04
今度の日曜日午後6時に、中央通り沿いのカフェモカで。
慧がみどりに出した連絡事項はそれだけだ。
せっかく、みどりから会うという返事が来たのにもかかわらず、慧の都合がなかなかつかず随分時間が経ってしまった。
それでもなんとか最速で会える日を設定した、いや、無理矢理に捻じ込んだとも言える。
そんな苦労をした後であるせいか、みどりの反応が楽しみで仕方が無い。
指定した時間よりも30分近く早く到着した慧は店の中には入らず、駐車場に停めた車の中から入口をただ見ている。
そうしているうちに、すぐ近くのバス停に停車したバスから降りてきたみどりが店の前に到着した。
時計を見ると、時間はまだ約束の時間の15分前になろうかというところだ。
想像していたよりも早い到着に、慧の口元が緩む。
時間にきちんとしている子はポイントが高い、などと勝手なことを考えている。
みどりは、すぐには店に入っていかず、入口の脇からこっそりと中を窺っている。
身長が小さいせいで奥のほうまでは見えないらしく、精いっぱい背伸びをしつつ窺う様子がおかしい。
「あ」
段差のあるところから足が滑り落ちた。
みどりは、慌ててきょろきょろと周りを見回して、誰も見ていなかったとほっとすると、もう一度店の中を覗きだした。
いい加減覗きは諦めて中に入ればいいのに、と思いつつ慧もまだ車を降りようとはしない。
悪趣味だとわかっていても、みどりの様子を眺めるのは飽きないのだ。
慧が日時と場所を指定したのだから、当然先に来ていると思っていたみどりは、少しだけ拍子抜けした。
15分前に到着し、様子を窺おうと店の中を覗いてみたが、慧の姿は無い。
奥のほうまで全ては見えないけれど、あの体躯だから多分座っていれば目立つと思うのだ、だから多分いない。
なんとなく先に店で待っているのが癪なような気もして、無駄だとわかっていながらもう一度店の中を覗く。
しばらくそうして不審人物のようになっていたみどりだったが、約束の6時になった瞬間。
小さなクラクションの音が聞こえた。
音に釣られるようにそちらへ目を向けると、駐車場に停めてある車の中から、慧が手を振っていた。
「…うわ、最悪」
みどりが来てから、駐車場に入った車はいない。
ということは、慧はみどりが来る前からここに車を停めていて、そしてみどりがここにいるのも気づいていて、しかも見ていたのだ。
遠目にもわかる、上がった口角が、観察されていたことを決定づけている。
まったく、悪趣味にも程がある。
むかむかしながらもみどりが車へ向かって行くと、慧がようやく車から降りた。
その姿に、歩道を歩いていた女性たちが一斉に視線を向ける。
みどりもその視線に気づかないほど鈍くは無いし、確かに慧が視線を集めるに足る外見を持っていることも認めている。
けれど、慧がその視線を当然のように受け流しているのもわかり、なんとなく面白くない気持ちが増した。
「どうも」
それなのに、そんな短い挨拶と笑顔を向けられた途端、顔が熱くなった。
これぞ俗に言う“殺人スマイル”というものだろうか、確かに凶器と言っても過言ではなさそうだ。
そんなつもりは全く無いのに、まるで条件反射のようで、みどり自身もその反応に戸惑う。
やはり、慧に対しては分が悪すぎる。
「こんにちは。さ、さよならっ」
「や、それは無いでしょ」
会ってすぐに帰ると決めていた通り、挨拶だけしてくるりと後ろを向いたみどりはしかし、歩き出せなかった。
そんなみどりの反応は予想済みだったと言わんばかりに、慧がみどりの頭に手を載せて、押さえつけたせいだ。
しかも何気に力がけっこう入っているらしく、重い上に痛い。
仕方なく慧の方向へ顔を向けてみれば、笑いを堪えようとして失敗した慧がいて、みどりは渋々負けを悟った。
確かに会うだけという話ではあったが、まさか本当に挨拶だけして帰ろうとするとは、面白い。
恨めしげに見上げてくるみどりが可笑しくて、慧が思わず笑ってしまうと、みどりはむっとしたような、反抗的な表情を浮かべた。
みどりの中には、会いたくなかったという気持ちと、少しは会ってみたかったという気持ちが混在しているように見受けられる。
普段なら、面倒くさがって近づきもしないタイプだろうに、それさえもかわいいと思ってしまうこれは一体何なのか。
どうも、よほどみどりを気に入ったらしい、と慧は頭の片隅で他人事のように思う。
このまま店に入れば隙を見て逃げ出しそうにも見えるみどりを、逃さないように車へ押し込んでしまう。
慧が運転席に回るその間に、やはりみどりはガチャガチャとドアを開けようと試みていたが、それは無理な話だ。
悠々と運転席に納まった後に、助手席から刺さるさらに恨めしげなみどりの視線に答えてやる。
「残念。チャイルドロック掛けてたんだよね」
「…会ったら、すぐに帰るって、言っておいたはずなんですけど」
「会うだけ、っていうのは聞いてるよ」
「だから、もう会ったじゃないですか」
「こんな一瞬じゃ、会った内に入らないでしょ」
むぅっと唸り声をあげそうな勢いで、みどりは口を尖らせた。
アヒルの口のようなその形は、人形のようなみどりの顔には少し不釣り合いで、だがそのアンバランスさは可愛らしい。
けれど、キスはしたくならないよな、などと考えて、その思考に慧は内心で小さく笑う。
恋愛対象にはなりそうにも無い相手と苦労してこんな風に会ってどうするのか、慧にもわからない。
そもそも恋愛をするつもりも無いのだが、それでもみどりにこうして時間を無理にでも割くことは、やはり矛盾しているように思えた。
みどりと関わると、目を瞑っているはずの幾つもの矛盾がごろごろと視界で転がりだす。
それ自体は心地の好いものではないにもかかわらず、それでも関わりを望むのも、既に矛盾している。
だが、今はそんなことよりも、目の前にいるみどりで楽しむことのほうが先決だ。
ごちゃごちゃした思考を隅に追いやると、慧はみどりに向き直った。
最初から、こうなるのではないかとみどりも少しは思っていたが、それでもやはり掌の上で転がされている感が否めない。
頭を押さえつけられたことも、チャイルドロックまで掛けられたことも、結局帰り損ねたことも。
けれど、心の底から慧といるのが嫌なわけでは、もちろんないのだ。
だからこそみどりは、おとなしく助手席に納まったままでいる。
ただ、落ち着かない。
前回病院で会った時のことについて、慧は何も触れようとはしていないから、おそらく忘れたふりをしてくれているのだろう。
安堵する一方で、また醜態を晒すことになるかもしれない可能性を危惧しているから、何もかもを素直に受け取れない。
子どもっぽさが強調されるという自覚はあるものの、みどりは尖らせたままの口を元に戻せないでいた。
それさえも慧が楽しそうに見ているように感じるのは、多分勘違いではないと思う。
慧は、一体みどりの何を見てもう一度会おうと思ったのか、それがわかれば少しは気の持ちようが変わるだろうか。
思い切って聞いてみようと、俯き加減だった顔を上げたら、目の前に慧がいた。
接触は全く無いのに、体格差も手伝ってまるで覆いかぶさってこられたような感覚に、みどりは意味も無く瞬きを繰り返す。
「な、何」
「シートベルト」
みどりの狼狽などものともせずに、慧は淡々とベルトを引っ張り、カチリという音と同時に離れた。
シートベルトくらい、言ってくれれば自分で閉められるのに、こんな風にされるなんて。
状況を理解したら、遅れてかっと全身の体温が上がった気がする。
その時、ふっと空気が動いた気がして、慧のほうをちらりと窺えば、口元が変に歪んでいる。
「…なんで笑うんですか」
「笑っては、ない」
「でも笑いたそうな顔してます!」
「…かわいいなあ、と思っただけ」
明らかに、バカにされている。
慧はみどりを玩具か何かと勘違いでもしているのではないか、と思うくらいあからさまだ。
男慣れしていないのは、自分でもわかっているだけに、面白がられるのはやはり多少癪に障る。
けれど今の状況では、やっぱり帰るとも言えないし、第一言ったところで車から出られないのだから帰れるわけも無し。
「まあそう怒らない怒らない。うまいとこ連れてくし」
怒っているのだとアピールする前に慧に言われてしまい、みどりは結局何も言い出せずにおとなしくしている羽目になった。
早くも来たことを後悔し始めたみどりは、走りだした車の中から静かに流れる景色を眺めながら、先が思いやられるとため息を零す。
慧が楽しげにみどりの観察を続けていることには、もう気にしていないふりをした。
再会してみました。
なんてことないシーンですが、今のところの慧とみどりの関係はこんな感じです。
慧がみどり“で”楽しみ^^; みどりはそんな慧にむかっ腹を立てる。
というような感じで、でこぼこな“友情”が育まれてゆきます~。