01
HSHスピンオフです。
一応読まなくてもわかるように書いているつもりですが…つもりです(汗)。
都内のとある高級マンションの前。
デートの終わりに、礼儀として車で送ってきた慧(けい)は、帰るのを引きとめようとする女の仕草を冷めた目で見つめた。
今日あたりが潮時ではないかと、さきほどから勘が叫んでいる。
「ねぇ、私、彼と別れようと思うんだけど…」
「どうして」
「どうして、って…慧とちゃんと付き合えたら、って思って」
思った通りの展開に、慧は小さく溜息をつく。
「……ごめんね。それなら、もう会わないよ」
「え、ちょっと…!」
まだ何か言い募ろうとするのに目もくれず、慧は運転席に乗り込むと、すぐに発進させた。
女が映っているだろうバックミラーは、交差点を曲がりきってしまうまで見なかった。
かわいい子は嫌いじゃないし、綺麗なひとも嫌いじゃない。
けれど、いわゆる“女”は好きじゃない。
今別れたばかりの女のメモリを携帯から消去するのに、慧の気持ちは1ミリも動かない。
面倒なことは、嫌いだ。
どうせ、永遠なんて望めないのだから、面倒なことに首を突っ込んでも割に合わない、と思っている。
だから慧は、母親である妙からの見合い話を片っ端から撥ね退け、後腐れの無いほどほどのお付き合いしかしてこなかった。
そのくせ自分に乗り換えようとする女を冷やかに見ているのだから始末が悪いことこの上ないが、都合の悪い面に目を瞑るのは得意だ。
そうやって厄介事には極力関わらず、32年間の今までの人生をそこそこ上手くやってきたのだ。
これからもそうだと、疑いもしていなかった。
その時の慧は、少しだけセンチメンタルな気分だった。
二年前に亡くなった妹同然の従妹である唯(ゆい)の旦那だった男・西岡 直輝の恋愛相談に乗り、その上焚きつけてしまったのだ。
行き詰って落ち込んでいた直輝の背中を押すように、問題解決のために早退までさせたところだ。
間違ったことをしたとは思わないし、むしろ歓迎すべきことだとわかっているが、どこか複雑な気分ではあった。
永遠を一度失った直輝が、再び大切な存在を見つけようとしていることが、唯の家族としては切なく、慧個人としては羨ましいと思う。
羨ましいと思ってしまうのは、普段は目を瞑っているはずの、抱えっぱなしの矛盾が突きつけられるからだ。
永遠は無いと知っている。
けれど、どこかで永遠を望んでいる。
だが現実には永遠を望めない環境に身を置き続けている。
臆病なくせに貪欲に永遠を求めようとする直輝の姿に、本当に臆病なのは自分自身なのだと気づかされるのだ。
もやもやしたものを抱えながら、内科外来まで来ると、緊迫した空気が流れている。
受付カウンタでは、看護師の白井(しろい)と初めて見る女性患者が睨み合っていた。
背が小さいせいか、カウンタからようやく肩が見える程度の、しかも女の子と言ってよさそうな若い患者だ。
そうっと中に入ると、近くにいた看護師を捕まえて事情を聴く。
「どうかしたの」
「あ、四谷(よつや)先生、ちょうどいいところに。
あの患者さん、どうしても西岡先生に、って言って。
白井さんが今は外してるって言ったんですけど、全然聞かないんですよ。
でも白井さんと張り合えるなんて、ある意味凄いですよね。竜虎相搏つ、みたいな…」
「ふぅん…」
白井が竜で、あの患者が虎というところか。
まあ確かに、白井は年の割に頭が切れるし、言いたいことははっきり言う性格で、同僚と一部医師たちにも恐れられてはいる。
だが竜虎相搏つとは言いすぎだろう。
「西岡先生今日はもう帰ったんだ。俺代わるから、あの患者さんも俺のとこ寄こして」
「あ、はい。わかりました」
まだ睨み合いを続けるふたりを尻目に、俺からしたらふたりともまだ仔猫みたいなもんだよ、と慧はひっそりと笑いながら診察室へ向かった。
初診時の問診票によると、患者の名前は鱸(すずき) みどり。
生年月日からするに年齢はまだ17歳、高校三年生だ。
堅物と言っていいほど真面目な直輝と接点があるとは全く思えないそのプロフィールに、慧は首を傾げた。
しかし、白井と睨み合ってまで指名するとは、何か有るに違いない。
名前をアナウンスして数秒後、診察室のドアが、壊れるのではないかと思えるほど勢いよく開いた。
慧はうっかり驚いてしまい、入ってきた患者―みどりをまともに見ることになった。
ちっこいな。
初見の印象は、それだ。
日本人男性の平均値よりも10センチほど高い慧からすれば大抵誰でも小さいのだが、みどりはその分を差し引きしても小さい。
しかも、感情がだだ漏れである。
みどりは、威嚇モードで毛を逆立てている猫のようなオーラを、全身に纏っていた。
慧の周りにはほとんどいないタイプのため、慧は思わずじっと見つめてしまう。
一方みどりは、慧の顔を見た途端に怯み、しかも観察されている事実に次第に戸惑ったような表情に変わっていく。
「座って」
椅子にかけるようにと慧が促すと、みどりははっとしたようにもう一度慧の顔を見る。
「あの、西岡先生は」
「どんな知り合い?」
みどりの質問に答えずに、慧が質問で答えると、みどりはむっとした表情をした。
慧は内心で、本当に直情型で感情がよくわかるな、とほくそ笑む。
どうしようか迷っているらしく、ちらりと慧を窺うみどりに向かって、慧はわざとらしくため息をついてみせる。
「答えられないなら、診察しようか」
聴診器を見せつけて、暗に前を開けと脅しをかけてみる。
診察目的で来ていないなら怯んで口を開く気になるだろう、という慧の目論見通り、みどりは目を見開いて慧を見つめた。
「へ、へんた」
「医者に向かってそれは無いでしょ。
そもそも、患者のふりして何かしにきた君は、営業妨害だし」
自分の言動の矛盾をわかってはいるらしく、みどりはぐっと言葉を詰まらせた。
だがそれで観念したらしく、みどりはおとなしく椅子に座ったが、今度は全身警戒モードでバッグを両腕で胸の前に抱えている。
大きくて少しだけつり気味の目が、ますます猫っぽく見える。
「で、直輝とはどんな知り合い?」
“直輝”と言うことで本当に親しいのだとアピールしたのは、きちんと通じたようだ。
みどりは一気に警戒を解くと、静かに答え出した。
その変わり身の早さに、慧は内心で密かに笑う。
「私は、直接の知り合いじゃないです。バイト先で顔を見たことがあるくらいで。
…私の幼馴染みの子が、……好きな、ひと」
“好きなひと”という言葉を出すのに時間がかかったのは、特に直輝に対して悪感情を抱いているせいだろう。
そして多分無意識に、直輝を、あるいは好きなひとという存在自体を認めたくないと思っているのだ。
その幼馴染みの子が、よほど大事らしい。
「それで、直輝に何を言いに来たの」
「…今はよく、わかりません」
素直な答えに、慧は小さく笑った。
直輝ではなく慧に会ったことで、沸きたっていた感情が少しは落ち着いたのだろう。
みどりは恐らく、本当に直輝に会っていたとしたら、徹底的に攻撃的な何かを口にしていただろうし、直輝はそれに潰されたと思われる。
今日、直輝を帰らせておいて正解だった。
「まあ、なんというか、直輝には俺も発破かけてやったし、…勘弁してやってくれないかな。
ちなみに、これは純粋な好奇心なんだけど、その幼馴染みって、どんな子なの」
「有衣は、すごくいい子で、すごく優しくて、でも寂しがり屋で、傷つきやすくて…」
止め処ない。
みどりが延々語るのを聞きながら、唯と同じ名前だとか、その子も高校生なのだなとか、思うところはたくさんある。
けれど慧は、誰かについて夢中と言っても良いくらい語れるみどりが、少しだけ眩しく感じた。
ぎょっとしたのは、話しながらみどりの目からぽろぽろと涙が零れ出したからだ。
直輝の仕打ちがひどい、というようなことを訴え始めた頃から声の調子が怪しいとは思っていたが、まさか本当に泣くとは思っていなかった。
それも、多分本人は泣いていることに気づいていないのだろう、みどりは涙を拭おうともしない。
涙を武器と考えているような女は苦手だが、無意識に泣いてしまう女には結局のところ弱い、というのが男の常だ。
慧も例に漏れることなく、参ったな、と内心で苦笑を浮かべた。
「わかったから、ほら、泣かない泣かない」
言いながら、何がわかったのかわからないと思いつつも、デスクの上にあるティッシュを取って、そっと頬から涙を吸い取ってやる。
近づけた顔は、人形のように造作が整っており、涙を流す様は痛々しかった。
他人のために演技では無く泣けるみどりが、幼くかわいいと思った慧は、無意識にみどりの頭に手をやって撫でる。
特に意味も無くした仕草だったのだが、その瞬間みどりがかっと赤面したので、慧は逆に驚く。
だが次の瞬間、あたふたと慌てたみどりが後ろへ仰け反ったために反動で足が振り上がり、その爪先が慧の脛に直撃した。
「…っ」
反射的に手を離し、今更意味も無いのに足を庇う。
「ご、ごめんなさい! あの、えっと、いろいろすみません、ありがとうございました!」
あ、とか言う暇も無く、みどりはわたわたとドアを開けて出て行ってしまった。
ちらと覗いていたみどりの耳が赤くなっていたことが、慧の表情を緩ませる。
良く知りもしない慧に対して話し過ぎたこと、泣いたこと、慧に頭を撫でられたこと、どれが赤面の一番の理由かな、などと考えておかしくなった。
「先生、顔があり得ないくらい崩れてますけど」
いつからいたのか、後ろからじとっとした目でこちらを見つめる白井が立っていた。
そんなに崩れていたかな、と足から離した手で頬を擦る。
「いやなんか、かわいかったな、と」
「ロリコンですか」
「白井ちゃん、言葉の扱いには気を付けようね」
言いながら、いつも通りの自分が戻っていることに気づく。
先ほどまで抱えていたはずのもやもやしたものが、すっかり消え去っている。
言ってみれば、ただ自分の感情をまき散らしただけだったみどりだったが、もしかするとその素直さに助けられたのかもしれない、と思う。
「あ、今日のは点数付けないから、診察券だけ作ってあげといて」
「わかりました」
白井が立ち去ってから、みどりが座っていた椅子をもう一度見る。
お約束な学生手帳の落し物なんてものは無かったが、なんとなくそれを残念に感じた自分自身に、慧は妙なおかしさを感じた。
プチ腹黒(?)な慧と、純情なみどりです。
今のところ、というかしばらくの間はべつに恋愛感情がお互い全く無い感じなんですけど…。
どんなふうにカップルになっていくのやら、少し心配ですが(笑)。
かわいがっていただけると、嬉しいです^^