04:皇帝来りて-03
真ん丸く見開かれた三対の眼差しが、呆然と私を見詰めている。まさに絶句、という風だった。とことこと歩みを進めて、フロアで怒鳴り合いをしていた三人――正確には二人と仲裁役の一人だろうか――の脇をすり抜け、いつものカウンター席に座る。
「おはようございます」
椅子に座ったところで、身体の向きを変えて三人に向き直りながら、もう一度言う。私の足跡を追ってその目線も動いていたのだろう、揃いも揃って私へ顔を向けていた三人は、あからさまにぎくりとして各々の反応を返した。
「は、早かったじゃないか、ライゼル」
「おう……その、何つーかだな……」
「……朝も早くから、見苦しいものを見せてすまない」
「いえ、別に。時間までに結論を出してもらえれば、私から言うことは特にありませんので」
すっぱり言い切ると、三人は拍子抜けしたような顔をした。……いや、何ですかその顔。だって、そうでしょう。
私が口を出すとすれば、このままゴタゴタし続けて目的に支障が出そうになった時だ。私が今回の依頼についてギルドに求めることは、きちんとした装備を用意してあること、移動手段を保証すること、それから有用な同行者を用意することであり、その選抜に至る経緯はどうでもいいというか、関与するところではない。まあ、せめて内紛を起こすにしても見えないところでやって欲しかったものだという思いはないでもないけれど。
さりとて、その辺りの思惑は説明することでもないだろうし、その義理も義務もないはずだ。口を挟む気はない、という意思表示を態度に代えていると「とにかく」とレインナードさんが低い声で言うのが聞こえた。
「契約してんのは俺だ。俺が行く」
取り付く島もないというか、反論は言わせないというか、寧ろ聞かないというか。そんな感じの、バッサリ切り捨てる響きだった。
沈黙が落ちる。もうじき時刻は五時になろうとしていた。
「……仕方がないね、元はと言えばアタシが隠れて先走ったのが原因だ。雇い主には受託傭兵が一人増えたと報告しておくよ。報酬については当初と変動なし、あぶれた一人分はアタシが支払うってことで手打ちにしてくれるね」
観念したようにスヴェアさんが口を開く。
「俺だけじゃ問題があるってのか」
けれど、どうにも虫の居所が悪いらしいレインナードさんが、その妥協案にすら不満げな声を出す。よっぽど腹に据えかねたのだろうか。
「そういう訳じゃないけどね。……アンタには前科があるんだ。好き勝手戦っちゃあ大怪我して帰ってきた数なんて、二度や三度じゃきかないだろう。アンタは仕事に支障を出すような真似はしないというがね、本当に魔が差さないと言えるのかい。アタシは契約締結に一枚噛んだ身の上、万が一にも不履行なんて事態を起こす訳にはいかないんだ。……ああ、正直に言わせてもらうよ。アンタの腕は買ってるが、アンタの性分は信用しきれない。だから、保険を作っておく。確かに、それをアンタに隠して進めようとしたのは間違いだった。悪かったと思う、謝るよ。――けど、それ自体はそんなに目くじら立てられることかい?」
「あぁ? 開き直るってのか」
レインナードさんの眼が剣呑に細められる。けれど、それを真っ向から睨み返すスヴェアさんも一歩も引かない。今回はある程度距離を置いていられるからこそ平気で眺めていられるけれど、これに当事者として加わっていたら、正直胃を痛めていない自信がない。物凄い険悪感というか、威圧感というか。完全に巻き込まれた格好のシェーベールさんもとんだ貧乏くじだ、同情せずにはいられない。
「……この件は今すぐに決着がつくものでもないだろう。今は当初の予定に沿って行動する方が重要ではないか」
とは言え、シェーベールさんもギルド長お墨付きの傭兵の人なのだった。溜息を一つ吐いたかと思うと、至極冷静な声で言う。その言葉にはスヴェアさんもレインナードさんも異論はなかったのだろう、お互い舌打ちをしたりはしたものの、言い合いは終わりになりそうな空気が流れ始めた。
さて、ここらが割り込み時だろうか。
「じゃ、そういうことで。時間が押してますから、さっさと出発しましょう」
ぱん、と軽く手を打ち合わせてから、声を上げる。喋りながら、ついでに椅子から下りて見せれば、今にも出発したがっている風に見えるはず。また三対の眼が一斉にこちらを向いたけれど、敢えてその意図は読み取らずにおく。
有体に言えば、いい加減面倒になってきたのだ。これ以上ゴタゴタに付き合う気はないし、早く出発したい。何か言われる前に、口早に続けた。
「ところで、事前に用意してもらった荷物は二人分しかないと思うんですが、レインナードさん、準備は」
「夜のうちに整えといた。いつでも行けるぜ」
斜め掛けに背負っている鞄を示して、レインナードさんは力強く言う。若干被り気味に即答してくれたところを見るに、さっさと出発したいという思惑は共通と見えた。
「では、問題なさそうですね。シェーベールさん、私達の荷物はどこにありますか? スヴェアさん、転送機はどちらに?」
こうなったら、後はもう勢いだ。余計な反論が入る前に、矢継ぎ早に問い掛ける。シェーベールさんはすぐ近くのテーブルの上に置いてあった鞄を二つ取り上げ、「これだ」と私に歩み寄って差し出した。
「ありがとうございます」
お礼を言って鞄を受け取り、肩に掛けながら未だ煮え切らない風のスヴェアさんに目を向ける。早く出発したいのだと目線で訴えれば、渋々ながらも動き始めてくれた。
「……こっちだよ」
案内されたのは、カウンターのすぐ傍の扉から続く小ぢんまりとした一室だった。染みも汚れもない絨毯が敷き詰められた上には、緻密な魔術陣が描き込まれている。すぐ傍のデスクには操作盤らしき物が置かれていた。色とりどりの魔石が嵌められた、細かな彫刻と鮮やかな塗装の施された一抱えほどの円盤だ。
「それじゃあ、さっさと転送してやるから、陣の中に入りな」
あれだけのやりとりの後では無理もないか、どことなしかツンケンした調子でスヴェアさんが絨毯の上の陣を顎で示す。一応言い出しっぺだし、と真っ先に陣に足を踏み入れると、背後から腕を掴まれた。何事かと顔を振り向かせれば、未だ以前のような朗らかさの戻り切らないレインナードさんがすぐ後ろにいた。もちろん、私の手を掴んでいるのもレインナードさんである。
「どうしました?」
「転送魔術はどんなに腕がいい奴がやっても、稀に行き先が分かれたり違えたりするからな。念の為」
はぐれたりしないように、ということだろうか。その心配は、確かに必要だ。
転送――所謂ワープ魔術の不確定さについては、かねてから議論され続けている。エドガール・メレスの考案した術式構築理論の応用によって、違う行先に飛ばされたり、複数人の内数名だけ別の場所に飛ばされたりするようなトラブルが発生する確率は以前よりも大幅に下がったというけれど、それでも三%くらいの割合で未だそういった事例は発生するという。
「じゃあ、私は運が悪くないことを祈ってますよ」
おどけて肩をすくめてみせると、レインナードさんは少しだけ笑った。
「お喋りはそれくらいにしておきな、転送機を起動させるよ」
厳しい声が飛んできて、はっと口を閉じた。ちらりと見やれば、スヴェアさんが忙しなく手を動かして操作盤を調整しているような姿が目に入る。
「コード・四七六二五八、ガラジオス、スヴェア・ルンドバリ――起動承認。転送先コード・七七九一二〇、ケーブスン」
凛と諳んじる声が響くと、徐々に室内の魔力が高まり始める。五、四、三、とカウントダウンが始まるにつれて、いよいよその密度は増していった。
――そして、カウント零。ふわりと身体は浮遊感に包まれた。
結果として、転送は無事に完了した。
「おう、遠くからよく来たな」
私達を迎えたケーブスン傭兵ギルドのギルド長は、五十がらみと見える大柄な男性だった。やはり元は傭兵であったのか、体躯は筋骨隆々として、右眼には眼帯をしている。ざっくりと撫で付けられた豊かな黒髪は、鬣のようにも見えた。
「よう、おっさんもまだくたばり損なってるみてえで何よりだわ」
「抜かせ、ガキが。――シェーベールもお守り御苦労だな」
レインナードさんの挨拶とも言えない挨拶に歯を見せて笑いながら、ケーブスンギルド長はシェーベールさんに話しかける。どうやら三人とも旧知の間柄であるらしい。
……というか、レインナードさんが「ガキ」か。それもそうか、何だかんだでレインナードさんもまだ二十六だものなあ、日本の一般企業で考えても若手と言える部類だ。そうすると、さしずめ私は「ガキ」以前の赤ん坊だろうか。
「で、それが噂の虎の子か」
そんなことを考えていたら、不意に会話の矛先がこちらに向いた。どうも、と軽く頭を下げるついでに「ライゼル・ハントと申します。この度はお世話になります」と挨拶がてら名乗れば、大きな手が伸びてきてぐしゃぐしゃと頭を撫でられる。
「ご丁寧にありがとうよ。俺はケーブスンの傭兵ギルドを纏めてる、ダーレン・ブレイクってんだ。ルンドバリの小娘から話は聞いてる、学院の魔術師の割に傭兵向きの面白い人材だとな。――幸い、ここの所は森もその奥つ城も穏やかなもんだ。そう難しいことも起こらねえだろう、上手くやってきな」
「はい、ありがとうございます」
そんな話をしたところで、私達はケーブスンギルドを出た。スヴェアさんが言っていた通り事前に連絡はしてあったようで、特に手続きのようなものも求められずに済んだ。
空模様はガラジオス同様に良く晴れていたけれど、まだ明るくなりきってはいない。この分なら、クストールの森に着く頃には太陽の位置も頃合いになるだろうか。
「クストールの森って、ここからどれくらいなんですか?」
「南に四時間くらいだったか?」
「急げば三時間といったところだな」
こっちだ、と促すシェーベールさんに従って、まだ人気のない通りを歩きだす。ケーブスンはどちらかと言えばガラジオスよりもクローロス村に近い、牧歌的な街並みをしていた。何となく懐かしい気分になる。
別にガラジオスが嫌いだとか過ごしにくいという訳ではないけれど、クローロス村とは比べ物にならない人の多さには、さすがに少し疲れる。日本にいた頃だって、田舎生まれの田舎育ちが長じての田舎暮らしであったのだから、筋金入りという奴だ。そんな私の対都会スキルなど推して知るべきである。つまりほぼゼロだ。
「森に入ってからソノルン樹海までは?」
「最短距離で突っ切って、また三時間」
「……レインナード、それはお前だけの最短記録だと思うが」
「え、そうか?」
「平均的にかかる時間は五時間前後と聞いている」
やれやれ、とばかりにシェーベールさんが息を吐く。うーむ、レインナードさんは一般的な傭兵のほぼ半分の時間で踏破ときたか。さすがは“獅子切”、そのあだ名は伊達じゃないということなのかしらん。
「まあ、あの森も何度か行ってるしよ。俺が先導して走ってきゃすぐだろ」
「待て、ハント嬢にもそれを強いる気か」
「あ、私も平地や街中よりはこういうところの方が走り慣れてるので、適度に手心加えて頂ければたぶんついていけます」
若さとは素晴らしいもので、羊追いの犬と一緒に野山を駆け回った足腰は未だ健在である。犬よりも速く走る人間はそうそういないだろうから、ついていくにもそう難はないはずだ。……たぶん、きっと、おそらく。先日から微妙に只者ではないと判明し続けているレインナードさんに限っては、普通に犬より速く走りそうでおっかないけど。
「てえ訳だ。一人で遅れんなよ」
にやりとしながら、レインナードさんが言う。その顔を一瞥したシェーベールさんはそれ以上言葉を重ねることはせず、
「では、精々置いて行かれないように善処しよう」
と、どうにも巻き込まれ型苦労性に見えて仕方がない横顔で、生真面目にそう言ったのだった。




