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青の羅針儀  作者: 奈木 一可
第一部
12/99

04:皇帝来りて-02

 それはほとんど、賭けのようなものだった。

 私とレインナードさんは一種の雇用契約を結んでいるけれど、かといって頻繁に連絡を取り合うような間柄かと言えば、そうでもない。そもそも電話もメールもないこの世界では、手紙が主たる連絡手段だ。頻繁に連絡を取り合うと言っても、それ自体に限度がある。

 レインナードさんへ手紙を出すなら、傭兵ギルド宛にしておけば振り分けて渡してもらえる。けれど、それをすると私がレインナードさんに連絡を取りたがっているというのが、高い確率でスヴェアさんにバレる。今、私とレインナードさんの契約でちょっとギスギスしている感があるだけに、それは避けておいた方がいいような気がした。

 よって、私の取れる手段は一つに限られた。――『薄明亭』である。

「おう、嬢ちゃん! 今日はどうする? 俺の一押しは日替わりだぜ!」

「じゃあ、それでお願いします」

 今日も元気のいい店主に答えて、カウンターの隅の席に陣取る。

 ギルドでの提案があった翌日から、私は学院での授業が終わると「薄明亭」に足を運ぶようになった。前に来た時のやりとりから察するに、レインナードさんはこのお店の常連であるらしい。だったら、運よく鉢合わせることがあるのではないかと、その可能性に託した。

 ――けれど、これで三日目。三日通って、三日とも会わなかったのなら、たぶん縁がなかったということなのだろう。折角なので、手紙くらいは残しておこうと思うけれど。

 今日は幸い先客の数も少なく、その誰もが既に食事を開始している。とは言え、多少の待ち時間は発生するだろう。時間を有効に使うべく、鞄の中から筆記用具を取り出す。

「はいよ、お待ち!」

 一通り手紙が書き終った頃、注文した料理が完成したらしく、目の前に次々と皿が置かれた。メインのカツレツにサラダとスープ、それから厚切りのバゲット。デザートにベリーソースのかかったパンナコッタ。

「いただきます」

「おう、いただいてくれ!」

 軽く手を合わせてから、食事を始める。

 ここ三日で世間話にも興じた店主の親父さんは私が微妙に苦学していることを知ってから、これだけの量を格安で提供してくれるようになってしまったので、有難いやら申し訳ないやらだ。けれど厚意を無下にするのも気まずい話、今度何かできる範囲でお礼をしようと思う。

 それにしても、このお店を知ることができて良かった。レインナードさんには本当に感謝したい。サクサクした衣の噛めば肉汁の溢れるカツレツは絶品だし、野菜たっぷりのスープは素材の味がよく出ていて深みがあり、いくらでも飲めそう。ふかふかのバゲットは香ばしく、秘伝のドレッシングを添えたグリーンサラダは目にも鮮やかに瑞々しい。ベリーソースの赤が白色に映えるパンナコッタは控えめな甘さで、これもついお代わりをしたくなる。……ともかく、今日も「薄明亭」のご飯は美味しい。余は満足じゃ。

 ぺろりと一つ残さず平らげ、食後のお茶まで頂いた後で、席を立つ。

「ご馳走様でした、今日も美味しかったです」

「おう、お粗末さん!」

「ところで、親父さんに一つ頼みがあるのですけど」

「頼み? 何だい?」

「もしレインナードさんが来たら、これを渡してもらいたいんです」

 代金を支払いがてら、さっき書いた手紙を差し出す。わざわざエプロンで手を拭いてから手紙を取った親父さんはぱちくりと目を瞬かせてから、なるほど、と言わんばかりの表情を浮かべた。

「ここんとこ毎日来てたのは、こいつが目的だった訳かい?」

「それもあります。が、単純にご飯が美味しかったからでもありますよ。さもなきゃ、毎日通えませんもん」

「ハッハッハ、お世辞がうまいねえ! ――じゃ、こいつはヴィゴが来たら渡しとくが、急ぎだったんじゃねえのかい?」

「まあ、急ぎは急ぎだったんですけど、ある意味賭けでもあったので。三日の間に会えればよし、会わなければそういう巡り合わせなんだろうと」

 肩をすくめて笑って見せると、親父さんは眉間に皺を寄せて難しい表情をした。

「……何か危ねえことに手を出すんじゃねえだろうな?」

「まさか。きちんと詳しい人に護衛をしてもらいますよ」

「なら、いいがね。どこに行くんだい?」

「それは企業秘密って奴で」

「何でえ、ケチ臭えぞ嬢ちゃん。……ヴィゴの奴には内緒にしとくからよ、な?」

 片目を瞑って見せる親父さんは、どうやら私の考えなどお見通しのようだった。これは恐れ入った。自然と口元に浮かんだのは苦笑で、詰まる所それは敗北宣言にも似ていた。

「ソノルン樹海に、ちょっと薬草を摘みに。腕の立つ護衛の人もついていますから、そう危険なことはないと思いますよ」

「思いたい、の間違いじゃねえのかい。あの樹海は人が迷うことで有名だぞ。――全く、嬢ちゃんまでそう進んで危ねえことに首突っ込むこたねえだろうによ」

 ブツブツ言いながらも、親父さんは手紙を突き返すことはなかったし、

「戻ってきたら、ちゃんと顔見せに来るんだぜ」

 そう言って、バゲットを一本持たせてくれた。明日のお昼ご飯はこれでサンドイッチでも作ろうかしらん。

「あ、すみません。ありがとうございます」

「何の何の。そんじゃあ、くれぐれも元気でな」




「ああ、ライゼルかい。待ってたよ」

 バゲットを小脇に抱えて傭兵ギルドを訪ねると、待ち侘びた風のスヴェアさんに迎えられた。今日は珍しく、フロアでたむろしている傭兵の人も少ない。……勿論と言うべきか、当然と言うべきか。その数少ない中に、シェーベールさんはしっかりと居たけれど。

 いつも通り、スヴェアさんの前のカウンター席に座る。お決まりのホットミルクが出されたので、お礼を言って一口飲み――そして。

「とりあえず、物は試しで行ってみます」

 まどろっこしいのは嫌いなので、すぱっと本題に入ってみた。

 おそらくどう切り出そうか迷っていたのだろう、そわそわした風のスヴェアさんは目を丸くさせて、それから眉尻を下げて笑った。

「すまないね、こっちの事情で迷惑を掛けちまって」

「まあ、私は目的さえ無事に達成されるなら、それで。貸し一つということで大丈夫です」

「見掛けに寄らず、強かなことだねえ」

スヴェアさんが苦く笑う。そうは言われても、当初の予定にない事態になってしまったのだから、これくらいは許容してもらわないと。

「それじゃあ、明日付で依頼を受理することにしておくよ。――で、これが前金のお前さんの取り分。装備や消耗品は用意しておいたし、特別にタダでケーブスン傭兵ギルドへ転送するってことで、今回の件は口外無用で頼むよ。特別待遇したってのが広まると面倒なことになるし、ヴィゴが知ればへそを曲げるに違いないからね」

「分かりました。――けど、一応下宿先に事情を説明しておかなければいけないので、どこにどれくらい外出するかくらいは伝えてもいいですか?」

「そうだね、それくらいなら構わないよ」

「ありがとうございます。あ、転送は帰りもですよね?」

「……本当に抜け目ないねえ。ああ、帰りもタダで転送機を使っていいよ」

「では、その条件で受け容れましょう」

 ケーブスンはクストールの森から程近い小都市だ。半日と掛からずにクストールの森へ行けるし、上手くすれば森の中で一泊するくらいでケーブスンに戻れるかもしれない。

 幸い、明日明後日は学院が休みの日だ。休み明け一日目の講義は魔石加工学でアルドワン講師だから、事情を説明して拝み倒せば多少の便宜は図ってもらえるはず。それから先は時間との勝負だ。どれだけ早く薬草を採取できるかにかかっている。

「……なるべく早く戻ってきたいので、明日の夜明けと共に行動を開始したいのですけど、それは大丈夫ですか?」

「アタシは構いやしないよ。問題はバルドゥルがどうかだね」

 言って、スヴェアさんはフロアの方を見やる。話を聞いてはいたのだろう、返事はすぐに返ってきた。

「俺も構わない。学生の身であれば、確かに早く戻れるに越したことはないだろう」

「じゃ、話は決まりだね。ケーブスンにも話はしておくよ」

「宜しくお願いします」

 そうして、実に速やかに依頼の受理は成った。

 ギルドからの帰り道はまたシェーベールさんが送ってくれて、日程についての軽い打ち合わせなんかをして「清風亭」の前で別れた。酒場も兼ねている「清風亭」はこれからが稼ぎ時だ。忙しなく動いている宿の女将さんと旦那さんの邪魔をするのは気が咎めたけれど、明日からの急な予定については伝えておかなければならない。

 頃合いを見計らって、急なことで申し訳ないけれどと前置きをした上で、数日王都を出ることを伝えると、二人には大層驚かれた。同行するのはレインナードさんなのかと訊かれたので、そうではないと答えるとまた更に驚かれて事情を訊かれたけれど、一応スヴェアさんとの約束があるのでぼかすしかない。

 物言いたげな女将さんと旦那さんから、明日が早いという事情を盾に逃げ、早々に部屋に引っこむ。おおよその荷物はギルドの方で用意してくれてあるそうだから、私が持っていくものは弓矢と多少の私物くらいでいいはずだ。

 なので、ささやかな準備を整えて目覚まし時計をセットし直してから、早々に寝た。

 魔術を用いた目覚まし時計は、使い勝手自体は日本で使っていたものとほとんど変わらない。それどころか起床させる性能に関して言えば、軽く凌駕しているかもしれない。待ち合わせ時間の午前五時から一時間前、午前四時にセットしたのだけれど、その瞬間に魔術が発動、私の身体に振動を与えて起床させる。

 そうして過たず午前四時に目覚めた後、用意しておいた荷物を再確認し、身支度を整えて、女将さんと旦那さんを起こさないようにひっそりと私は「清風亭」を出た。空は快晴。できれば、ケーブスン周辺も晴れていればいいと思う。

 そんなことを考えながら、ギルドに向かってほとんど無人の街中を一走り。意気揚々とギルドに到着して、アナイスさんにもらった懐中時計で確認してみれば、五時十五分前だった。妥当な時間だろうと思って、軽く息を吐いた――ら。

「陰険なことしてんじゃねえよ!」

 響き渡る怒鳴り声。残念ながら、音源は傭兵ギルドの中らしかった。

 嫌な予感がした。そりゃあもう全力で逃げ出したいくらい、嫌な予感しかしなかった。

「そうは言ってもね、あんたが契約を踏まえずに勝手な行動に出たのが悪いんじゃないか!」

「誰が踏まえてねえってんだ! そりゃあ武闘大会に出るとは言ったがな、そこで仕事に支障が出るほどの傷を負うまで見境なくやるほど、俺だって馬鹿じゃねえ! ――第一、それが不満なら直接俺に言うべきだろうが!」

「ヴィゴ、ひとまず落ち着け。じきに彼女も来るだろう」

 ……うん、実に私も渦中にある問題である。そして、じきに来るどころか既に来てますがね。

「どうしようね、これ」

 とりあえず、空を見上げてみた。爽やかに青い。

 拝啓、ハント家の皆々様。何とも予想外なことに、私は未だかつてない危機に遭遇しているような気がしてなりません――

「……とか、現実逃避してる場合でもないんだよねえ。あーもう」

 溜息を一度。両手で軽く頬を叩いて、気合を入れ直す。とりあえず、この件に関しては私に非はない――はずなので、そこまで構えることもないだろう。

 今や見慣れた扉のノブに手をかける。中では、まだ喧々囂々怒鳴り合っているけれど。

「おはようございまーす」

 扉を開ける。できるだけ明朗に聞こえる声を心掛けて、挨拶をしてみた。

 怒鳴り声は、ぴたりと止まった。

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