03:緑の女帝-03
「まあ、もう制作を終えたの?」
エルヴァ地下迷宮から王都ガラジオスへ帰還して、三日目の昼。ようやっと作り終えた課題制作物を提出に行くと、魔石加工学の講師は目を丸くさせて私を迎えた。
ルイゾン・アルドワン講師は五十がらみの、アルドワン伯爵家に連なる女性魔術師だ。かつては宮廷魔術師として王城に仕えていたこともあり、王立騎士団で魔術師隊を率いたこともあるとか。どちらかと言えば研究よりは実践派の魔術師で、課題制作も「碧の女帝」を用いた魔力貯蔵具の作成だった。
「まだ期限まで一月もあるのに……こんなに早く課題を提出しに来た生徒なんて、エドガール・メレス以来よ。ああ、どうぞ中に入ってちょうだい」
そう言ってアルドワン講師は私を研究室の中へ招き入れた。
因みに、エドガール・メレスとはアシメニオス魔術師界における生ける伝説だ。たったの十歳にして学院を卒業し、今や宮廷魔術師筆頭を務めるトンデモ魔術師。彼が創作して一般化された魔術や、魔術構築理論は私が覚えているだけでも十は下らない。そんな人と比べられては、いくら何でも困ると言うか、何と言うか。
「お茶はいかが?」
「いえ、お気持ちだけで。この後、傭兵ギルドへ向かう用事がありまして」
固辞する態度を見せると、アルドワン講師はきょとんとした顔で私を見た。
「傭兵ギルド?」
「はい。今回の課題で使った『碧の女帝』の採掘には傭兵ギルドで色々と便宜を図って頂いたので、改めてそのお礼に向かう予定です」
そう答えると、アルドワン講師はいよいよ目を丸くさせた。
「採掘に便宜ということは――ひょっとしてハントさん、あなたご自分で『碧の女帝』を?」
「え? ええ……今後の資金調達と鍛錬を兼ねまして」
「――素晴らしい!」
「はい?」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
ぽかんとする私の前で、アルドワン講師は手を叩いて笑顔を浮かべる。
「実に素晴らしい心掛けです。魔術師は知識と魔力が豊富であればいいと思われがちですが、それは全く違います。より確実に、効率的に運用するには、当然健康な肉体が必要になりますからね」
おそらく、それは王立騎士団で魔術師隊を率いて実際に前線へ赴いた経験から生まれた考えなのだろう。学院の中には、露骨に身体強化を蔑ろにしている風の生徒も少なくはない。例えば、あのセッティのアレとか。
そう言えば、日本にいた頃にも聞いたっけな。健全な精神は健全な肉体に宿る、だっけ?
「ますます期待が出来そうですね。ハントさん、今後の活躍を楽しみにしていますよ」
――そんな話をするだけして、課題を提出して、アルドワン講師の研究室を辞した。
やけに上機嫌だったアルドワン講師は、何故かお茶菓子に用意していたらしいマフィンを一袋くれたので、昼食代わりに有難く頂くことにする。学院を出て、マフィンを齧り齧り傭兵ギルドへの道のりを歩む。エルヴァ地下迷宮で採掘したスフリーゼ石は思いの外質が良かったらしく、通常の買い取り価格の一.五倍ほどの価格で買い取ってもらえた――買い取ってくれたのは、傭兵ギルドと提携している商工ギルドだ――ので、懐は大分暖かくなったけれど、それでも節約しておくに越したことはない。急ぐ訳でもなし、周回馬車には乗らずに、また自分の足で歩いていくことにした。
そうして周回馬車の停留所を通り過ぎた、その時だ。
「おーい、ライゼル! そこのお嬢ちゃん! 待て待て!」
聞き覚えのある声。はて、と足を止めて振り返れば、停留所の傍の露店から飛び出してくる人影があった。
短い鈍銀の髪、鮮やかな夕暮れ色の眼。慌てた表情で駆け寄ってくる背の高い男性――私が傭兵ギルドへ向かう最大の目的である、ヴィゴ・レインナードその人だった。
「あーびびった、まさか乗合馬車を普通に無視してくとは思わなかったぜ……」
「別に急いでる訳でもないので、散歩ついでに歩いていこうと思ったんですけど。それより、ヴィゴさんこそこんなところで何してんですか?」
「そりゃあ、あれよ。お前さんを待ってた訳よ」
「へ? 私を?」
「ほら、予定としては今日辺りに提出に行くっつってたろ」
そう言えば、地下迷宮から帰ってきてギルドで諸々の精算をしている時に、そんな話をしたような気もする。けれど、それはあくまでも予定で、何時に行くとも話はしなかった。
「私に用なら、『清風亭』に手紙でもくれれば」
下宿している宿に届けてもらえさえすれば、一応私宛の手紙は手元に回してもらえる約束になっている。ギルドで契約を結ぶにあたって、その辺りは以前に説明しておいたと思うのだけれど。
「んにゃ、そう言う訳じゃねえんだ。下手に手紙を出すと、早く課題をどーにかしろってせっついてるように見えんじゃねえかと思ってよ」
「はい?」
今一つ訳が分からない。何だか、今日は会う人会う人が予想外の反応をする日だ。
「まあ、それは脇に置いとくとしてだ。課題は終わったんだよな?」
「あ、はい。今さっき提出してきましたんで」
「そりゃ良かった、お疲れさん。――つー訳で、一仕事終った区切りに飯でも食いに行かねえかってお誘いに来た訳よ」
にかりと笑って、ヴィゴさんは言う。……ああ、だから「手紙を出すと催促になる」と思ったのか。ううむ、人好きがする人というのは、こういう人のことを言うのかもしれない。裏も表も無さそうな、明朗快活な笑顔は、学院のギスギス感に比べるとまさに雲泥の差だ。ほっとすると言うか、癒されると言うか……。
「……あ、ひょっとしてこの後何か用事あったか!?」
「用事――ああ、そうですね。一つ用事がありました」
「うわ、マジか。あー……そんだったら、やっぱ先に手紙出しとくべきだったよなあ」
しまった、と頭を抱える姿に、思わず笑ってしまう。
「まあ、用事と言っても、傭兵ギルドに行って、ヴィゴ・レインナードさんて傭兵の人に渡すものがあったって用事なんですけど」
「……へ?」
真ん丸く見開かれた眼が、私を見た。ハトが豆鉄砲喰らった顔なんて見たことはないけれど、たぶんこんな顔がそう呼ばれるに違いない。何だかおかしくなってきて、にやりと笑って、おどけるように肩をすくめて見せた。
「お互い、運が良かったですね。上手くここで合流できて。――それじゃあ、お言葉に甘えてご一緒させて頂きます。どこに行こうとしてたんですか?」
「お、おお? えーとな、『薄明亭』って飯屋で――」
薄明亭はおおよそ学院と傭兵ギルドの中間地点にあたる辺りに店を構えた、和やかな雰囲気の食堂だった。大通りからは一本道を奥に入るので、大通りほど目に見えて混んでいる訳ではないものの、賑やかな声がお店の前に立つだけで聞こえてくる。
「うーっす、邪魔するぜー」
ここまで私を連れてきたレインナードさんは、そう言ってお店の扉を押し開けた。まず自分が先に入り、律儀に扉を開けたまま待っていてくれたので、軽く会釈をしてそそくさと扉をくぐる。
「おう、ヴィゴか! ――ってえ、なんでえ珍しい、連れが居んのかい!」
店の奥から、威勢のいい声が聞こえてくる。はたと視線を巡らせてみれば、店内はいくつかのテーブル席の他には調理場を囲むカウンター席が六つばかりあって、八割がたが埋まっていた。どうやら声の主は、その調理場に立つ男性らしい。おそらくは店主なのだろう、歳は五十そこそこくらいに見えた。皺の目立つ面差しに、快活な笑顔を浮かべている。
「おー、最近縁があってよ。適当に座っていいか?」
「そこのカウンターがちょうど二つ空いてっからよ、座れ!」
男性が示したのは、カウンターの端に二つ残されていた空席だった。ちらりとレインナードさんを見上げれば、小さく頷き返されたので、先んじて歩き出す。使い込まれた風の椅子は背もたれのないスツールで、なんとなく個人経営のラーメン屋さんを連想した。
「今日は何にする?」
料理をしながら、男性はレインナードさんに声を掛ける。レインナードさんは少し迷うような素振りをみせてから、
「おっさんのおすすめでいいわ。ライゼルはどうするよ? 俺と同じでいいか?」
「あ、はい。お願いします」
振られたので、つい頷いてしまった。よくよく考えてみれば、このお店が何を売りにしているのかも知らないし、メニューも見ていなかった。まあ、レインナードさんの贔屓のお店なのだから、そうそう外れもないだろう。よく知る人に任せるのが一番だ。と、思うことにした。
「てことで、宜しく頼まあ」
「へいへい。にしても、お嬢ちゃんはその服着てるってこたあ、学院の生徒さんだろう。それがまた、どうしてこいつと知り合いなんだい?」
「学院の課題で必要な素材を集めるのを、手伝って頂いています」
「ギルドに依頼に来たんだよ」
実際にはギルドに依頼に行ったから知り合ったのではなく、知り合いになったからギルドに依頼に行ったのであって、順序としては逆だのだけれど。何となく、私もレインナードさんも詳しくは言わなかった。別に嘘は吐いていないし。
「へえ、学院の生徒さんも大変なもんだなあ」
幸い、男性は疑問を抱かなかったようだ。作り終わった料理を私達から少し離れたカウンターのお客に渡しては、新しく料理をし始める。
手持無沙汰になった私とレインナードさんは、ぽつぽつと他愛のない話をした。
「課題の出来具合はどうだった?」
「私としては、上手く出来たと思います。失敗もしなかったですし」
「そりゃ良かったなあ。一番乗りだったか?」
「そうだったみたいです。先生にびっくりされました」
だろうなあ、とレインナードさんは明朗に笑う。
「それで、レインナードさんへ用事の件なんですけど」
「あー、そう言やそんなこと言ってたな。どした?」
「これ、つまらないものですが」
膝に乗せていた鞄の中から、小さな包みを取り出す。女友達に渡す訳でもないので、ラッピングに迷いに迷った挙句、ただの紙包みになってしまったのは些か反省しないでもない……。
白い包みを差し出すと、レインナードさんはきょとんとして目を瞬かせた。
「俺にか?」
「まあ、その、そういうことです。……課題の製作に使わなかった『碧の女帝』で、魔力を貯めておけるアミュレットを作ったんですよ。『開式』で魔力を込めて、『解放』で貯めてたのを全解放です。本当はバングルとかの方がいいのかとも思ったんですけど、サイズとか分からなかったので」
言いながら、おずおずとばかりに出された掌に包みを載せる。骨ばって長い指が、見るからにおっかなびっくりといった風で外装を開けていくのが、なんだかおかしかった。
「おおー……」
レインナードさんが、指先に鎖を摘んで持ち上げる。空中に引っ張り上げられたアミュレットの本体は、楕円形のペンダントだ。スフリーゼ石の取引で縁のできた商工ギルドで買った台座を加工して、術式を込めた「碧の女帝」を嵌め入れた。ネックレスなら、最悪鎖を取り換えれば済むという安易な発想による選択だった。
「一応、男の人が使っても問題なさそうなデザインを選んでもらったんですけど」
「選んでもらった?」
「商工ギルドで」
「あー、なるほどな。石に術を込めて埋め込んだのが、ライゼルの仕事って訳か?」
「まあ、そんなところですね」
と、頷いている間にレインナードさんがごそごそし始めてギョッとする。鎖の留め具を開けて、予想外の器用さでささっと首に掛けてしまう。そうして、にぱっと、そりゃあもう良い笑顔で、
「どーよ、似合うか!」
めっちゃいい笑顔で、そんなことを訊いてくれたのであった。思わず二度言うくらいのいい笑顔である。
「に、似合います」
動きやすい服を好むのか、レインナードさんは割といつも軽装だ。お陰で、首元に揺れる「碧の女帝」が結構目立つ。横着をしないでバングルとかにすればよかった、と今更に思ったけど覆水盆に返らず。くそう。
「ライゼルはすげえなあ、さすがだなあ。ありがとな」
言いながら、レインナードさんはぐしゃぐしゃと私の頭を撫でた。
「おっさん、ライゼルになんかデザートつけてくれ!」
「あ? 当たり前だろうが、お前の一品減らして嬢ちゃんにつけてあるってんだ!」
「そこまでは頼んでねえ!」
「それはさて置き、ヴィゴよお、お前知ってっか? 来月キオノエイデの皇帝がアシメニオスに来るんだとよ」
「置くなよ――って、うちの皇帝がか?」
北の隣国であるキオノエイデはヴィゴさんの故郷だ。その皇帝を差して「うちの」と言う辺り、やっぱり異国の人なのだなあと今更に実感する。アシメニオスや近隣の国では同一の言語を用いているので、こう分かり易く外国を実感することは余りないのだ。
「何しに来んだよ?」
「知らねえよ。ただ、うちの王とそっちの皇帝を招いた御前試合っつーか、武闘大会を開くことになったって商工ギルド長が言ってたぜ。暗黒大陸から連れてきた猛獣、東方の暗殺者、北の山脈の巨人、南の魔術師、西の剣士だったか……主催が肝いりの戦士を用意するんで、それを倒せる挑戦者を募るってえ形式らしい。んで、主催が用意した戦士を倒した奴には、五十万ネルの賞金が出るってよ。その代り、死んでも自己責任らしいが」
何それ恐ろしい。
「良し乗った、俺参加するわ! おっさん、申し込み手続きはどこだ!?」
「えっ!?」
何その即断即決!?




