、十五、六のお嬢ちゃんの好みとかよく分かんねえしよ、ちっと心配だったんだ。けど、そう言ってもらえりゃ安心だな」

 へへ、と照れ臭そうに笑うや、レインナードさんは「おっと、時間食っちまった。帰ろうぜ!」と歩き出す。私は髪飾りを軽く包み直してから、数歩先を行く背中を追った。

「レインナードさんて、ほんと子供いないのが不思議ですよね」

「……どういう意味だよ、そりゃ?」

「腕が立って、人柄もいい。普通、周りはほっとかないんじゃないかなと」

「……おだてても何も出ねえからな」

「そういう訳じゃないんですけど――まあいいや」

 騎士とかの正規兵ならともかく、公的な職業ではない傭兵は腕が立つと言っても敬遠されるものなのかもしれない。よく知らないけど。

 レインナードさんとは、それから少し夏に向けての予定を話し合ったりなんかしてから、清風亭の前で別れた。




 武闘大会が近付くにつれて、街は普段にも増して活気づいているようにも見えた。商工ギルドがあれやこれやと手を尽くして盛り上げようとしているし、隣国の皇帝を迎えての一大イベントであるからには、国の方でも色々動いているとも言う。

 それがいよいよ当日となれば、まさに運動会と夏祭りが一斉にやって来たような騒ぎだった。空には光魔術で幻像が投影されたり、きらきら光る煙をたなびかせる鳥の使い魔が飛び交っていたり。大通りの露店もいつもの二割増しどころか二倍増くらいの感がある。

 武闘大会の会場となったは王都の中心である王城から程近い闘技場で、闘技場までの通りにもびっしりと露店が並んでいた。物見遊山以外の何者でもない私とシェーベールさんは道々飲み物や食べ物を買い込み、足取り軽く闘技場へ向かう。

 日本にいた頃嗜んだサッカー観戦においてもそうだったけれど、指定席ではない場合、座席確保において物を言うのはどれだけ早くに会場入りしているかである。折角見るならば良い席でと意気込んだ私達は、初戦の始まる午後一時から三時間ほど前倒しして闘技場に到着した為、見事商工ギルド関係者席内の最前列を確保することに成功した。

 ……ただ、問題があるとすれば。

「早く来すぎましたかね」

「まあ、そうだな」

 試合開始三時間前、闘技場内はお世辞にも人で満ち満ちているとは言い難い。というか、ガラガラだった。いや、ほんと人いないなコレ! ……まあ、商工ギルドの招待券を持っていたので、私達は優先的に中に入れてもらえたという可能性もなくもないけれども。

 とりあえず、ちょっとフライングしすぎたことだけは確かっぽい感じである。仕方がないので、二人並んで席に座り、買ってきたものをむしゃむしゃすることにした。

「あ、そっちの揚げ芋もらっていいですか。揚げ鶏と交換で」

「塩は?」

「お願いしまーす。――何か前座試合とかないんですかね」

「一応、二時間前から騎士団の出し物があるとか聞いた気はするが」

「あと一時間ですか……。すみませんね、早く着き過ぎちゃって」

「いや、構わない」

 とか喋りながら買ってきたものを適当に食べたりしているうちに、周囲には商工ギルドの職人さんやら仲買人さんやらが増えてきて、あっという間に時間は過ぎていく。前座の騎士が出てくる頃になると、客席もほぼ満員状態にまで埋まっていた。

 騎士団の出し物とやらは、きらきらぴかぴかする制服で着飾った部隊の行進に始まって、鼓笛隊の演奏、選り抜きの騎士による演武など、それなり以上に目を楽しませてくれた。たまにキャーキャー黄色い声が上がっていたのは、たぶん騎士団の中の人気者でも出ていたからだろう。全く知らないけど。

 特に興味がある訳でもないので眺めるだけ眺めていたら、不意に背後から声を掛けられた。

「お嬢ちゃんは騎士に興味はないのかい?」

「へ? ええ、まあ、割と全然さっぱりありませんね。関わりないですし」

「……清々しいくらいの無関心だな……。ホレ、あの赤毛のいるだろ。紺の服着た」

 背後から伸びてきた手が、演武中の騎士の一人を指で示す。指先を辿ってみれば、言葉通りに赤毛の男性が舞台の中心で剣を構え直したところだった。

 年はレインナードさんやシェーベールさんと変わらないくらいだろう。整った顔立ちの、若い男性だ。すらりと背が高く、身のこなしは隙がなく流れるように滑らか。美しい金糸で縁取りされた濃紺の衣装に真っ赤な髪がよく映えていて、確かに見栄えのする人ではあった。

「有名人なんですか?」

「有名人、ときたか。あいつはラファエル・デュランベルジェ。ルラーキ侯爵の三男坊さ。剣を使わせればアシメニオス一! ま、女人気もだがな」

「へー」

 ラファエルとは、また大層な名前である。何かもう名前からして祝福されてそうというか、格調高そうというか、とりあえずやっぱり私には一生縁がなさそうだ。ないからと言って、どうということもないけれども。

「……本当に興味なさそうだな」

「別に騎士を見に来たんじゃないんで。あ、シェーベールさん白腸詰ください」

 無言で串を刺して差し出してくれる手から受け取り、パキッと割れて肉汁の染み出す白ソーセージを堪能する。代わりに串を返す時に鈴カステラ的な焼き菓子を刺しておいたので、決して横取りしただけではないと主張したい。

「騎士を見に来たんじゃねえってんなら、お嬢ちゃんみたいな若い娘さんが、一体何を見に来たんだ?」

 人が折角ソーセージを食べているというのに、後ろの席の客はまだ何か言ってくる。おいおい、ソーセージくらいゆっくり食べさせてくれ。

「何って、御前試合とやらですよ。知り合いが出るんで、その応援です。あ、演武終わりましたね。初戦ってどんなカードでしたっけ?」

「猛獣だ。その後に西方の戦士、ヴィゴは更にその次だな」

「また随分と待たされますねえ……」

 そんな話をしていたら、もう後ろの客も話しかけてはこなかった。

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