藤原さん2
藤原さん 2
僕が藤原と出会ったのは、大学の最初の日だった。僕の前に、僕の高校時代からの友人の美智佳が座り、彼女がたまたま横に座った藤原に声をかけたところから始まる。
彼女が僕を見つめたとき、世界が明るく輝いた、または、雷のような衝撃を受けた、なんてこともなく、普通に頭を下げて、そっけない挨拶をした。
最初のころは、藤原と彼女と僕と三人が一緒のことが多かった。なんせ、大学の授業の最初なんて、みんなとるものはほとんど同じだ。だが、その間、藤原と一対一で話すことなど、皆無に等しかった。そして、一か月たってもそれは変わらなかった。
「あれ?美智佳は?」
「今日は見てないわ。席を取っといてとは言われたんだけど。」
「なんだろ、遅刻かな?」
携帯を見てみたが、とくに連絡はない。
「ごめん。ぎりぎりで!」
美智佳が走り込んできた。この授業の出席は朝一番にとる。それに間に合わないと単位は確実に落とす、とひそひその噂話で聞かされていた。
「寝坊か?」
「うん。ちょっと。」
会話は先生の出現で遮られた。
翌日、朝、彼女は学校に来なかった。メールを打ってみたが、返事はない。なにかあったのかと思いきや、昼過ぎになって授業にやってきた。
「おい、朝、なにかあったのか?」
「ううん。寝坊しただけ。」
「あっそ。」
その間も藤原は静かだった。夕方、美智佳は藤原に出席の代理を頼むと、言い出した。
「おい、藤原に迷惑をかけるなよ。」
「いいじゃない、友達だもんねー。じゃ、これで!」
「いいのか、藤原。」
「ええ、いまのところは。」
彼女は静かにそう言った。
それから数日。美智佳はどんどん授業に参加しなくなってきていた。だが、僕は黙っていた。彼女の人生だ。僕には関係ないのだと。それから三日たった頃だろうか、電車の遅延で先生が来れないと、急に授業が休校になった。
藤原と一緒に教室から出ると、美智佳が、誰かと腕を混んで歩いている姿が見えた。
「ん?」
僕が声を出したせいか、藤原はこっちを見て、美智佳の方を見つめて、ぽつりと言った。
「いいの?」
「なにが?」
「ほかの男性と歩いてる彼女をほっといて。」
「いいだろ、別に、彼女の人生だし。」
藤原はこっちを見つめて、言った。
「冷たいのね。」
僕は肩をすくめた。
「どうせ、長く続かないよ。中学の時から、あいつはそうだ。運命の人だ、とか赤い糸でつながっているんだ、とか言っておきながら、ケンカして別れる。最初はいつも幸せだとか言って、ラブラブだけど、一年もすれば相手からうっとしいと言われて、捨てられるんだ。」
「詳しいのね。彼女、全部あなたに話すの?」
「いや愚痴るんだ。相手に依存しすぎるんだよ。それで、捨てられてまた一か月もすればまた、運命の相手を見つけるんだ。今度こそ別れないとか言っておいて、ダメになる。運命の相手が大量にいるんだよ。」
「そうなの?」
「そう。高校の終わりにも大失恋だ、とか言ってさんざん泣いてたのに、もう次の運命の人だからな。大失恋のあとにすぐに相手を見つける、あいつの気持ちはわからないね。」
「きっと、愛されたことがあるのよ。」
「は?」
「愛されたことがあるから、同じようにほかの人を愛せるのよ。幸せを一度知っているから、なんどでも求めたくなるのね。」
僕は目からうろこが落ちたような気がした。
「幸せねぇ……。ま。あいつの幸せなんて、関係ないけど。」
「ないの?」
「あるわけないだろ、なんで?」
「え?だって……。‘彼女’、なんじゃ……。」
藤原は戸惑ったように僕を見た。どうも、発音が違う。
「違う。中学から、ずっと友人で、‘彼女’とかありえない。なに、今までずっとそう思ってたの?」
藤原はこっくり頷いた。
「違うし。ただの友人だよ、腐れ縁の。家が近いっていうのもあるけど。」
「恋人関係とかはないの?」
「一切、ない。僕は……誰も好きになれない。あいつの言う愛とか、運命とか信じないし、あいつとは真逆の人間だからなー。」
「あなたは愛されたことがないの?」
藤原はまっすぐに僕を見つめた。
「ないね。」
「親からも?」
「ないね。ばあちゃんがいたけど、去年死んだし。藤原は?彼氏とかいるの?」
「いないけど、親からは愛されたわ。だから、きっと誰か、見つけらるはずよ。」
そう言って、彼女はにっこりとほほ笑んだ。それは、大学に入って初めて見る彼女の笑顔だった。
数日後。廊下で美智佳に会った。
「ひさしぶりー。ねぇ、矢口。藤原さんと会う?」
「ん?ああ、一緒に飯を食う予定だけど。」
「じゃ、これ。渡しておいて。この間借りたの。」
「自分で返せよ。・・・おい!」
「あたし、これからデート。よろしくー。」
ノートをむりやり渡された。僕はため息をついた。
「これ、美智佳から。貸したんだ?」
藤原がくると、僕はさっさとノートを渡した。
「うん。貸してっていうし。」
あれから、しばらくたったが、藤原は無表情が続く。それでも、話をしてみると、結構面白い。
「今のところ、美智佳ちゃんは幸せそうね。でも私、愛は信じないの。」
「僕もだ。そんなものはない。もうそろそろ別れるだろ。」
「あら、私とは意見が違うわね。」
藤原は左手の人差指を振った。最近、気が付いたがこれが彼女のくせらしい。
「どこが違うんだ?」
「愛は、原石、みたいなものだと思ってる。」
「石?」
「そう。どこにでも転がってるの。でもね、お互いにそれを磨かないと、輝かないってことよ。どっちかが磨きすぎてもダメだし、磨かなくてもダメだし。時間がかかって、ようやく輝く、と思うのよ。」
「じゃ、一生輝かない石を拾ったらどうするんだ?」
「あら、いつかは輝くって思いながら生きていけるならそのままでもいいと思うのよ。それも幸せよ。美智佳ちゃんはそう思えないから、次の石を探しに行くのね。」
へんな考え方。そう思いつつも、なんとなく説得されていくような気がするのは僕だけだろうか。
「あら、スープのワンタンが少ない。」
藤原の言葉に僕は笑った。