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はのん  作者: のりまき
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忍ぶ向日葵

 …ここら辺でいいだろう。


 美岬邸の通用口から砂浜へと降りる石段の途中に僕はいる。

 螺旋状に伸びる石段が少し膨らんで、踊り場のようになってる場所だ。


 ここなら岩壁が目隠しになって、邸宅からも砂浜からも見えない。

 僕の用件を満たすにはうってつけの場所だ。


 アサヒちゃんは言った。チャットアプリで。


《触りたい?》《もっと触って》

《その代わり、お兄ちゃんのも触らせて》


 そして僕は彼女の水着越しの胸に触れた。

 というか、強引に触らせられた。

 上記の交換条件付きで。


 ならば次は僕が叶えるべきだろう。

 彼女のささやかな願いを…


 …吹き込んだ下衆をとっちめるという、僕自身の緊急の用件を。


「何なの会長さん、こんなトコ呼び出して?」


 丁度その下衆…不忍しのばずシノブが姿を見せた。


「お前なぁ…あんな純粋な子になんてコト吹き込んでんだ?」


「え…ア、アサヒちゃんのコト?」


 怒りを堪えて静かに切り出した僕の口調に、シノブもすぐにこれは只事ではないと察して、ふてぶてしい態度を豹変させる。


「だってさぁ〜あの子、僕がいくら年上の高校生だって説明しても信じてくれないから…」


 そりゃそーだろ。こんなチンチクリンのクソチビ、僕の目にもアサヒちゃんより年下にしか見えんわ。


「僕だって好きでチビになった訳じゃないのに…」


 珍しく落ち込んだ様子のシノブを、気の毒だとは思う。

 コイツの親父さんに会ったことがあるけど、極々フツーの誠実そうな元実業家だったし…亡くなった母親も別段小柄ではなかったという。


 つまり、シノブがこんなに小さいのは明らかに貧困な家庭事情によるものだ。




 シノブが生まれる直前までは羽振りが良かった不忍家だが、元々身体が弱かった母親はシノブの出産が一因となり、ほどなく死去。


 最愛の妻を亡くしたショックですっかり意欲を無くした親父さんは精神的に不安定になり、事業も次第に傾き始めた。


 そして…最初に手掛けた店舗であるコスプレ喫茶店を残して、他はすべて倒産もしくは身売りを余儀なくされた。


 自宅も売り払い、喫茶店のわずかな収益だけでなんとか食い繋いできたものの、いよいよ限界…


 かと思われたところで一念発起して店を継いだのが、親父さんの商才を受け継いで大きく…はないが精神的には成長したシノブだった。


「ボクが父さんの分までお金を稼いで、母さんが生きてた頃のウチを取り戻してみせるよ!」


 もちろん親父さんは人間的にはとてもできた人だから、奥さんの死因でシノブを責めたことなど一度もないし、彼女を手放すことも考えたことすら無かった。

 少ない稼ぎをやりくりしてシノブの教育資金を捻出し、高校まで通わせてやったことがその証拠だ。


 それでもシノブは勘が鋭いから、家が傾いた原因の自分が頑張らないと、いずれ経済的に破綻して家族で暮らせなくなることを自覚していたのだろう。


 店に訪れた客のうち、特に自分に強い興味を示した客達をそそのかして身体を売り、それをネタに恐喝して金品を捲き上げる…なんて犯罪そのものな行為も躊躇なく駆使し、店の切り盛りに没頭した。


 親父さんもその事実に薄々気づいてはいたが、今さら自分に何も言えた義理はなく、それがなけれは破綻は必至なこともあり、知らないふりを続けるしか無かった。




 …そんなシノブと僕との初邂逅は忘れもしない…忘れるわけもない、今年度新入生の入学式当日だった。


 ”新入生が校門前でいかがわしい客引きをしている”などという信じ難い通報を受けた僕と副会長さんは一も二もなく現場に駆けつけた。


 するとその場で情報通り、公然と店の営業行為に勤しんでいた彼女が、僕らを見つけるなり眼の色変えて突撃してきて、


「兄さん凄いイケメンだねぇ! ボクの店で働かない!? 兄さんならきっと女性客が殺到して、すぐに指名ナンバーワンの看板レイヤーになれるよ!」


「…レイヤー???」


 そんなことより、ホントにコイツなのか?

 小学生がコスプレして入学式に潜り込んだんじゃないのか?…とその時は思った。


「そっちのお姉さんも正統派美人じゃーん! 貴重な眼鏡っ娘枠だし、固定ファンがたくさん付いてトップレイヤーも夢じゃないよ!」


「眼鏡っ娘枠???」


「てなわけで、今すぐ入店手続きするからボクのお店にGO!! レッツ・ジョイナス⭐︎」


「…その前に、お前が行くのは…」


 ガシッ。彼女の腕を鷲掴む。


「…第二生徒会室だ。」


「風紀委員長、被疑者を確保しました。速やかに取調べ準備を」


 副会長さんもスマホで業務連絡。


「…あれっ!? あれれ…ちょっと待って!」


「生徒会だ。新入生でも不正行為は許さないからな」


「待ってって…言ってんのにぃ!」


 ぐりんっ。僕に腕を掴まれたまま、彼女はその場で宙返り! そのままの勢いで、あっという間に僕の手を振りほどいてみせた。


 互いの手が汗ばんでるのを利用して潤滑剤代わりにしたのか、はたまた腕の関節を自ら外したのかは不明だが、驚異的な身体能力の高さだ。


 そのまま逃げおおせることも出来ただろうに、教師や自宅に通報されることを恐れたのか、


「…解ったよ、行くよ。だから手荒なことや通報はしないでよ…?」


 という経緯で…その後の厳重な取調べと身辺調査を経て、コレの身柄は僕が一括して引き受けることになり現在に至る。




 親父さんにもその後に直々に面会した。

 シノブが嫌がるだろうから、こっそりと。


 僕のアパートよりなお年季が入った、父娘二人暮らしには狭すぎるだろう四畳半の激安物件な御自宅で。


 出会い頭に「娘に何てことさせてんですかアータ!?」と怒鳴り散らすつもりが…出てきたのは前述通りの紳士で…


 シノブがやらかしてたアレやコレやのすべては彼女の独断であって、親父さんには何の否も無かったことを知った。


 そして、それを知りつつも何もしてやれない自身の不甲斐なさを心の底から悔いていることを…。


 できることなら、シノブの好きにさせてやって欲しい。責任はすべて自分が取るから…。

 そう言って自分よりもずっと年下の僕に頭を下げる彼の姿に、僕はもう何も言えなかった。


 金や余裕があっても子供には見向きもしなかった僕の両親とは正反対に、何も持たずとも、力が及ばなくとも、最後まで子供を手放すつもりはない父親。


 決して褒められた姿ではないし、今すぐ外部の助力を乞うべきだとも思う。

 けど、そうすれば…たぶんこの父娘はもう一緒には過ごせない。


 だから僕は彼女を生徒会に迎え入れた。

 タダで助けるつもりはない。恩を感じるなら仕事の成果で応えてみせろ、と。

 そしてシノブにはそれが出来るだけの能力がある。


 当たり前だが僕らも一生徒に過ぎないから、生徒会の仕事は基本無給だ。

 けれども僕は生徒会報誌や人気生徒写真の売上げから得られた活動資金の一部を、経費という名目でシノブに支払っている。


 事実上の給料だ。あのボロ家の家賃や生活費の支払いに充てても充分お釣りがくるほどにはあるだろう。

 後はとっとと店の収益を上げて、はやくヤクザな商売から足を洗えるように頑張ってくれ。


 僕がここまで目をかけてやるのは、シノブ本人のためじゃない。


 あのとき僕に見せた親父さんの涙に報いるためだ。




 なのに彼女はそんな僕の気持ちを知ってか知らずか、今朝のようにちょくちょく色仕掛けで迫ってくる。


 僕がもっと節操無しならとっくに陥落してたかもしれないけど、今のところギリギリ踏み止まっている。


 恩返しといったらこんな方法しか思いつけない彼女のためにも、ここで屈するわけにはいかないからな。


 もっと正攻法で正々堂々攻めたほうが、今後の成功に繋がるかもしれないし。

 …なんてことを僕が言えた義理じゃないことは百も承知だけどさ。




「んで、そのクソチビが現役JKだってことを解らせるために、お前はアサヒちゃんになんて言ったんだ?」


「ひっっっど!?」


 抗議の声を上げるシノブの頭を鷲掴んで、こめかみに当てた指先にギリギリ力を込める。


「このまま握り潰して、もっとチビにしてやってもいいんだぞ…?」


「あだだだ!? わ、解ったって!」


 僕が本気で怒ってることが判ったのか、シノブは振りほどいた頭を押さえて涙をちょちょ切らせつつ、


「『ボクはオトナだから、会長さんと一緒に裸でオネンネしてるよ』って言いました…」


「…あ?」


「『会長さんにおっぱい揉んでもらって、会長さんのオ◯ン◯ンを触り返して、そのまま合体…』」


「あ゛あ゛!?」


「そそそんなコワイ顔しないでよぉ!? 途中までは合ってるじゃん!」


「合ってても小学生に言うコトじゃないよなぁ? 本気でドタマカチ割ったろかい!?」


「ヒィ〜〜〜ごめんなさいゴメンナサイ!」


 本気で怖がったシノブは頭を庇ってブルブル震える。僕の怒りがちゃんと伝わったようだから、それ以上の暴行は控えておく。


「それくらい言っとけば、少しは引くなりソンケーするなりしてくれるかと思ったら…

 逆にすんごい食いつかれちゃって」


 そういやアサヒちゃんは僕とユウヒとのイチャイチャを覗き見てはハァハァしてるイケナイ子だったっけ。

 実年齢ではそろそろそーゆーコトに興味津々なお年頃だろうし…。


「…あの子、絶対会長さんのこと好きだよ」


「…はぁ?」


 唐突なシノブの一言に目が点になる。


「だってしきりと『自分もそうすればお兄ちゃんともっと仲良くなれるのか?』って、しつっこく訊いてきたもん!

 そんなの答えようがないじゃん? だから『そーかもね』って曖昧に濁しておいたら…あんなコトになっちゃって」


 たしかにアサヒちゃんの僕への好感度は最初から高かったみたいだけど…


「…間違いないのか?」


「間違いないよ。

 …ボクが読み違えると思う?」


 人一倍勘が鋭いシノブが言うならそうなんだろう。我が生徒会きっての工作員なだけに、その情報は正確無比…


「そうじゃなくて…ボクと同じだからだよ」


 …え?


「どうやったら会長さんの気を惹けるのかって、いつも考えてるボクと…」


 いやちょっと待て。なんか話がズレてってないか?


「もしもボクが、せめてあの子ぐらい背が高くて、おっぱいも大っきかったら…

 会長さんもちゃんと女の子として扱ってくれたでしょ…?」


 耳まで真っ赤に染めて、瞳を潤ませて…

 そんなに切ない顔で見つめられたら、誰だって嫌でも気づくだろう。


 けれども今は、掛けるべき言葉が見当たらない。

 きっと今は、何を言っても誤魔化しにしか聞こえないだろうから。 


「…いいよ。良い答えなんて最初から期待してないから」


 シノブは手の甲でゴシゴシ顔を擦ると、すぐにいつもの天真爛漫な笑顔に戻った。


「困らせちゃってゴメン。

 …もう少し泳いでくる!」


 そう言って石段を駆け降りていくシノブを、僕は黙って見送るしかできなかった。





「…やらかしちゃいましたね〜?」


 シノブと入れ替わりに石段を昇ってきたヒマワリちゃんが、眼下に消えたシノブを見送りながら呟く。


「…聞かれちゃったかな?」


「いいえ〜? でも…何があったかはあの顔を見れば判りますよぉ」


 そっか。笑顔で消えたと思ったけど…シノブのやつ、やっぱり泣いてたか。


「潮センパイは誰にでも優しすぎるんですよぉ。だからこーなっちゃうんです」


 僕が…優しい?


「ヒドイ奴とかコワイ奴って言われたことはあるけど、そんな評価は初めてかもなぁ…」


「…知ってますか? 優しさって…ホントはコワイんですよぉ」


 まただ…。

 いつもはカワイイ後輩に徹してるヒマワリちゃんだけど、時々こんなふうに得体の知れない狂気を覗かせる。


 以前にも触れたけど、今年新入生として僕の前に現れた彼女の素性はすべてが謎に包まれている。


 …いや。たぶんマヒルなら入学前の彼女を知っていることだろう。彼女達の学年を越えた親しさはわずか数ヶ月で築けるものじゃない。


 けれども二人はそのことについては頑なに口を割ろうとしない。だから僕もなんとなくそれ以上は踏み込めずにいた訳だけど…


 丁度いい機会だ。この場で根掘り葉掘り…


 ぱんっ⭐︎


「イイコト思いつきましたぁ♪」


 いきなり手を打ち鳴らして僕の質問の機会を損なわせたヒマワリちゃんは、右手の人差し指をピッと掲げて、


「アサヒちゃんとシノブちゃんの願望を叶え、潮センパイにとってもオイシイコトこの上ない、画期的な解決策ですぅ⭐︎」


「オイシイ…コト?」


 なんだろう…彼女が笑顔でこう切り出したときに限って、途轍もなくロクデモナイことになる予感しかしないのは…?




 美岬邸に戻ると、ちょうど僕の入浴順が回ってきたところだった。


「どこ行ってたのリョータくぅ〜ん?」


「せっかく一緒に入ってオ◯ン◯ン洗ったげよーと思ったのに〜ン♪」


 風呂上がりのナミカさんとフィンさんに小突き回されつつ、邸外に避難しといて正解だったと安堵する。こんな美女達にそんなコトされたら、いろんな意味で永遠に洗い終わらない。


 つーか酒臭っ!? コイツら風呂入りながらまた呑んでやがったな!


 ウワバミ達をなんとかやり過ごし、風呂場にたどり着く。当たり前だけど僕以外には誰もいない。


 先に上がったユウヒやマヒル、副会長さんはリビングで井戸端会議に花を咲かせていた。

 あの異端審問会のときにもこの三人で何やらコソコソ話し合ってたし、割と気が合うらしい。


 ともかくこれなら邪魔が入ることは無さそうだな…よし!


 誰にともなくサムズアップのサインを送る。

 …と、物陰で様子を窺っていた残る三人がひょっこり顔を出した。


「てゆーかホントにいいの? 会長さん」


 さっきの件でまだ気まずさが残るシノブが遠慮がちに訊いてくるけど、


「僕に選択権はないみたいだよ。ねぇ?」


「はい〜。困ったときには、とりあえずみんなでお風呂! コレで解決しないお話はないんですぅ♪」


 ヒマワリちゃんが力説する。

 けどそれって漫画やアニメのお話だよね? 

 現実的に男女混浴ってほぼあり得ないよね?


 というか彼女ってこんなに積極的だったっけ?

 いつもなら互いに素肌を見せ合うことには真っ先に反対しそうな気がするけど…。


《お兄ちゃんの裸ハァハァ♪》


 うん、アサヒちゃんはとりあえずもう少し落ち着こう。

 どうも彼女は興奮するほど本音がストレートに文面に現れるようだ。


 ともかく先に僕から脱衣所に入って、それまで着ていた水着を脱ぐ。そして腰にタオルを巻いて…


「お風呂場でタオルは無粋ですよぉ?」


 すかさずヒマワリちゃんか戸口からダメ出し。マジか…。

 仕方なく一糸纏わぬ姿のまま浴室に向かう。


 そして洗い場で身体を洗い流していると、他の三人が脱衣場に入ってきた気配がしたので、慌てて湯船に飛び込んだ。


「いや〜、こういうカタチで裸になると、けっこー照れるもんだね〜?」


 そういう割には平然と素肌をさらけ出したシノブが真っ先に浴室に現れた。

 コイツの裸はもう見慣れてるし今朝も見たばかりだから別に慌てはしないけど…相変わらず完全無欠なお子様体型だなぁ。


「♪♪♪♪♪♪」


 けれども次に入ってきたアサヒちゃんの裸にはさすがに焦る。

 これはヤバいでしょ、年齢的にも見た目的にも!? 表情は小学生然としたあどけなさなのに、身体つきはもう完成されちゃってるし!


 しかも自分ん家の風呂場だからか、まったくどこも隠そうともしないから、もう色々見えまくっちゃってるし…まだあまり生え揃ってないから、なおさら…。


 マズイ、こりゃ反応するなってほうが無理だ。煩悩の塊がムクムクと…


「…自分で提案しといて何ですけどぉ…やっぱり恥ずかしいですね〜」


 そしてこのタイミングで何故そんな恥ずかしげに入ってきますかヒマワリちゃん?

 自分自身の宣言通り何も身に付けてはいないし、正直言ってアサヒちゃんよりもかな〜り控えめな身体つきだけど…


 胸や腰を両手で覆い隠すヴィーナスの誕生スタイルで静々と僕の前に進み出た彼女は、


「…………。」


 赤らんだ顔のまま無言で両手を取り払い、すべてを僕にさらけ出した。


『ッ!?』


 僕だけじゃなくシノブやアサヒちゃんの目が、初めて見るヒマワリちゃんの裸の胸に釘付けになる。


 緊張のあまり硬く尖った小振りな双峰の、さほど深くはないその谷間に…

 見るも無惨な赤黒い縫い跡が長々と刻み付けられていた。


 彼女が一度も海水浴に行ったことが無いと言った…競泳水着以外は持っていないと言った本当の理由が嫌でも解った。


 そして、一年後輩で同じ小中学校出身なはずの彼女を、僕が一度たりとも見かけたことが無かった理由も。


「…心臓移植…?」


「…はい。数年前に受けました」


 僕の推察をヒマワリちゃんは肯定した。





 少女は心臓に致命的な疾患を抱えてこの世に生を受けた。


 そして病室のベッドに寝かされたまま、一度も外の世界を見ることなく育った。


 このままでは成人するまで生存することすら適わないだろうと医師に宣告され、両親も本人もその宿命を受け入れていた。


 何もかも諦めるしかない人生を、ただ漠然と過ごすだけだった。

 笑いも怒りも涙もない、あらゆる感情とは無縁な毎日だった。


 ただ…それなら自分はいったい何のために生まれてきたのかと、自問自答する日々が続いていた。


 やがて歳月は巡り…ある日、両親から最新型のスマートフォンをプレゼントされた。

 これまで一歩も病院の外へ出ることなく育った少女を憐れみ…そんな身体に産んでしまったことを悔いた親からの、せめてもの罪滅ぼしだった。


 文明の利器の力を借りて、少女はようやく外の世界に繋がる手段を得た。

 喜び勇んでこの世のあらゆる物事を調べまくった彼女だったが…知識を得れば得るほど、自身のちっぽけな存在に気づかされ、なおさら打ちのめされた。


 そんな折…少女は一人の人物と運命的な出会いを果たす。


 網元マヒル…地元が産んだ水泳界のホープにしてスーパースター。


 まったくのカナヅチから努力と才能で瞬く間に今日の地位まで上り詰めた、まさに天才。

 加えて、自分よりたった一才年上なだけなのに、スタイル抜群な美少女だ。


 自分に無いものをすべて持っている彼女が、少女は羨ましくて仕方がなかった。当初は憧れよりも憎しみのほうが強かったかもしれない。

 腹立たしいことこの上ないのに、気がつけば彼女の情報ばかり検索してしまう。


 その最中、とあるサイトに掲載されていた彼女のインタビュー記事に目がとまった。


『天才・網元マヒルの救世主』


 救世主とはまた大仰な、と嘆息しつつも読み進めれば…なるほど、たしかに救いの神以外の何物でもない。

 それは彼女の血の繋がらない義弟で、遠足先で溺れて死にかけた彼女を蘇生させてくれたという。


 以来彼女はその恩に報いつつ、次は彼を助けて借りを返したい一心で水泳を続けているだけで、本当は記録や順位にはまるで関心がないのだという。


 彼女の人生にそこまで影響を与えた『救世主』ならば、あるいは自分のことも救ってくれるのではないか…?


 いつしかそう思い込むようになった少女は、居ても立ってもおれず、挙句そのサイトに熱烈なファンレターを送りつけてしまった。


 網元マヒル宛てではなく『私の救世主様』宛ての。


 …数日後、なんと網元マヒル本人から返信があった。

 自身目当てのファンコールには「自分にはそんな資格はない」と頑なに応えないことで有名な彼女からである。にわかには信じ難かった。


 そこには彼女らしい勢いのある文面でこう綴られていた。


《大切な弟を好きになってくれてありがとう!

 自分が褒められるよりウレシイ!》


 そして、彼女の自撮り写真に渋々一緒に収まった、彼の画像が添付されていた。

 救世主という時点で過度な期待を抱いてはいたものの…その想像をも遥かに上回る格好良さだった!


 どうして網元マヒルばかり…ズルイ!!

 ますます憎しみが募った。

 何が何でも彼に会いたくて仕方なかった。


 そんな胸の内をそのまま素直に返信すると、またまた彼女からレスがついた。


《あたしと同じ学校に来れたら紹介したげる》


 上等じゃねーかこのアマ!


 …などと憤慨してみたものの、それにはまず身体を治さねばならない。

 そのためには心臓移植が必要不可欠だった。


 しかし…壊れかけの心臓とはいえ、親から貰った大切な身体だ。それをそっくり交換するなど想像もつかない。


 それに…新しい心底には元の所有者がいる。

 中にはまだまだ生きたいと思ったものの、志半ばで倒れた者も多いことだろう。

 それを自分みたいな取るに足らない人間が奪っても許されるだろうか?


 加えて、なまじスマホなどという万能検索ツールを持っているだけに、様々な知識を得ることが可能で、それ故になおさら情報に振り回された。


 決して高くはない手術の成功率。

 術後も困難を極める治療やリハビリ。

 手術中の画像の生々しさ。

 その後の身体に残る無惨な傷跡。


 そして…仮に成功したとして、その後にあとどれだけ生きられるのだろうか?


 それらに思いを巡らせると、なかなか同意には至れなかった。


 ついに思い余って、唯一の相談相手である網元マヒルに打ち明けてみた。


《イイじゃん、やっちゃいなよ⭐︎》


薄々そんな答えが返ってくることは予想していたものの、予想以上の軽さに拍子抜けした。

 しかもかつて一世を風靡し、その後の不祥事により存在自体を封印された某社長のような縁起の悪すぎる軽口。他人事だと思いやがって!


《だって、手術しなきゃどのみち死んじゃうんでしょ? なら、どんな形でも生きてたほうが得じゃん!》


 それはそうだが、なんて歯に絹着せぬ奴だろうか?


《あたしもあのとき一度死んだ。メチャ苦しかった》


 …そうだった。彼女も一度死にかけたんだった。だからこれは軽口ではなく『達観』だ。


《そしてリョータに生き返らせてもらった。

 それまで散々ヒドイこと言って傷つけ続けた弟に》


 彼女達は本当の姉弟ではないのだから、それまでに色々な葛藤や軋轢があっただろうことは想像に難くない。

 その相手がなりふり構わず自分を助けてくれたのだ。それは感謝などという生やさしい言葉では言い表せない体験だったろう。


《あの時あたしは誓ったんだ。

 これからはリョータの居場所になってあげて、リョータと一緒に生きていくんだって》


 この子はどうしていつも自信満々で、こんなにも怖いもの知らずなんだろうと不思議だった。


 やっと解った。彼女は独りぼっちで生きてる訳じゃないんだってことに。

 いつも誰かと一緒にいるからこそ、自分の限界を容易く乗り越えられるのだと。


 それは、いつも独りぼっちの自分には到底真似できないことで…たまらなく悔しかった。


《だからヒマワリちゃんも、心臓の持ち主の居場所になってあげたらいいんじゃない?》


 …え?


《その人から心臓を奪うんじゃなくて。

 その人の分まで生きていくんじゃなくて。


 その人の心臓の置き場所になってあげて、二人で一緒に生きていけばいいんだよ。


 そう考えたほうが、ずっと気持ちが楽にならない?》


 そんな解釈もあったのか…目から鱗の気分だった。


 そして気づいた。彼女はその言動がエキセントリックすぎるため誤解されやすいだけで、ずっと親身になって自分の相談に乗ってくれていたのだと。


 決して借り物の言葉ではなく、自身の経験則に基づいた的確なアドバイスを、自分自身の言葉で諭し続けてくれていたのだと。


 不覚にも涙が溢れた。

 こんな自分を見捨てずに味方してくれる人が、まだこの世にいたのだと。


 彼女は誰よりも情に厚く、温かく、優しい人だったのだと。


 潮リョータが生きる希望を与えてくれた救世主なら、網元マヒルは生きる道を示してくれた師匠にして大恩人だ。


 もしも身体が回復したなら、彼女達とともに当たり前の日々を謳歌してみたい…。

 いつしかそう強く願うようになった少女は、移植手術を決意した。


 そんな祈りが天に通じたのか、ほどなくして待望のドナーが現れた。

 少女は勇気を振り絞って移植手術に臨み…無事に命の危機を乗り越えた。


《おめでとう! もうすぐ会えるね♪》


 成功を祝い涙に暮れる両親と、いつも通りのそっけない…けれども心からの祝福を送ってくれた唯一の親友のメッセージを前に、少女は生まれて初めて声をあげて泣いた。


 見ず知らずのドナーのためにも、この証を誇りにしてともに精一杯生き抜こう…。


 胸に残る手術跡と、その奥で力強く脈打つ新たな心臓に少女は誓った。



 ◇



 手術後の少女の回復は目覚ましく、予定よりも早く一般病棟に移された。


 それまでアプリ上でしか交流を持てなかった網元マヒルが、この頃から頻繁に見舞いに訪れるようになった。

 地元とは聞いていたが、予想以上に近所に住んでいるらしい。


 実際の彼女は思った以上に魅力的で、スタイルも抜群で驚かされたが、中身は思ったまんまの飾らない人柄で、それもまた驚かされた。

 全国的な有名アスリートが何かと忙しい最中に、自分だけに会いに来てくれることが誇らしかった。


 そして彼女のほうもまた、出会いがしらに少女が予想以上にカワイイと…あんなヒネクレた弟よりも、こんな妹が欲しかったと大はしゃぎだった。

 よくよく考えてみれば、自分のほうは一度も顔写真とか送ってなかった気がする。


 そんなことを言ってくれる人は今まで一人もいなかったので素直に嬉しかったし、彼女ほどの美少女がそう言うなら自分はさぞかしカワイイのだろうと自信が持てた。


 二人の会話の大半は、もっぱらマヒルの義弟である潮リョータの話題だった。

 彼を撮った新しい写真を何枚も見せて貰ったが、本当にモデルかアイドルのようにカッコイイ。


 こんな現実味がないほどのイケメンと同じ屋根の下で毎日暮らせる彼女のことが、羨ましくて仕方がない。

 けれども彼女はそれをまったく鼻にかけようともせず、すべてを包み隠さず打ち明けてくれた。


「キスすんのはいつもあたしからで、アイツからしてくれたことって一度も無いんだよね。

 どうやったらしてくれると思う?」


「おっぱいに触りたかったら言ってくれればいくらでも触らせたげるのに、いっつもコッソリ覗いたり触ったりしてくるんだよ。なんで?」


「あたしがくっついたらアイツのおち◯ち◯大っきくなるんだけど、触ってあげたほうがいいのかな? 放っとくと破裂しちゃわない?」


「あたしはもっと優しく揉んでもらったほうが気持ちいいんだけど、アイツすぐ先っちょ摘んでくるんだよね。けっこー痛いんだけど」


 知らんがな!!

 ノロケか? ノロケなのか!?

 そんなんも〜いっそヤらせたれや!!


 なぜにこんな天然ボケ女のエロ話で自分が悶々とせにゃならんのか?

 こうなったら是が非でも彼に会わせて貰わなければ気が済まない。




 そしていよいよ待望の退院日を迎えた。


 今までにも在籍だけはしていたが、一度として通学したことのなかった学校に、生まれて初めて実際に登校できるのだ。


 目の前には、来年度から通うことになる地元高校の学び舎。

 無論、網元マヒルや潮リョータと同じ学校だ。


 公立校にもかかわらずスポーツに力を入れるなど風変わりなこの学校は特待生枠が多く、特に成績や身体能力に優らずとも様々な方法で入学資格が得られたことも選択理由の一つだった。


 そして少女は当校きっての最優秀アスリートである網元マヒルと、その義弟にして現生徒会長である潮リョータ両氏の強い推薦を受けていた。


 潮リョータ本人には入学直前にマヒルの紹介で面会が実現した。

 長年憧れ続けた彼は予想以上に格好良く、しかし予想外に気さくで親しみやすい人柄だった。


 しかも…ちょっと、いやかなりエッチ。


「をを…写真で見るよりずっとカワイイねぇ!

 背と胸は小さいけど、バランス良いし♪」


 出会いがしらにもうコレだ。

 そしてまたまたカワイイと言われた。

 マヒルに続いて超絶イケメンな彼にもそう評されたのなら、ますます本当に自分はカワイイのだろうと自信が持てた。


 部活動は水泳部と当初から決めていた。

 心臓移植を受けた身体なのに水泳なんて激しい運動をして大丈夫なのかと両親は心配したが、担当医はリハビリとしてむしろ最適と答え、マヒルも責任を持って指導すると約束してくれた。


 懸念された手術跡も、競泳水着ならうまく隠れて目立たなかった。

 潮リョータにも「最高だね! 毎日見に行くのが楽しみだよ♪」と絶賛されたのが嬉しかった。




 ついに入学。

 学校には思いのほかすんなり溶け込めた。


 というのもマヒルが「すんごいカワイイ新入生が来る!」と方々で触れ回っていたおかげで、最初から認知度バツグンだったからだ。


 そしてどうやら自分は皆の期待以上の美少女だったらしい。

 おまけに彼女と生徒会長である潮リョータのイチオシとあっては下手なことは出来ない。

 つまりはいわゆるチート状態だったのだ。


 そしてリョータは本当に宣言通り毎日水泳部を訪れ、水着姿の少女を舐めるように見つめ倒し、マヒルに白い目を向けられていた。

 そんな彼の無遠慮な視線に、今まで感じたことのない不思議な興奮を覚えた。


 あるいは自分でも彼の隣に立てるのではないか?…などと淡い期待を抱くようになった。


 しかし予想外というか予想通りというか、彼を巡るライバルはいずれも猛者揃いだった。

 マヒルは言うに及ばず、彼同様に生徒会に勤める留学生の副会長もスタイル抜群の眼鏡美人。


 そして極々稀にしか見かけないが、生徒会メンバーらしい機微で自分以上に小柄な謎の少女も、あからさまにリョータを狙っていた。


 けれども…そのうち嫌でも気づかされた。

 潮リョータは網元マヒル以外、誰も見ていないことに。


 なにしろマヒルと他とでは如実に態度が違う。

 自分に言い寄る女子なら来るもの拒まずな感じで応じつつも、決して心は開かない。

 常にどこかで線引きをして、その先へは決して踏み込もうとしないのだ。


 …それは少女に対しても同じだった。


 それならとっととマヒルとリョータをくっつけてしまおう。そうすれば諦められる。

 幸い少女は諦めることには慣れていた。


 しかし問題はマヒルだ。

 普段はリーダーシップを遺憾なく発揮する頼もしい部長なのに、リョータのこととなるとどーしょーもなくポンコツなのだ。


 ラブコメさながらのアクシデントにあれだけ見舞われてるにもかかわらず、一向にくっつく気配がないというのは、前世に問題でもあったのだろうか?


 これがファンタジー作品なら、前世での原因を取り除くべく過去や異次元へと向かうところだろうが…残念ながら現実世界では二人の覚醒に期待するしかない。


 そしてそれを間近で見せつけられ続けるこっちの身にもなってほしい。やっと心臓が治ったというのに、どうしてこんなに胸が苦しい思いを連日させられるのだろうか?


 おかげでその時のマヒルの姿を妄想内で自分に置き換え、自分自身を慰めることばかり上手くなった。黒ずんだらどうしてくれるのか?


 だがその一方で、何も進展しない日常に安堵している自分がいる。


 こんなふうに平々凡々な日々を普通に送れるようになったことこそ幸せなのかもしれないと思い始めた矢先…




 あろうことか、あり得ない話だった異次元からの侵略が現実となった。

 まさしく異次元的美少女・美岬ユウヒの台頭である。


 彼女はマヒルとは入学当初からクラスメイトだったし、他生徒とは一線を画したその美貌がすでに話題となっていた。

 しかしユウヒとリョータ以外にはまったく興味がない少女にとって、それは自分とは一切無縁な異次元の存在に過ぎなかった。


 ところが異次元からの侵攻速度はまさしく次元が違っていた。

 自分が数年掛かりで獲得したマヒルの親友という地位をたった一日で手中に収めたばかりか、リョータにも猛攻を仕掛け、わずか数日で互いの名を呼び捨てる仲にまで進展させた。


 おまけに校内人気ナンバーワン(アンチも多いが)のマヒルを遥かに凌駕するルックスに加え、それだけにあぐらをかかない成績優秀・運動神経抜群という実力の持ち主。

 とりわけ調理師コースで学んでいるだけあって料理の腕前は格別で、怒涛のお弁当攻撃にはリョータもとっくに陥落済みだった。


 唯一の欠点といえば人付き合いが苦手そうなことだが、男性目線で見ればそれもミステリアスにして庇護欲を掻き立てられるプラス要素たりえるかもしれない。


 なんということでしょう。マヒルが勝てる要素が微塵もない。水泳のうまさなんて恋愛には無関係だし。


 ユウヒを全国規模でイケてる某国営放送アナウンサーとすれば、マヒルなどド田舎地方局のおちゃらけ新人アナ…いや、ボキャブラリーが壊滅的だからアナウンサーですらない。

 もはや泳ぐしか能のないカッパである。


 少女がその圧倒的戦力差に戦慄した頃にはすでに手遅れで、リョータはユウヒの自宅で一泊したばかりか、家族ぐるみの海水浴に招待されるというVIP待遇。

 この時点でマヒルの敗北は決定的となった。


 おまけにユウヒの登場以来、それまで静観を貫いていた各陣営の動きも如実に活発化した。

 それでも戦力差は歴然で、このままではユウヒの総取りで圧勝ということになりかねない。


 ならばもう期待外れのカッパなど無用!

 救世主リョータをエイリアンの魔手から死守し、少女自身の心の安寧を保つためにも…自らが打って出る!!





「…そんなこんなで今ココですぅ」


  ヒマワリちゃんの普段の朗らかな印象から大きくかけ離れた、あまりにも壮絶な身の上話に打ちのめされて…僕はもう言葉が出ない。


 何なんだコイツら…なんでどいつもこいつもド不幸の揃い踏みなんだ?

 もう育ての親に捨てられた僕の境遇なんて、不幸でもなんでもないじゃないか!

 てゆーか病気ネタは反則だろ、絶対勝てねーじゃん!!(←何を競ってるのか)


 彼女の胸に深々と刻まれた傷痕…これを僕に見せたいがために、ヒマワリちゃんはまんまと混浴の状況を作り上げたんだ。

 それも僕の同情を誘ってマウントを取ろうなんて単純な作戦じゃない。


 女性の身体の傷を見た男性は、たいてい加害者意識を持つ。別段なにもしてなくとも。


 男は強く女はか弱いもの、という大昔からの先入観が災いし、女性は守らねばと思う。

 なのに最初から傷ついてた場合、自分がやった訳でもないのに「ゴメン」と言う。だろ?


 そして責任を取らねばと思わされる。

 まさしく今の僕の心境だ。

 そしてこれこそがヒマワリちゃんの狙いだ。


 ここまでは彼女の策略通りだろう。

 だが唯一の誤算は…僕が自他共に認めるヒネクレ者だったことだ。


「…もっとよく見せて」


「へ!?」


 てっきり僕が目を背けるだろうと踏んでいたヒマワリちゃんは、慌てて胸を手で覆う。

 だが僕はその手を払い除けて、彼女の傷痕…はそこそこに、小振りな乳房を凝視。


「…触るよ?」


「へぁ!?…ど、どうぞぉ」


 にわかに緊張した面持ちの彼女が胸を差し出す。仮に断られたとしても、許可を取ったのではなく前置きしただけだから、容赦なく触る。


 傷痕を指でなぞる…だけではなく、その指を胸の先端までツィーッと滑らせる。


「ひんっ!?」


 予想外の行動にヒマワリちゃんの身体が小さく跳ねる。

 そばで見ているシノブとアサヒちゃんが真っ赤な顔でガン見してる。ならばギャラリーの期待に応えよう。


「舐めるよ?」


「な、なめ?…きゃふっ!?」


 思わず聞き返した彼女の許可も待たず、僕は彼女の傷痕に舌先を這わせた。

 そしてそのまま頂きの蕾を口に含むと、ヒマワリちゃんは小さく悲鳴を上げた。

 シノブは仰け反り、アサヒちゃんは前のめりに。


「…気持ちいいの? すごく硬くなってる」


 僕の問いにヒマワリちゃんは顔から火を噴いて卒倒しかけ、湯に沈むギリギリのところで浴槽の縁に身体を預けて持ち堪えた。


「し、正直キモチワルイですぅ。ぺろぺろされるのはあんまり好きじゃないかもですぅ」


 がーん。面と向かって言われると結構ショックだな…。

 まぁ感覚は人それぞれだし、それならもっと他の方法で…


「なのに…身体の奥からじゅんじゅんしてきちゃいますぅ」


「ふむ、濡れてきた…と。なんだかんだで感じやすいんだね♪」


「ぁうぅうぅ〜〜〜っっ!?」


 恥辱に身悶えするヒマワリちゃん。予想通り、なんていぢめ甲斐のある子だろうか♪


「ど、どーしていっつもそーなんですかぁ!?

 本気でもないクセにそーやって悦ばせて期待させるから、みんな勘違いしちゃうじゃないですかぁ!!」


 …さすがはヒマワリちゃん、どんな時でも冷静な分析能力だ。


 彼女が言う「本気」ってのがいったいどんな状態を指すのか、僕にはまるで理解できないけど…


 少なくとも彼女はそんな対象じゃないとは思う。そこにいるシノブとアサヒちゃんもね。


 それでも一時的にでも幸福を感じられるなら、それでいいじゃないか。いったい何が不満だってんだ?


「弄ばないでくださいよぉ!!」


 感極まって泣き喚きつつ、ヒマワリちゃんは強引に僕の手を引いて自分の胸元にギュッと押し付けた。


 峡谷のように深い傷痕の奥底で、彼女の心臓がいまにも破裂しそうな勢いでドクドク脈打っている。


「センパイがいつもこんなにドキドキさせるから、ひとりエッチばかり上手くなって…すっかり黒ずんじゃったじゃないですかぁっ!!

 責任とってくださぁい!!」


 感極まって泣き喚きつつ、ヒマワリちゃんはいわれのない罪状で僕を糾弾する。


 彼女でもそんなコトしてたのか…。

 意外だけど、やっぱりカワイイだけの子じゃなかったか。


 ともかく責任を問われる前に、まずは状況確認しないとね。


「どれどれ?」


 と僕は湯船の端に横たわる彼女の両脚を持って…


 くぱあっ⭐︎


 …と大きく左右に押し広げた。


『!!!?』


 ヒマワリちゃんと他の二人も絶句する中、僕は彼女のナカを入念に観察する。

 水泳部だからツルツルに剃り上げてあるし、うっすら開いてたからよく見える。


「う〜ん。どこも黒ずんでなんかないよ?

 とてもキレイな色してるし、これで僕が責任取る必要は…ってアレ?」


 なんか皆の様子がオカシイ。


 シノブは明後日の方角に向かって「ないわ〜、コレはないわ〜…」と繰り返し。


 アサヒちゃんは自分の股間に手を添えたまま「無理むりムリ…!」とでも呟くように唸り続け。


 そしてヒマワリちゃんは、もうとっくに事後状態で目が死んでる。ちょっと覗いてみただけじゃん? メダカの学校じゃん?


 うーむ、膠着状態か。これはマズイな。

 なぜってたいがいのラブコメは、こういう収拾つかない事態に陥ると…


「…何…してるの?」


 ホラやっぱり。今朝も耳にした冷たいナイフのような声が僕の背中を抉り…振り返ればヤツがいた。


 ユウヒだけじゃなく、マヒルに副会長さんにフィンさんにナミカさん…と残りのメンバーが勢揃い。


「安心して、まだナニもしてないよ。僕に責任の所在が及ばないよう現場確認し」


『思くそやらかしてんだろがーッッ!!』


 僕の釈明がすべて終わらないうちに、マヒルとユウヒが阿吽の呼吸で放ったダブルコークスクリューパンチが炸裂した。

 嗚呼、第一話以来だな〜懐かし痛い♪


 きりもみで宙を舞い湯船に頭から墜落する僕に、皆の視線が集中する。素っ裸でフリ◯ンだからね。


 でも、ラブコメだからってなんでも力尽くで解決すると思うなよフフリ。

 きっとこの後、緊急女子会開催だな。





「…これで貴女も、晴れてこちら側の住人になりましたね」


「とりあえず、オメデトーって言っとく?」


「ぅぅ…ごめんなさいですぅ」


 それ見たことかと言いたげな副会長さんとシノブの生温かい祝福に、心底申し訳なさげに土下座するヒマワリちゃん。


 あの後リビングに場を移し、案の定緊急召集された女子会での一幕である。


「まぁ、限界突破される前に思いとどまれて良かったんじゃない?」


 とフィンさんがフォローするも、


「それにしても、いちばん奥手だと思ってた子が一気に三馬身リードしちゃうとはね〜♪」


 とナミカさんが面白半分に混ぜっ返す。


「ったく…水泳部の子ってどーしてみんな恥晒しの見せたがりなの!?」


 ユウヒが憤慨すると、


「誰のこと言ってんの? ヒマワリが特殊性癖の持ち主なだけだよ!」


 まるで無自覚なマヒルはあっさり親友を売り飛ばした。これはヒドイ。


『あんたにだけは言われたくない。』


 ほらブーメラン。各方面から微塵切りにされたマヒルは風塵と化した。

 それをユウヒが掃き集めて水をかけると元通りに復活。インスタント。


「ま、ヒマワリは最初っからリョータ目当てであたしに近づいてきたからね〜」


「…それを最初っから言ってくれてれば、こんなにこじれることはなかったんじゃ?」


 素朴な疑問をのたまう僕に、マヒルは口を尖らせて、


「だってさ…こんなにカワイイ子が好いてくれてるって知ったら、リョータ絶対そっちに行っちゃうじゃん?」


 う〜ん、なんでそんなことで悩むんだろう?

 ユウヒのときもそうだったけど、誰と付き合おうと僕がマヒルから離れるわけないじゃん?

 コイツは僕の居場所なんだし。


 フィンさんとナミカさんにカワイイカワイイされて照れまくるマヒルを見つめつつ、釈然としない気分の僕だった。


「それに…あの手術跡を見ちゃったら、もう強いコトは言えないしね。

 いまさら一人増えたぐらいでどーってことないでしょ?」


 ユウヒの弁にみんな頷き返しつつ、それこそお前が言うな的なビミョーな空気に。


「てゆーか、それこそいまさらだけど…僕の意思はどんな扱いになってんの?」


「え゛。まさかあんた、あそこまでしといてヒマワリを蹴り出すつもり!?」


 僕の横槍にマヒルが噛みつき、みんなして「うわコイツひでー鬼か!?」な視線を僕に投げかける。


「だって僕、ヒマワリちゃんにまだ何もして…」


「がっつり揉んで舐めて吸ってかじって摘みましたよねぇ!? アソコもおっぴろげて奥まで覗き見ましたよねぇ!?」


 ここぞとばかりに既成事実を並べ立てるヒマワリちゃんに、僕もつい意地になって、


「見たけどちゃんとキレイな色してたし、奥飛騨慕情の仏様の袈裟も破れたりしてなかったし!」


「訳わからん隠語でますます卑猥感増強させないで下さーいっ!!

 潮センパイは判断基準がマヒル先輩だからズレまくっちゃってんですよぉ!

 私じゃなかったらモロアウトでお巡りさんに突き出されてますよぇ!?」


「ヒマワリちゃんがお巡りさん呼ぶとか上手いコト言うなァーッ!!」


「…まぁまぁ二人ともひとまず落ち着いて。そろそろ聞くに耐えないから…」


 白熱する一方の僕達をユウヒが冷や汗たらたらで押し留める。


「てかなんかあたしが悪者で痴女っぽい扱いになっちゃってない?」


「…ご自覚なさってなかったのですか?」


 マヒルのツッコミに副会長さんがツッコミ返し、ますます混沌としてきたところで、


《二人ともなんでケンカしてるの?》


 それまで蚊帳の外だったアサヒちゃんが、不思議そうな表情で僕らにスマホ画面を突き出してみせた。


《お兄ちゃんもヒマワリちゃんも、キライじゃないんでしょ?》


「そ、そりゃキライじゃないけど。カワイイしけっこーエロいし…」


「けっきょく判断基準ソコなんですね…。

 でも、そーゆートコも私的にはけっこー…」


 最年少の子にまで仲裁されたら、僕も彼女もおとなしく互いを認め合うしかない。


《じゃあ仲直り♪》


 ニコリと笑う仏のアサヒ様にほだされて、僕は仕方なく右手を差し出す…が。


《ケンカの後〜はほっぺにチュ♪》


 なんでそんな古い歌知ってんの!?と疑問に思う間もなく、


 チュッ⭐︎


 ヒマワリちゃんはアサヒちゃんのアドバイスに素直に応じてみせた。

 ただし、ほっぺではなく唇同士で…皆の面前で。


 やり場を失くした僕の手は、やむなく彼女の肩へと回された。


「…これで…お願いできますかぁ?」


 瞳を潤ませて懇願する彼女を拒む術は、もはや僕には無かった。


『ラブラブやん!?』


 皆にも公認されちゃったし。




 …結局そのまま、僕はヒマワリちゃんの想いを受け入れた。

 あの状況ではそうするしかなかった。


 正直なところ…困った。

 僕にとっての彼女は現状、無価値に等しいからだ。


 実家が金持ちなわけでも成績優秀なわけでも特定技能に秀でたわけでもなく、水泳部に在籍してるのも単にリハビリの一環であって、アスリートとしての素養は皆無だ。


 つまり、ただ単にカワイイというだけで、僕の目的達成上の利用価値はまったく無い。


 その上、いつまた心臓疾患が再発して生命の危機に陥るか判らないという時限爆弾まで抱えている。これじゃあ逆に足枷だ。


 まったく、厄介なお荷物を押し付けられてしまったものだ…。





 ともかくヒマワリちゃんとは、マヒルやユウヒの提案でとりあえず『お試し期間』という扱いで交際してみることになり…


 なんでかそこに副会長さんとシノブもちゃっかり便乗してきた。

 まぁこれで副会長さん…ニャオとはコッソリちちくり合う必要がなくなったから良しとして、シノブにもなにやら告白めいたコトを言われてたしな…。


 つまり公然と二股…いや五股が認められてしまった訳で。皆の合意のもとに。


「…ナニコレ? なんなのこの状況???」


 僕の素朴な問いに応える者はいない。

 なにせ今現在、僕は本日やっと一人きりになれたのだから。


 五者合意会談の後、各々の抜け駆けを防止する名目で僕には個室があてがわれ、本日はこの部屋で一泊することになった。


 夕飯の席上でも参加者各々の思惑が交錯し、華やかながらも水面下では実弾が飛び交う『気が置ける』宴となった。

 …意味は広辞苑でどうぞ。


 その後、僕は先の個室に放り込まれた挙句、ナミカさんの手により施錠。

 すぐに調べてみれば、入り口・窓ともに内側からは解錠できない特殊構造となっていた。


 って、事実上の独房じゃん!

 一般家庭になんでこんな部屋があんの?

 いったい何の目的でこさえたの!?


 まあテレビや冷蔵庫、シャワーにトイレとビジネスホテル並みの設備があるから不自由はしないけどさ…。


 てなわけで別段やることもないから、ベッドに横たわってぼんやり考え事をしてた。




 そもそもの話…どうして皆、男女交際なんて行為にこれほどまでにこだわるんだろうか?


 互いに気が合うなら近づけば良いし、気が合わないなら距離を置けば良いだけだ。

 人間関係なんて所詮そんなもんだろ?


 なのになんでわざわざ特別枠を設けて自ら苦労を背負い込むのか?

 チューしたりハメハメしたりするためだけに、何故にわざわざ周囲に関係を誇示して恥を晒さねばならんのか!?


 だいたい『好き』とか『愛』だとか、そんなにご大層なもんかね?

 人によっては命を賭してまでそんなモノに殉ずるらしいが…僕に言わせれば実にくだらない。


 アイツらにしたってそうだ。


 マヒルは僕を弟扱いして、姉の立場を守ろうとしてる。

 ニャオは自己所有企業の将来的な経営者として僕に白羽の矢を立てた。

 この二人については明確な目的意識があるから、その行動原理はまだ解りやすい。


 けれども、その他の連中に至っては何が目的なのかがさっぱり解らない。


 ユウヒはすでに恵まれまくったスペックとステータスを有しているにもかかわらず、どうして僕みたいな貧乏人に目をつけたのか?


 シノブには実家の再生のために手を貸してやっただけなのに、なんであそこまで恩義を感じる必要があるのか?


 そして、ヒマワリちゃんは…自身の命をかけてまで僕に近づくため、まさに死に物狂いの努力を続けてきた。

 果たして、そこまでするほどの価値が僕にあるっていうんだろうか?


 いったい皆、僕をどうしたいんだ?


 僕はいったい…どうすればいいんだ?


《やっぱり嫌だった?》


 突然スマホのチャットアプリがメッセージを受信した。アサヒちゃんからだ。

 見れば、窓の外で彼女がピョンピョン飛び跳ねてる。


 手招きしてみると、彼女は窓の鍵をあっさり開けて室内に入ってきた。外からなら簡単に解錠できるのか。


 今夜の彼女の寝巻きも夏場だからか、やけに露出度が高い。しかもお馴染みノーブラ。

 少し前に風呂場で全裸を見たばかりだというのに…コレはコレで♪


〈嫌って何が?〉


《ヒマワリちゃんにチューされたとき、なんか迷惑そうにしてたから》


 ズバリ図星を突いてくる彼女にドキリとさせられた。耳が不自由なぶん他人の感情を読み取るのが非常にうまい。


〈いきなりだったからビックリしただけだよ。みんな見てたし〉


 もっともらしく誤魔化してみると、


《じゃあ、アサヒがキスしてってお願いしたら、してくれる?》


 なんでそーなるの!?


《ここなら他に誰もいないし、一度してくれたから簡単でしょ?》


 ぬぅは!? いつぞやウインナーソーセージでやったイタズラを、まだ本物だと誤解してたのか。(第四話参照)

 なんて純真なんだ…♪


〈いつもそんなにチュッチュチュッチュしてるの? エッチだなぁ(笑)〉


《いつもは全然してないよ! お兄ちゃんは特別なの!》


 からかってみるとムキになって言い返してきた。さすがは小学生。

 なおもスマホをタイプするうち真っ赤に染まった顔で、アサヒちゃんは新たなメッセージを送信。


《あの時から、いつもお兄ちゃんのことばっかり考えちゃってボンヤリしすぎって怒られるんだから。責任とって!》


〈時々スマホでお喋りしてるじゃない?〉


《スマホじゃキスできないし触れないでしょ!?》


 ををっ、それはごもっとも。

 そういやお風呂では結局チ◯チ◯触れなかったし、残念だったね♪


 ヒマワリちゃんには何もしてないのに責任取らされたのが腑に落ちないけど、アサヒちゃんの場合は多少の罪悪感は抱いてたから、何らかの謝罪はすべきだろうか。


 もしかして、そんなことを言うためだけに他の人の目を盗んで僕に会いに来てくれたんだろうか? わざわざ窓から入るくらいだし。


〈じゃあアサヒちゃんも裸でお股広〉


《ゴメンナサイソレ無理(>_<)》


 僕がまだタップ中の文面を盗み見て、慌ててカタコトで返してきた。

 そうは言っても、いちおー余すコトなく見えちゃってたんですケドぉ?


〈じゃあドウスレバインダー!?o(`ω´ )o〉


《アサヒもカノジョにしてください!!》


 …なんですと???


《みんなお兄ちゃんのカノジョなのに、アサヒだけ仲間はずれはイヤ!!》


 あのね、恋人同士に「みんなカノジョ」とか「仲間はずれ」なんてシチュエーションはフツーあり得ないんだよ?

 …などと説得してみたところで、フグ提灯みたいにプリプリしてる彼女相手じゃ通じないだろう。


 …いや…待てよ? 考えようによっては、これは絶好のチャンスなのでは。


 アサヒちゃんほど心の機微に聡い子なら、どういう状態が『好き』ってことなのかを僕に示せるかもしれない。


 ちゃんと相手に配慮できるし、他の連中ほどがっついてはいないからストレスフリーだ。


 あと、基本的に文面でのやり取りになるから、受け答えに猶予があるのも有り難い。おかげで無駄に余計な行動を取らずに済む。


 僕は自分を理論派だと思ってるから、マヒルみたいに皮膚感覚だけで生きてるよーな、理屈が通らない輩は実はいちばん苦手なんだ。


 さらに最大のメリットとして、メンバー中最も若年ゆえに知識と経験不足。

 すなわち…僕好みに育てられる。


 けど、その前に…この点だけはハッキリさせとかないとね。


〈僕はアサヒちゃんを気に入ってる〉


「…!」


 僕がタップする文面を目で追って、彼女は顔を綻ばせる。


〈けど、好きかどうかはわからない〉


「…???」


 綻んだ顔が困惑に歪む。


〈僕は、人を好きになったことがないんだ〉


「…………。」


 歪んだ表情が引きつり始め、彼女はたまらずこう返信してきた。


《お姉ちゃんのことも?》


 僕は素直に頷き返す。


〈いつの間にか付き合うことになってたから、考えるヒマもなかった〉


〈でも、いくら考えてもわからない〉


〈人を好きになるってどういうことか、僕にはわからないんだ〉


 そう返信した後、長い沈黙があった。

 やっぱりアサヒちゃんには酷だったろうか。


 けれども、このことを伏せたまま彼女を僕に付き合わせるのは騙してるみたいで気が引けた。

 せめて彼女のように純粋な子にだけは、嘘はつきたくなかった。


 ピロリン♪


 やっとアサヒちゃんからの返信。

 さっそく読んでみると…意外な答えだった。


《アサヒも本当はよくわからない》


《お兄ちゃんのこと考えるとドキドキして頭が真っ白になっちゃうけど、どうしてかわからない》


《だからお兄ちゃんに会いに来たんだよ》


 どうやら彼女は思った以上にアグレッシブらしい。解らなければ、とりあえず付き合ってみればいい…ってことか。


《そしたら、もっとドキドキしてもっとわからなくなっちゃったテヘッ♪》


 ペロッと舌を出して照れ笑い、アサヒちゃんはそっと僕の手を取った。


《だから、二人で考えよーよ♪》


 なんてこった…今、少しだけドキッとした。

 もしかしたらこれがときめきってやつか?

 こんな年下の子に…マジか。


 でも、こんな女の子は今まで僕の周りにはいなかった。

 僕に何かを求めるか、僕から何かを与えられることに期待するか…そんな人ばかりで。


 何の見返りもなく、ともに進んでいこうなんて提案を示したのは…アサヒちゃんが初めてだ。

 たしかに…この子と一緒なら、何かを見つけられるかもしれない。


「……!」


 差し伸べられた彼女の手を握り返し、大きく頷き返す。

 すると彼女はパァッと華やかに破顔して、空いた片手だけでスマホをタップ。相変わらず器用なことをする。


《じゃあ、ケイヤク♪》


 目を閉じて唇を突き出す。

 …いいだろう、受けて立とう。

 この場にウインナーは無いから、もう誤魔化しは効かない。


「んむ…っ?」


 唇を重ねただけで、ヒマワリちゃんはその違和感に気づいたようだ。


《なんか前のと違うよ?》


 だろうね。ウインナーじゃないからね。


〈どっちが好き?〉


《味わいではあっち、柔らかさではこっち》


 なんか食通みたいなコト言い出した。

 てか味わいて。

 味気ないなら、もう一味加えてみようか。


「ぁ…」


 アサヒちゃんの背中に両手を回して、そっと引き寄せる。

 右手は優しく、左手は…添えるだけ。

 小さく震えた彼女の唇に、再びキス。


《スゴイ…コイビトみたい…》


 瞳をとろんと微睡ませて、甘い吐息をたなびく彼女に、


〈恋人だよ、僕達〉


 そう応えると、彼女は今さらのように顔を赤らめて視線を逸らす。

 その顎先に指を添えて、くいっとこちらに向け直す。


〈やめておくなら今のうちだよ?〉


 フルフル小さく首を振ったアサヒちゃんの瞳が切なげに震えて、僕の顔を映す。


《もっと教えて》


 いい子だ。三たび唇を重ねながら、静かにベッドに沈み込む。


 でも期待満々の彼女には悪いけど、今日はこれ以上先に進める気はないよ。っ


 ここまでなら万一裁判沙汰になても「カワイイ子と一緒のベッドに入るのがどうしてイケナイのホォウッ!?」と某ポップスキングばりに無実を訴えることもできるしね。


 何も慌てることはない。僕らの夏休みはまだ始まったばかりなんだから…。


《あ、でも》


 どうしたの?


《ちょっと急いだほうがいいかな?》


 ナニをどう急ぐの? せっかちだなぁ。


《ここの鍵、時間で閉まっちゃうから》


 カッチャン⭐︎


 ……あれっ???




【第九話 END】

 前回に引き続き美岬家での海水浴編です。

 今回は序盤シノブ回、中盤ヒマワリ回、ラス盤アサヒ回という構成で、これで各キャラの素性はだいたい描けたかな〜って感じですね。

 シノブとアサヒの情報はこれまでも小出しにしてきましたが、ヒマワリは意図的に大半のネタをひた隠してきまして、ここらで一挙大公開ということで。


 ヒマワリは昔からずっと主人公の後輩だった割には、その存在をまったく知らなかった…という作中最もミステリアスなキャラですが、その理由は今回の執筆までマトモに考えてはいませんてした。

 なのであちこち整合性を取るのに苦労させられましたが、おかげで作者的にも結構意外な過去バナに仕上がりましたね。

 元々ヤンデレ傾向だった説明もついたし(笑)。

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