栄光と迷走と
マヒルが迂闊にも僕との恋仲を公言してくれやがったせいで、僕は窮地に立たされていた。
「潮さん、網元選手との交際の件ですが!?」
「貴方が交際をOKした途端にあれだけの好成績が叩き出されたと!?」
「本当にそれだけですか? 何か手渡されたりはしてないですよね?」
初っ端から僕がドーピング疑惑に加担した体になってるし。
そもそも僕、一介の高校生っスよ?
「それで…現在はどうしてこちらのお宅に?」
「こちらはあの美岬カイドウ氏のお住いですよね?」
「先日の例のナマ配信で一緒に映っていた、氏のお嬢様方とは、どのようなご関係で?」
「噂では、鈴盛土ジモン議員の元御子息のリヒトさんもこちらにいらっしゃると?」
「いったいどういうことですか!?」
「詳細をお答え戴けるまでは、こちらも帰れませんヨッ!!」
お仕事熱心なのは感心ですけど、今日びマスコミ稼業でも過密労働は問題視されますよ。
解ったらとっととお帰り戴けますかねぇ?
…などと説いてみたところで無駄骨なのは判りきってるので。
美岬邸の正門前に群がる大勢のマスコミを無言で押し退けた僕は…
その向こうに停車した白いリムジンへと一目散に駆け寄る。
「会長、お早くっ!」
後部ドアを開けて手招きする副会長さんに頷き返し、そのままの勢いで車内に転がり込む。
「追えっ!」「逃すなッ!!」
怒声が飛び交い、地面に落ちた飴玉に群がるアリンコのごとく、マスコミ達がわらわらとリムジンを取り囲む。
「また新しいお相手の登場か!?」「今の眼鏡美女は誰だっ!?」「生徒会副会長の福海鳥さんとの情報が!」「台湾の有名グループ企業の会長の御息女か!?」「おいおい、いったい何股かけてるんだ!?」
だから情報が早すぎるって!
怖っ! マスコミまじコワッ!!
「…これで私も無関係とは言えなくなりましたね♩」
「なんで嬉しそうなの!?」
「…あ、お久しぶりです会長」
「今さら!?」
てな訳で久々に再登場の副会長さん。
このままじゃ美岬家の皆に迷惑がかかる、ただでさえ居候で肩身が狭いのに…と苦悩しかけたところへ、タイムリーに彼女から電話が。
『お困りのご様子ですね』
「なんで判るの!?」
『仕事の都合でたまたま近所まで来ておりまして。たまにはお顔を拝見致したいと思って御自宅前まで来てみれば、なんだか面白いことに…』
「僕の御自宅じゃないし面白がられて腹立つけど、正直助かった!」
てな訳でお言葉に甘えることにした。
彼女なら何とかしてくれそうな期待もあったしね。
しかし再会を喜んでる場合じゃない。このマスゴミどもから逃れるための秘策のはずだったのに、結局取り囲まれてしまったけど?
「ニヒヒッ心配御無用。お姉さんにまっかせなさーいっ!」
いつものように運転手を買って出たメイド姿のフィンさんが、心強く宣言するなりクラクションを打ち鳴らす。
そして怯んだ相手が後ずさったのを見逃さず、すかさずリムジンを急発進させた。
車窓から急速に遠ざかる、住み慣れた美岬邸。二階の窓からユウヒ達が手を振ってる…ような気もするけど、スピードが速すぎてよく見えない。
リムジンはそのまま専用通路を突っ走って、駅前の環状線にドリフトを決めて躍り出た。
…繰り返すがリムジンである。トラック並みの車長にもかかわらずドリフトて。
すぐに後ろからバイクに乗ったパパラッチが何台も追跡してくる。一般庶民の僕相手にここまでするか?
「先日の議員逮捕事件の中心人物ということで、業界での会長の扱いは有名インフルエンサーに昇格されていますから、今後は何をするにも付き纏われます。お覚悟を」
うーわー、こんな形で有名になんてなりたくなかった…。
「チッ、しつこい連中ねぇ…まくるぞぉ!」
舌打ちしたり舌なめずりしたり忙しいフィンさんは、明らかに某怪盗アニメの見過ぎのようなセリフを吐き捨てると、アクセルをしこたま踏み込んだ。
エンジンまで改造されてるのか、リムジンは馬鹿デカい車体にもかかわらず滑るように加速し続ける。
でもあの、ここ日本…
「…サイレンの音が近づいてきましたね」
副会長さんに言われて振り向くまでもなく、車体後部はパトランプの光で真っ赤に染まってる。
けれどもフィンさんは慌てず騒がず、
「ジョブジョブ、ちゃ〜んと根回し済みよ♩」
『前方の暴走バイク集団、速やかに路肩に寄せて停車しなさい!』
続け様にパトカーが拡声器でがなり立てた指示に従い、パパラッチどもは渋々路肩に寄せてリムジンから離れていく。
「…警察に根回しって効くんスか?」
「効くわけないから台湾政府の大使館に頼んでみた♩」
外交特権…! え、副会長さん家ってそんなに影響力あんの!?
ともかく、おかげでなんとか追っ手は撒けた。あとは…この目立ちすぎる車をなんとかせにゃーな。
いつの間にか上空には報道ヘリが飛び交ってるし、このままじゃいつまで経っても逃げられない。
…と、そのとき突然、脇道から真っ白なオープンカーが飛び出してきたかと思うと、リムジンの隣にピタリとつけて並走を始めた。
周囲はいつしか校外の広い街道になっていたから事故る心配は無さそうだけど、ずいぶん乱暴な運転だな。またパパラッチか?
「…ぅえ? あの車、運転手が…!?」
そう、隣の車にはドライバーが乗ってなかった。どこにも隠れようがないオープンカーだから、間違いなく無人だ。
一昔前なら驚くべき事態だけど、現代ならば一応は説明がつく。
「自動運転です。うちの会社で開発中です」
やっぱりか。同じ白色だしな。
つーか副会長さんの会社ってそんな分野にまで進出してんの?
「ちなみにこのリムジンにも搭載済みよン。さ、とっとと乗り移りましょ♩」
フィンさんがハンドル横のボタンを操作すると、いつもは横開きのドアがガルウイング状にウィ〜ンと上方に持ち上がった。どういう仕組み!?
彼女はそのドアの取手を鷲掴むなり、身体を揺らしてヒョイっと器用に隣の車に飛び移る。
なるほど、たしかにこっちの車も運転手がいなくても走ってる。けど…
「いやいやいやいや! 無理でしょこんなの! どんだけスピード出てると思ってんの!?」
「ご安心を。そのためのオープンカーです」
とか言いながら、副会長さんも同様にヒラリと隣の車へ。
あのですね、オープンカーは走行中に飛び乗るためにオープンなんじゃありませんからッ!
てか僕は生粋の日本人なんだよ。最終的にはなんでもカンフーで片付ける台湾映画みたいに上手くいくかい!
「大丈夫です。自動運転同士なら人間以上の精度で速度調整できますから、吊り橋を渡るより安全です」
だから精度じゃなくて速度の問題だっちうに! 足下見たら路面がすんごい勢いで流れてるし、そんなお気楽に渡れるかっての!
「何があっても私が受け止めます。上手く渡れたらご褒美に私のカラダをご自由にして戴いても構いません」
ソレどっちかってーと副会長さんのご褒美だよね? でもそそったからボク、ガンバル☆
意を決してドアの取手を掴むと、思った以上にガッシリしてるし、ドアもしっかり固定されてて垂れ下がってくるようなことはない。これならイケそうだ。
オープンカーの後部シートでは副会長さんが両腕を広げて、僕が飛び移るのを今や遅しと待ち詫びている。
よし、余計なことは考えるな。
ただまっすぐ前を向いて、彼女の胸に飛び込むことだけに集中するんだ。
まっすぐ、まっすぐ…目の前にあるのは、副会長さんの柔らかそうな双丘のみ…デヘヘ☆
今宵の彼女は見慣れた制服姿じゃなく薄手のサマードレス姿だから、その膨らみがより強調されて…ゲヘゲヘ♩
「フ〜ジコちゃーんっ☆」
こんな場合にはお決まりのフレーズを叫びつつ、僕はおっぱいめがけて頭からダーイブ!
待ち構えていた副会長さんは受け止めてくれはしたものの、男の僕の体重を支えることはさすがに敵わず、そのままの勢いで後部シートに押し倒された。
う〜む、リムジンのシートも極上の座り心地だったけど、このオープンカーのシートはまるでウォーターベッド並みに柔らかいなぁ♩
「それはまぁ、私が座布団になってますからね。できればもう少しお力を加減して戴ければと…中身がはみ出そうです」
言われてみれば、僕に鷲掴まれた副会長さんのおっぱいが、中身スカスカのマヨネーズボトルみたく撓んでる。
「中身って…おっぱい出るの?」
「出ませんよ。会長のお子様を孕ませて戴ければ出るようになるでしょうけど」
しれっと末恐ろしいことを言ってくれるけど、たしかにモミモミしただけじゃ出ないらしい。う〜ん生命の神秘。
「…せっかくだから、もう少し触っていい?」
「この状況でも揺るがない性欲はご立派ですが…全国のお茶の間に見られてますよ?」
忠告されて頭上を仰げば、さっきからの報道ヘリがなおもピッタリ追跡してくる。
全国規模でえらいトコ見られてもーた。
自動運転に切り替えたリムジンはUターンして視界から遠ざかりつつあるけど、ヘリはそちらには見向きもしない。
「リムジンからこちらに乗り移るところをしっかり目撃されてましたからね」
「オープンカーだし、真上から見ればモロバレよね♩」
チミ達アホなのバカなの!? ならなんでわざわざ危険な思いしてまで車変えたの!?
しかもよりにもよって夜目にもハッキリクッキリな白色だし、ますます逃げようがないじゃん!
「それはね〜、この機能はこっちの車にしか搭載されてないからよン♩」
とフィンさんがハンドル横のボタンを押すと、走行中にもかかわらずトランクから屋根が迫り出してきてハードトップに早変わり。
走行中の変形はたいへん危険なのでご遠慮ください。つーか普通無理だよね!?
「見どころはこれからです」
副会長さんが淡々と自慢するなり、直前まで白色だったボディカラーが鏡面に変わり、周囲の風景に完全に溶け込んだ。
「…光学迷彩…!?」
スゴッ、どこぞのアニメまんまじゃん!?
米軍で実験中のはテレビで見たことあるけど、一般車に搭載されたものは初めてだ。
「あとはライトを消せば…!」
フィンさんがライトを操作しつつ、路肩の木陰へと車を停車。
するとヘリはこちらを完全に見失ったように上空をしばらく旋回し続け、やがて諦めたように何処ぞへと飛び去っていった。
「…さて、予定通り目的地へと向かいましょう」
いつも通り沈着冷静な副会長さんが、これほど頼もしく思えたことはないね。
◇
「…しばらくはこの部屋で御隠居いただきましょう」
街外れの某所にて。
照明の薄暗さがやや気になるものの、全体的にはオシャレで落ち着いたシティーホテルのような部屋に僕はいた。
「で、でもあの、ここって…」
「はい、いわゆるラブホテルです」
マジか。初めて入ったよ。
一階の車庫に車を停めて、そのまま二階の部屋に上がるモーテル形式の宿だ。
他の客やホテルの店員とは一切顔を合わせることがないから、潜伏するにはもってこいだけど…未成年は入室禁止なんじゃ?
「そこはあたしがいるからってことで♩」
フィンさんが目配せ。
「あたし達の身元もバレちゃってるから、うちの屋敷や関連施設だとすぐに足が付くしね」
「その点、こういった店舗ならプライバシーは保護されますし、食事などの提供サービスもあります」
加えてホテルだからベッドや風呂トイレはもちろん、テレビやWi-Fiも完備されてて、部屋から一歩も外に出ることなく生活可能だ。
しかも、そういった用途のために防音対策もそこそこ講じられてるし、自動会計だし…たしかに至れり尽くせりだな。
「その代わり、網元部長や美岬女子等との接触は当面我慢して戴かねばなりませんが…」
「…構わないよ。丁度しばらく距離を置きたかったところだし」
落ち着いた途端に逃亡の疲れが一気に襲ってきて、僕はベッドにどっさり倒れ込んだ。
「…やはり女性が社会的に評価されると、男性的には拗ねるものなのですか?」
単刀直入に訊きながら、副会長さんが僕のベッドの端に腰掛けた。
ラブホだからツインベッドだしソファーもあるのに、なんでわざわざってな気もするけど、もはや咎める気力すらない。
それに彼女とは旧知の仲だから、変に気を遣われないほうがかえって気持ちが安らぐ。
「男女差別はしないつもりだったけど…いざ、こういった事態になってしまうと…ね」
「別に変じゃないわよ。てか台湾の男なんて嫉妬の塊だから、それに比べりゃカワイイものネ」
隣のベッドに腰を下ろしたフィンさんが、タバコに火をつける。ちなみに個人の見解です。
「まあ、相手が並みの女ならこんなに苦労はしないんだけどさ…あのマヒルだよ? いくらなんでも強運すぎるでしょ。もう、神様にエコ贔屓されてるとしか思えないよ」
人間誰しも一長一短なんていうけど、アイツの場合はその差がいちいちデカ過ぎる。
おまけに本来なら短所なはずのおバカキャラですら、持ち前の人柄でチャームポイント化してる。周囲の人間から見たら卑怯千万だ。
「それに引き換え…僕なんて、単に顔がイイだけでしょ?」
「…面と向かって訊かれると頷くしかないのがムカつきますが、それをご自覚なさってるのがさらにイラッとしますね」
だってホントにそれだけだもんな、僕の取り柄なんて。本当は勉強だって好きってほどじゃないし、運動面ではマヒルに比べるべくもない。
だから僕は生涯を彼女のサポートに使うことに決めた。
それが僕を拾ってくれた網元家へのせめてもの恩返しだと思ったし、結局は自分のワガママで家を出たことへの罪滅ぼしだと思ったから。
それに…マヒルは考えなしのド天然だから、そのままじゃ周囲との衝突は必至だ。
だから僕は彼女が今の高校への進学を決めた当初から、着々と準備を進めておいた。
当時の生徒会に掛け合って、彼女が入学後すみやかに水泳に打ち込めるように部活方面の整備を行ったし、さらに万全のサポート体制を築けるように学校側への根回しも済ませた。
中学時代の成績も上げられるだけ上げておいたし、他に対立候補が現れないよう妨害工作も行った。
そして入学後は計画的に生徒会長に立候補し、それまでの苦労の甲斐あって極々短期間で得られるすべての権限を掌握した。
「幸運だったのは、早期段階で副会長さんという有能なブレインに出会えたことだね。おかげで予想よりもずっと早く理想通りの環境が整ったよ」
「…つまり私は会長を手に入れたい一心で、まんまと貴方と網元部長のラブラブハネムーン計画に加担させられてしまった訳ですか」
副会長さんは表情こそ変えないものの、その口調に苦々しさを滲ませる。
「まさかここまで用意周到だったなんて…つくづく恐ろしいガキんちょだわねぇ」
フィンさんもタバコの煙を燻らせながら苦笑する。でも僕は二人の見解に違和感を覚え、
「僕がマヒルとラブラブ? あ〜、今はたしかにそれっぽい感じになってるけど…アイツだけ手に入れたってしょうがなくない?」
「…おっしゃる意味が少々理解しかねますが?」
副会長さんが珍しく戸惑いを見せたのが楽しくて、僕はフフッと鼻先で笑って、
「僕が欲しいのは網元家の全部だよ。父さんと母さんと、姉さん代わりのマヒル。全部揃ってなきゃ」
僕が苦労を重ねてきたのは、全てそのためだ。
僕がどうしても得られなかった理想の『家族』像が、そこには全て揃っていた。
そして僕は彼らに散々お世話になったから…今度は僕が恩返しする番だ。
最終的には僕一人でも彼らを支えられるようになって、彼らをずっと手元に置いておく。
「そうすれば、僕はいつまでも網元家という『家族』の一員でいられる…でしょ?」
…って、アレ? せっかく会心の一大計画の全貌を語ってあげたというのに…
副会長さんもフィンさんも、なんでそんなキツネにつままれたような顔をするんだ?
「なのに、僕がこんなに苦労してやっとここまでのし上がったと思ったら、マヒルの奴は大幅にショートカットしてイキナリ世界新記録達成だろ。こんなんどーやって追い付きゃいいんだよ…?」
などと頭を抱え込む僕に、
「…キミってさぁ、メチャメチャ要領が良いように見えて、肝心なトコで抜けてるよねぇ」
灰が落ちかけたタバコを慌ててベッド脇の化粧板で揉み消して、フィンさんはさらに苦笑い。灰皿使えや…って、何ですとぉ!?
「…もしかして会長は、家族とは永久不変な存在だとお考えですか?」
???…副会長さんの質問の意図が理解できない。
「え…だって、家族は永遠って、よく映画やドラマとかで…」
「そういう意味では永久に存続しますが、家族の有様は常に変化し続けるものです。
会長はそれを学ぶために美岬家へ行かれたのではなかったのですか?」
いや、あそこにはユウヒに無理やり連れて行かれただけだし、学ぶことなんて…
などと反論する気満々な僕の顔色を見て、副会長さんは深ぁ〜い溜息をついて、
「たとえば…結婚すれば家族になれますよね、ナミカ殿みたく?」
…!
「あと、会長もリヒトくんも後から迎えられましたけど、もうすっかり美岬家の一員ですよね?」
言われて…みれば…。
「ですから、会長がご無理をなさらずとも、網元部長のお家は元から貴方を家族とみなしていたのでは? たとえ一人暮らしを始めようとも」
「で、でも、マヒルは僕がいつまでも弟分ってことが嫌そうだったけど?」
「それは会長…あなたが彼女と姉弟関係を解消したのと同じ理由だったのでは?」
え…?
「会長は常々、網元部長を自分の姉と紹介してらっしゃいましたが…ぶっちゃけ、我々周囲の人間には恋人以外のナニモノにも見えませんでした。
少なくとも、部長は端からそのつもりだったのでは?」
そこまで言われてやっと思い当たった。
僕がマヒルとずっと姉弟でいたいと言ったあの夜…どうしてアイツがボロボロ泣き出したのか。
「ですから、網元部長や彼女たち家族にとっては、貴方がいかに優秀だろうと平凡だろうと、そんなことはどうでも良かったのです。
…貴方がただ、そこにいてくれさえすれば」
長年積み上げてきた足場が、音を立てて一気に崩れ落ちていく思いだった。
それなのに…どうしてこんなに温かい気持ちで胸がいっぱいなんだろう…?
「さらに言わせて貰うなら、網元部長が最も強運を発揮したのは、間違いなく…」
そこで副会長さんはまっすぐに僕を指差して、
「…会長。この世に無数にいる人間の内から、貴方という唯一無二のお相手を引き当てたことでしょうね」
変わらず無表情ながらも、少しだけ羨ましそうに言い放った。
途端に胸の奥から熱いものが一気に込み上げてきて…僕はたまらず枕で顔を覆った。
ヤバい、このままだと二人にみっともない姿を晒してしまう。
でも、それでも構わない。
できるなら、今すぐ…マヒルに会いたい。
そんな僕の本心を見透かしてか、副会長さんはやっと表情を和らげて…
「…それはできません。」
あれっ?
◇
「お忘れですか会長。貴方はただいま大絶賛逃亡中の身です」
「そ、それは、今はちょっとマヒルに会いたくないなーってあの時は思っただけのことで…
誤解?が解けた今はむしろ…」
「とーころがギッチョン、別の誤解が続々生まれちゃってんのよね〜」
と、フィンさんがテレビを点けると…
丁度さっきの僕達の逃走劇がオンエア中だった。
『緊急生中継・不可解すぎる逃避行!潮リョータ氏は今いずこ?』という番組ロゴが画面端に躍っている。仕事早いな〜マスコミ。
しっかりフルネームですっぱ抜かれてるし。
僕を乗せた白いリムジンが夜道を疾走中なところを、報道ヘリが上空からキッチリ追跡している。
後をつけていたパパラッチバイカーズがパトランプに追われて次々停車する中を、背後から真っ白なオープンカーが一直線に駆け抜けていく。
僕らはすでに自動運転だったことが判明するけど、ヘリのカメラも運転席をアップで映し、ドライバーがいないことに出演者達が騒然となっている。
やがてリムジンにオープンカーが追いつくと、並走する二台の間を僕ら搭乗者が移動してる様子が大映しに。
傍から見ると中国雑技団かアクション映画さながらだ。やっぱメチャ危険だったじゃん!
ここでもメイド服のドライバーまでもが車を降りていることで大騒ぎになってるけど…
科学万能なこの時代に、どうして誰もすぐに自動運転って気づかないんだろう?
出演者からはゴーストカーだのCGだのと何世代前だよってなコメントが。
車は人が運転してて当然って思い込みってコワイよね。
そして最後にへっぴり腰のイケメンが飛び移ると、待ち構えていた眼鏡っ子を押し倒して濡れ場に突入。
『やむを得ず過激なシーンが流れますので未成年者の視聴にご配慮ください』とのテロップが出て…
直後、イケメンの手が眼鏡っ子の乳房を生クリームの絞り袋のようにギュンギュン締め上げている様子に出演者が色めき立っている。
『彼女は台湾の巨大企業グループの御令嬢で、潮氏とは高校の生徒会でもコンビを組むベストカップルと噂されています。
てゆーかもはやご覧の通り噂もクソもないですネ♩』
などと決めつけやがった司会者のせいで半ば確定事項だ。ラッキースケベって言葉を知らんのかい!?
「…ん? あ、もしもし私です」
やおら電話の着信を受け取るフィンさん。
…何故このタイミングで?
「ええ、今リアルタイムで観てます。事実確認は…どうするニャオ?」
「…では肯定で。」
「…だそうです。はい、はい…では世間のほとぼりが冷めた頃に連行します」
と、短い通話内容で電話を切ったフィンさんだけど…
「…誰ですか今の相手?」
「うちの会社の会長。ニャオが交際を認めたから、近いうちに会ってもらうかんネ♩」
ちょっ…!?
「ちょちょちょちょちょちょーいちょちょちょちょーいっ!? 事実無根です捏造です!
僕と副会長さんはそんな仲じゃ…」
「そんな仲じゃない男女がナマ乳揉み合ったりエロ水着見せ合ったりするでしょうか?
少なくとも私はそのつもりでしたが…やはり私とはただの遊びだったのですね…」
くうっ副会長さんめ、ここぞとばかりに否定しにくいネタで外堀を埋めてきやがって…!
『さらに最も驚くべき瞬間がこちらです!』
番組司会者が興奮気味に叫ぶなり、画面にはさっきのオープンカーがドアップで。
走行中に変形しただけでも驚きなのに、真っ白だったそのボディカラーが一瞬で鏡のようになり、周囲の風景に同化してスムーズに掻き消えると、スタジオ中が蜂の巣をつついたような大騒ぎとなった。
これには僕も驚かされたばかりだから無理もないけど、出演者からはまたしても幽霊だの幻覚だの洗脳だのとあり得ないコメントが。
なんで日本人て何でもかんでもすぐに宗教と結びつけたがるかね?
そしてなんで誰からも光学迷彩って意見が出ないのか?
それでも攻殻を産んだ國の民か貴様ら?
「ちなみにこの一連の映像、もう世界中に配信されて話題になっちゃってるわね。『リアル攻殻』ってタイトルが付いてる」
フィンさんがスマホの動画配信サイトを見せびらかす。
「ちなみにリョータくん、キミのファンサイトも立ち上がってるわよ…欧米で。アハハッ『ジャパニーズヘンタイキッズ』だって!」
笑い事じゃねーよッ! ってことは世界中に僕と副会長さんのマヨラー動画が出回ってるってことじゃん!? もう言い逃れできないじゃん!!
「…あ。うちの会社が会見を始めましたね。一連の映像はすべて我が社の製品であることを認めました」
つられて副会長さんもスマホでニュースサイトを検索して報告してくる。
「お〜お〜うちの株価爆上がりじゃーん、ヤッタネ☆」
まんまと企業業績に貢献させられちった。
「…あ、『入社前からナイスプロモーション!』ってうちの会長がコメントしてる。
よーしよしよしよし、お手柄お手柄♩」
フィンさんがペットを褒めるように僕の頭をワシワシ撫で回してくる。
えーっと…なんかすでに僕が入社する流れで話が進んでないスか?
「てな訳で忙しくなってきたから、あたしは先帰るね〜。ニャオ、後よろしく〜♩」
「へっ!? あ、ちょ…っ!?」
僕の制止も意に介さず、フィンさんはそそくさと部屋から出て行った。
直後、階下のガレージから急発進した車が遠ざかっていくエキゾーストノートが耳に入った。
「…さて会長。これからナニを致しましょうか?」
「…ココがどーゆー目的の場所か、絶対解ってて言ってるよね?」
問い返しつつベッドから下りた僕は、そそくさと部屋のドアノブに手を掛けた。
そう易々と彼女達の目論みにハマってたまるか、僕はまだ敷かれたレールに乗るつもりはないぞ…!
あ、でも人生の最大目標はあっさり潰されたばかりだし…次の目標が見つかるまで安定生活を選ぶのも悪くはないかも…?
「…以前選んで戴いた水着を持参しておりますが?」
副会長さんはハンドバッグの中から、小さく折り畳まれたあのエロ水着を取り出した。
チッ、用意周到だな…。
「…じゃあ早速ナニしましょうかねウヘヘ♩」
「させるかぁーッ!!」
ガッシャアーーーーンッ!!
唐突に窓の外でくぐもった怒声が轟いたかと思いきや、部屋の窓ガラスが目隠しの化粧板(この手のホテルでは窓は通常隠されている)ごと粉々に吹き飛んだ!
何事かと慌てて室内を見渡せば…見覚えのあるスーパーカブがベッドに突き刺さっていた。
大昔の某魔物狩人的なOVAで見たことあるな〜こんなシーン。
「…やはり動きましたか」
「当然。リョータを助けるフリしてしっかりちゃっかり利用するとか、相変わらず阿漕な真似してくれるじゃない?」
こんな異常事態でも沈着冷静な副会長さんに、バイクのライダーはフルフェイスヘルメットを脱ぎ捨てて対峙。
この作品でカブに乗ってる奴なんて一人しかいないからとっくにモロバレだろうけど…
「…ユウヒ!?」
◇
「…えーっとまず、どうしてこの場合が?」
訊きたいことは山ほどあれど、まずはこの疑問から。するとユウヒは懐からスマホを引っ張り出して、
「リョータのスマホに追跡アプリ仕込んどいた」
スマホ画面に表示されたマップのこの地点に赤いピンが立ってるのを見て、僕はすべてを悟った。
カノジョとか言いつつ常識外れなレベルで放任主義のユウヒだけど、一応ちゃんと僕の管理はしてた訳やね。
僕がどこで何をしてようが筒抜けだったのに、あえて知らないフリをしてた訳だ。
にもかかわらず今回は露骨に阻止してきたってことは、それだけ切迫した事態だったのか?
という疑問を投げかける前に、まずは…
「あの、ここ二階だけど…?」
「路肩の傾斜を利用して塀の上に飛び乗ってから、ウィリー走行の要領で次第に高い位置にジャンプしていけば簡単じゃない?」
そんなハリウッド映画のバイクスタントマンみたくお手軽ぶられてもフツーは無理だし、良い子は絶対マネしちゃダメだからな!
なんで僕の周囲にはことごとく漫画みたいなスーパーウルトラデラックス超人しか集まらないんだろうか?
「そんなことより、そこの眼鏡! アンタ真面目ぶってるフリして、ヤルことがエグすぎるのよ!」
副会長さんをズビッと指差し、ズバッと指摘するユウヒ。その眼鏡っ子はいちおー僕らの先輩なんだけどね?
「ニュース見てピンときたわよ。アンタ、リョータとの仲を既成事実化して、とっとと国にお持ち帰りするつもりだったでしょ!?」
ハッ!? 確かに…僕はパスポートなんて持ってないけど、本国政府ですら動かせる彼女達の力を持ってすれば、ヒト一人出国させるなんて造作もない芸当だ…!
対する副会長さんは、表情一つ変えず、
「…ちっ。」
うわーお、なんて判りやすい舌打ち!?
彼女の僕への執着は今に始まったことじゃないけと、ここしばらくはなりをひそめていたかと思えば…
「網元部長は貴方との接触が密になった途端にあれだけの素晴らしい記録を叩き出した…。
彼女以外にも、貴方と接触後に目覚ましい回復や活躍を見せた者が多々存在します」
たしかにヒマワリちゃんやシノブの例はあるけど…さすがに買い被りすぎでしょ?
「現にこの私も、以前より患っていた動悸・息切れ・眩暈などが改善されました」
どこぞの通販漢方薬みたいに効果テキメン!
むしろ同じ高校生として、もうそんなお年寄りめいた症状が出てることのほうが心配だよ。無理しすぎなんじゃないの?
「これは凄まじき…否、由々しき効能です!」
…はい? 『効能』…?
「会長、貴方には関わった人間の能力を飛躍的に向上させる未知の物質…例えるならば『リョータ菌』が内在するに違いありません!」
もんのっスゴイ頭イイ人なのに、発想がヒマワリちゃんと同レベル!
「その抽出に成功すれば、我が社は中央政府の圧力から解放されるばかりか…世界征服も夢ではないかと…!」
某ゾンビゲーに出てくる傘のマークの会社みたいなコト言い出したし。
「そして私はそんな貴方のおそばに一生お仕えし、現世の神の降臨を目の当たりにするのです。嗚呼、これぞまさしく栄光の極み…!」
…なんか急に彼女が怖くなってきた。
その気になれば世界の頂点に立つことすら可能な身分なのに、端から僕のそばに付き添うことを望んでるあたりが歪んだ宗教家みたいで尚コワイ。
「…やっぱアンタにリョータは任せらんないわ」
溜息混じりに頭を抱えるユウヒに、副会長さんは珍しく不満を顔に滲ませて、
「ならばどなたが会長に相応しいとおっしゃるのですか?」
「それを決めに行きましょ…今から。アンタにもまだ参加資格『だけ』はあるから」
「むぅ…」
むやみやたらと相手を挑発すんなし。もう遅い時刻だっちうに、これからどこに行くって?
そもそも僕、いま逃走中なんだけど…。
「それら全てをクリアする打ってつけの会談場所を用意したわよ♩」
と、ユウヒがスマホのマップアプリで示した地点は…
◇
「と、ゆーわけで。皆様、夜分遅くに御足労戴きまして誠に有難うございますぅ」
…なるほど、ヒマワリちゃん家ね。
マスコミを欺く意外な場所で、なおかつ皆の住居からほぼ等間隔な地点で、そのうえ参加者と等しく顔馴染みで場慣れした存在…。
会談のホストとしてはまさに打ってつけだけど…まるで世界大戦の戦後処理について第三国で会談する列強諸国みたいだな。
ということで、僕らはヒマワリちゃんこと日下家のリビングに集結していた。
参加者は、ご覧のように司会も務めるヒマワリちゃんと…
「リョータ、何なんさっきの番組!?」
テレビ局から帰ってきたその足で会談場所に駆けつけたマヒルは、いきなり僕を責め立てる。つか誰のせいでこんな騒ぎになったと思ってんだよ?
「見ての通りよ。奪還がもう少し遅れてたらヤバかったかも」
たしかにユウヒのおかげかも。副会長さんのヤバい一面を目の当たりにして、今さら震えが止まらない。
「何をおっしゃいますか。会長はもはやあなた方の手に負える存在ではありません…!」
僕にはもはやアータのほうが手に負えないけどね副会長さん。
ちなみにユウヒが壊したラブホの窓の修繕費…はおろか、新しいホテルが建てられるほどの金額を小切手で相手に握らせた後、オープンカーの自動運転でここまで送ってくれたのも彼女だ。
もちろん車の運転免許なんて持ってないけど、追及するだけ野暮ってもんだな。
「…え〜っとぉ、いきなり連れてこられて状況が飲み込めないんだけどボク?」
店の営業が忙しくて一連の情報を知らなかったらしいシノブは、ユウヒが道すがらついでに立ち寄って拉致ってきたようだ。
…原付の二人乗りで。
《うわーいシノブちゃんだぁ♩》
「お〜、これだけ面子が揃うと壮観だわねぇ♩」
早速シノブに頬擦りしてるアサヒちゃんは、ナミカさんが車に乗せてきたとか。
ちなみに美岬邸に詰めかけてた大勢のマスコミは、あのニュース特番が流れるなり僕らを追って人っ子一人いなくなったらしい。
「…なんでオレまで…」
唯一、完全に部外者なのにこんな所まで連れてこられたリヒトがふてくされるのも無理はないけど、小学生を一人で屋敷に置いとく訳にもいかなかったんだろうさ。
「…潮くん、これはどういうことかな?」
ヒマワリちゃんの家ってことは、当然のように父親のビロウドさんもいる。スンマソン後でちゃんと説明しますから、あまり冷たい目で見ないで戴ければと…。
「おっほーっ、カワイイ子がいっぱいで目移りしちゃいますねぇ♩」
そんな旦那様とは対照的に無邪気に喜んでるのは、前回この家にお邪魔したときには御不在だった母親のフヨウさん。
今日が初対面にもかかわらず、ヒマワリちゃんをそのまま大人にしたようなチャーミングで人懐っこい感じの女性だ。
ちなみにフヨウさんの仕事は弁護士で、ビロウドさんが検事。よく夫婦になれたもんだなぁ。
「…で、どれが潮くんの本命なんです?」
「…それを決めかねてるうちにこんな事態に陥っちゃいまして…」
フヨウさんにせっつかれた僕は、仕方なく今現在の胸の内を正直に打ち明けた。
敏腕弁護士の彼女には、下手な嘘なんてたちどころに見抜かれそうだしね。
「何? それは法の専門家としては見逃せない事態だな。特に自分の娘が関わってるともなれば…」
ヒマワリちゃんのお父上にギロリンちょと睨まれて、ヒィッ!?と身をすくめた僕に、
「ビロウドさん、専門家のくせに偏りすぎですよ。日本の法律では重婚は犯罪だけど、浮気や不倫は不貞行為というだけで規制はされてません。むしろ若いうちは色々経験しておいた方が良いと思います♩」
う〜んフヨウさん、優しくて話が解る♩
「それでトラブルになれば私も儲かるし。離婚訴訟の御用命は日下フヨウ法律事務所まで♩」
用意周到な営業だったギャフンッ!
「またキミはそんないい加減なことを…。浮気が良いっていうなら僕も他の誰かと…」
「を〜っほっほっほ♩ そんなコト、この私が許すと思いますぅ? アーハン…!?」
「…すみませんもう言いませんゴメンナサイ」
朗らかに微笑みつつも目元が一ミリも笑ってないフヨウさんに射すくめられて、見事な土下座を披露するビロウドさん。
天下の鬼検事様が、法廷ではここまで簡単には屈しないことを祈るばかりだ。
「…この二人、これでもメチャメチャ仲良いんですよぉ。今でも夜な夜なアレな声が寝室から聞こえてきますからぁ♩」
頬を赤らめてそっと耳打ちするヒマワリちゃん。なるほど、そりゃ耳年増にもなるわな。
そして御両親の秘め事はなるべく他人に言わないほうがいいんじゃないかなぁ?
「んで…結局のところ、コレって何の会合?」
改めて問いただした僕に、皆の視線がギョロリと一斉に振り向く。
視線が痛いってのは本当だなぁ。
「アンタがソレ訊いちゃう?」「だいたいアンタがハッキリしないから!」「ちぃーとばかしいい加減すぎるよねぇ」「そろそろ腹を括って戴きませんと」「先輩は結局、誰が好きなんですかァッ!?」
うおお…っ!? もはやどれが誰のセリフか不明な怒号がいちどきに飛び交って、僕はただただ圧倒されるばかり。
『さぁ! サァ! さぁさぁサァサァ!!』
ううっ…いよいよこの時が来てしまったのか…!?
「…ん? 何アサヒ?」
一触即発な事態に陥りかけたその時、唯一蚊帳の外だったアサヒちゃんが不思議そうな顔でユウヒの袖を引いた。
《みんなどうしてそんなに怒ってるの?》
いたって素朴な疑問に虚を衝かれた皆は渋々、代わる代わる自らの窮状を訴えた。
多少の差異はあれど、言うことは皆同じ。
『どうして僕が自分だけを選ばないのか?』
結局はその一点に尽きる。
するとアサヒちゃんはなおさら不思議そうに首を傾げて、
《それって、そんなに大切なコト?》
呆気にとられた皆に、彼女はさらに、
《みんな、お兄ちゃんが好きなんでしょ?
それなら、みんな一緒にお兄ちゃんと付き合えばいいんじゃないの?》
……はぁ!?
◇
「…ユウヒ?」
美岬妹のメッセージを見た皆の意見を代表して、マヒルの無言の抗議の目が美岬姉を射抜く。
「いや…マジごめん。妹の教育間違ってたわ」
ユウヒは素直に非を認めた。
うんうん、そーだろうそーだろう。ここはなるべく早く補正しとかないと取り返しがつかなくなるぞ。
《でもでも、それだとお兄ちゃん一人だけ悪者になっちゃうよ?》
アサヒちゃん…マジ天使☆
《たしかにお兄ちゃんのせいだから、悪いことは悪いけど》
ぐぅおぁっっっはぁ!? 天国と地獄!
《それにみんな、お兄ちゃんが大好きなんでしょ? ね、シノブちゃん?》
「なんでボクに同意を求めるのさ!? ま、まぁ…好きっちゃあ好きだけど…」
真っ赤な顔していつになく歯切れが悪いシノブも初々しくて可愛い♩
《あと…誰か一人がお兄ちゃんを独り占めしちゃったら、他のみんなが悲しいし…仲悪くなっちゃうんじゃない?》
それはまあ…たしかに。
《アサヒはみんな大好きだし、お兄ちゃんも大好きだから、みんなで幸せになりたいな》
いや、それができるならそうしたい、ってのはみんな同じだろうけど…。
《でもでも、ヒマワリちゃんのお母さんも言ってるよ? 法律的には問題ないって》
「ホラごらん、キミがいい加減なことを言うから…」
と苦々しい顔のビロウドさんに、アサヒちゃんは果敢にも、
《ヒマワリちゃんのお父さんはどぉ? 不倫裁判とか終わった後、スッキリする?》
「あ〜いや、我々検事は民事訴訟とは無縁だからな…」
とは言いつつも、ビロウドさんは真摯に考え込んでから…ゆっくり顔を左右に振った。
「…裁判というものの制度上、最も合理的と思われる答えを導き出すのが我々の使命だ。
それは解ってはいるが…正直、個人的には納得がいかない判決に至る場合も多々ある。
若かりし頃はそのたびに信念が揺らいだり、自己嫌悪に陥ったりしたものだ」
たとえ相手が子供だろうと、決して曖昧にはごまかさない。自身の弱みをさらけ出せる大人は信頼できる。
「とりわけ恋愛絡みの訴訟は、どうしても各々のエゴや感情論が優先されがちだから、冷静さを保つだけでも一苦労だな。
裁くのも裁かれるのも人間である以上、万人が納得できる判決などというものはあり得ないが…これだけは言える」
ビロウドさんは語気を強め、己の信念を吐露した。
「人間というものは結局、最後は本音のぶつかり合いだ。建前だけで言い逃れようとする輩は、次第に誰にも相手にされなくなる。
常勝無敗などと豪語する身の程知らずは、端から勝負を避けて逃げ続けているだけに過ぎない」
え〜っと、なんだか小難しい哲学論になってしまったけど…要は「ヤルなら本気でヤッてみろ」ってことかな? 肝に銘じときます。
「不倫って、最終的には和解や示談で解決しちゃう場合が多いんですよ。これが絶対っていう明確な解答が無いですしね」
フヨウさんがビロウドさんの弁を補足し、さらに…
「なかには遊び半分って人もいるでしょうけど、人が人を好きになるのに理由なんて無いし、多かれ少なかれ真摯に向き合った結果のことだから…誰にも止められないですよ。
他の誰に咎められようと、すでに他のお相手がいようと…ね」
つまるところ、法律ってのは大勢の人間が共存できるように定められている共通ルールであり、その社会で生きていくなら守って然るべきものだけど…人々の感情だけは縛りようが無い。
だから、週刊誌に掲載された有名人の浮気ネタに盛り上がったり腹を立てたりするのは各々の読者の勝手だけど、「なんでそんな奴を好きになったのか?」などという疑問は無意味だ。
所詮は赤の他人の彼らが、見ず知らずな読者の思い通りに動くはずも無いんだから。
…なんて言ってみたところで、そんなゴシップを巧みに利用して世論操作を図ろうとする黒幕の存在にすら気付けない人達には、それこそ無意味な苦言なんだろうけど。
《だからね、ここにいるみんなが納得できるんだったら…もうしばらくお兄ちゃんを信じてみたらどーかな?
お兄ちゃんはいい加減だけど、嘘はつかない人だから》
アサヒちゃんの提言に各々、互いに顔を見合わせてから…その視線が最終的には僕に向けられる。
《その代わり、お兄ちゃんが最後に出した答えには、誰も文句を言わない!
…それで良くない?》
最年少な小学生の意見が、皆を黙りこくらせてしまった。
不平不満を決して我慢しない面々が沈黙してるということは…それで納得できたってことなんだろう。
「…スゴイな、この子は。私達の仕事にいちばん大切な説得力を、この若さで…!」
ビロウドさんがしきりと頷き返しながら、惚れ惚れした目でアサヒちゃんを見つめている。
「こんなにカワイイ女神様に慕われて、潮くんは果報者ですね♩
アサヒちゃん、うちの子の代わりにうちの子になりませんか?」
「ママ!?」
もはやメロメロなフヨウさんの提案にマジに慌てるヒマワリちゃんが微笑ましい。
「私的には、もうそれほどお待ちできるだけの余裕はありませんが…」
すでに最終学年の副会長さんは、卒業までに生涯のパートナーを見つけるようにと両親に提言されて来日したんだっけ。
《じゃあ、ニャオちゃんが卒業するまでにお兄ちゃんに答えを出しでもらお?》
えっ!? ずいぶん先の長い話だと思ってたら、急に回答期限が決定しちゃったんだけど!?
《もとはといえば、お兄ちゃんがいい加減だからこんなコトになっちゃったんでしょ!?
せっかくフォローしてあげたんだから、それくらいハッキリさせて!》
ううっ、小学生の尻に敷かれっぱなし…。
《じゃないと、アサヒもリヒトくんに浮気しちゃうんだから!》
『えっ!?』
僕と同時にリヒトまでもがすっとんきょうな声を上げる。そーいやお前もいたんだっけね。
「い、いや、オレはそーゆーのは…」
《アサヒとじゃイヤ?》
「い…イヤじゃない…です」
にわかに顔を赤らめて俯いたリヒトは、いつになく敬語まで使って、
「ただ、コイツの次ってゆーのは、なんか…嫌だ」
遠慮がちに僕を指差しつつも、主張はしっかりちゃっかりしてやがる。
《じゃあ、アサヒも二股する!》
『はぁーいっ!?』
正々堂々二股宣言したアサヒちゃんに、今度は全員が悲鳴に近い声をぶち上げた。
《お兄ちゃんだって色んな人と付き合ってるんだから、アサヒもそーする!
正直なところ、お兄ちゃんもイイけどリヒトくんも可愛くってイイな〜って思ってたし!》
ををう…やはり彼女もまた、間違いなくカイドウ氏の血筋だった!
《リヒトくん、またアサヒと一緒にお風呂入ろ?》
『…また!?』
皆、一様に慌てふためきつつも、そこだけは聞き逃さない。
《アサヒの裸、全部見ちゃっていいからね♩》
「マジか!? でもオレ、もう見せるトコ残ってねーぞ?」
《リヒトくんのおっきいのはどれだけ見ても飽きないからイイの♩》
「お、お前のおっきいおっぱいも…好きだぞ」
にわか小学生カップルの初々しい?やり取りに、周囲からどよめきが洩れる。
やはりおっぱいか!? おっぱいがそんなにええのんか!? そこにお乳はあるんか〜!?
ぢぎじょお゛リヒトめぇ〜、後で無理やりチ◯コの皮ひん剥いてやるッ!!
「リヒト、私のおっぱいもあげよっか?」
なぬっ!? おのれぇユウヒ、貴様も裏切ると申すかッ!
「あたしのもどぉ? そろそろ本当に出るかもよ♩」
ぬうっ!? 何やら意味深なナミカさんの誘惑まで!
しかしリヒトは、
「オ、オレはコイツのおっぱいが好きなんだよ…!」
とアサヒちゃんを単独指名。ううっ、僕より筋が通ってる…なんか負けた。
「いやぁ…最近の子は進んでるなぁ」
と冷や汗掻きまくりなビロウドさんに、
《ヒマワリちゃんもお兄ちゃんやアサヒ達と一緒にお風呂入ったよね?
お兄ちゃんに脚を大きく広げられて全部見られちゃってたし♩》
「アサヒちゃんッ!? なぜ今それをココでぇ!?」
ヒマワリちゃんが慌てふためくも、すでに後の祭り。てゆーか名探偵コ◯ンばりに計算高いアサヒちゃんのことだから、御両親の前でわざと公言して僕の退路を塞いだな?
「…リョータくん。後でちょっと込み入った話をしようか?」
「でかしましたねヒマワリ! イケメンの旦那様ゲットですよ☆」
こめかみをピックンピックン引き攣らせて僕の両肩を鷲掴むビロウドさんと、拍手喝采のフヨウさん。同じ司法界でもここまで対応が違うのか…。
「いえあの、味見もせずに料理の本質は語れないってゆーか…」
「料金の支払い前に勝手に口をつけるのは無銭飲食行為に等しいと思うがねぇ!?」
くうっ…さすがは現役検事、いちいちごもっともです!
などと結局いつものように支離滅裂になりかけたところで…
「…ん? あ、もしもし?」
窮地に追い込まれた僕を愉快そうにニヤニヤ眺めていたナミカさんが、不意にスマホに呼びかけた。マナーモードで電話が掛かってきたらしい。
応答しながら僕に相手の番号を見せてくる。見覚えのない番号だから確認して欲しいということか。携帯ではなく固定電話らしいけど…
「…外務省!?」
思わず声を上げてしまったけど、確かに本物の電話番号だった。
その場に居合わせた全員の顔に緊張が走る。
「はい、私がカイドウの妻ですが…
…えっ!?」
僕以上の大声で驚いたっきり、ナミカさんはすっかり呆けてしまって、危うくスマホを落っことしそうになった。
「はい…はい…わかりました。また何かありましたらよろしくお願い致します…では…」
努めて事務的に応答して、すぐに電話を切ったナミカさんはもう顔面蒼白だった。
こんな彼女は初めて見た。何か良からぬことがあったのではと身構える僕らに、
「…テレビ…観てもよろしいでしょうか?」
ナミカさんはそんな意外なことを、意外な相手に…ヒマワリちゃんの御両親に問いかけた。
「あ…ええ、どうぞ…?」
と、フヨウさんがテレビのリモコンを操作して電源を入れると…
“ニュース速報:ジャーナリストの美岬カイドウ氏が取材先で武装組織に拘束された模様“
いきなり画面上に躍ったテロップに、全員が総毛立った。
おいおい、ちょっと待て。
何なんだよ…この脈絡のない展開は…?
◇
教皇率いる聖王朝軍と諸国連合との戦争は日々激化し、ついにウェルやソレイユまでもが出陣の意向を固めた。
連合側においては貴重な聖魔法の使い手であるルミも、エスプとともに戦線に向かおうとするが、ムエットが製作中のルミ専用魔法具がいまだ未完成なため足踏みを続けていた。
出陣前夜、ルミを呼び出したウェルは、彼女への想いの丈を打ち明ける。
彼は出会った当初から、ルミとの不思議な縁を感じていたのだ…と。
それを聞いたルミはもう、胸の内に押し留めておくことは出来なくなった彼への複雑な想いを告白する。
自分も出会った当初からウェルに惹かれていた…と。
だがルミの…そして自身の出自を知ったウェルは動揺を隠し切れない。
よもや自分達が、ともに聖女の血を受け継ぐ兄妹だったとは…。
そして…ルミこそが、紛うことなき女神の化身だったとは。
…それでも時は無情に流れ、ついにウェルの出陣の朝が巡ってきた。
教皇はあえて進軍を留め、聖王朝の中枢にて護りを固めているという。まさに魔王気取りだ。
ウェルとソレイユが先陣を切り、遅れてルミが中央突破を狙う段取りだ。
教皇の狙いがルミであることは明白だが、そのために何を仕掛けてくるかは判らない。
だが、もはや直接対決は避けられない。
必ず生きて再び会おうと誓い合い、ウェルを見送るルミだった…。
【第二十三話 END】
なんとなく毎週一回更新ペースを保ってきた本作ですが、今回はいつもより遅めの仕上がり。
降雪だの風邪だので疲れが溜まってたので、思いきり休ませて戴きました。
誰に頼まれたわけでもないのに年末年始もずっと書き続けてたから、たまには良いかなと。
そろそろ終盤ってことでほぼフルメンバー揃い踏みですが、内容はまあ通常運転です(笑)。
…かと思いきや、最後の最後に大波乱が。
この展開はカイドウをジャーナリストとした時点で必然的に思いつきましたが、肝心のお話がなかなかそちらに流れていかなかったので、こんなに遠回りしてしまったとゆー。
難局を一致団結して突破!ってなお話はよくありますが、それでもどうにもならない困難に直面した場合どうするか…というあたりで物語の真価が問われると思います。
次回分はすでに書き進めてますが、予想通り重苦しい雰囲気になりそうなので、また更新が遅れがちになるやもしれません(汗)。




