時花神(4)
*
――化物は、人のいないところには現れない。
日本橋で最も繁華な界隈を歩いていた愁水は、嗣夫の言葉を思い返しつつ、裏通りに入ろうとして――その手前で、地本問屋の京助に呼び止められた。
「よお、愁水じゃねえか。その通りはなんもねえけど……どっか行くのか?」
「ああ、こっちが《《近道》》なんだよ。あんたこそ、店と方向が逆じゃねえか」
「怪我人の介抱だ。この間紹介した問屋の主人が、足を怪我しちまって」
――これで、五件目だ。
「……そうか。宜しく言っておいてくれ」
京助の背を見送り、愁水は懐の地図を広げた。京助と共に何度か訪れた家だから、場所はわかる。
地図上の五ヶ所を眺めていた愁水は、ふと眉をひそめた。
五ヶ所を線で結ぶと、五芒星――陰陽五行の象徴である、結界が浮かび上がるのだ。
――中心地に、何がある?
しばらく立ち止まって考えていたが、それも《《聞けば》》わかることだと、裏通りに入った。
瀬戸物屋、紙屋、酒屋――。
愁水の目当ては、通りの突き当たり――年中狂い咲くしだれ桜が、庭から枝を伸ばしているのが目印の、〈万屋〉だった。
時折《《不憫な人間》》が迷い込む以外は、昼間でも不気味なほど静まり返っているため、草履の微かな足音ですらやけに響く。
――人の集まる所に、化物もまた引き寄せられる、か。
酒屋の前を通り過ぎたとき、陽気な声が静寂を破った。
「やあ、愁水先生。〈大旦那〉なら、二日酔いでひっくり返っていますよ。先生も一杯どうです?」
軒先から、壮年の男が顔を覗かせていた。
「俺が下戸だって、知ってんだろ」
「先生、見た目は大酒飲みなんだがなあ」
「そりゃ、うちの鵺だ。そのうち、また寄らせてもらうからよ」
「ええ、お待ちしておりますとも」
何の変哲もない会話だが、ここに店を構えるモノは皆、人に化けた化物だ。
雑踏の片隅で、人の負の心が発する淀んだ〈気〉を主食としながら、人の営みを真似る、酔狂なモノたちの集まり。
化物絡みの情報なら、この通りに足を運ぶのが一番早い。
「大旦那、生きているか?」
「……死んでいるから、帰れ」
軒先から声を張ると、奥から気だるげな返答があった。
返事があったことを了承と捉えて、愁水は荒っぽい足音を立てて、店の奥まで踏み込む。
十畳ほどの店には、傷だらけの甲冑、精巧な和時計といった大物から、茶器や印籠、簪などの小物までが雑多に並んでいる。
古い物が漂わせる匂いは、ささやかな歴史と想いの残滓を纏って、来訪者に煙のように絡みついてくる。
「相変わらず、埃っぽいな」
「文句があるなら、お前が掃除すればいいだろう……」
奥の座敷で、着物を片肌脱ぎにした青年が――他の化物たちから大旦那と呼ばれる〈付喪神〉が、しどけなく横たわっていた。畳に散る長い黒髪が、蜘蛛の足のようにも見える。
やなこった、と舌を出して傍らにどかりと腰を落とせば、〈大旦那〉は書見台にすがりついて、大仰に溜息を洩らした。
線の細い、弱々しい見た目だが、これでも室町時代から存在する大物だ。
正体は、〈青行灯〉。百物語に使用された、青紙を貼り付けた行灯――というだけでなく、語り納めに現れる怪異の総称でもある。
新参の付喪神たちにとっては親とも言えるモノで、普段は主を失った付喪神と、怪異を好む特異な人間を引き合わせることを生業としている。
その性質ゆえに愁水との相性は良く、言動はつれないものの、
――青澄と呼べ。昔、人に貰った名だ。
と、名を教えてくれる程度には、気を許されている。
「話す気分じゃない……。夕暮れになったら起こせ」
「何が気分だ、飲兵衛が。菓子を買ってきてやったけど、いらねえんだな」
「……それで、何を聞きたいんだ」
と、菓子で機嫌を取るところまでが、お決まりの流れだ。
おまけに今日は、茶を淹れろ、という我儘まで聞いてやった。
愁水は懐から地図を取り出して、畳に広げて見せた。
「天狗の爪を祀った、という祠の付近で、立て続けに人間が足を噛まれている。五件とも、俺に絵を依頼した連中だった。この五ヶ所を線で結ぶと……」
「五芒星になるな。中心地に何があるか知りたい、といったところか。大方、予想はついているんだろう?」
青澄が筆で五芒星を描き、中心をくるりと囲った。
「ああ。天狗の爪……ってのは、犬神の牙だったんじゃねえかと思ってはいた」
犬神は使役可能な式神だが、強力な呪詛であるぶん、扱いを誤れば使用者側の家が途絶えることになる。
――おぞましい邪法。
その作り方は、可愛がって育てた犬を首だけ出して地中に埋め、目の前に食料を置いた状態で飢えさせ、死の間際に首を落とす、というものだ。
犬の首は食料に飛び付き、以後、呪いの媒介とされる。
地を這う犬の首――足の噛み痕と聞いたとき、愁水はまずこの邪法を思い出した。
犬神にとって、慈しまれている犬はさぞかし業腹だっただろうが、飼い犬の有無自体は、さほど関係がないと思っている。京助に聞いた五件目の家は、生き物を飼っていなかった。
では、なぜ絵の依頼人ばかりが狙われたのか――。
「五芒星の中央……ここに、犬神憑きの一家が住んでいた屋敷跡がある。これが本家で、五ヶ所の祠はいずれも、分家が敷地内に建てたものだ」
「家が途絶えて、主を失った犬神が暴走したんだな。犬神憑きっていや、陰陽師どもが目を光らせているだろ。よく続いてたな」
祓い屋といえば、江戸では陰陽師だ。
畿内では未だ声聞師*が祓い屋として活動していると聞くが、彼らもこの江戸では、幕府が再興させた陰陽師の一族――土御門家と幸徳井家の監督下にあり、専ら芸能のほうへと流れている。
市井の祓い屋はともかく、土御門家筋の陰陽師であれば、嗣巳の正体に勘づく者もいるだろう。それだから、あまり目立つ姿でうろつくなと言っているのだが、当人はどこ吹く風なのが腹立たしい。
「いや、この家が途絶えたのは十年前だ。最近になって、〈何者〉かが分家の祠の封を解いた。分家の祠周辺で起きた怪異は、ほんの前座だな」
「その何者かは、後で探し出してやる。それより、噛み痕だが……獲物の印ってことか」
愁水が考え込んでいると、青澄が目の前で筆を揺らした。
「なあ、愁水。犬神の〈元〉は何か、知っているか?」
「あれだろ、犬の首を……って、こんなこと説明させるなよ。俺は、犬が特に好き――」
「――鵺だ。犬神の起源は、武人に退治され、四散した鵺の一部だ。愁水、お前には鵺の匂いが染みついている。しばらくは鵺代神社の結界内に籠っていろ」
「おう、そうさせてもらうぜ」
「……心にもないことを。気をつけろよ」
青澄がさして旨くもなさそうな顔で、菓子を口に運ぶ。先程から気になっていた愁水は、自分も菓子を味見して、首を捻った。
「何だよ、別に不味くねえだろ?」
「……これは、誰かを想って作られた菓子だ。まあ、食って力がつかないこともないが……」
愁水にはよくわからないが、総合的に微妙、なのだろう。
「悪かったな。詫びに、今度俺があんたのために作ってきてやるよ」
「詫びにならんから、いらん」
いつもの毒舌かと思ったが、青澄の顔は真剣そのものだった。
「――おい、その腕はどうした?」
夕飯が遅くなったことを詫びるまえに、嗣巳が目敏く問いかけてきた。
他所の神社の手水で《《処置》》はしたものの、傷や血の匂いまでは隠せなかったようだ。
――
*声聞師:陰陽師の文化から出発。祝祭・呪術的芸能を行い、猿楽や能楽の源流となった。




