婚約破棄された夜会で、英雄騎士様の「誰か俺の妻にならないか」に食い気味で挙手しました
「ルティア・ベルンシュタイン! 貴様のような性悪女との婚約は、今この時をもって破棄する!」
王城の舞踏会場。
シャンデリアの煌めきを切り裂くように、セイル殿下の甲高い声が響き渡った。
音楽が止まる。
華やかなドレスをまとった貴族たちの視線が、一斉に私へと突き刺さる。
セイル殿下の隣には、小柄で愛らしいミニー男爵令嬢が、怯えたように震えて――いや、私の角度からだけ見える口元で、にやりと笑っていた。
「殿下、理由をお伺いしても?」
「しらばっくれるな! ミニーのドレスを切り裂き、階段から突き落とそうとしたことは分かっている!」
「……証拠はございませんわ。私は一歩も会場から出ておりませんもの」
「口答えをするな! お前のような可愛げのない女は、私の隣に相応しくないのだ!」
ああ、なるほど。
私は扇で口元を隠し、冷ややかな息を吐いた。
証拠などどうでもいいのだ。彼はただ、地味で真面目な私を切り捨て、この可愛らしい新しい玩具に乗り換えたいだけ。
周囲からは「やはりな」「伯爵家の娘ごときが」という嘲笑が聞こえる。
父は体を壊して領地にいる。この場で私を守る者はいない。
悔しさに唇を噛み、それでも背筋だけは伸ばして――断罪を受け入れようとした、その時だった。
ドォォォォォン!!
爆発音のような轟音と共に、会場の大扉が蹴破られた。
悲鳴が上がる。
舞い上がる木片の中、土足で踏み込んできたのは、一人の巨躯だった。
漆黒の軍服に、数多の勲章。
猛獣のような鋭い眼光に、頬に走る古傷。
背中には身の丈ほどもある大剣を背負っている。
――ヴァイド・ガングレイブ将軍。
単身でドラゴンを屠り、隣国の侵攻を食い止めた、我が国の生ける伝説。
そして、私の長年の「推し」である。
(きゃああああ! 生ヴァイド様だわ! 今日も殺気が素敵!)
私の絶望は一瞬で吹き飛び、脳内はお花畑になった。
だが、英雄様の様子がおかしい。彼は肩で息をしながら、真っ直ぐに壇上のセイル殿下を睨みつけた。
「おい殿下! 俺の休職願はどうなった!」
「ひっ……ヴ、ヴァイドか! 野蛮な! 今は神聖な夜会の最中だぞ!」
「知ったことか! 先月約束したはずだ。俺が北の反乱を鎮圧したら、結婚休暇をくれると!」
「だ、だから! お前のような筋肉達磨に嫁ぐ物好きなどおらんと言っているだろう! 相手がいないのに休暇などやれん!」
セイル殿下が鼻で笑う。
その言葉に、ヴァイド様がこめかみに青筋を浮かべた。
「あ? いるかもしれんだろ!」
「いないな。誰が好んで『狂犬』の妻になる? お前は一生、剣と添い遂げるのがお似合いだ」
会場から、クスクスという忍び笑いが漏れる。
許せない。
私の推しを、国の守護神を、そんな風に愚弄するなんて。
ヴァイド様が、傷ついたように眉を寄せたのが見えた。彼は不器用なだけなのだ。誰よりも国を想い、民を守ってきたのに。
ヴァイド様が、やけっぱちのように会場へ向き直り、大声を張り上げた。
「おい誰か! 誰か俺の妻になってくれる物好きはいないか!? 今なら屋敷と、使いきれない財産と、この俺がついてくるぞ!」
シーン、と会場が静まり返る。
令嬢たちは目を逸らし、扇で顔を隠す。
狂犬公爵。血まみれの英雄。彼に嫁げば、初夜に食い殺されるという噂すらある。
――今だ。
私の心臓が、早鐘を打った。
婚約破棄? 汚名? そんなものはどうでもいい。
今、目の前に、千載一遇のチャンスが転がっている。
私は震える右手を、スッと高く突き上げた。
「はい! 私が! 私がお受けしますわ!!」
会場中の視線が、私に集まる。
セイル殿下が、ミニー嬢が、そしてヴァイド様が、ぎょっとして私を見た。
「……嬢ちゃん、正気か?」
「正気です。私の婚約は、たった今破棄されましたので、身分上の支障もございません」
私はスカートをつまみ、優雅に礼をした。
ヴァイド様が、値踏みするように私を見る。その深紅の瞳に見つめられ、背筋がゾクゾクと震えた。怖いのではない。尊いのだ。
「……俺は、粗野で乱暴だぞ。夜会にも出ないし、愛の言葉も囁けん」
「結構です。貴方様がお国のために剣を振るうお姿こそ、私にとっての至上の愛ですので」
「えっ」
ヴァイド様が虚を突かれた顔をした。
そして次の瞬間、彼は大股で私の前まで歩いてくると――なんと、その場に片膝をついたのだ。
「――誓おう」
低く、腹に響く声。
彼は私の手を取り、その甲に熱い口づけを落とした。
会場から悲鳴のような声が上がる。
「俺の手を取ったことを後悔はさせない。……俺の背中にお前がいる限り、傷一つ負わせはしない」
ああ。
私は確信した。
人生最悪の日は、人生最高の日になったのだと。
◆
その夜のうちに、私は着の身着のままでヴァイド様の公爵邸へと移り住んだ。
荷物は後で侍女に取りに行かせたが、実家からは「縁を切る」という手紙が届いたらしい。セイル殿下の不興を買った私など、伯爵家には不要ということだろう。好都合だ。
「……何もなくてすまん」
通された客室で、ヴァイド様が気まずそうに頭を掻いた。
確かに、殺風景な屋敷だった。
使用人は最小限。調度品は武骨。壁には剣や盾が飾られ、色気のかけらもない。
だが、私には宝の山だ。
「いいえ、素晴らしいお屋敷です。……あの、ヴァイド様」
「なんだ。怖いか? やはり帰りたいなら――」
「サインを」
「は?」
「婚姻届へのサインをお願いします。まだ書いていただいておりません」
私が懐から用紙(常に持ち歩いていた)を取り出すと、ヴァイド様は目を丸くした。
彼はしばらく私を凝視し、やがて諦めたようにため息をついた。
「……変わった女だ」
そう言いながらも、彼はサラサラと署名してくれた。
これで私は、正真正銘、公爵夫人だ。
にやける顔を必死に抑えていると、彼が不意に私の前に立ち、大きな手で私の頭をポンと撫でた。
「無理はしなくていい」
不器用な声だった。
「あの場での助け舟、感謝する。……殿下の前で恥をかかずに済んだ。だが、俺のような男に縛られることはない。ほとぼりが冷めたら、白い結婚のまま離縁して――」
「お断りします」
「えっ」
「離縁はしません。私は、貴方様の妻として骨を埋める覚悟で参りました」
私がきっぱりと言うと、ヴァイド様は耳まで真っ赤にして黙り込んでしまった。
あら、可愛い。
戦場では鬼神と恐れられる彼が、こんな初心な反応をするなんて。
それからの生活は、私にとって天国だった。
ヴァイド様は多忙だったが、朝と夜には必ず顔を合わせてくれた。
食事の際、私が少しでも顔をしかめると、「口に合わんか? 料理長を変えるか?」と慌てふためく。
廊下ですれ違う時は、壁際まで下がって道を譲ってくれる(体が大きいのを気にしているらしい)。
そして何より。
彼は、私の「冤罪」について、一度も問い詰めなかった。
「……俺は、自分の目で見たものしか信じない」
ある夜、バルコニーで晩酌に付き合った時、彼はぽつりと漏らした。
「俺が見ているお前は、誰かを突き落とすような女じゃない。……それだけで十分だ」
月明かりの下、グラスを傾ける横顔の美しさに、私は息を呑んだ。
ああ、この人は。
本当に、心まで英雄なのだ。
私は決めた。
ただ守られているだけではいけない。
彼の妻として、彼の名誉を守らなければ。
私は翌日から、公爵家の「大掃除」を開始した。
まずは領地経営の帳簿見直し。軍人である彼はどんぶり勘定すぎて、あちこちで損をしていた。それを適正化するだけで、予算が三割浮いた。
次に、使用人の再教育。彼を「旦那様」ではなく「将軍」と呼ぶ彼らに、家庭人としての彼を敬うよう徹底させた。
そして最後に――「証拠集め」だ。
私は密かに、ヴァイド様の副官である切れ者の男、ジーク氏と接触していた。
「奥様、例のブツが手に入りました」
「ありがとう、ジークさん。これで準備は整ったわ」
ジーク氏はモノクルを光らせ、ニヤリと笑った。
彼もまた、上司であるヴァイド様が不当な扱いを受けていることに腹を立てていた一人だ。
「来週の『戦勝記念パーティー』……楽しみですねえ」
「ええ。私の旦那様をコケにした報い、たっぷりと受けていただきましょう」
◆
そして一ヶ月後。
王城で開かれた戦勝記念パーティー。
私とヴァイド様は、夫婦として初めて公の場に姿を現した。
ヴァイド様は、私が仕立て直させた純白の礼服。
私は、彼とお揃いの意匠を凝らした、深紅のドレス。
腕を組んで入場した私たちに、会場がどよめいた。
「あれが……狂犬将軍か?」
「なんて凛々しい……」
「隣の夫人は誰だ? まさか、あの捨てられたベルンシュタイン嬢か?」
驚愕の視線を浴びながら、私たちは広間の中央へと進む。
そこには、不機嫌そうなセイル殿下と、これ見よがしに宝石をつけたミニー嬢がいた。
「フン、恥知らずめ。よくものこのこと顔を出せたな」
セイル殿下が嘲笑う。
「どうだヴァイド。その女はつまらんだろう? 地味で、可愛げがなくて、おまけに罪人だ」
ヴァイド様の腕が、ピクリと強張るのが分かった。
私は彼の上腕にそっと手を添え、「大丈夫です」と目配せを送る。
「殿下。私の妻を侮辱するのはやめていただきたい」
「事実だろう! ミニーを突き落とした罪、まだ償わせていないぞ。衛兵! この女を捕らえろ!」
セイル殿下の合図で、衛兵たちが動き出す。
ヴァイド様が私を背に庇おうと、大剣の柄に手をかけた。
――させない。
私の推しに、王族への剣を抜かせるわけにはいかない。
私はヴァイド様の前に進み出た。
「あら、証拠もないのに捕縛とは。殿下も焦っておられますのね」
「なんだと!?」
「証拠なら、ここにありますわ」
私は扇子の陰から、小さな水晶玉を取り出した。
それは『記録の宝珠』。高価な魔道具だが、ジーク氏が軍の予算(浮いた分)で調達してくれたものだ。
「この会場の天井には、防犯用の記録魔術が施されていますの。ご存じありませんでした?」
「な……ッ!?」
殿下の顔色がサッと変わる。
嘘だ。そんなものはない。
だが、やましいことがある人間は、このハッタリに弱い。
「先日の断罪の日。この宝珠には、ミニー様が自分でドレスを破き、私にぶつかってからわざと転ぶ姿が、鮮明に記録されております。……今ここで、再生してもよろしいのですよ?」
私はニッコリと微笑んだ。
ミニー嬢が「ひっ」と悲鳴を上げて殿下の背後に隠れる。その反応こそが、何よりの自白だった。
「そ、そんなもの! デタラメだ!」
「では、ご確認を。――国王陛下、お願い申し上げます」
私が深々と頭を下げた先。
貴族たちの人垣が割れ、厳めしい顔をした国王陛下が姿を現した。
「ち、父上……!?」
「全て見ていたぞ、セイル」
国王陛下の低い声に、セイル殿下が震え上がる。
「ヴァイド将軍の妻女からの訴えを受け、余が自ら調査した。……その宝珠を見るまでもない。ミニー男爵令嬢の部屋からは、お前が横流しした王家の宝飾品が多数見つかったそうだな」
そう、私がジーク氏に集めさせた「証拠」とは、宝珠の映像ではない。
殿下が国庫の金を使い込み、ミニー嬢に貢いでいたという帳簿の写しだ。私の得意分野である。
「ヴァイド将軍」
国王陛下が、私の背後にいる夫に声をかけた。
「愚息が迷惑をかけた。……国の英雄に対する非礼、親として恥ずかしい限りだ」
「陛下……」
「セイル。お前は王位継承権を剥奪する。ミニー嬢と共に、北の修道院へ行け。そこで一生、己の罪を悔いるがいい」
「そ、そんな……嘘だ、嘘だあああ!」
泣き叫ぶ二人を引きずり出し、衛兵たちが去っていく。
静寂が戻った会場で、国王陛下が私に頷いた。
「ルティア夫人。……息子の目は節穴だったようだが、ヴァイドの目は確かだったようだ。よき妻を得たな、将軍」
その言葉に、ヴァイド様がハッとしたように私を見た。
彼の瞳が、熱を帯びて揺れている。
「……ああ」
ヴァイド様は、皆が見ている前で、私の腰を強く抱き寄せた。
逃げ場を塞ぐような、独占欲に満ちた腕。
「もったいないほどの妻です。……もう誰にも、指一本触れさせない」
耳元で囁かれた低い声に、私は茹で蛸のように真っ赤になった。
推しの至近距離。吐息。そして愛の言葉。
刺激が強すぎて、気絶しそうだ。
「ルティア。……愛している。俺と、本当の夫婦になってくれるか?」
「は、はい……! 謹んで、お受けいたします……!」
ヴァイド様が、嬉しそうに目を細め、私の唇を塞ぐ。
会場中から、割れんばかりの拍手が沸き起こった。
どうやら私は、世界一幸せな「推しの妻」になれたようだった。
最後までお読みいただきありがとうございます!
推しのヒーローに全力で挙手するヒロイン、楽しんでいただけましたでしょうか?
「スッキリした!」「ヴァイド様可愛い!」と思っていただけたら、
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