表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
はのん  作者: のりまき
3/27

人工呼吸フィーバー

〈お姉様、ご報告がございます〉


《キモッ。フツーに喋れし》


 ご勘弁を。これはなるべく貴女を怒らせないための配慮でございます…マヒルお姉様。


 てなわけで、マヒルに宛てて某チャットアプリでメッセージを送ってみたら、すぐに反応があった。


〈今、美岬さん家にいます〉


 とりあえず自己申告しとかないと、後でバレたらマジ殺されかねないからな。

 自分で言っとけば半殺しで済む。


《なんで???》


 超高速で返信が来た。そりゃそうだろうな。


〈学校の帰りに拉致られました。彼女の御父君の車で〉


《親使うのかよあの女!》


 字面だけだから顔は見えないけど、なんか怒ってるっぽい。

 でもさすがにカイドウ氏のことをバラすわけにはいかないから、ここはスルーで。


《変なコトされてない?》


〈今日もノーブラ、しかも私服でした〉


《されてんじゃん!! 触った?》


〈仕方なく〉


《仕方なくで乳揉むか! 両方死なス》


 怖っ。だってホントなんだも〜ん!


《乳ならいくらでも触らせてやるから今すぐ帰れ》


 姉さん必死すぎ!! そこまで言われちゃ帰りたいのは山々だけど、


〈無理。ここ隣町。もう遅いから泊まってけって言われました〉


《つまりキサマは一晩中ユウヒの乳を揉み続けるのかエロガキマジコロ》


 興奮のあまり文面は後半で言語崩壊し、代わりに血まみれキャラのスタンプを送りつけられた。焦ってる焦ってる。


〈ご家族も一緒なのに、んなコト出来るか! 変なことはもうしてないしされてないから安心しませう〉


《泊まってる時点でジューブン変だろ》


 やたらとそこにこだわるなぁ。一泊した程度で孕んだりするわきゃないのに。

 昔マヒルん家に住んでたときだって、変なことなんて一切…


「…………。」


 …いやまぁ…その話は今はやめとこう。


〈ご報告はまだあります〉


 さて、ここからが重要だ。そのためにわざわざ危険を承知で連絡してやったのだから。


〈私こと潮リョータは、本日付けをもって美岬ユウヒ嬢と交際させて頂くことになりました〉


 いろいろ考えた挙句、やはり単刀直入がいちばんだろうと判断した。


 送信後、すぐに既読は付いたけど…なかなか返信が来ない。まあ想定済みではあるけど。


 そろそろ催促してみようかと思った矢先、やっと応答があった。


《な良かったじゃん》


 これは…冒頭にゴミみたいな誤字があるけど、たぶんコレこそがマヒルの本心だ。

 つまり一旦《なにそれ!?》と書いてから、思い直して一文字ずつ削除し、《良かったじゃん》と書いてそのまま投稿してしまったんだ。


 そしてそれは僕が期待してた回答じゃなかった。だからこっちもダイレクトに問いただす。


〈なんでダメって言わないの?〉


 マヒルがダメ出しするのなら、僕も仕方なくご辞退申し上げて…とか思ってたのに。


 するとまたしばらくタイムラグがあって、


《文面だけじゃワケワカランから反対しようもないっつーの。てゆーか》


 その返答の直後に電話の着信音が鳴り響く。相手はすでに判ってるから、すぐさま通話に応じた。


『そーゆー大事なコトはちゃんと話せっ! なに逃げてんのっ!?』


「そーやって怒ると思ったからだよ!」


 すんごい剣幕で耳がキーンときたから、慌ててスマホのボリューム下げた。


『昨日初めて会った女ん家に翌日もう転がり込んでたら、そりゃ怒るわっ!! あたしはあんたをそんなスケコマシのエロガッパに育てた憶えは無いっ!』


「いやいや毎日エッチい水着姿をこれでもかと見せつけられたら、そりゃエッチくもカッパくもなるよっ!」


『開き直ってワケわからんカミングアウトすなァーッ!! なんなんカッパくもって!?』


 などといつものアホいやりとりを繰り広げていた僕たちだったけど…

 やがて、どちらからともなくプッと吹き出して、揃って笑い転げた。


 ほんの半日しか離れてなかったのに、すっかり心細くなってたところに、互いの声が聞けて安心したからだろうか。


『んで、なんでそんなコトんなってんの?』


 マヒルがやっと本題を切り出したので、僕も今日あったことを包み隠さず打ち明けた。


 下校時に校門前で美岬父娘に捕まって、美岬家へ強制連行され、そこで噂の新しい母親と妹に出会い、夕飯をゴチになって…


『なんで妹さんに恋人かどうか訊かれて、ハッキリ違うって言わなかったん? そしたらそこで無事お開きじゃん?』


「いやぁそれが、その妹さん…アサヒちゃんっていうんだけど…」


 さすがに言って良いかどうか躊躇する。たぶんそれが、美岬さんが他人を拒む理由の一端だろうから。


「…耳が不自由なんだ。」


『…っ。』


「でも筆談はできるから、いろいろ話してたら、はずみでそう答えちゃって…」


 言い訳がましいにも程がある僕の話を、マヒルは笑い飛ばしたり野次ったりせず黙って聞いてくれていた。


「あんなに期待に満ちた純粋な瞳で見つめられたら…いまさら違うなんて言えなくてさ…」


 そんなふうに思うこと自体が差別的という人もいるかもしれないけど…仮にアサヒちゃんが健常者だったとしても、やっぱり特別扱いしてたと思う。


 それで結果的に嘘をついてしまった。

 だけど、あんなに純真な子を…美岬さんの家族を…騙すわけにはいかない。

 ならもう、嘘じゃなくするしかないじゃないか。


 すると電話の向こうで大きな溜息が聞こえて、


『…ったく、誰彼かまわず良い顔ばっか見せようとするからそーなんのよ。えーかげん凝りたら?』


 面目ございませんが、それが政治家のさがというものでござりますれば。


『でもソレわかる。あたしもヒマワリと初めて会ったとき、似たような気持ちになったから』


 …? なんでここでヒマワリちゃんの話が出てくるんだ? 確かにあの子も純粋さではアサヒちゃんに負けず劣らずだけど、全然状況が違うだろ?


『あ〜もぉっ、親とか子供とか出してくるってズルいよぉ〜っ!! ユウヒのやつ、マジなりふり構わずじゃーんッ!』


 電話の向こうで頭を掻きむしるマヒルの姿が容易に想像できる。あいつも情に厚くて、なかなか断れないたちだからなぁ。


『けどさ…リョータ的には、それで納得できるの?』


「……。」


『自分自身に嘘をついたまま、そんな関係になるってんなら…ユウヒに失礼すぎるっしょ?』


 わかってるさ、そんなことは。

 だから止めて欲しかったんだ…マヒルに。


 たぶん僕をいちばん解ってくれてるだろう、心の底から信頼できる人に。



 なぜなら、僕は…


 人を好きになったことがない。



 だから不安なんだ。

 僕は本当に美岬さんが好きなのかって。


 これが本当に、

 人を好きになるってことなのかって。


『…そんだけ悩んでるってんなら、少しは気になってるってことでしょ?…ユウヒのこと』


 そんな僕の気持ちを知ってか知らずか、マヒルは僕の背中を押す。


 そうだよな。まったく気にもならない存在だってんなら…昨日、あの海岸で、美岬さんに声をかけたりはしなかった。


 あれからほんの僅かな時間で…僕の中での彼女の存在は、自分でも驚くほど大きくなってたんだ。


『なら、いいじゃん? 全然その気もないのに付き合うってんならぶん殴ってでも止めるけど』


 …少しはその気があって本当によかった。

 おかげで僕はまだ五体満足でいられるらしい。


『それだけ気になる相手なら、付き合ってから考えるってのもアリだと思うし、それでダメなら仕方ないってコトで。そしたら…』


 まるで自分自身を言い含めているかのように、マヒルは淡々と言う。

 他人事だけど他人事じゃない。何故なら僕たちは…


『…マヒルお姉さんが慰めたげるから、いつでも戻っといで。弟くん♪』


 いつものように朗らかに笑う彼女の顔が、電話の向こうに思い浮かぶ。


「…わかった。頑張ってみるよ」


 僕もやっと肩の力が抜けた笑顔で答える。

 そしてやっぱり、マヒルには敵わないなぁと再認識する。

 たぶん一生…姉さんにはね。


 電話の向こうで「よしっ!」と大きく頷くマヒル。たぶんガッツポーズとかしてるんだろうな。

 ともかくこれで最大の難関は突破できた…かと思いきや、


『…ところで…さ?』


「ん?」


『リョータさっき、あたしの水着姿がエッチいとか言ってたけど…』


 うげっ。なんちう方向に脱線させてんだ。


『昨日の帰りも、あたしに覆い被さったときに、その…おっきくなってたし』


 ぉぃぉぃおいおいっ!?


『あたしのコト…ちゃんと女の子として見てくれてた…ってこと?』


「他にどう見りゃいいっちゅーの? そりゃ、幼馴染だし家族だし姉代わりだけど…やっぱり意識はするよ、異性として」


 自分でもキモいと思わなくもないけど、事実なんだから仕方ない。

 普段はさすがに面と向かっては言えないけど…今は声だけだからか、不思議とカミングアウトできてしまう。


『そ、そーなんだ…良かった。ありがと』


 え、良いの!? 弟分から性対象として見られてたんだぞ、普通は引くだろ。おまけに感謝までしてるし…?

 しかしそれを追及しようにも、

 

『ちなみに今、暑いからTシャツしか着てませんテヘヘ⭐︎』


 テヘヘ⭐︎ぢゃねーよっ! なぜわざわざ僕に言う!? おかげで訊きたいコト全部吹っ飛んじまったじゃねーか!


 昨夜の僕の部屋でのあられもない光景が嫌でも思い浮かんで、どうにも落ち着かない。

 …丸出し…。


『じ、じゃあもう切るね! 明日はちゃんと学校来なさいよ。あとカノジョだからってユウヒにエロいことしたらコロス。あたしになら先チョンまでなら許す』


 ちょっ!?


『てかとっととエロ本性発揮してフラれて戻ってこい。お休み♪』


 一方的に早口で捲し立てて、マヒルはそこで通話をプッツリ叩き切りやがった。


 後で波風立てないように連絡してやったのに、最後はビッグウェーブに根こそぎ掻っ攫われてしまった。


 結局何をどうしたいのか、さっぱりワケワカランのはマヒルのほうじゃん。

 交際OKが出たはずなのに、結果的に猛反対されてる気がするし…

 なんなん先チョンOKて!? 

 

 たぶんマヒル自身も何を口走ってんのか解ってなかったと思うけど…どーしてくれんだよ、悶々としたこの気持ち?


「じゃあ、代わりに私のをどーぞ♪」


「ぅわあ〜〜〜〜〜おぅっ!?」


 出し抜けに耳元に熱い吐息を吹きかけられ、驚いて振り向けば…パジャマ姿の美岬さんがそこにいた。

 Tシャツ一枚きりよりも露出度ではさすがに劣るけど…このナチュラルすぎるボディラインは…も、もしかしなくてもまたノーブラ…?


 私服の次は寝巻き…眼福すぎて目が破裂しそう。たった今、マヒルに警告受けたばっかなんだけど!?





 すっかり説明の機会を逃してたけど、僕が今いるのは美岬家の客室。といってもリビング並みに広くて、まるで高級ホテルの一室みたく洗練されてて…貧乏性の僕はかえって落ち着かない。


 だいたい、いくら部屋数に余裕があるからって、客を泊めるためだけの部屋があるなんて勿体無さすぎる。さすがはセレブ。


 この部屋の向かいにはカイドウ氏夫妻の寝室があり、さらにその隣に美岬さんやアサヒちゃんの自室が続く。


 そして前述の通り、もう遅いから今夜は泊まっていけと言われた僕は、すでに自宅までの交通手段が無かったこともありお言葉に甘えざるを得なかった。


 部屋に通された直後、なんだか色々疲れ果ててベッドに突っ伏した僕は、寝落ちしないうちにとマヒルに連絡を入れてたわけだけど…。


 思えば、すぐ目と鼻の先の部屋には美岬さんが暮らしているわけで…彼女ん家なんだから当たり前だけど。


 その彼女がいま…薄着で僕の目の前にいる。


 こうしてじっくり見てみると、彼女もマヒルに負けず劣らずスタイル良いよな…。


 よくよく考えたら、こんなに綺麗な娘がいまは僕のカノジョなわけで…いまだにひたすら現実感がない。


「ぅわすんごいジロジロ見られてる…ホントに妊娠しちゃいそぉ♪」


 …訂正。今の余計な一言で、一転して現実感しかなくなりました。


「つくづくチミ達って、恥じらいとか微塵もないのな。てゆーか部屋に入るときはノックくらいして欲しかった…」


 ベッドの端に腰掛けて頭を抱え込む僕に、


「あ〜、自分ん家でノックする習慣とか無くて…エッチなこととかしてたらゴメンね♪」


 ペロッと舌を出してイタズラっぽく笑う美岬さん。自宅だからか、この短時間で僕への態度がずいぶんこなれてきた。


「さすがに人様ん家でイキナリんなことしませんって」


 自分ん家だったら、するよぉ〜♪


「でもマヒルとはエッチい電話で盛り上がってたよね?」


 チッ、聞かれてたか。


「別にエッチくはないよ。あいつと電話したらだいたいいつもあんな感じだし」


「アレで!?…う〜ん、思った以上に強敵かも…」


 腕組みをして考え込む美岬さん。そのポーズは胸が強調されて目の毒です。


「てゆーか、カノジョん家に来て他の女に電話とか…」


「まさにそれを説明するために連絡してたんだよ。黙っててバレたらマジコロだから」


「…そーやって定時連絡が必要とか思い込まされてるあたりも強敵かなぁ」


「なんなのさっきから…美岬さんは誰と戦ってるの?」


「マヒルとに決まってるじゃない」


 あー…やっと話が見えてきた。

 つまり美岬さんが突然猛攻に転じたのは、カイドウ氏に言われたからってだけじゃなくて、マヒルを倒さなければ僕が手に入らないと思ったからか。

 だからこんな明け透けな手段に…。


「…言っとくけど、アレは参考にしたら一番ダメなやつだからね」


 なにしろ天然かつ無計画かつ無理無茶無謀だから、真似なんて絶対できっこないって。


「あ〜…なんとなーくそんな気はしてたけど、やっぱり?」


 いまさらのように苦笑う美岬さん。気付いててもやめないあたり、どうやらかなりの負けず嫌いらしい。


「それに一応、マヒルの許可は降りたよ。

 付き合ってもいいってさ、僕たち」


「へぇ…あの子がねぇ。絶対嫌がると思ってたけど…」


 実のところ渋々って感じで、納得もまるでしてないようだし、ニュアンス的には『付き合えるもんなら付き合ってみろ』って感じだったけどな。


「じゃあ…これで気兼ねなくお喋りできるってことで…隣、座っていい?」


 ひとまず安心してくれたのか、美岬さんは若干表情を和らげると、僕が許可を出す前にベッドの端に腰を下ろした。


「ど、どーぞどーぞ…」


 遅れて許可を出すも、今度は僕のほうがにわかに緊張してきた。なにしろ無防備なパジャマ姿の彼女が、すぐ真横に座ってるんだ。


 二人分の体重を受けて深く沈み込んだマットレスが傾いて、なおさら僕らを近づける。

 パジャマの薄い生地越しに彼女の温もりが伝わってきて…小さな吐息が耳に大きく響いて…。


「…たぶんまだ、疑ってると思うけど…私が会長さんを気に入ったのは本当だから」


 いや、それはもう疑いの余地もない。ここまで至れり尽くせりされちゃったらね。


「だけど私、今まで人を好きになったことが無くって…どうしたらいいか、全然わからなくって…」


 その焦りもなんとなく解る。僕もマヒルの家に引き取られた直後はそうだった。


 …ああ、そうか。

 どうして美岬さんのことが気になったのか、やっと解った。


 彼女は似てるんだ。

 …昔の僕に。


 誰も寄せ付けようとしなくて…

 誰にも弱みを見せられなくて…

 誰にも甘えることが出来なくて…。


「…触っていい?」


 急に人恋しくなって、ぽつりと囁く。


「…っ。…う、うん…っ」


 今度は美岬さんのほうが緊張し始めた。

 こんな状況下なら無理もないけど…。


 小さく震える彼女の肩に手を回して、そっと抱き寄せる。


「残念だけど、エッチなことはしないよ。

 もうそんな気分じゃないからね」


 なんてこったい。何もしない内から賢者モードに突入してしまったじゃないか。


 僕の言葉に、ふいに彼女の身体の力が抜ける。

 ホッとしたような、ガッカリしたような…

 複雑な顔色を浮かべて僕を見つめる彼女に、僕は言う。


「美岬さんにばかり手の内を明かさせるのは、フェアじゃないからね。

 聞いて欲しいんだ…僕の昔話を」





 僕がこの世に生を受けたからには、その大元おおもととなったオシベとメシベがいたことになる。


 あえて下劣な表現をしたのは、それらが下劣な人間…いや、人間と呼んでやるのもおこがましいようなクズどもだからだ。


 後に父親代わりとなったマヒルの父さんの話によれば、僕の元々の父親は学生時代からのワル仲間で、当時から問題ばかり起こすことで有名な不良だった。


 ただし顔だけは良かったから女性にはモテモテで、生徒指導の女性教師すら手懐けてこき使ってるほどだった。

 結局それがバレて教師は懲戒免職、クズ親父は退学処分となった。


 仕方なく、代々地元漁師を束ねてきたマヒルん家こと網元家が友達のよしみで雇い、父さん共々見習い漁師として働くことになった。

 でもまあ元々がダメ人間だから、仕事はサボるわ仲間とは喧嘩ばかりするわで、てんで使い物にならなかった。


 ろくに仕事もせず、ヒマに任せてブラブラ飲み歩いてた折、後に僕の母親となるホステスと出会う。

 そこそこ人気の彼女はそんなダメ人間の見てくれの良さにすっかり騙され、カネを貢ぎ続けた挙句、ついには同棲まで始めてしまう。


 で、ゲージにハムスターのつがいを放り込んどけば勝手に増えるように、自然発生的に誕生したのが僕ってわけ。

 そしてそれは当然のごとく、二人が望んだ子供じゃなかった。


 もとから遊び呆けてばかりだったクソ親父は、僕が生まれてからはますます家に寄り付かなくなり、とっとと他の女に乗り換えて蒸発してしまった。


 残された母親は、これまた男を相手にする以外何もできないクソ女だったから、僕の世話はホステス仲間に押し付けて、新しい男漁りに余念がない。

 でもまあ放ったらかしてただけで体罰に訴えることは無かったから、そこだけは感謝してやれなくもない。


 そこへ救いの手を差し伸べてくれたのが、すっかり更生してマジメに漁業に精を出していたマヒルの父さんだった。

 僕の窮状を見かねた彼は、元の仲間がしでかしたことに責任を感じて、母親から僕を引き取ることを決意した。


 ちなみにクソ女のほうは、やっと厄介者払いができたとばかり、よりよきご縁を求めて他の土地へと流れていった。

 現在では両方とも、生きてるのか死んでるのかさえ定かではないけど、別段会いたいとも思わないね。




 くだらない元親のことはそのへんにして…

 問題なのは引き取られた後の僕だった。


 これが物心つく前なら、マヒルたち網元家と最初から一緒に暮らしていたかのように何ら違和感なく馴染めただろう。


 けど、その頃の僕はとっくに物心がついてた。

 自分が親に捨てられたことも自覚してたし、もうどれだけ望んでも元の暮らしには戻れないことも解ってた。


 一人ぼっちの部屋の中で、二度と帰ってこない者をひたすら待ち続けるのは…

 どんなに泣き喚こうが、どれだけ祈ろうが、何一つ変わらない虚しさを味わうのは…

 もう、これっきりにしたかった。


 そんな僕にできることといったら…

 なんとかして網元家にはやく馴染んで、

 そこの家族にうまく取り入って、

 また捨てられないように努力するしかない。


 皮肉にも、そして幸いにもクソ親父譲りの美形ぶりで女性受けだけは良かった僕は、どんな場所にでも割合すんなり溶け込めた。そのぶん男性からの風当たりは強かったけど。


 そうして僕は、

 絶えず周囲に気を配り、

 皆のご機嫌を窺って、

 相手の要望には最大限の配慮を…


「…キモ。」


「え?」


「あんた、キモい。」


 そう、一つだけ問題があった。

 網元家の一人娘にして、僕より誕生日がほんの数日早いだけで姉貴ヅラする理不尽の塊…

 マヒルの存在だ。


「なんでそんなにあたし達にヘコヘコしてんの?

 どうしていつもヘラヘラ笑ってばかりいるの?

 あたし、アンタみたいなヤツ…大っ嫌い!」


 当時から天真爛漫だったマヒルは、天性の直感で僕の猿芝居を見抜いていた。

 そして天真爛漫ゆえに、僕がなぜそんな態度を取り続けるのかが理解できなかった。


 僕のイケメンぶりを、彼女は評価しない。

 僕の嘘が、彼女には通じない。

 僕の気持ちが、彼女には理解できない。

 実に厄介な相手だった。


 だから僕も不用意にマヒルには近づこうとせず…結果的に僕らはいつもギクシャクしていた。


 そんな子供たちの異変には父さん達も気づいていただろう。

 けれども、僕を一旦引き取ると決意したからには、黙って成り行きを見守るしかない。


 そしてそんな平行線のまま、僕が網元家に引き取られてから早半年が経とうとしていた。




 …その日は、僕らが通う小学校のキャンプ学習の日だった。


 郊外のキャンプ場に出掛けて、テントを張ったり食事の準備をしたりと様々なサバイバル技術を学ぶわけだ。


 正直かったるいけど、キャンプ場で一泊するから家に帰らずに済み、猿芝居をする必要もないから一息つける。


 惜しむらくは班分けでマヒルと同じ班になってしまったことだけど、男女で寝泊まりするテントは別々だし、やる事が多くてそれほど一緒にいる機会もないから、これまた気が休まる。


 さて現地についてテントを建てたら、すぐさま飯の準備だ。

 僕は水汲み係を拝命し、ポリタンクを抱えて場内を流れる川へと向かった。


 キャンプ場とはいえ河川は本物だから、足場は悪いし流れも速い。おまけに水が入ったポリタンクは子供にはかなりの重量となる。

 僕同様に水汲み係の生徒達も、川のあちこちで苦戦していた。


 僕も渋々川べりにしゃがみ込んだところへ、


「…あんた。それ、貸して」


 嫌な声色が背後から呼びかけられ、げんなりと振り向けば…案の定マヒルだった。

 彼女はたしか野菜の皮剥き担当だったはずだが…


「…どーせ皮がろくに剥けずに担当から外されたんだろ?」


「違う。包丁の持ち方が危なすぎて安心できないから、先生に他を手伝えって…」


「たいして違わないだろ」


 …まあ、水汲みくらいならコイツでも出来るだろう。当時は僕より身体が大きくて力もあったし。


「…皮剥きは僕がやる」


 そう言ってタンクをその場に置いて現場から離れた。

 そしていくらも歩かないうちに、背後から生徒達の悲鳴が聞こえてきた。


「流されたぞーっ!!」


 まさか…嫌な予感がする。あいつ水汲みもろくに出来ないのか?


「誰か来てー!! 網元さん、泳げないのよー!!」


 そらみろ予感的中だ! 当時のマヒルはまだ泳げなかった。そして僕はそれを知らなかった。


 マズイぞ。万一あいつに何かあったら…僕はもう、網元家にはいられなくなる!


 父さんたちの本当の子供はマヒルだ。それが溺れ死んだなら、そのすぐそばにいながら傍観していた僕に非難が集中する。

 赤の他人の、この僕に…!


 しかも本来なら水汲みは僕の仕事だった。それをマヒルに任せたなんて知れたら…

 実際には彼女のほうが力が強かったとしても、世間的な男女差はそうそう覆らない…!


「…クソッタレがぁ〜〜〜〜〜っ!!」


 絶叫をたなびき川へと駆け戻った僕の目に…下流へと押し流されていくマヒルの泣き顔が飛び込んできた。


 ポリタンクはもう持っていない。先に流されたか、あるいは現場に残されたままか…。

 内部に空気が残ってれば浮き輪として使えただろうけど、無いなら仕方ない。


 彼女を追いかけながら周囲を見渡すと…

 根本から折れた樹木が川べりから川の中程に倒れ込んでいる。これは使える!


 すぐさま樹木に飛び移り、枝の端に捕まってマヒルが流されてくるのを待った。

 やがて流れてきた彼女は…マズイ、もう水中に沈み込んでいる!


 慌てて川に飛び込んだ僕は、マヒルの身体をキャッチすると、懸命に木の枝を伝って川べりへと戻る。

 ただでさえ僕より大きいマヒルの身体は、衣類が水を吸ってとんでもなく重かった。


 けれども僕だって必死だから、火事場の馬鹿力が効いてかろうじて川べりまでたどり着いた。

 ようやく大慌てで現場にすっ飛んできた先生達にも手伝ってもらい、なんとかマヒルを川から引き上げることに成功!


 …彼女は完全に意識を失っていた。

 濡れそぼった身体はすでに冷たくなっていて、顔からはとっくに血の気が失せていた。


『…………』


 誰もが言葉を失い、大きな絶望感があたりを支配する。

 やがて、女子生徒の間から嗚咽が漏れて広がり、葬式みたいな空気が垂れ込み始めた。


 …いやいやいやいや、それじゃ困るんだ、このままだと僕の居場所がまた無くなる…!


 おい養護教諭、さっさと人工呼吸しろよ。

 何まごまごしてんだ…このままじゃ本当に手遅れになるぞ!

 …もしかして救助知識が無いのか!?


 担任も生徒指導教師も、この期に及んで自己保身ばっか考えてオロオロしてんじゃない!


 えぇーいっ、どいつもこいつも…っ!

 もういいっ、どけっ! 僕がやるっ!!


 野次馬を押し退けてマヒルに覆い被さった僕は、気道を確保するなり…冷たいマヒルの唇に自分の唇を重ねた。


 またしても女子生徒の間から悲鳴が上がり、動揺が周囲に広がり始めた。

 でもそんなことは気にならない。自分自身の人生がかかってんだからな!


 息を吹き込んでは胸部を圧迫し、反応を待って…の繰り返し。

 僕だってろくな救急知識はない。漫画やドラマでかじっただけの半端な技術だけど、何もしないよりはマシだ。


 この際どうでもいいけど、当時のマヒルの胸はまだ現在ほど巨大ではなかった。けどそれなりに脂肪は付いてたから、圧迫しづらい事この上ない。この時ほど女子の胸を疎ましく思ったことは、いまだかつてない。


 そんな付け焼き刃の人工呼吸でも、それなりに効果はあったのか…やがて口から水を吐いて大きく息を吸い込んだマヒルは、見事に三途の川からの生還を果たした。


 歓喜の声に包まれる周囲をゆっくりと見渡したマヒルの、ぼんやりまどろんだ視線が…

 自分にまたがる僕の顔を至近距離で見つめるなり、ハッと大きく見開かれた。


 たぶん自分がどうやって助かったのかも悟ったのだろう。どんどん顔を赤らめて、慌てて僕を押し退けようとする。


 けど…僕はマヒルを逃すまいと力いっぱい抱きすくめると、耳元で囁いた。


「…あんたに死なれちゃ…困るんだよ。

 あんたは…僕の居場所なんだ…っ!」


 涙が後から後から溢れて、自分でも止められない。


 そんな僕の態度を、マヒルがどう受け取ったのかは知らない。

 ただ、僕と同じく涙をポロポロこぼして…


「…ありがとぉ…リョータ…!」


 初めて僕の名前を呼んだ。


 長らく仲違いを続けていた僕たちは、

 そのとき初めて、本当の姉弟になった。




 常に周りの顔色を気にしてオドオドしていた僕の生活は、その日を境に一変した。


「コラ男子っ、掃除当番はアンタらでしょ!? リョータにばっか押し付けないで!」


「で、でも、そいつが一人でやるって言ったんだぜ!?」


「リョータはあたしと帰るの。

 それとも、あたしも一緒に掃除しようか?

 当番じゃない女子がなんで掃除してるのか、先生に訊かれたら…どー答えよっかな〜?」


「チッ…わ、わーったよ!」


 渋々僕から箒と塵取りを奪い取って掃除を始める男子達を尻目に、マヒルは強引に僕の手を引いて教室をあとにする。


 こんな具合に、それまで僕が周囲に媚びへつらってる様子を見ても無視して通り過ぎていたマヒルは…

 あの一件からはそれを見つけ次第、必ず口出しして僕を助けてくれるようになった。


 二人並んで放課後の廊下を歩きながら、僕は青ざめる。


「どうすんだよ…絶対あとで文句言ってくるぞアイツら?」


「言わせない。リョータをいぢめる奴は、あたしが全部とっちめてやるから!」


「別にいぢめじゃないよアレは。僕がやっとくって確かに言ったんだし…

 そんなことより、あんたがアイツらに後で酷い目に…」


「そんならなおさら大丈夫。あたし、けっこー男子に人気あるから♪」


 鼻を鳴らして威張るマヒル。でもその通りだから仕方ない。

 それまでにも明るい性格で周囲に慕われてた彼女だけど、ここ最近はなんだかやけに男子人気が高まっていた。それというのも…


「おいおい、チューカップルが来たぜ!?」


「やーい、チューチューカップル〜!」


 僕らを見つけた一部の男子生徒が群がってきて、やいのやいのと囃し立てる。


 先日のキャンプでの一件はもはや全校中に知れ渡り、こうして興味本位でからかう輩も後を絶たなかった。小学生にはコンプライアンスもへったくれもないからな。


 あの緊迫した現場に居合わせた生徒達はさすがにバカにすることはなかったけど、どこの世界にもろくに確認もせずあーだこーだ言う連中は少なからずいるものだ。


 そんな下賤な連中に、マヒルはギリリと歯軋りして、


「リョータッ!」


「え…んむっ!?」


 それまでお祭り状態だった男子達が、途端に水を打ったように静まり返る。

 当然だろう。目の前で男女生徒が、待望の生チューを披露してるのだから。


 しかもマヒルはキスをしたまま僕の手首を鷲掴み、あえて自分の乳房へといざなう。

 キスと乳揉み。小学生にとってはタブーとされる魅惑の行為の二連発。これで黙らない悪ガキはいない。


 そろそろ呼吸が苦しくなった頃、やっと僕を解放したマヒルは、


「…アンタ達も、はやくこんなコトできる相手見つけたら?」


 不敵な笑みを浮かべると、再び僕の手を引き、茫然自失な悪ガキどもの横をすり抜けて廊下を突き進む。


「…何してくれてんだよ。アレじゃもう人工呼吸でも何でもないから言い訳できないだろ?」


 やっと人影が失せたところで不満を口にした僕を、マヒルはジロリと睨みつけて、


「…あたしとキスするの…嫌?」


「い、嫌じゃない…けど…」


 なんて卑怯な質問だよ。他に答えようがないじゃないか。


「てゆーか、なんでおっぱい…? キスと関係ないだろ?」


「…? キスしたら、もっと他にもしたくなっちゃうでしょ?」


 やっと解ってきたけど、コイツは考え無しのド天然だ。口より先に身体が動いて、善悪の判断は後からついてくる。


「それに…リョータの手…ちょっと気持ちイイし。」


 だからときどき、こんなドキッとすることを平然とのたまう。自分の気持ちが最優先で、それがどんな意味に受け取られるのか、まるで考えていない。


 男子人気急上昇の秘密がコレだ。

 普段はハツラツとして脳天気そのものなのに、ときどき思わせぶりな言動で周囲をたぶらかす。


 それに…よくよく見れば…結構カワイイ。

 つまりは天然の小悪魔…『悪女』だ。


 それにしても、最初は僕をキモいだの何だのと散々下げずんでたのに、今は真逆の評価だなんて、いったいどういう風の吹き回しだろう?


「よぉ〜っく見たら、リョータ…けっこーカッコイイと思うし…誰かに盗られる前に自分のモノにしときたいじゃん?」


 なるほど、いまさらソコに気がついたのか。

 マヒルがやっと気づけるくらいなら、僕の美形ぶりもそれほどじゃないんだろう…と自己評価を改める。


 そんなことよりも、コイツ意外と独占欲強いな。僕はお前のお人形さんじゃないんだぞ…女の子こわっ。


「そりゃありがとさん。でもあんたさ、そーゆーコトはあまり人前で言わないほうが…」


「…『マヒル』。」


「へ?」


「あたしはもうリョータって呼んであげてるのに、そっちはいつまでアンタ呼ばわりなワケ?

 だいたいあたしのほうが年上なのに…」


「同い年だろ。けど確かにちょっと目上か。

 …『マヒル姉さん』。これでいいか?」


 そう呼んでやると、さっきまで散々キスとか乳揉みとか平気でやらかしてた彼女はポッと顔を赤らめて、


「呼び捨てでいいってのに…」


 などと言いつつ、嬉しそうにはにかんだ。

 チキショー…やっぱこいつ、カワイイな。




「ねぇねぇリョータ、コレどーかな!?」


 とある日の夜。湯上がり後に子供部屋に戻った僕を、異様な光景が待ち構えていた。


「…なんなの、その格好…!?」


 思わず後ずさる。

 いやどんな格好かは判ってる。マヒルが着てるのは、いわゆる競泳水着だ。

 けど、なんでそんな格好でこの部屋にいるのかが解らない。


「えへへ…明日からコレ着て、水泳教室に通うんだよ♪」


 格好よりも、むしろその発言のほうが驚きだった。

 先日あんな危険な思いをしたはずなのに、わざわざまた危険な目に遭いに行くなんて正気の沙汰じゃない。


「だからだよ。そもそもあたしが泳げなかったのがイケナイんだから、ちゃんと泳げるようになって…

 またあんなコトになったら、今度はあたしがリョータを助けてあげる⭐︎」


 屈託のない笑顔に水着姿の魅力が相まって、直視できないほどに眩しい。

 やっぱりマヒルは普通じゃない。こんなノーテンキ女のどこからこれほどまでの活力がたぎってくるんだろうか?


 その後、彼女は見事に泳げるようになったばかりか、隠れた才能を大爆発させて、瞬く間に水泳界のトップへと登り詰める。

 そんな有名アスリート誕生の原動力となったのは、あるいは僕の存在だったのかもしれない。


 そんな将来的な偉業はともかく…


「ねぇ、なんでそんなに目ぇ逸らしてんの?

 もっとちゃんと見て!」


 だから眩しすぎて直視できないんだってば。

 学校指定の水着とはまるで違って、身体のラインがハッキリクッキリ判って、生地もすんごく薄くて…


「だってソレ…ほとんど裸じゃん…っ」


「…!?」


 どうやらマヒルは本当に似合うかどうか訊きたかっただけらしいけど、僕の率直なコメントにやっと我に返ったらしい。さすがは天然。


「…じゃあ…脱ごっか?」


「なんでっ!?」


「リョータには…全部見てほしいから。」


 マヒルは感情がたかぶりすぎると自身の発言内容を制御できなくなる傾向がある。

 つまり、本音がダダ漏れるわけだけど…コレもう小学生の発言じゃないよな?


「姉弟なんだから…見せ合いっこしても、おかしくないよね?」


 おかしいだろっ!? ホワイジャパ以下略! こいつの中での理想の姉弟像はどーなっとるんだ!?


「ぼ、僕は脱がないぞ!」


「えー。なんかさっきから…ちょっとソコ、形が変わってるから…見てみたいのに…」


 心底残念そうに僕の股間を指差すマヒル。クッ、部分的に早熟な己の身体が恨めしい!

 つーかお前がそんなエッチいことばっかやってるからだろ!


「み、見せないぞ! そんなコトばっか言ってると、姉弟の縁を切って出てくからな!」


「それはヤダッ!! あたしはリョータの居場所だって言ってくれたのにぃ…っ」


 ホント、最初はあんだけ嫌われまくってたのに…何がどうしてこーなった?

 そしてなんだか、僕のあの発言を巡って大きな誤解が生じていなくもない気がする…。


 そんなこんなで、僕の悶絶な日常はその後も延々と…僕が網元家から自立するまで…


 否、むしろ自立してからのほうがなおさら激化しつつ現在に至るのであった。





「え〜っと…もぉお腹いっぱいな感じ?」


 これだけの大長編スペクタクル人生譚を語って聞かせたというのに、美岬さんの感想はえらくあっさりしていた。


「てゆーか後半、マヒルとのラブラブエピソードばかりだったから、妬けるのなんのって…」


 僕のこれまでの人生に良くも悪くも影響を与えたのは彼女だったから、どうしても触れざるを得なかっただけです。


 薄々気づいてたけど…どうやら美岬さんて、人の話を半分にしか聞けない性分らしい。

 ずいぶんせっかちな人らしいし、その手の人にはありがちな傾向だけど。


「けど…やっぱりこの人で間違いなかったなって…この人なら、私のことを解ってくれるって…そう思った。」


 それでも大事な要点はちゃんと理解してくれたようで、美岬さんは信頼に満ちた瞳で僕の顔を見つめ返す。


「でも、マヒルとはそこまで深い関係だったのに…あっさり私に乗り換えちゃっても、いいの?」


 急に不安げな眼差しを向けて、美岬さんは僕の答えを待つ。まだ何か誤解してるようだけど、いいも悪いも…


「何度も言ってるけど、僕とマヒルは義理の姉弟ってだけだよ。

 美岬さんと同じく、僕も人を好きになったのはこれが初めてだから、勝手が解らなくってさ…」


 昔は自分が生き抜くことだけで精一杯で、他人にかまけてる余裕なんて全然なかったし。

 マヒルのおかげでずいぶん楽にはなったけど…


 一度そんな経験をした人間は、なかなか素直になることは出来ないものだからね。


「だから…頑張ってる美岬さんには悪いけど、ちょっと頑張りすぎじゃない?」


「…今の話聞いたら、もっと頑張らないと追いつけないかな〜?ってなおさら焦っちゃってますけど…やっぱりわかる?」


「だって…さっきから身体、震えっぱなし」


 彼女の肩に回していた手で背中をスゥーッと撫で下ろすと、美岬さんの身体がピクンッと一際大きく震えた。


「…ふむ。やっぱり下着つけてないね。道理で無防備すぎる胸元だなぁと」


「エッチなことはしないって言った割には、めちゃくちゃエッチいんだけど?」


 先端がこれでもかと自己主張してる胸を今さらながらに両手で覆い隠して、それでも美岬さんは気丈に苦笑う。


「天然エロリストに鍛えられたからね。ちょっとやそっとの色仕掛けじゃ心は揺るがないよ…ゴチにはなるけど♪」


「うわメチャメチャ厄介! それって女の扱いにそーとー手慣れてるってことなんじゃ…?」


「ん?…よくよく考えたら、そうとも言えるかも…?」


「あっれぇ〜おっかしーなぁ、好きになるヒト間違えたかなぁ?」


「さっき両親には『この人なら大丈夫』って力説してたのに?」


 などと言い合いつつも緊張はほぐれたようで、僕らはやっと心の底から微笑み合った。


「…まあそんな訳だから、焦らず慌てず、僕らのペースで進めばいいんじゃないかな?

 こうなった以上、僕はもう美岬さんを拒まないし、裏切らないからさ」


「会長さ…」


 夢見る顔でそう呼びかけたかと思いきや、美岬さんはしばし考え込んで、


「じゃあまず、お互いの呼び方から変えるべきじゃない? リョータさ…リョータ♪」


 途中でわざわざ言い換えて呼び捨てにしたな。まだまだマヒルの呪縛からは逃れられないらしい。


「なら、僕も遠慮なくこう呼ぶよ…ユウヒ。」


「ひぅんっ!?」


 耳元で名前を囁きかけただけなのに、なぜかくすぐったそうに飛び跳ねる美岬さ…ユウヒ。


「なるほど、耳が弱点なのか…」


「ううっ、やっぱり人選誤ったかも…」


 真っ赤な顔で身をよじりつつも、ユウヒはもう抵抗しない。


「あの…ね? 今夜は挨拶だけにしとこうと思ったけど…引っ込みつかなくなっちゃった」


 ますます上気した顔を僕に近づけて、僕の口元を凝視する。やっぱりマヒルへの対抗心バリバリなのか、それとも…?

 確かにご立派なお乳の先端がもう引っ込みつかないほど尖りまくっちゃってますけど♪


 柔らかそうな艶やかな唇…。

 再び静寂が満ちた室内で、熱い吐息が…

 部屋の戸口から…




 …部屋の戸口?


「…ちょっと待って。」


「あふんっ。拒まないって言った先から…嘘つき」


 不満げに唇を尖らせるユウヒを押し退けて、僕はそぉっとベッドから腰を上げた。

 そして足音を立てないよう、細心の注意を払いつつ部屋を横切り、ドアの前に立つ。


 呼吸を落ち着けて…

 バタンッ!と一思いにドアを開けば。


「ハァハァ…ぁうっ!?」


 案の定、突然の出来事に目を白黒させるアサヒちゃんの姿がそこにあった。


 コラコラ、お子様はもうお寝んねの時間デスよぉ〜?





「ア、アサヒ!? 寝たんじゃなかったの!?」


「はぁうぅうぅ〜〜〜っ!」


 やれやれと見下ろす僕と、慌てふためくユウヒの形相にすっかり怖気付いた彼女は、腰が抜けたまま涙目でジリジリ後ずさる。


 まあ気持ちは解る。彼女だってお年頃だ。

 自分の姉とそのカレシが同じ部屋にこもったきり出てこなかったら、そりゃ気になるよな。


 興奮のあまり派手に荒げた自分の鼻息が、僕に届くほどまでに大きくなってたことには気づかなかったみたいだけど。


「…おいで。」


 極力怖がらせないよう、そっとしゃがみ込んで優しく手を差し伸べると、


「…はぅ。」


 観念したアサヒちゃんは、おとなしく僕の手を取って室内に入ってきた。


 うっ、これは…っ!?


 薄暗い廊下にいたからよく判らなかったけど、彼女はユウヒと同じデザインで色違いのパジャマを着ていた。

 年齢的に当然、下着はつけていない。


 つまり…年齢にそぐわないほどご立派にご成長めされたお乳上が、ユウヒ同様に薄い生地越しにハッキリクッキリと…。

 そして年齢的に背徳感もハンパねぇ!


「…リョータ? それはさすがにアウトだからね? すんごい心揺らいでるし…嘘つき」


 しっかりユウヒに見抜かれてるし!

 などとパニクっている僕に、アサヒちゃんは半べそのまま、お馴染みのメモ帳を手渡す。


《のぞいちゃってゴメンなさい》


〈大丈夫、怒ってないよ。何もしてないし〉


 僕の返事にアサヒちゃんはホッとした様子で、


《でもキスしようとしてたよ?》


 うぐっ。あえて文面で指摘されるとさすがに照れる。


《お姉ちゃん、すごくエッチな顔してた》


 うんうん、アレはエッチだったね〜。

 でもでも、


〈それを見てたアサヒちゃんも、すごくエッチだったよ〉


《お兄ちゃんのいぢわるっ!》


 これくらいやり返しとかないとな、お姉ちゃんの名誉のために。


〈カワイくてエッチな子にはいぢわるしたくなっちゃうんだよ、男の子なら誰だってね♪〉


「あう〜っ!?」


 そんな僕の返事を読んだアサヒちゃんは瞬時に耳まで真っ赤に染まって、しばらく身悶えしてたけど…


《エッチな子はキライ?》


 それでも果敢に質問を重ねる。彼女みたいな年頃の子は、エッチ呼ばわりされることを極端に嫌うからなぁ。


〈むしろ大好き。アサヒちゃんみたいにカワイイ子なら大歓迎だよ⭐︎〉


 うわ、自分で読み返してもキモッ。でもこれなら彼女も安心してくれるだろう。


《じゃあ、アサヒともっとお話してくれる?》


〈エッチなお話?〉


「あうぅう〜っ!?」


 …これはヤバイ。いいかげん色んな方面からお叱りを受けそうだけど、ワクワクが止まらない。

 やっぱり小学生は最高以下略⭐︎


《それもしたいけど…》


 したいのかァーッ!?


《アサヒとお話してくれる人、あんまりいないからサミシイ》


 あ…そうか。アサヒちゃんは耳が聞こえないから、一般的な会話が成立しない。

 手話も使えないようだから、必然的に筆談という形になる。


 一部のスマホ中毒な人々ならいざ知らず、相手が目の前にいるのにいちいち書いて見せて読まなきゃならないなんて、大抵の人は面倒くさがるからな…。


 こんな純真な子に意地悪ばかりしてしまった…自己嫌悪。


 気を取り直して、僕はこう返答した。


〈イジワルしてごめんね。おわびに、お話だったらいつでもどーぞ♪〉


 それを読んだアサヒちゃんは興奮した様子で懐からスマホを引っ張り出す。

 スマホ持ってたんだ…そりゃ何かあった場合の連絡に必須だからな…。


 などとぼんやり考えていた僕の鼻先に、嬉々としてスマホを差し出すアサヒちゃん。

 そこに表示されているのは、某通話アプリの自分のID。


 そっか、いちいちメモ帳に走り書くよりも慣れればこっちのほうが早いし、画像も送れるし、いつ頃連絡し合ったかという詳細な記録も残せるよな。


 僕のスマホに登録されてる連絡先は、マヒルが無理やり置いてったのを除けば、あとは網元家の父さんと生徒会関連ぐらいだから、まったく思いつかなかった。


 冒頭の通り、ほぼマヒルとの通話専用になってるし、すぐに既読つけないとメチャクチャ怒られるから、迂闊に他に連絡できないしで。


 でもこんなにカワイイお友達なら拒む理由はない。さっそく登録…ってアレ、どうやるんだっけ? いつも人任せだから方法がわからない。


 などとスマホ初心者のお年寄りみたいにマゴマゴしてたら、痺れを切らせたアサヒちゃんが電光石火の早業でちゃちゃっと登録完了。

 う〜んさすがはZ世代。いつもすまないねぇ。


 こうして僕の線友だちに史上最年少のカワイコちゃんが増えました♪

 …やけに話が上手すぎるな。もしかしてハニトラ…?


「ふぅ〜ん? カノジョを差し置いて他の子とオトモダチになるんだ。さっきから私を放ったらかしてずいぶん盛り上がってたし…ふぅ〜ん?」


 アサヒちゃんと二人して、さも嬉しそうに友だちリストを眺め倒してたせいか、すっかり忘れてたユウヒがヘソを曲げてしまった。


 ヤッバ…どうやら彼女もマヒルに負けず劣らずのヤキモチ焼きで独占欲過多だぞ?

 てかアサヒちゃんはチミの妹でしょ!?

 考え様によっちゃハニトラよりも厄介だった。


 そこへ追い打ちをかけるように、


「♪♪♪♪♪♪」


 フレンド登録ありがとうを言う代わりに、アサヒちゃんがいきなり僕にギュウ〜ッと抱きついてきた!

 話し相手が出来たのがよっぽど嬉しかったのか、予想外にダイレクトな愛情表現で、姉上よりも遠慮がない。


 てゆーか、ベッドに腰掛けてた僕を抱きすくめるもんだから位置的に、お年頃の割にはたわわなお乳がモロ顔面にィーッ!!

 …いやこれはあくまでも事故であって淫行じゃありませんからソコントコくれぐれもヨロシク⭐︎


 しかしそんなアサヒちゃんを背後から羽交い絞め…いや抱きすくめると、マヒルは張り付いた笑顔で、


「はぁ〜い良い子はお姉ちゃんとオネンネしましょーねぇ〜♪」


「♪♪♪♪♪♪」


 僕には大蛇が蛙を威嚇するかのような地獄絵図に見えたんだけど…

 アサヒちゃん的には大好きなお姉ちゃんと一緒に寝られるのがとても嬉しいらしく、僕にペコペコお辞儀しながら揃って部屋を出て行った。


 最初の印象よりも、ずっと活発でフレンドリーな子だな。あとエッチなのもヨシ♪


 気づけばまったく違和感なく会話できるようになってたし、明日からのおしゃべりが楽しみだ。





 …大嵐が通り過ぎて、ようやく辺りに静寂が訪れた。

 部屋に用意してあった寝巻きにやっと着替えて、ベッドに大の字に寝転ぶ。


 照明を落とすと、窓から射す月の光が室内を青白く照らす。気になるほどでもないけど、意外と明るい。今夜は満月だっけ?


 窓の外の波音がリズミカルに寄せては返す。

 自分のアパートと立地条件は同じはずなのに、他人の家ではやはりどこか違う響きに思える。


 やれやれ、なんて騒々しい一日だ…と一息ついて時計を見やれば、いつの間にか日付けが変わっていた。道理で疲れるはずた。


 ユウヒとは明日朝イチでフレンド登録し合っておこう。それでご機嫌が治ればいいけど…。


 …出会った翌日に、もう名前で呼び合う仲になるなんて思いもしなかったな。

 マヒルとは半年もかかったのに、信じがたい成果だ。

 ユウヒが性急すぎるのか、それとも僕が人間的に変わってきてるのか…。


 …………。


 …う〜む?

 疲れ切ってるはずなのに、なかなか寝付けない。やはり環境が違うせいかな?


 それにしても…僕の周りに集まる子って、なんでか揃いも揃ってエッチだなぁ♪


 変態ヘンタイいう割に本人がいちばん変態っぽい副会長さん。


 ここ最近で目に見えて女の子らしい身体つきになった、水着姿のヒマワリちゃん。


 その先輩にして僕の幼馴染、ナチュラルボーンエロースなマヒル。


 物凄くキレイなのに物凄くエロい、できたばかりのカノジョ…ユウヒ。


 その妹にして、これまた年齢離れした発育の良さを誇る、まだ小学生のアサヒちゃん。


 揃いも揃って…おっぱい、オッパイ、oppai、OPPAI!!


 くうっダメだ…っ! 他所様ん家だってことは判ってるのに、手が自然と…


「…あらご立派。手伝おっか♪」


「…ぅわあぁあっ!?」


 あられもないコトに及ぶ寸前で、あられもない囁き声が鼓膜を揺さぶり、僕はトランポリンのようにベッド上で飛び跳ねた。


 いつの間に忍び込んでたのか…僕の隣には、あり得ない人が添い寝していた。


「…どーゆーつもりですか…ナミカさんっ!?」


 いまさら手遅れな気もするけど、声をひそめて問いただす。


 カイドウ氏の再婚相手にして、一見女子大生風の三十路美魔女、ナミカさんが何故ここに?

 しかも…どこもかしこも透っけ透けなあられもないネグリジェ姿で!


「あ、大丈夫よ。この客室、完全防音だから。

 宇宙では、あなたの悲鳴は誰にも聞こえない…♪」


「その映画が公開されたとき、あなた確実に生まれてませんよね!?

 防音は助かりますけど…なぜ?」


「そりゃあ…こんなコトしても誰にも気づかれずに済むからヨ♪」


 さすりさすり♪


「あふんっ!? ギュッと握って激しく擦らないでぇ〜っ!!」


 ヤバイやばい、超〜おヤバイッ!

 よもやこんな伏兵が潜んでいようとは…

 しかもコレ、文字媒体でなけりゃ完全アウトだろ!!


「やっぱり若い子のは強さと張りが段違いネ。カイちゃんって、もぉいいお年頃だから、テクはあるけど勢いと持久力が…ねぇ?」


「回答のしようもない問いかけはやめれ!

 そんなお相手を選んだのはアンタでしょ!?」


 するとナミカさんはあっさり僕と僕の僕を解放し、残念そうに溜息をついて、


「でもこの部屋、壁は薄いし鍵が掛からないのよね…。誰にも邪魔されずにイロイロしたいじゃない…ねぇ?」


 甘ったるい声で囁きかけながら、僕の片手を彼女の張りのある乳房へと誘う…。

 くぅ〜っ、この美魔女め♪


「もっと楽しみたかったら…場所を変えましょ? カマ〜ンヌ♪」


 い…いいんじゃな〜い? お店変えるのも♪


 てなわけで意志薄弱な僕は、妖艶な人妻にいざなわれるまま部屋を後にし、すぐ向かいのドアへと吸い込まれていくのだった…。



【第三話 END】

 今回で美岬家編は一旦終了の予定でしたが…エロを盛り込みすぎたら収まりがつかなくなったので、次回もまだ続きます。

 今まではマヒルの印象が強くて、今回はまさにその総まとめです。

 が、次回からは次第にユウヒのほうがメインになっていきます。

 内容からお察しの通り、それぞれの登場人物は皆同じ方向を向いてるようで、その実少しずつ認識にズレが生じています。

 このディスコミュニケーションこそが今作のテーマだったりしますが…はてさて今後の展開や如何に?

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ