プロローグ
第5回GA文庫大賞(後期)一次審査落ち作品
プロローグ
静寂に包まれた夜の街。その中を駆け抜ける二つの影があった。
その二つの影は少なくとも人間ではなかった。
二つの影の正体は人間ではない。そのどちらもが《魔人》と呼ばれる存在であった。
先行して走る一体目の《魔人》には毛髪はなく、本来人間の顔に二つあるべき目は、顔の中央に一つしかない。鼻はのっぺりとした顔に鼻孔が二つ空いているのみであり、口は耳まで裂けている。その耳は顔の側面に黒々とした穴が開いているのみであった。
長身痩躯であり、特に手足の長さは、常人の二倍近くという異常な長さだった。その腕からは三本の長い指が生え、そして鋭い鉤爪を備えている。
胸元には赤く輝く宝石のようなものが埋め込まれており、名状し難い光彩を放っていた。
肩と膝には鎧のようなものがあり、また、細身の外見でありながら決して貧弱と言うわけではなく、一切の無駄を省いた、しなやかな筋繊維の集まりであるといえた。
この単眼の《魔人》が高層ビルの上を音もなく飛び移りながら高速で移動しているという事実は、その異常なまでに高い身体能力を確実に証明している。
単眼の《魔人》を追うもう一体の《魔人》。
この《魔人》の頭部からは二本の角が左右に並んで生えていた。
瞳は赤く輝き、口からは鋭い牙が覗いている。額には何か紋章のようなものが刻まれており、耳は人間のそれよりもやや尖っている。
後頭部からは毛髪のようなものが生えており、背中を覆い隠して腰のあたりまで伸びている。
胸部や肩、腰などを覆っているそれは一見して鎧のようであるが、しかし体と直接つながっており、それが身体機関の一部であるということを表している。
そして、胸元には、やはり宝石のようなものが埋め込まれていた。
大柄な体型ではなく、単眼の《魔人》程ではないにしても、どちらかと言えば細身な外見であった。
二体の《魔人》は真夜中のビルの上を、ほとんど音もなく次々と飛び移りながら攻防を繰り広げる。
無防備な滞空時間、着地や飛び上がる瞬間の僅かな隙、それらを見逃さずに互いに技を繰りだしていた。
しかし互いに決定打が撃てない。
長い腕と巨大な鉤爪を有している単眼の《魔人》は、攻撃力でも素早さでも、角の《魔人》を上回っているようである。しかし今はその能力の全てを使って回避に専念しているため角の《魔人》からの攻撃を全く受けていない。
この近辺で最も高いビルの屋上に着地した単眼の《魔人》は突然その足を止めた。角の《魔人》はその後を追うように着地し、単眼の《魔人》の背中を睨みつける。
角の《魔人》は着地した膝立ちのような体勢のままであり、口からは荒い息が漏れ、どうやらかなり消耗している様子であった。
そんな角の《魔人》に対して背を向けていた単眼の《魔人》がゆっくりと振り返る。人間からかけ離れた外見を持つ単眼の《魔人》であるが、その表情が余裕と歓喜に満ちているということは容易に想像できた。
角の《魔人》とは対照的に、単眼の《魔人》の息は全く乱れていなかった。
単眼の《魔人》がその巨大な瞳を見開き、目にもとまらぬ速さで、まだ立ち上がらない角の《魔人》へと一直線に襲いかかった。
角の《魔人》は膝立ちの体制のまま横向きに転がる。角の《魔人》へと向かって横なぎに振るわれた単眼の《魔人》の右腕は、紙一重で角の《魔人》を掠め、空を切る。
角の《魔人》は受け身を取りつつ素早く起き上がった。単眼の《魔人》はそのまま攻撃の遠心力を利用してもう一度角の《魔人》の方へと向き直り、再び地面を蹴って角の《魔人》の方へと右腕を突き出したまま突貫する。
迫りくる右の鉤爪を角の《魔人》は紙一重でかわし、カウンター気味に右の拳を単眼の《魔人》の腹部へと向かって放った。
単眼の《魔人》はそれを即座に察知して左の鉤爪で防御する。
激しい衝突音が夜の闇に響き渡った。
次の瞬間、両者は激しい衝撃と共に後方へと弾き飛ばされる。
単眼の《魔人》は一度地面へと背中から倒れながらも、即座に受け身を取り起き上がった。
角の《魔人》は真後ろにあった落下防止用の金網にぶつかり、そこで停止した。そして即座に攻撃態勢を整え、拳を振り上げると単眼の《魔人》へと向かっていく。
単眼の《魔人》もそれに応じるかのように、長い両腕を後ろへと振りかぶる。
刹那、単眼の《魔人》が目にもとまらぬ速さで動いた。
角の《魔人》へと向かって、数メートルあった距離をたった一歩で詰めると、その鋭い合計六本の鉤爪を振り下ろしたのだ。
鉤爪が振り下ろされる瞬間、角の《魔人》は足を止め、左方向へとその場で一回転し、そのまま遠心力を加えた左腕の裏拳を、鉤爪へと放った。
しかし、角の《魔人》の左腕は先ほどまでとは少々変化していた。左腕からから鎌のような刃が生えていたのだ。
角の《魔人》の刃は単眼の《魔人》の鉤爪を受け止め、そのまま横へと受け流す。
時間にすれば一秒にも満たない僅かな隙。
しかし、角の《魔人》にとってはそれだけで十分だった。
左手の刃で単眼の《魔人》の鉤爪を薙ぎ払いながら、右の拳を渾身の力を込めて放つ。同時に右腕からも鎌のような刃が生え、それは単眼の《魔人》の胸元、厳密にいうのであれば、その場所に埋め込まれていた宝石のようなものを一撃で貫いた。
勝敗は決した
「……クゥッッ……ァァ……ァァァ……ァ……」
単眼の《魔人》は僅かな呻き声を上げているが、最早体を動かすだけの力は残されていない。
次の瞬間、単眼の《魔人》は閃光と共に爆散した。
その光に照らされて、角の《魔人》の全貌がはっきりと表れる。
肌の部分は赤紫色で、表面には筋繊維のような筋が全体に走っている。後頭部伸びる髪は白銀に輝いており、鎧のようになっている部分は 黒光りしていた。
そしてその右腕は、先ほど単眼の《魔人》から受けた返り血によって、〝赤紫色〟に濡れていた。
暗闇の中のシルエットだけで判断すれば、いささかの人間らしさがあった角の《魔人》であったが、やはりその姿は、明らかに〝異形〟だった。
×××
かつて東京は〝眠らない街〟と呼ばれていた。
たとえ深夜であっても街の明かりは常に灯り続け、夜が明けるまで喧騒が続き、あらゆる夢と欲望を飲み込みながら、日本の中心地として常に脈動を続ける。そんな華やかさを表す言葉として使われていた。
しかしあの〝異変〟が起こった日から、夜の東京は静寂に包まれるようになった。まるで何かに怯えるように皆息を潜めていた。いや、事実、怯えていたのだ。
東京に突如として現れ始めた謎の空間。まるでインクをこぼしたかのような漆黒。決して光を通さず、触れることもできない、視覚のみによって感知される〝次元の歪み〟。その中から〝彼等〟は現れた。
彼等の目的はわからない。しかし重要なのは目的ではなく行動だ。彼等は人間を殺す。それも無差別に。
彼等はそのほとんどが夕方から夜に活動する。《門》が開き、彼等が現れるのもそういった時間帯だ。
彼等の生態はほとんど不明。現在判明しているのは、彼等に対しては現代兵器のそのほとんど、少なくとも人間に対して使用することを前提とした程度の威力の武器では、全くと言っていいほどダメージを与えられないということ。彼等の唯一の弱点が体のどこかにある結晶体で、それを破壊することで爆散し破片は消滅するということ。彼等の現れる《門》は一定の周波数を持った電磁波を浴びせることによって消滅させることが出来るということだ。
超常的存在である彼等はいつしか《魔人》と呼ばれるようになった。