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英雄の条件  作者: タジ
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EP‐2 戦う者達


EP‐2 戦う者達

 

 《魔人》と戦うための政府直轄組織『対敵性異次元生命体科学技術研究開発機構(Anti Enemy Different Dimension Creature Science technology Research Development Organisation)』、通称AECOの本部は東京都内のありふれたビル街の中にあった。建物の外見は五階建ての横長のビル、駐車場を含めれば、さしずめ大規模の学校と言ったところだろうか。確かに大きな敷地と建物ではあるが、それ自体は決して〝異質〟なものでは無かった。

 少なくともこの施設が、いま日本で最も重要な施設であることや、最先端、どころか最早オーバーテクノロジーと言っても差し支えの無い科学技術を用いた研究がなされていることや、一国の内乱を武力のみによって制圧することが出来るだけの戦力を保持している、などということは決して気付かないような外観であった。

 外観上に〝異質さ〟が現れていない理由の一つとしては、その建物の地表階には主要施設が全くと言っていいほど存在しないことにあるのかもしれない。ではどこにあるのかというと、簡単なことである、地下にあるのだ。一説には地表階の数倍深くまで存在するとも言われている。

 地下施設の正確な規模は恐らくこの組織に所属する人間ですら正確に把握している者は少ないだろう。無数の研究開発室、対《魔族》用兵器の設計開発室、および格納庫、局員の長期滞在用居住区、都内各所につながる秘密発進口、超高性能の量子コンピューター、物理的および電子的防御壁そして完全独立稼働の発電施設。それらが一見無軌道に、しかし極めて効率的に配置されている。

 研究施設と呼ぶにはあまりにも巨大、一国家の所有する組織としてはあまりにも桁外れな〝それ〟は、しかし、確かにそこに存在した。そこで研究成果は一切外部へ、国外はおろか国内へも公表されない。一切外部と切り離された日本国内唯一の治外法権カ所、いうなれば国内に存在するもう一つの国家とも言えた。

 しかし、その研究施設はひとたび《魔人》の活動を感知した瞬間、最強の前線基地へと変貌する。訓練された攻撃部隊が《魔人》のところへと向かい、規格外なこの施設から生み出された兵器を用いて《魔人》を駆逐する。この施設が持つ力はただそのためだけに振るわれる。決して例外は存在しない。

 AECOという組織は確かに異質で異常な存在だろう。しかし、これだけのものを用意し、万全の態勢で臨もうとも、いまだ人類は《魔人》に対して後手に回り、決定的な突破口を見つけることも、ましてや攻勢に転じることもできず、有効打を与える手段も見つけられぬまま、ただただ己の無力さを噛み締め続けていた。

 つまりそれほどまでに《魔人》という存在は人類の理解を超えた、超常的存在だったのだ。

 そんなAECOの研究開発室の一つでは対《魔人》用のパワードスーツの開発が行われていた。

 無数の計器とモニターが並び床には配線が所狭しと伸びるその部屋の正面、分厚い強化ガラスの向こう側の部屋と、モニターに映し出されるいくつもの数字を交互に見ながら、白衣を身に纏った研究員が次々に声を上げる。

「右腕部、神経接続完了。脳波リンク、システム正常。各駆動部問題なし」

 それを聞いた、この部屋の中で最も異様な存在感を放つ人物、ぶかぶかの白衣を着た中学生ぐらいの外見の少女が、マイクを手に取り向こう側の部屋にいる人物へと話しかけた。

「……よし、準備はいい?」

 それに対して向こう側の部屋にいる人物、つまり、右腕に機械仕掛けの〝籠手〟のようなものを身に着け、無数の配線のようなものに繋がれたフルフェイスのヘルメットのようなものをかぶった女性は口を開くと短く返答した。

「私はいつでも大丈夫です」

 女性、というよりも少女、と言った方が正しいような、どこかにまだ幼さの残るような声であった。

 彼女の名前は神崎希夢。AECOの局員であり、現在開発中の『対敵性異次元生命体用兵器運用用強化装甲外骨格戦闘服』、通称『強化装甲服』の装着者である。

 神崎が今いるのはガラスの向こうの研究室と比べればひどく殺風景なもので、彼女以外にはだれもおらず、数台のコンピューターが〝ヘルメット〟と〝籠手〟から伸びる配線につながれ、そのコンピューターは壁に向かってやはり配線を伸ばしている以外には何もなかった。部屋の内部はタイルのように敷き詰められた白い衝撃吸収板が敷き詰められているだけの極めてシンプルなものであり、その徹底した無機質さは見慣れぬ者にはある種の恐怖すらも与えるものであった。

「よし、起動実験開始」

 ぶかぶかの白衣を着た少女のそんな声に、ガラスの向こうの部屋の少女を含めた全ての人物が応じた。

「了解」


×××


「どう?」

 白衣の少女はモニターを覗きこみながら質問した。

「反応誤差0.十七秒から0.二三秒まで、同調率、最大32%。今まで最高の数値です」

 白衣を纏った少女はその言葉を聞くと、下ろした髪を二つに束ねた三つ編みをひるがえしながら、満足そうに頷きながら部屋の中央の席へと戻った。彼女が席に着くと、その隣に立っていた長身の男、白衣につけられたバッチに『副主任』と書かれた男が話しかけてきた。

「やはり装着者としては彼女が適任ですか」

 彼のそんな言葉に対して、少女は、ガラスの向こうの部屋を見つめながら静かに答えた。

「うん、これで一応は形にはなったよ。やっと総司令にもいい報告が出来る」

 そう言って一息置くと今度は様々な数値が表示されている手元のモニターを見つめ、下がっていた縁なしの眼鏡を戻しながら続けた。

「でもこれから。まだ稼働時間と反応速度、装甲強度に攻撃性能と問題は山積みだよ。それに、今はいいとしても、量産化の際にはコストは最低でも半分にしなきゃいけない」

 その話を聞いていた研究員の一人も口を開いた。

「適合率の問題もありますからね。〝彼女〟にしか操れないのでは量産化しても意味がありません。それが出来ないとなると、今までの全ての研究と開発に費やした資金や時間、労力が無駄に終わってしまいます」

「何とかするよ。それが私たちの仕事だし、何より私がここに呼ばれた理由だからね」

 少女はそう言うと、あたりを見渡し宣言した。

「よし、データは取れた。今日の起動実験は終了するよ」

「了解しました」


×××


「お疲れさーん」

 そう言いながら神崎の下に一人の少女がだぶだぶの白衣をひるがえしながら現れた。

 少女の名前は水守天音みずもりあまね、AECOに所属する研究員であり、強化装甲服開発チームのリーダーである。年は十四歳であるが、アメリカの大学を飛び級で卒業しており、れっきとした博士号の持ち主である。そして、神崎の大の友人である。

「天音もお疲れさん。でも、私は別に大したことはしていないわよ。ただ右手を動かしいるだけだったしね」

「そんなことはないよ。何と言っても装着者と開発者の両方が協力し合わないと、〝これ〟は完成しないわけだからね」

 そう言いながら水守は神崎の付けている〝籠手〟に繋がっている配線を手際よく外していく。

「それはそうと、どうだった希夢ちゃん、今回のは? 装着者としての感想」

 神崎は水守のそんな言葉に対して〝籠手〟を外しながら答える。

「前よりもかなり良くなっていると思うよ。反応速度も段違いに上がってるし。ただ、それでもまだ遅いんだけどね。」

 神崎はそう言いながら〝ヘルメット〟を外し、水守へと手渡した。神崎の肩まである黒い髪は汗に濡れていた。

「なるほど、了解だよ。わかってはいたことだけど、それでも装着者本人の口から聞くと、さらに納得できるよ」

「なんというか、ごめんね」

「何で希夢ちゃんが謝るのさ。それよりも、これから後って何か予定ある?」

 水守は、出されていた様々な機械や配線をしまいながら、神崎の方へと振り返りつつ質問した。

「いや、特には無いけど……。何かあるの?」

「これから武器開発の方に顔を出しておこうと思っているんだけどさ、希夢ちゃんも一緒に来る?」

「そうだね……」

 神崎はそう言って視線を落とし、少々悩むような仕草を見せた後、水守の方へと向き直り答えた。

「うん、一緒に行かせて。一応、私にも関係のあることだし」


×××


 AECOの基地内部、とりわけ地下に関しては非常に複雑に入り組んでいる。もし仮にここを初めて訪れた人間がいたとすれば、たとえ手に案内図を握っていたとしても一人では決して目的の部屋へどころか、目的の階へとすら行けないであろう、などということが、此処に所属する人間たちの間ではまことしやかに囁かれている。何しろ局員ですら基地内の全容を把握することが出来ず、常に案内図を持ち歩いている者すら多いのだ。

 ともかく、そんな迷路のような基地内の一室、『第四兵器開発室』と書かれたプレートの掲げられた部屋に水守と神崎はいた。

「どうです?」

 水守のそんな問いに対してこの部屋の責任者、柳原伸之やなぎはらのぶゆきはメガネを直しながらどこか神経質そうな目を水守達の方へと向けた。

「あと少しで完成だ。それにしても、なかなか無茶な要求をしてくれたものだな」

「大げさだなー。無茶というほどのものでもないでしょうに」

「反動を無視して威力を追及しろというのが、人間向けの武器を開発してきた人間には無茶に聞こえるんだよ。大体、そこまでするなら、戦車でも戦闘機でも持ってくればいいじゃないか。何故、わざわざ人間サイズにこだわる?」

「それはあなたが一番よくわかっているでしょ。街中でそんなものを使えばどうなるか、敏捷性の高い人間サイズの敵に対して、そんなものを使うことが現実的ではないということを」

「お前の強化装甲服だって、もとは対戦車用の兵器だろうが。結局、採用には至らなかったがらしいがな」

「…………」

 柳原の言葉を受けて水守はうつむき沈黙した。

「それに、無視してもいいと言っても限度があるだろ。要求された通りのものを作ってはみたが、使うことが出来ませんでした、なんてことにはならないだろうな」

「…………」

 黙りこくる水守の横から、柳原に向けて神崎が口を挟んだ。

「それに関しては問題ありませんよ。私はこう見えても頑丈ですから」

 そんな神崎を一瞥し柳原は言った。

「ふん、いいだろ。安心しろ、強化装甲服の完成までには間に合わせる。こいつを使いこなせるだけの物であると期待しているよ」

 柳原の言葉に対して、水守は再び不敵な笑みを浮かべ、どこか挑発的な口調で言った。

「当然ですよ、私を誰だと思っているんですか。天才技術者、水守天音に不可能などありませんよ」


×××


 都内の廃工場。長い間使われることなく放置され、最早朽ちることを待つのみの様々な機械が陰鬱な、しかしそれでいてどこか哀愁を感じさせる、どこか奇妙な雰囲気を醸し出している。その廃工場に突如として〝それ〟は現れた。

 黒い〝しみ〟とでもいうべきなのだろうか。立体的、三次元的空間にはあまりにもそぐわない、あまりにも異質な、あまりにも平面的、二次元的な黒いしみ。

 最初は人の手のひらほどの大きさであったそれは、見る見るうちにその面積を拡大させていき、数分と経たぬうちに、高さ二メートル以上、幅一メートル以上の巨大な楕円形になった。そして次の瞬間、その黒いしみが、あたかも周囲の空間ごと歪んだかのような奇妙な揺らぎを見せた。

 黒いしみの正体、それは《門》。

 異世界の者、招かれざる使者を招き入れるための魔の扉。

 そして今、二つの空間が繋がり、その門扉は開かれた。

 やがて、門の彼方の漆黒の空間から、人の姿をしたものが現れた。

 四肢と頭部を備えた約二メートルのシルエット、と言えば恐らくはおよそ人間的な姿であるとはいえるであろう。

 工場の割れた窓から差し込んだ夕日がそれの詳細な姿を映し出す。

 決して細身とは言えない。いや、むしろ大柄と言っていいだろう。特に腕は赤子の胴体ほどの太さがある。全身の色は灰色系統で構成されており、金属と言うよりは石に近いような無機質な質感である。頭部は騎士の兜を思わせるような形をしており、人間の本来ならば〝目〟に当たる部分にはいくつもの縦向きのスリットが入っている。そして、その奥に輝く赤い瞳があった。

 端的に言うのであれば『鎧を纏った騎士の石像』とでも言えばいいのだろうか。しかし、これは石像などではなかった。その証拠に地に足をつけゆっくりと歩いていた。

 否、こんな説明ではこの存在の正確な説明とは、決して言うことは出来ないだろう。姿形の異様さ、異形さ、など最早どうでもいいことなのだ。

 それが発し続ける独特の気配とでもいうべきものは、おおよそ尋常ならざるものであり、また、非常に人間離れしたものであった。あえて言うのであれば、隠そうともしないむき出しにして垂れ流しの殺意と闘争本能が辛うじて人に似たような姿をしている、とでも言ったところだろうか。

 人とは、否、人の住む世界とは異なる場所に住む存在。異なる法則、異なる倫理、異なる感情。何一つとしてかみ合うことのない、邪悪と醜悪の化身。それが、それこそが、今、まさに《門》を潜り抜けこの世界へと現れた《魔人》という存在の、その本質とでもいうべきものであった。

 

 ×××

 

 一七時四七分、《魔人》の出現を意味する基地内の警戒アラートが鳴り響いた。街中に仕掛けられた無数の監視カメラと《門》を探知するための次元観測装置によって、《魔人》の出現と共にその位置を把握することが可能なのである。もちろんカメラの死角や、装置の圏外等により即時発見が遅れるという例外的な状況もあるが、今回は少なくともその例外には当てはまらなかった。

「魔人が出現した模様。数は一、未確認の新型であると思われます!」

「出現地点特定、ポイントC25の廃工場です」

「警察への連絡はどうなっている」

 AECOの指令室は騒然となっていた。中央の大型モニターには特定された出現地点周辺の監視カメラの映像と地図が映し出されている。

「現時刻を持って対象を認定ナンバー26の《魔人》、Different Dimension Enemy Creature‐26、EC‐26と断定する。直ちに避難警報を発令、周辺住民の避難誘導を開始せよ!それと同時に攻撃部隊を出撃させろ!」

 総司令、つまりはAECOの最高責任者である神崎始がテキパキと指示を出す。

 そして一通りの指示を出し終わった後、正面の巨大モニターを見つめながら小さく呟いた。

「――やはり強化装甲服の完成までは待ってはくれない、か。しかし嘆いても始まらん。我々は、今我々に出来るだけのことを全力でやる、それだけのことだ」


×××


「また出撃か、最近はやたらと多いな」

 AECO所属の対《魔人》用攻撃部隊のリーダー辰本総一たつもとそういちは現地へと向かう輸送車の中で待機しながら、そんなことをぼやいていた。何しろ今月に入ってからこれで三回目だ。最近の出撃では大した被害が出ていないが、しかしだからと言って楽なはずもない。というよりも、仲間からも民間人にも犠牲者を出さずに《魔人》を斃す、というのは攻撃部隊が使用している装備では非常に困難なのだ。

「そういえば、あのお嬢ちゃんはどうしたんだ?」

 リーダーの近くにいた隊員が周囲を見渡しながらそう口にした。

「神崎のことか。あいつは例のパワードスーツだかの装着者に選ばれたそうだ。恐らくはこれとは別の攻撃用部隊が組織されてそこに入ったんだろ」

 リーダーがそう応じると、他の隊員も口々に声を上げた。

「複雑な気分ですね。あれの完成は待ち遠しいですが、その反面、完成すれば彼女が最前線で俺たちはその支援ってわけですか……」

「まだ十七歳だっけか、こんな戦いとは無関係なところにいてほしいような気がしてならないな」

 神崎は当初、この攻撃部隊に所属していた。その事実は、AECOという組織がある意味では〝まともな〟組織ではないということを暗に物語っているのかもしれない。

「まあこんな世の中だし、完全に無関係って訳にもいかないとは思うが、守られる側ではなく、守る側、しかも戦う人間なんてものはあの娘には決して似合うものじゃないからな」

 辰本はそう言って言葉を切ると周りの隊員を見渡し、皆に、あるいは自分に対して言い聞かせるように言った。

「それに、そんなことを今俺たちが心配しても仕方がないだろ。俺たちは今出来ることを精いっぱいやればいいのさ」


×××


 廃工場に《魔人》が現れたその数分後、そこに現れたのはAECOの攻撃部隊でもなければ、哀れなる第一の被害者でもなく、もう一体の《魔人》であった。頭部には二本の角を持ち、銀の髪を生やした、赤紫と漆黒の《魔人》。AECOにおいてはEC‐07と呼ばれている《魔人》である。

 EC‐07はEC‐26の姿を見つけ出すと即座にその方へと走り出した。数十メートルの距離がありながらも発見から攻撃開始までにはわずか数秒しか必要なかった。

「ウォォォァァァ――――!!」

 雄叫びと共にEC‐07の拳がEC‐26の腹部へと直撃する。

 十数メートルの助走をつけて放たれた渾身の一撃。

 しかし、それを受けてもEC‐26は揺るぎもしなかった。

 EC-07はそのことに対して一瞬だけ驚いたようなそぶりを見せる。しかし、一瞬は所詮一瞬に過ぎない。次の瞬間には、再びEC‐26は攻撃を再開した。続け様に放たれる拳打と蹴り、しかもそれらは人間の体で言うところのいわゆる〝人体急所〟を的確についていた。

 それでもなおEC‐26は揺るがない。防御動作をとることもなく、ただその場に立っている。

 EC‐07の攻撃が弱いというわけではない。

 《魔人》の身体能力は人間のそれをはるかに凌駕しており、EC-07の拳の威力は数トンにも及ぶものなのだ。それほどの威力の持った拳を交えてなされる《魔人》同士の戦いというものは人間の想像力などおよびのつかないような次元のものであり、また、それだけの威力の攻撃を受けてもまったくダメージとなっていないEC‐26が明らかに異常なのだ。

 EC‐07の攻撃が続く中、ついにEC‐26が動き出した。攻撃態勢に移っていたEC‐07に対して無造作に突き出された拳が命中したのだ。

 決して拳打などとは言えないような攻撃。言うなれば無造作に前へと突き出されただけの、そんな攻撃。しかし、次の瞬間、鈍い音と共にEC‐07は五メートルほど後方へと吹き飛ばされ、そしてそのまま腹部に手を当てながら地に伏し呻き声を上げた。

 EC‐26が歩き始めた。地に伏したままのEC‐07へとゆっくりと一歩ずつ歩み寄る。兜の奥の漆黒から一対の赤い瞳を輝かせ、圧倒的な威圧感と共にEC‐26が接近してくる。

 EC‐07はよろめきながらも立ち上がった。そして、EC‐26が攻撃動作に移るよりも早く再び攻撃に転じる。

 しかしダメージは通らない。

 結果として、EC‐26がじわじわと前進してくるのに対して、EC‐07は後退しながら幾度となく攻撃を放つという構図になる。そして時折無造作に放たれるEC‐26の攻撃を必死に回避し続けた。

 戦況の優劣は明らかにEC‐07の不利となった。

 EC‐07の回避行動もそう何度もうまくいくものでは無かった。ちょうど運悪く、否、あるいはEC‐26の狙い通りに回避不可能なタイミングで放たれた横薙ぎの拳。EC‐07はとっさに防御動作をとったが、その攻撃は容赦なく防御の上から襲いかかった。EC‐07はそのまま攻撃の衝撃を殺しきることが出来ずに真横へと弾き飛ばされる。

 しかし今度は倒れなかった。

 否、倒れることが出来なかった、と言った方がいいのだろうか。

 その理由は至極単純で物理的なもの。弾き飛ばされたその後ろに柱があったというものだった。EC‐07はその柱に背中を強く打ち付け、その場で停止した。そして、そのことは決してEC‐07にとってこの戦況を優位に進めるための要因とはならなかった。

 倒れることが出来ずに、動きを止めたまま立ち尽くした、その僅かな隙をEC‐26は決して逃さなかった。EC‐07の前へと歩み寄ると首を掴み片手で軽々と持ち上げた。そしてそのままEC‐07に対して抵抗する隙すらも一切与えずに、十メートルほど先にある動かなくなった機械が撃ち捨てられているところへと投げ捨てた。

 EC‐07は抵抗することも、受け身を取ることすら出来ずに、そのまま落下する。

 老朽化し、そのままさびて朽ち果てていくはずだった機械が派手な音を立てて壊れその音が、本来ならば無人であったはずの廃工場の中に反響する。

 しかし、それでもなおEC‐07は屈しなかった。再び立ち上がりEC‐26のことを睨みつける。EC‐26は再びEC‐07の方へと歩み寄る。あたかもこの戦いにおける自らの絶対的な優位性を誇示するがごとく、ただ悠然と歩み寄る。それに対して対峙するかのようにEC‐07は雄叫びを上げた。

 「ウゥゥゥォォォォォォァァァァァァ――――!!」

 獰猛な野獣、あるいは醜悪な悪魔のごとき咆哮が廃工場に反響し、空気を、否、空間を振動させる。そして、それに応じるかのようにEC‐07の両腕から鎌のような形状をした刃が生えてきた。そしてその刃を廃工場の割れ窓から差し込む夕日によって煌めかせながら、EC‐07はEC‐26へと再び立ち向かっていった。

 

 ×××

 

 AECOの指令室のモニターにEC‐07の姿が映ったのはその直後だった。

『二体目の《魔人》が出現! 現在、EC‐26と交戦中!』

 無線から聞こえる予想外の事態に対して、辰本隊長は語気を荒げた。

「っ! このタイミングで二体目だと!?」

 辰本隊長のそんな言葉に対して、指令室からは冷静な返答が返ってきた。

『《門》の発生は感知されませんでした。映像から判断すると、逃亡を続けている《魔人》、EC‐07であると思われます』

 それに続いて総司令から作戦変更の命令が下った。

『攻撃部隊は、これより作戦を変更しEC‐26およびEC‐07、双方の殲滅に当たれ』

「総司令! お言葉ですが、現状の装備と人員では二体を同時に相手にするのは我々にとって不利であると――」

『この好機を逃すわけにはいかん。それに、これ以上やつを野放しにしておいていいとでも考えているのか?』

 隊長が言葉を言い終わる前に、それを遮るようにして総司令が言葉を発した。

「いえ、そのようなことは……」

 総司令の言葉は事実だった。これは好機なのだ。今まで逃げ続けられてきた《魔人》と新たに出現した《魔人》そのどちらも斃さなければならない。そしてそれを行うのは、まだ被害が出ていない今でなければならない。

 辰本隊長は口をつぐみ、僅かに思案した後、再び口を開いた。

「――了解しました」

 そんな一連のやり取りを見ていた隊員の中の一人が、遠慮がちに口を開いた。

「……隊長――」

「わかっている。しかし従うほかあるまい」

 辰本隊長は、隊員の言わんとしたことを理解し、それを途中で遮った。そして、隊員たちを見渡すと声を張り上げていった。

「本部からの指示だ。作戦を変更、我々はこれより出現したEC‐26およびEC‐07の殲滅を行う。チームを二つに分け、それぞれが各個を撃破する。一方を撃破後、もう一方のチームに合流する」

 隊長がそう言い終わると、隊員の中から声が上がった。

「攻撃方法はどうするんです」

「敵の詳細が分からない以上、その場で判断するしかあるまい」

 隊長がそう答えるとまた別の場所から声が上がった。

「要は出たとこ勝負ってわけですか。それを作戦と言ってしまっていいものか」

「仕方のないことだ。それに詳細が分からないのも、いつものことだろう」

 そんな、どこか投げやりな答えに対して、茶化すような声が上がる。

「要はいつも通りにやれということでしょ」

 それに対して隊長は僅かな笑みを浮かべながら応じた。

「まあそう言うことだ。ただ、敵が二体というのは今回が初めてだからな。今まで追い続けてきた〝二本角〟を斃せる好機でもあるとはいえ、慎重に動いた方がいいだろう」

 そして、真剣な表情に戻りながら隊長は言葉を続けた。

「敵が一体だけの状況を作り出すことが出来れば、今までと何ら変わりない。二体が交戦中というのは若干引っかかるが、潰しあってくれるなどという甘い考えは捨てたほうがいいだろう。どちらも我々の手で斃すのだ」

 隊員たちも皆真剣な表情に戻っている。幾度となく《魔人》たちと戦ってきた彼等であっても、その戦いが楽なものであったことなど一度もなかった。その上、今回は斃すべき敵が二体もいるのだ。恐らくは今までに経験したことのないような戦いとなるだろう。

「俺と山口、三田、木村がEC‐07、ほかはEC‐26を狙う。そっちの指揮は飯島がとってくれ」

 隊長の言葉に対して、隊員たちは首肯で応じる。そんな隊員たちの姿を見渡し、隊長は一際声を張り上げて言った。

「よし、総員出撃準備、作戦成功を祈る」

 それに対して隊員全員が声をそろえて応えた。

「了解」


×××


 辰本隊長率いる対《魔人》用攻撃部隊を乗せた輸送車は、EC‐26とEC‐07が戦闘を続けている廃工場の近くへと停車した。

『すでに周辺住民の避難誘導は終了しています。《魔人》への発砲許可もおりました』

 管制室からの通信に対して隊長は頷くと命令を下した。

「よし――、総員突入」

 隊長の声と同時に輸送車の後部ハッチが開き隊長率いる攻撃部隊が、完全装備の状態で降りてきた。皆、ヘルメットにバイザー、ボディーアーマーという格好で守りを固め、対《魔人》用の銃弾が装填されたアサルトライフルを装備している。これらの物は全てAECOが独自に開発した対《魔人》用の秘密兵器であり、既存のものとは段違いの耐久性、攻撃能力、を有していた。そして、こうした兵器を開発しているからこそ、それらの技術が〝人間同士の戦い〟に使われないように〝外〟へと洩れないようになっているのである。

 隊長率いるチームとその他の隊員のチームに分かれ、それぞれが廃工場の入り口から入っていく。これにより、中にいる二体の《魔人》を挟み撃ちにする格好となった。

『こちら飯島、以下六名目標地点に到達。標的を目視で確認』

 隊長への通信が届いた。隊長も遮蔽物に身を隠しつつ、中の様子をうかがう。廃工場の中央では、二体の《魔人》が戦闘を繰り広げていた。響き渡る金属音と、時折聞こえる人間のものとは思えないような声から、そこで繰り広げられている人知を超えた壮絶な戦いを容易に想像することが出来る。それでもなお、視線を移したその先で繰り広げていたものは、その想像をもはるかに超えたものだった。

 人知を超えた異形なる者同士が殺意と闘志をぶつけ合うそれは、もはや人の踏み込んでよい領域とはとても思えなかった。しかし、今は〝それ〟をやらなければならない。人類は己の身を守るために、その戦いへと踏み込まなければならないのだ。

「こちらもだ。挟撃で双方に攻撃。引きはがして各個撃破する」

 辰本隊長は恐怖心を押し殺し、飯島たちのチームに対して伝える。一切臆することなく、ただ冷静にふるまう。そんな彼の姿が隊員たちの士気を高め、作戦を成功に導くということを、彼自身が一番理解していたからだ。

「了解」

 隊長の言葉に応じる声が無線越しに聞こえた。そのことを確認すると、

「よし、――撃てっ!!」

 攻撃の号令をかけた。

 次の瞬間、廃工場の中に銃声が轟いた。

 二体の《魔人》を目がけて、二方向から火線が奔る。

 お互いのことを撃つことなく、その上で二方向から二体の《魔人ターゲット》を狙う挟撃。芸術的ともいえる角度からのアサルトライフルの応酬が、二体の《魔人》にそれぞれ命中する。

 突然、思いもよらぬ方向からの攻撃にさらされた二体の《魔人》は、動揺したと思わせるようなそぶりを見せた。そして、それぞれ別の方へと移動した。

 辰本隊長たちの狙ったEC‐07は銃弾の遮蔽物となる物陰へと姿を隠した。一方、飯島たちの狙ったEC‐26は銃撃を受けEC‐07が退避するのを見届けると、飯島たちの方へとゆっくりと振り向いた。そして銃撃を意に介することなく、撃ってきた方へとゆっくりと歩き始めた。

「くっ、死ね化け物めーっ!!」

「クソッタレ、くたばりやがれ!!」

 飯島たちのチームの隊員たちが、罵声を浴びせながら一斉にEC‐26に対して銃を乱射する。

 しかし、そんな攻撃を意にも介さずに、EC‐26は赤い瞳を輝かせながらゆっくりと前進する。

 対《魔人》用攻撃部隊が使用している銃弾には、通常兵器のほとんど効かない《魔人》に対抗するためにある工夫が施されていた。

 それは、製造段階において弾頭に、《魔人》を斃した時に《魔人》が変質した〝灰〟を混ぜるというものだ。〝灰〟が《魔人》の変質したものであるということは、〝灰〟もまた《魔人》と同等の物質である。故に、こうすることにより、銃弾が《魔人》と極めて近い物質となり、物質的にこの世界に存在するものと異なる《魔人》に対して有効打が与えられるのである。

 もっとも、《魔人》の防御能力がそもそも銃弾などでは超えることが出来ないものなのであれば意味がない。

 そして、それが今のこの状況である。EC‐26の絶対的な防御能力は、そもそも人の作り出した武器では超えられないようなレベルのものだったのだ。少なくとも、アサルトライフル程度では揺るぎもしないものだったのである。

 圧倒的な威圧感を放ちながら迫りくるEC‐26が拳を振り上げた。隊員たちとの距離は、もう僅か数メートルのところまで迫っている。隊員の一人が思わずあげた悲鳴と共に、《魔人》のスリットの奥で赤く輝く瞳が嗜虐的な微笑みを浮かべた。


×××


「うああぁぁぁー、くっ来るなー!!」

「やめろっ、ぐあぁぁ!!」

 銃声と着弾音、空薬莢が飛び散る音、そして、ゆっくりと異形なる者が大地を歩む音、それに混じって、隊員たちの悲鳴と罵声が廃工場の中にこだまする。

「まずいですよ隊長、このままでは――!!」

 隣にいた隊員、山口からの声に辰本隊長の焦燥は深まった。敵の、EC‐26の強さは想定外のものだった。少なくとも、今まで戦ってきた《魔人》たちの中にこれほどの防御能力を有した個体は存在しなかった。それ故の慢心、それゆえの失策、そしてそれ故の焦燥だった。

(能力を過小評価しすぎていた、敵の手の内が分からないのであれば、まずそちらを全力で叩くべきだったのだ。このままでは――、くっ、やむをえまい、今更済んだことを悔いてどうする? 今ここで俺がやるべきことはこの責任をとり、隊長としての責務を果たすことだ。そしてその上で、この任務を遂行する!)

 隊長はホルスターから拳銃を取り出すと安全装置を解除し、再びホルスターへ戻した。次いで、別の場所から対《魔人》用の超音波ナイフを抜き出した。刃渡りは二十センチほどで形状は通常のサバイバルナイフに極めて近いがグリップの部分にいくつかのスイッチがついている。

 そして、手にしていたアサルトライフルを隣にいた山口に預けるとこう言った。

「――俺が一旦囮になって奴を引きつける。EC‐07から目を離すな」

 そう言うや否や、辰本隊長は超音波ナイフを構えEC‐26へと向かって走り出した。

「待ってください隊長! いったい何を――」

 隊員が止める間もなく、隊長は超音波ナイフのスイッチを入れた。次の瞬間、それは超音波振動によって圧倒的な切断能力を有した武器へと変貌する。

「くたばれ化け物っ!!」

 倒れていた隊員へと拳を振り上げたEC‐26の動きが突如止まった。隊長が超音波ナイフを振り下ろした。激しい火花と金属音が鳴り響きEC‐26の背中を刃が走った。

 しかし、

「くっ、無傷だとっ!?」

 EC‐26が隊長の方を振り向いた。

「――だが、これで終わりだっ」

 辰本隊長は超音波ナイフのモードを、通常攻撃から〝核〟の破壊用へと素早く切り替えるとEC‐26の胸部中央にある〝核〟と呼ばれる宝石状の結晶体をめがけて刃を突き立てた。

 《魔人》の弱点、すなわち〝核〟さえ破壊できれば勝機がある。

 銃で撃ちぬくという手もあるが、〝核〟は《魔人》の体で最も高い硬度を誇る個所であり、は並みの銃火器では全く威力が足りない。厳密にいうのであれば威力が足りないのではなく、性質が違うと言った方がいいのかもしれないが、効力がないという点においてはどちらであっての同じことではある。

 銃火器による攻撃は基本的に牽制や搖動。

 現状で《魔人》に対抗するために最も有効な方法、それは、〝《魔人》の核を破壊できる振動数の超音波振動を発生させた刃による攻撃〟に限定されてしまうのだ。

 《魔人》の核を破壊するための振動数は、今までに繰り返されてきた戦闘によって何とか明らかになっていた。そして幸いなことにすべての《魔人》の核は、それに有効な振動数が常に同じだった。

 故に最も有効な攻撃方法は、不意打ちによる一撃必殺。今の隊長の寄った行動は一見無謀且つ感情的なものと見えたかもしれないが、実際には、極めて合理的かつ有効な方法だったのだ。

 しかし、その攻撃は有効打とはならなかった。EC‐26が振り向きざまに横なぎに振るった腕がナイフをはじいたのだ。

「ちっ!」

 隊長は今の一撃で仕留められなかったことを悔やみ、舌打ちをしながらも周囲を見渡しつつ、冷静に状況を判断する。まず、これ以上の追撃を受けないように、深追いすることなく一歩後退する。直後、先ほど横なぎに振るわれた腕が、返す形でもう一度振るわれた。

 腕は紙一重で当たらなかった。

 先ほどEC‐26から攻撃を受けていた隊員は、全員何とか一時撤退できたようだ。辰本隊長はEC‐26の背後に味方の隊員がいないことを確認すると、ホルスターから素早く拳銃を抜き、EC‐26へと向けて構えた。照準の先は当然〝核〟。距離は五十センチもない、外しようのない至近距離。迷いなどあるはずがない。狙いを定め、引き金を引き、弾丸が放たれるまでには一秒もかからない。

(要するに〝核〟を破壊できればいいんだ。うまくいけば、あるいは斃せる! これで!!)

 そんな祈るような気持ちと共に、弾丸が放たれた。

 続け様に三発、軌道をたがえることなく放たれた弾丸は、しかし、EC‐26の〝核〟には命中しなかった。

 弾丸が放たれる直前に、今まで悠然とした態度とは打って変わって俊敏な動きで体勢を落とした。弾丸はEC‐26の肩に命中し〝核〟には命中しなかった。

「――!」

 隊長がEC‐26の動きを把握する隙すら与えず、次の瞬間にはEC‐26の剛腕が隊長の腹部に直撃した。

 鈍い音と共に隊長は数メートルの距離を吹き飛ばされる。腹部は特殊合金によって作られたボディーアーマーによって守られており、死ぬようなことはない。ただし、ボディーアーマーで殺しきれなかった衝撃は当然そのまま隊長を襲う。

「――っ!!」

 隊長が声にならない呻き声を上げる。腹部への攻撃によって生じたダメージ、次いで背面部を、受け身を取ることもままならない状態で打ちつけた痛み。その双方の衝撃が隊長の全身を駆け巡る。

(しまった、このままでは――)

 脳が防衛本能を働かせ全身の感覚が緩やかに鈍くなっていくのを実感する。思考が混濁し、視界が暗転し始める。

「隊長っ!今助けに――」

 耳に着けている小型無線機から隊員たちの叫び声が聞こえる。しかしそれ以上にぼやけた視界の中に映るEC‐26の姿から己に向かってくる、物理的な実感を伴った〝死〟を意識する。

 今まさにとどめを刺さんとして迫りくるEC‐26。

 救助に向かおうとする隊員。

 しかし、隊員の待機している場所は遮蔽物を隔てた隊長の五メートル後方。

 それに対してEC‐26は隊長へ最早数歩の距離。EC‐26が拳を振り上げそしてそれを振り下ろすまでの間に隊長をその場から救い出すことなど到底不可能なことであった。

 EC‐26が足を止め、拳を振り下ろす。

 次の瞬間に訪れるであろう悲劇を、この場にいる誰もが鮮明に予見した。当事者たる隊長も薄れゆく意識の中で迫りくる殺意を認識した。

 悲劇は起こらなかった。

 次の瞬間、訪れたのは誰もが予想しえなかった出来事であった。

 突然物陰から飛び出したEC‐07が、拳を振り上げたEC‐26を勢いよく突き飛ばしたのだ。

 真横からの不意打ちを受けてよろめくEC‐26に対峙するかのように、EC‐07が立ちふさがった。あるいは、そう、その背後にいる隊長をかばうかのような立ち位置で。

 EC‐26とEC‐07、二体の《魔人》が睨みあう。両者の放つ圧倒的な気迫は、あたかも周囲の空気を、否空間ごと振動させるようなものであった。しかし、隊員たちもこれに怖気づいているわけにはいかない。隊長を抱え起こすと、肩を貸しながら後方の遮蔽物のあるところまで後退する。

「隊長! 大丈夫ですか!? 怪我は――」

「すまん、心配をかけたな。どうにか大丈夫なようだ」

 隊長は隊員の声にそう応じた。

「ともかく、これでまた振り出し、いやそれよりも悪化してしまったわけか。さて、どうしたものか――」

 隊員と共に遮蔽物に隠れながら、隊長は、一人そう呟いた。何はともあれ、何とか一命を取り留めることが出来たようだ。負傷者は出たものの、今のところ死者は出ていない。しかし、それは同時に隊長にとっての新たなる疑問を生み出すこととなった。

(――それにあいつ、まさか俺を助けたのか!?)

 《魔人》が人間を助けるなどありえる筈がない。しかし、そのあり得る筈のない出来事が今目の前で起こったのだ。それは隊長の理解を超えた出来事であった。何かの間違いかもしれない、普通ならそう考えてしまうところだが、しかし、意外なことに隊長はそうは思わなかった。

(奴からは、EC‐07からは〝殺気〟を感じなかった。少なくとも、それは俺に対して向けられていなかった)

 それ故に敵ではないと判断するのは、常識的に考えればひどく非合理的な考え方ではあった。〝殺気〟などという曖昧なものを理由にして物事を判断するなど愚の骨頂であると、普通ならがそう考える。それ故に戸惑う。今の、この状況に対してどのように行動すればいいのか、どのような命令を下せばいいのか。目の前で戦いを繰り広げる二体の《魔人》に対してどう対処するべきなのか。

「どうするんです隊長!?このままでは……」

 隊員の声を受け、隊長の思考は加速する。今必要なのは理由だ。

 自分を、仲間を動かしうる合理的な理由、隊長が探しているのはひとえにそれだけであった。何を為すべきか、何を為さねばならないかなど最初から決まっていたのだ。

(こちらの火力には限りがある。その上負傷者が出ているとあっては長期戦は無理だ。だからと言ってここで何もせず引き下がるわけにもいかない。二体同時は無理でも、どちらか一方ならばあるいは……)

 辰本隊長はそこまで考え、そして口を開き、全隊員へと命令を下した。

「……各員へ、これよりEC‐07を援護し、EC‐26を斃す!」

「しかしそれは……」

 隊長の命令に対して戸惑うような声が上がった。無理もないことだ。何しろ、隊長は今まで敵の内の一つと捉えていたものに対して、あろうことかそれを援護しろという命令を下したのだ。確かにEC‐07は自分たちの窮地を救った。しかしそのことは、いまEC‐07を援護することとは繋がらない。

 しかし、隊長はEC‐07を援護しろと、そう言ったのだ。

「――現状での最善の選択だ!」

 隊長は、隊員たちに対して重ねてそう言った。合理的などでは無い、最善などでは無いはずの判断に対して、隊長は語気を強めそう言ったのだ。そこには有無を言わせぬ迫力と、確かな確証めいたものを感じられた。

「……了解」


×××


 EC‐26とEC‐07の戦闘は、明らかにEC‐07の不利であった。腕部の鎌状の刃を用いたEC‐07の攻撃はことごとくEC‐26の強固な鎧に阻まれ、一向にダメージが通っている様子はない。逆にEC‐26からの攻撃に対しては回避に専念しており、やはりその攻撃力が絶大であることを認識させた。

 目の前にいるのは双方とも正体のわからない未知の敵である《魔人》。しかもそのうち一方は出現から数か月たった今も逃走を続けており、斃すためにはここがまたとない機会なのだ。

 双方が正体不明の敵であり、少なくともどちらか一方を斃さねばならないと考えるのであれば、強い方に味方し弱い方を確実に斃す、というのが極めて合理的な選択のはずである。しかし隊長はその選択をしなかった。

 否、もう一つの考えもある。弱っている方と共闘し強い方を斃すことで、その後に消耗した弱い方を斃すというものだ。

 隊長の真意がこちらであるのであればEC‐07を援護しEC‐26を斃すという発言にも納得できる。しかし、隊長の真意がそれですらないということに一部の隊員は気が付いていた。

 すなわち、隊長は今、純粋にEC‐07を此方の味方であると判断して援護する、と言ったというものだ。

 冷静に考えればこれほどまでに酔狂という言葉の似合う発言などなく、また、最早常識に照らし合わせたときにその正気を疑うことがこの上なく正しいとすら言えるものである。

 隊長が今援護すると言ったその対象は、確かに隊長の命を救った、かもしれない。

 しかし、一回、たった一回だけのその行動を指して、EC‐07を無条件に味方と認めてしまってよいのであろうか。

 本来人類に対して敵対する存在である《魔人》という存在、少なくとも《魔人》という存在が今まで人類に対して行ってきた行為は破壊と殺戮であり、そこには理解も同情も友好も友愛も存在しなかったのだ。そのようなもの達の中に、しかも、偶然自分が死にかけているというタイミングで、〝実は彼らの中には人類に味方するものもいたのだ〟などという、ご都合主義極まりない事実が明らかになったという、そのような奇跡をいったい誰が信じるというのだろうか。

 しかし彼は、辰本総一という男はその奇跡を信じた。

 信じざるを得なかった。そしてそこには明確な理由づけなどなかった。直感、と言い換えてしまってもいい。

 彼のそんな感情的かつ非合理的な判断はEC ‐07を〝少なくとも現状において無害な存在〟であり、また〝仲間として援護しともに共通の敵を倒すべく協力する存在〟として認識した。

 そして、そんな隊長の判断を隊員たちは半ば理解しつつも受け入れたのだ。これはある意味では戦いという極限状態の中における隊長という存在の役割と力を明確に表しているのかもしれない。命令に従うことこそ生き延びる術、という戦場の真理、あるいは、幾多の戦いを共に潜り抜けてきた隊長への圧倒的な信頼感によって。

 

 ×××

 

 圧倒的にEC‐07の不利に見えていた戦況は、唐突に逆転の兆しを見せた。EC‐26の拳の振りに合わせて体勢を下げ、それと同時の足払い。前方に重心の移っていたEC‐26はそのまま体勢を崩してうつぶせに倒れる。

 起き上がり再び拳を振り上げる。EC‐07はそれに対して臆することなく突っ込んでいった。そして左手の刃で攻撃をさばきながら、EC‐26の攻撃のパワーを殺すことなく、右手の刃で切り付けた。次の瞬間、今まで一撃たりともダメージを受けていなかったように見えたEC‐26が怯んだような仕草を見せた。

 EC‐07の右腕の刃からは血のようなものが垂れていた。

(――!確かにいい考えだ。EC ‐26の鎧は確かに強固なものだ。だが、全身がその鎧に覆われているわけじゃない。関節部分には必ず〝生身〟の部分が露出しているところがある。そこを狙いさえすればダメージを与えられる)

 隊長の見立てはおおよそ正しいものであると言えた。いかに強固な鎧であっても、必ず関節部分は弱点となる。厳密には鎧ではなく体を構成するパーツの一部であるが、それの果たす役割と形状から、鎧と言ってしまっても問題ないであろう。そして、鎧を纏っているという事実が、暗にそれ以外の場所が脆弱であるということをほのめかしているとも言えた。

 無論、EC ‐26がその程度の自身の弱点を知らぬというはずもないであろう。だからこそ、EC‐07はゆさぶりをかけた。思い通りに攻撃の通らないEC‐26が逆上し、感情的な攻撃に出始めたとき、その瞬間こそが最大の反撃のチャンスとなったのだ。

 再び攻撃に移ろうとするEC‐26に対してEC‐07が後方へと距離をとった。

(ならば、とるべき手段は――)

 隊長はEC‐07の挙動からこちら側が次になすべきことを瞬時に判断する。そして間髪いれず無線越しに吼えた。

『今だ! 各員EC‐26の鎧の隙間を狙え! 関節部分だ』

 隊長の声と同時に銃声が一斉に響き渡り、金属同士がぶつかり合うような廃工場の中に響き渡る。

 突然の、恐らくは想定外であろう攻撃に対して、EC‐26はその体を硬直させた。

 その一瞬の隙をつき、EC‐07は地面に落ちていた〝あるもの〟を拾ってEC‐26の方へと向かって突貫した。それは、先ほどの攻防で隊長が取り落とした振動ナイフだった。

 EC‐07はそれを握りスイッチを入れ、EC‐26へと向かっていく。

 強靭な足が地面を蹴り、数メートルの距離をたった一歩で、一瞬にして詰めた。そして、EC‐26に反撃や防御や回避をする隙すらも与えずにEC‐26の胸元、すなわち〝核〟へと振動ナイフを突き立てた。刃が強烈な勢いで火花を散らしながら〝核〟の中央へと突き刺さった。EC‐26はそれに対して抵抗するような動きを見せたが、しかしその動きは先ほどまでの悠然とした態度とはかけ離れた弱々しいものであった。

 EC‐07はさらに腕に力を加えると、そのままEC‐26を地面へと押し倒した。EC‐26はそれに対して抵抗することもせず、否、出来ずにそのまま仰向けに倒れた。日が沈みかけ、薄暗くなり始めた廃工場にEC‐26の巨体が倒れる音が響き渡った。EC‐07は、EC‐26の巨体を地に倒す為の力を、そのまま握りしめたナイフに掛け重力に従ってEC‐26と共に地面に倒れこむ。ちょうどEC‐26へと覆いかぶさる形となり、全体重をかけた振動ナイフはEC‐26の〝核〟へと深々と突き刺さっていた。

 EC‐07がゆっくりと起き上がる。

 EC‐26の〝核〟には超音波ナイフが突き刺さっており、再び起き上がるような気配はない。EC‐07はEC‐26のそばを離れ、銃を構えている隊長たちを一瞥すると、壁の方へたった一歩で移動し、そして壊れかけていた窓を突き破ると薄暗い工場の外へと飛び出していった。

「隊長、EC‐07への追撃は――」

 隊長は、隊員が言葉を言い終わる前に口を開いた。

「追うな!!今の我々では返り討ちに会うだけだ!サンプルの回収を最優先、至急解析班と救護班を急行させろ。我々は負傷者を救護班へと引き渡した後、現場の警戒に当たる」

 冷静に考えれば、全く合理的ではない。今のEC‐07は極めて消耗している状態にあり、追撃を仕掛ければ斃せるかもしれないのだ。

 否、斃せるであろう。

 誰もが、少なくともこの場にいる誰もがそう考えていた。しかし、同時に誰一人として隊長の言葉に対して異を唱える者はいなかった。EC ‐07は人類の味方であると、少なくとも敵ではないと、誰もが無条件にそう信じたのだ。

 否、無条件ではない。

 今のこの戦いが、それこそが彼等にとっての証明となったのだ。


×××

 

 指令室では、逃走したEC‐07の反応を追おうとしていた。しかし、結論を先に言うのであればそれは失敗した。

「索敵システムはどうなっている、逃走したもう一体の反応は?」

「それが、先ほどまでは捉えていたのですが、急に反応がロストしてしまい……」

 通常ではありえない現象であった。監視カメラと違って、もう一つの索敵システムである魔力感知センサーは、敵を見失うなどほとんどありえないことなのだ。しかも、つい数秒前まで示していた反応が唐突に消えるなどということは。周囲の監視カメラにも、もちろん姿は映し出されていない。

 しかし、前例がないわけではない。

「……やはり、か」

 総司令はひとりそう呟くと、命令を下した。

「わかった。見つからぬとは思うが、引き続き監視を頼む。それから、早急に現地へと解析班と救護班を向かわせろ」

 EC‐07が出現した時は決まってこうなるのだ。いつも逃げられ、そして、索敵システムから完全に姿を消してしまう。

 しかし、それはともかくとして、予定外の〝収穫〟もあった。

 今回消耗した武器弾薬に対してあまりにも大きい〝収穫〟が。


×××


 薄暗い廃工場の中、辰本隊長は数人の隊員と共に佇んでいた。負傷した隊員たちは輸送車の中において応急手当てが行われていた。もっとも、幸いなことに誰一人として命に別状のありそうなものは居なかったが。

「……もしあのまま戦っていても俺たちに勝ち目はなかった」

 隊長は、誰に聞かせるでもなく、そう呟いた。言い訳じみた言葉ではあったが、しかし、事実でもあった。

「ええ、分かっていますよ。奴らもどんどん強くなっています。最初のころとは比べ物にならない」

 隊員の一人が隊長の言葉に対して応じた。今回の〝敵〟、EC‐26はあまりにも強敵だった。恐らくは今までに戦ってきたどの《魔人》よりも強敵だっただろう。そして、それを上回る強さの《魔人》がいつまた現れるかもわからない。それに加えてEC‐07の取った行動。

 あまりにも、あまりにもこれから先のことに対して考えることが多すぎたのだ。否、これから先だけではない。これまでの戦いについても、改めて見直してみる必要があるのかもしれない。

(それによっては、戦う理由そのものが変わってしまうかもしれない。いや、そうでなくても戦い方を変えていく必要がある。強化装甲服の開発と量産。間に合ってくれればいいのだが)

 足元に横たわるEC‐26の〝死体〟を見下ろしながら隊長は思案に暮れていた。

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