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青の温度  作者: ミナ
5/11

05

うまいとこ、と言われて連れて行かれたのは、一見普通の民家のようなお店だった。

「連れてきといて今更だけど、和食平気?」

「はい、大好きです」

「それならよかった。味は保証するし」

ホテルか何かの高級なフレンチレストランにでも連れていかれるとばかり思っていたみどりは、少しだけ意外な思いがした。

慧に対してなんとなく勝手に作っていたイメージが、少しだけ崩れる。

そのお店は本当に普通の家のようで、一瞬慧の家に連れてこられたのかと勘違いしてしまうほどだった。

かかっていたこれまた普通の“阿部”という表札で、慧の家では無いということはわかったが。


生まれてこのかたファミリーレストランにしか行ったことのないみどりとしては、このいかにも隠れ家的なレストランが物珍しくて仕方ない。

またもや慧に笑われていることはこの際気にせず、好きなだけきょろきょろと中を見回した。

店の外観だけでなく内装も、特別普通の家と変わりは無く、ただ土足で入っていくこととキッチンが大きいことだけが違う。

スタッフはキッチンの中にいる男性だけで、他に人は見当たらない。

「いらっしゃい」

人の良さそうな穏やかな笑顔がみどりに向けられて、みどりは慌ててお辞儀とともに挨拶を返した。

「こんばんは」

その途端、笑顔に少しだけ変化があったような気がして、みどりは内心首を傾げる。

けれど、慧が椅子を引いて座るように促したため、その小さな疑問は形になること無く消えた。


阿部(あべ)は、慧の高校時代の同級生だ。

その頃から既に懐石料理を扱う料亭でアルバイトをしており、自分の店を開くという夢を持っていた。

ちょうど二年前、ようやくこの店を開いたのだが、自宅の一階部分でしている上に看板も出していないため、知る人ぞ知るという場所だ。

口コミで人気はそこそこあるようだが、一日一組限定の完全予約制というスタイルを取っているため、雰囲気は落ち着いた物に保たれている。

物珍しげにどこそこ見回しているみどりは、くるくると瞳が動いてかわいらしかった。

しかし、阿部の挨拶にお辞儀までして挨拶を返したみどりに対し阿部が笑顔を深めたのを見て、慧は咄嗟に失敗したかもしれないと思う。

この店は、慧のお気に入りだ。

友人の店だから、というひいき目を抜きにしても、味も雰囲気も慧の好きなものだからだ。

だから、みどりを連れていく店を考えたときに一番に思い浮かんだのも、当然のようにこの店だった。

しかしよくよく思い返してみれば、今までこの店をデートの時に使った覚えは無く、連れてきた女性と言えば母親である妙だけだった。

今日みどりと会っていることは、慧からすればデートと言うほどのものではないのだが、ここに女性を連れてきた、というのは確かな事実だ。

そして阿部からすれば、その事実だけで十分なのである。

先附を運んできた阿部から意味ありげな視線を食らって、慧は小さく嘆息した。

絶対に、何か妙な勘違いをされているに違いない。

「わぁ、きれい…!」

運ばれた器と料理の色彩に目を奪われ、みどりが思わず、といったように感嘆の声を漏らす。

そんなみどりの様子を、阿部は目を細めて見てから、今度は慧に視線を寄越す。

その表情には完全にみどりを気に入ったことが表れていて、失敗したと思ったことも忘れ、自分のものでも無いのに慧は妙に自慢げな気分になった。


見た目もきれいで、しかもおいしい物を食べて満足すると、気分も上昇するらしい。

先附、椀盛り、お造り、焼物、煮物、揚物、お食事、甘味、と食事が進むにつれ、みどりの中で慧と会うことについて感じていた嫌な面はどんどんと薄れていく。

そして、最後にお茶をいただく頃には、そんなものはまるで最初から無かったもののようにすっかり消え去ってしまっていた。

「満足?」

「はい、もうすごく。こんなにきれいでおいしいもの、初めて頂きました!」

ちょっと興奮気味に答えてしまうのも、仕方が無いと思う。

みどりが思わずその気持ちのまま答えると、慧だけでなく、ちょうどお茶を入れていた阿部までもが小さく笑ったのが見えた。

一瞬気恥ずかしい気持ちになったが、素直な感想だったので、取り繕うことはしない。

けれど慧の笑顔から感じ取ったのは、今までの意地悪そうなもの、というよりも、どこか優しげな雰囲気で。

つまりそれだけ、食べ物の威力が大きかった、ということだろう。

なんだか慧に上手いこと乗せられてしまったようで悔しい気もするが、そこが所謂大人と子どもの違いなのだろう、とおとなしく受け入れることにした。

それが、失敗だったのだ。


「この間、有衣ちゃんに会ったよ」

不意打ちのように有衣を話題に出され、みどりの手から危うくお湯呑みが滑り落ちるところだった。

ゴトッ、というテーブルとぶつかる音にはっとして、みどりは慌てて指に力を入れる。

お茶が縁のぎりぎりまで波打っているのを見て、自分の心の中にも同じくらいの波紋が広がっていくのを、みどりは成す術もなく許すしかない。

「ど、どこで…」

「ハルの、えーと、直輝の息子の、運動会で」

有衣が晴基の運動会に行った話は、既に有衣から聞いていた。

そして、その夜に、直輝と気持ちを伝え合い、うまくいくことになったのも、知っている。

まるで夢を見ているみたいな、現実だと信じ切れていなかったあの日の有衣の嬉しそうな表情がみどりの脳裏に甦り、無意識に手に力が入った。

「聞いてた通り、いい子だったな」

いつもなら、有衣を褒められればすぐに食いつくみどりだが、今日は慧の褒め言葉が耳を素通りする。

蓋をしていたはずの様々な気持ちが溢れそうになって、そちらに気が取られてしまったせいだ。

その変化を慧が気づかないわけも無く、そしてみどりは焦れば焦るほど言葉がうまく紡げなくなっていく。

力が入り過ぎて白くなっているみどりの指先を見て、慧は小さく苦笑した。

「うまくまとまって、まあ一安心ってとこだね」

「…そうですね」

両思いで良かった、とみどりも有衣に言った。

有衣と話していた時は確かにそう思って、だからそう言ったのに、今、慧の言葉には素直に肯けない。

一言でいえば“複雑”な気持ち、けれどその中身は、きれいなものから醜いものまで種類は様々で、みどりの中では未だ消化しきれていないのだ。

身構えていれば少しは誤魔化せただろうものを、完全に油断していたせいで、慧にまともにそれを見せてしまった。

慧が今、みどりをどのように見ているのか不安になり、みどりが慧をちらりと窺うと、しかし予想外に穏やかな視線だった。

目が合った瞬間、安堵感めいたものを感じてしまったみどりは、その事実に内心ひどく慌てた。

慧はそんなみどりを小さく笑うと、不必要に力んでいるみどりの指先をお湯呑みから外し、椅子から立たせるとみどりをソファへ連れて行く。

みどりがソファに座ると、慧は傍にあったクッションをみどりの膝の上に乗せ、みどりの手を宛がわせた。

何かに縋りつきたいような気分だったことを、とうに見通されていたことにみどりは苦く笑い、けれど素直にクッションを抱きしめる。

慧の前では、どんなに警戒したところで無意味であり、油断してしまえば壁など即座に取っ払われてしまうのだ、とみどりは改めて悟った。


おとなしくクッションを抱きしめているみどりは、背中を少し丸めていて、震える仔猫のようだ。

有衣を大事に思う気持ちは勿論本物に違いないのに、それ以外の細々とした感情に戸惑って怯えている。

純粋であるがゆえに、醜いと思えるものが自分の中にあることが耐えがたいのだ。

「直輝が、気に入らない?」

「そんなこと、言える立場じゃないです」

「有衣ちゃんが、また傷つけられると思うと心配?」

「それは、…多少」

「有衣ちゃんが、遠く感じる?」

「…少し」

「それが、寂しい?」

「……はい」

だんだんと、返答するまでに時間がかかるようになってきた。

次の質問には、みどりはきっと答えられないだろう、と予想する。

「でも、羨ましい」

慧は、疑問形では無くあえて断定的に言った。

みどりは、何か言葉を発する代わりに、ぱっと顔を上げて慧を凝視した。

みどりの大きな目はさらに大きくなり、うっすらと涙が盛り上がっている。

ああ、泣く。

どこかでそれを期待しているような、不可思議な気持ちが慧を支配していた。

けれどみどりは見開いた目はそのままに、唇をぎゅっと噛みしめて、泣くのを堪えている。

まるで、自分のためには泣かない、と決意しているようだ。

期待は外れたのに、なぜか期待以上の反応が返ってきたような、奇妙な心地だった。

心臓が、ぎゅっと痛むような気がした。

慧は咄嗟に、小さなみどりの体ごと慧のほうへ向かせると、間にクッションを挟んだまま、みどりを腕の中に取り込む。

驚いたらしいみどりは体を硬くしたが、体格差が歴然としているせいか、またはクッションで密着度が少ないせいか、暴れたりはしない。

「きれいだな」

「何の話ですか」

「君のこと」

「…どこが、こんな」

「こんな、と言えるのは、きれいな目で自分の中を覗いてるからでしょ。

 俺なんて、もうきれいとも汚いとも感じない。

 今、泣くのを我慢してるのも、そうだ。

 人のためには惜しまずに泣くくせに。…たまには自分のためにも、泣いたら」

「い、嫌です」

「誰も見てない。俺以外」

「それが、嫌…っ」

心底嫌そうなのが、笑える。

でも、許されたがっているのが見え見えなのが、かわいい。

「…許してあげるから。泣きなよ」

「嫌い。あなた、嫌い…っ!」

悪態をつくみどりの声は、もう震え出している。

じわ、と濡れたような感触がシャツから伝わってきて、ようやくみどりが涙を零したのだとわかる。

まったく、手のかかるお姫様だ、と慧は苦笑交じりにため息をつく。

そして同時に、こんな強情な面がかわいいと思うなんてどうかしてる、と慧は口元を歪めた。


ほんの少しだけ、内面に迫ってみました。

みどりの危惧していた通り、やっぱり泣かされてしまいました。

でも、慧がみどりを泣かせたのは親切心(?)です。

幼くて、きれいで、自分とは違うみどりを、慧はかわいいと思っているのです。

みどりは、結局慧にいいようにされているようで面白くありませんけど^^;


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