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はのん  作者: のりまき
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戦争の真実

 エンターテイメント。


 時に人々を苦痛や悲哀から解放し、時に生きる希望にすら成り得る、娯楽という文化。

 高い知能を持つ人間には、それが何よりも欠かせない。


 従って、それを制する者は、時に世界をも制する。


 貧困から脱するために必要なのは、もちろんカネだ。

 ならば金を稼ぐためにはどうすべきか?

 武器を取って相手を脅すか?

 はたまた、至れり尽くせりのおもてなしで相手を喜ばせるか?


 前者の関係は一瞬で終わる。

 相手が死ぬか、自分が倒されるかすれば。

 そうして得たはした金も長続きはすまい。


 だが後者の関係は、その後も世代を超えて末永く続き、さらなる富を生み出すこともあろう。

 そうして得られた信頼は、それこそ永遠の宝物だ。


 果たして、あなたならどちらを選ぶか?




 ルミの知る現実世界にも、そうして名を馳せた超大国がある。


 不毛の荒野が広がる新大陸に黄金を求めて押し寄せた採掘者たちが、やがて街を作り、鉄道を敷き、新たな文化を育み…


 当時最先端の活動写真を基に、歌や演劇を複雑に融合させた『映画』で世界中を席巻し…


 そこから派生した巨大テーマパークや、最新鋭科学の結集であるコンピュータを駆使したビデオゲーム、はたまた様々なスーパーヒーローが活躍するコミック等々の『エンターテイメント』を世界中に根付かせ…


 挙句、月や火星にまで到達できるほどの科学技術や、地球を何度も滅ぼせるほどの世界最強の軍事力までもを持ち合わせるに至った、あの国だ。


 人はそうして、何時いつだって何処どこだって立ち上がることが出来る。


 人がそこに居なくならない限り、何度でも…例えどれだけの時を経ようとも…!




 ルミの目論見は見事に当たった。


 彼女がこの世界にもたらした『広告』という媒体。


 最初は単なる商品の見た目や効能の紹介に過ぎなかったそれは、今日では趣向を凝らした多様な形態のものが巷に溢れている。


 商品広告にとどまらず、商品が一切登場しないイメージ広告や、自身が作成した唄や絵画…挙句には本人の美貌を不特定多数に見せびらかすためのプロモーション広告までもがすでに存在しているという。


 であれば、それらをさらに進化させたものを特区で制作してみてはどうか…と、彼女は思いついたのだ。




 何の障害物もない荒野に巨大セットを建設し、豊富な人材や最先端技術を惜しげもなく注ぎ込んで制作された『映画』。


 この世界の人々がいまだかつて目にしたことが無かったソレが魔法具上で配信されると大反響を呼び、驚愕と歓喜の声を伴って広く受け入れられた。


 さらには我々の世界とは順序が逆だが、巨大スクリーンに映画を投影し上映する『映画館』が登場すると、そのド迫力な臨場感が話題となり、連日大盛況となった。


 すると早速、柳の下のドジョウを狙って数多の制作企業が特区に押し寄せた。

 公国に比較し土地代や人件費がタダ同然のこの地で大ヒットを生み出せば、それこそボロ儲けだからだ。


 さらには出演者や制作スタッフ、楽曲提供者や歌手にも注目が集まり、数々のヒット作が矢継ぎ早に誕生。

 果ては制作スタジオを実際に見て回る『聖地巡礼』も盛り上がりをみせた。


 なかでも一際人々の心を打ったのは、どこまでも果てしなく広がる雄大な砂漠の風景そのものだった。


 特区の人々にとっては死の大地でしかなかったそこは、それまで滅多に国外の世界を見たことがなかった公国の人々にとっては、あらゆる可能性を秘めた希望の地となった。


 あるいは砂漠こそが、我々人類の遺伝子に刻まれた心の原風景なのかもしれない。




 そしてさらに人々の関心を集めたものがある。


 砂漠を旅行していた観光客が、偶然発見した『湖』だ。


 特区は海から遠く離れた内陸国だが、湖の水は海水の塩分濃度よりもさらに塩辛く、かつて一帯が海だったことの名残りだろうと噂された。


 そして塩湖はあらゆる生物が生息できないことから『死海』と名付けられた。


 公国では海水を煮詰めて手間暇かけて塩を作るが、死海から採れる塩は天日で結晶化した岩塩状なので掘り出すだけで良い。

 しかも旨味が強く、独特な風味で珍重されるようになった。


 さらには死海のほとりに謎の古代遺跡も発見され、古代ロマンに夢を馳せる旅行客や、まだ見ぬ秘宝で一攫千金を狙う冒険者が連日押し寄せた。




 人々の交流が増えれば理解が進む。

 当初はかつての経緯からわだかまりが強かった両国間の緊張は、次第に和らいでいった。


 この世界の文明はまだその域に達してはいないが、いずれ砂漠に埋蔵された化石燃料が発見・応用されるようになれば、人の往来はより活発になることだろう。


 ルミはそんな未来を夢見て記した手紙を、死海のほとりの遺跡のそばに埋めた。

 やがてそれを見つけた後世の人々にとって、少しでも励みになれば…と祈りつつ。


 …余談だが、遥かな時代を経て発見されたそれは『死海文書』と呼ばれ、古代人の予言書として話題になるのだが…それはまた別のお話。




 通常ならば数世紀はかかる特区の経済発展…そのきっかけとなる様々な事業をわずか半年で成し遂げたルミは、現地で出会った人々に惜しまれつつ公国への帰路に着いた。


 ウェルやソレイユ、ヴァンスにムエット…。

 魔法具では毎日のように連絡を取り合ってはいたが、実際には久しく離れ離れになっていた懐かしい彼らとの再会に胸を焦がしつつ…。


 その頃にはルミの奇跡的な功績は世界中で持て囃され、『神の御使』や『聖者』、挙句には『創世神』とまで呼び称されるようになっていた。


 後々、それが新たにして最大の騒動となろうことなどは知るよしもなく…。





『アーサーヒーちゃん! あーそーぼぉ!』


 やけに昭和めいた呼び声が玄関先に響き渡る。


「♩♩♩♩♩♩」


 耳は聞こえずとも人の気配には敏感なアサヒちゃんが、リビングから飛び出していく。


「…ま〜たアイツらか…」


 ソファーにふんぞり返ってぼんやりテレビを見ていたリヒトが、げんなりと呟いた。


「いやいや、アレはアサヒちゃんのお客さんだから」


「だといいんだけどな…」


 とか言ってるそばから、


『あ〜! リヒトくんもいたぁ〜!』


 リビングに戻ってきたアサヒちゃんに連れ立って、キーたんとアカりんがわざとらしく歓喜の声を上げる。


「うっざ…。呼んでもねーのに勝手に人ん家に来んじゃねーよ」


 お前ん家でもねーだろ。

 などと憎まれ口を叩くリヒトだが、それほど邪険にしてる訳じゃない。単に女子の扱いに慣れてないだけだ。


 黄色と赤の二人は一度、美岬邸で海水浴をして以来、割と気さくに遊びに来るようになった。

 でもそのお目当ては多分にリヒトのほうだったりする。


 先日の騒動以来、もう権力者の息子ではなくなった彼のもとからは多数の取り巻きが去った。

 元々が親の言いつけでそうしていただけとはいえ、人の情とはなんとも世知辛いものだ。


 だけど、例のナマ配信は予想以上に大勢が視聴していた。それこそ、彼らのクラスメイトに留まらず、セイ小の大半の生徒達が。


 そして誰もが思った。

 リヒトって、怖い奴だと思ってたけど…案外フツーだったんだな…って。


 そしてこうも思った。

 政治家の息子ってより、芸能人の息子ってほうが…メチャカッケーぢゃん⭐︎!!と。


 ま、所詮は小学生の価値観だからな。


「それにリヒトくんも、よくよく見たらカッコイイしね♩」


「とか言って馴れ馴れしくくっ付いてくんな黄色いの! よくよく見たらって何だよ!?


 さすがは体育会系の行動力。アサヒちゃんの親友という立場を最大限に利用して、今からキープしとこうとする気満々だ。


「将来性有望な芸能人と考えただけで、子宮が疼きますね〜♩」


「赤いのはなんかコワイから、それ以上近づくなよ!? てか芸能人になるつもりなんかねーよっ!」


 そりゃ自身のポテンシャルと父親の肩書きをナメすぎじゃねーかお前?

 幼い頃から両親に英才教育を施されたお前は、自分で思ってる以上に優秀なんだぞ。


 それに、今の父親のレオン氏がどう考えてるかは知らんけど、梨園のしがらみからはそう簡単には逃れられないしな。


 てか子宮て。今日びのJS怖っ。


 この二人にかかっては、さすがのリヒトもツッコミ役に徹さざるを得ないようだな。

 …と、そこへ。


《いぢめたらダメだよ?》


 リヒトの困り顔を見て、お姉さんぶったアサヒちゃんが飼い猫を抱くようにそっと抱き寄せた。

 ソファーの背面越しだから、座ったリヒトの頭上にふくよかなお乳がぽよんっと載っかる。


「い、いぢめられてなんかっ…ない…ぞ?」


『おっぱいディフェンス!?』


 メッチャ柔軟なのに難攻不落なイメージ。


「うわリヒトくん真っ赤っか♩」「コレは貴重ですねぇ♩」


 カシャッ☆


「バッやめっ…撮ってんじゃねェッ!!」


「あはぁんっ襲われるぅ♩」「既成事実、既成事実ですぅ〜☆」


 カシャッカシャカシャッ☆


 JSまぢ怖っ!?


《ビンビン?》


「その質問マジやめろっ!! 何なんだこの乳袋っ、エロエロじゃねーかっ!?」


 今ごろ気づいたのかよ。

 もう収拾つかなくなってきたなコレ。


 でもリヒトも初めに比べたらずいぶん口数が増えて、子供らしい顔をすることも増えてきたな。

 少なくとも僕的には可愛げが増してずっと付き合いやすくなったし、良い傾向だと思う。


 人の成長…それこそ極上のエンターテイメントじゃないか。

 そのための糸口を探るために、ルミは自ら特区へと赴いたんだ。


 そして…あの人も。





『お茶の間の皆様、ご覧頂けてますでしょうか?』


「…今どきの家に茶の間なんてねーだろ」


「お黙り小童こわっぱ。」


 小童て。それこそ茶の間といい勝負の死語だろうけど、リヒトを黙らせたナミカさんの意識はもうそんなところには無い。


『これが、ここに住む彼らにとっては日常の風景です』


 見渡す限りの瓦礫の山に佇んだカイドウ氏が、両手を大きく広げてみせる。

 その足下には、そんな殺伐とした光景にもかかわらず朗らかに笑う現地の子供達が大勢群がっている。


「…ニュースやCMでよく見る景色だけど…そこに自分の父親がいるってだけでリアリティが違うね…」


 息を呑んでテレビ画面に見入るユウヒの隣で、アサヒちゃんが不安げな眼差しを中央に映るカイドウ氏に注いでいる。


 僕らが観ているのは昼のワイドショー番組。

 映し出されているのは、長期に渡る戦闘が膠着状態に陥った海外某所の激戦地だ。


 日本では真昼間だけど、時差のため現地ではまだ夜が明けたばかり。

 新たな希望に満ちた朝の清々しさは、そこには無い。


『カメラに映ってはいませんが、私の周囲ではおびただしい数の死体が野晒しのままになっています』


「死体…ここって本当に…」「戦争、してるんですね…」


 日頃、ニュース番組なんてろくに観ないだろうキーたんとアカりんが、子供らしい感想を洩らす。それだけ僕らには現実味のない光景だ。


 そしてそんな報道番組を、こんなに大勢で観ることになるとは予想だにしなかった。

 さっきまでのメンツに、買い出しから急いで帰ってきたユウヒと、仕事を午前中で切り上げてきたナミカさんを加え、総勢七名での視聴だ。


 これがスポーツ中継や人気映画や年末歌番組ならともかく、戦争中継だっていうのがさらに現実感がない。


「…美岬の父さんて…本当にテレビの人なんだな…」


 リヒトがぽつりと呟く。ジャーナリストな。仕事はテレビだけに留まらないし、それを言うならお前の親だって前のも今のもテレビの人だろが。


「カッコイイよね〜♩ 時々うちのジムにも来てるみたいだよ。女性インストラクターがもぉメロメロでさぁ〜」


 実家がスポーツジムを全国展開してるキーたんが言う。それであんなにガタイが良いんだな〜カイドウ氏。

 …けど、なぜ今それをここで?


「うちの出版社でも本を書いてらっしゃいますよ。雑誌で対談した女優さんをよくお持ち帰りなさってます♩」


 実家が大手出版社グループのアカりんが言う。キミ達つくづくトンデモナイ顔ぶれだけど…その情報いま要る?


「…キイちゃん、アカリちゃん。もっと詳しくプリーズ?」


 ナミカさんがやたらと底冷えのする笑顔で二人を問い詰めるも、


「もぉ〜聴こえないってば! そんなの今に始まったことじゃないし、お母さんだってお持ち帰りされた一人でしょ?」


 努めて冷静なユウヒがテレビに集中しつつ、さらに要らんネタを投下して二人を騒然とさせる。


 そんな中、はなから周囲の騒音に惑わされる心配がないアサヒちゃんが、不思議そうに僕に尋ねてきた。


《この子達…どうして笑ってるの?》


 それはね…人間ってのは、どうしようもなく追い詰められて、もう涙も枯れ果てた時には…最後は笑うしかなくなっちゃうからだよ。


 …なんて辛辣な回答も思いついたけど、彼女にそれを言うのははばかられた。


《きっと、カイドウさんがいるからだよ》


 あながち間違ってはいないだろう。彼だって一人の人間に過ぎないから、何でも解決できるわけじゃないし、常に他人をおもんばかってばかりいるわけじゃない。


 けれども、その人がそこにいるだけで、なぜだか周囲に笑顔が満ち溢れる…そんな不思議な人がいる。

 出会った当初は「何なんだこの人?」と首を捻るばかりだった僕も、最後には笑っていた。


 …カイドウ氏は、そんな人だ。


 そして実際、テレビの中でも早速いつものカイドウ節が炸裂した。


『…とまあ、こんな気が滅入る絵面ばっかじゃチャンネル変えちゃいたくなる人も多いでしょ? そーはさせませんよぉ!』


 突然、陽気に笑ったカイドウ氏は、子供達を引き連れたまま画面奥へと進んでいく。


 …たどり着いたのは、半ば崩れかけているけど、かろうじて学校と判る建物。

 その入り口には銃を構えたテロリスト風の若者が数人立ちはだかっている。


『ぃよっ、また来たよ。カメラ入れていい?』


 日本語のまま気さくに話しかけたカイドウ氏に、連中は驚いたことに銃口を下げると、あっさり中に通してくれた。


 せっかく戦地にまで出向いてるというのに、破壊し尽くされたセンセーショナルな街の光景はそこそこに、さほど酷い状態ではない校内へと、子供達とともにズンズン分け入っていく。


 廊下の途中で、やはり銃で武装した数人の大人とすれ違う。

 しかし丸腰のカイドウ氏が現地の仕草で挨拶すると、相手も警戒を解いて挨拶し返してくれる。


 まるで魔法でも見てるようだった。


「賄賂か何かで買収してるの?」


「ううん、手ぶらだよ。こんな場所でそんなモノを手に入れるのは、武器を拾うより難しいってよく言ってる」


 僕の下卑た質問を、ユウヒがあっさり否定すると、


「しょせん金品で釣った相手は、こっちがもう何も持ってないと判った途端に無価値と見なして攻撃してくるんだって。

 でも何度か顔を合わせて、相手の信頼を勝ち取ることさえできれば、もう襲われない…って彼の本に書いてあったわ」


 ナミカさんが得意げに旦那を自慢する。


「でもでも、初対面なら信頼もへったくれもないですよね? それで機嫌損ねて殺されちゃったらどーすんですか?」


 納得いかない僕が食い下がるも、ナミカさんはしれっと、


「そこが不思議なのよねぇ…。あたしも実際、うっかり受け入れて『串刺し』にされちゃったクチだから♩」


 そう言ってケタケタ笑った。

 子供達の前で露骨な下ネタはやめろし。

 そしてチミら小学生もなんで顔赤いの?


 とかやってる内にテレビの向こうのカイドウ氏は、たどり着いた教室で教師とおぼしき豊満な現地女性とハグしていた。


「むぅ…ちょっとくっつき過ぎじゃない?」


「んにゃ、あっちじゃ普通の挨拶よ。でも異性とのハグはここいらだとよっぽど親しい間柄の場合だけね」


 見境なく嫉妬するユウヒに、海外生活が長かったナミカさんが解説する。

 つまりはずいぶん懐かれてるってことか。


 でも僕的には、なんちうか…あまり差別的な意見はどうかと思うけど…女性教師がマトリョーシカみたいにコロコロなせいか、さほどいやらしさは感じない。


 挨拶もそこそこに、カイドウ氏は教室内を見回して…壁際に貼られたカラフルな絵に目を留めた。生徒達が思い思いに描いた水彩画だ。

 視界のどこを見渡しても灰色の瓦礫しか見当たらない中にあって、そこだけ花が咲き乱れたように華やかだ。


『おお…これは爽快な絵だねぇ!』


 その中の一枚にカイドウ氏は目を奪われた。


 黒や赤で描かれた、荒涼とした瓦礫の山がうずたかく積み上がるそのてっぺんに、一人の人影が立っている。

 その頭上には、どこまでも抜けるように広がる、澄み渡る青空。


 …ただそれだけのシンプルすぎる絵なのに、見る者を惹きつけてやまない不思議な魅力があった。


『これは誰が描いたのかな?』


 問いかけるカイドウ氏に、子供達は一斉に仲間のうちの一人を指差し、その子は遅れて照れ臭そうに手を挙げた。

 さっきから人一倍ニコニコ笑ってる、小柄な痩せっぽっちの男の子だ。


 すると女性教師が現地語でなにやら説明し、同行する通訳がカタコトの日本語で翻訳する。


『この子の家、空爆で吹き飛び、家族みんな死んで…この子だけ生き残りまシタ』


 テレビの前の皆が息を呑むのがわかった。





 僕も、ここにいる連中も、たいがい家族に恵まれてはいないけど…皆殺しにされるほどの目にはさすがに遭ってない。

 しかも…自分の目の前で。


 すると、この絵に描かれた人影…たぶん彼自身であろうその足下に無数に横たわる、赤黒い物体は…。


 僕は、今はこうしてそれなりに笑っていられるようになったけど、そうなるまでには長い時間が必要だった。

 だけどこの少年は、つい最近家族を残らず失ったばかりだってのに…何故?


 すると少年に耳打ちされた通訳が答えた。


『みんな同じ、だから…寂しくありマセン』


 家族や家や…何もかもを失われた少年は、当然のように打ちひしがれていた。


 …ふと気づけば、自分と同じように孤独となり塞ぎ込んでいる子供達があちらこちらにいた。


 誰からともなく集まって共同生活を始めると、何かと仕事が忙しくてクヨクヨしてる暇などなく、悲しみを癒すにはうってつけだった。


 窮地に追い込まれれば誰にでも連帯感が生まれ、共感能力が育まれるものだ。

 家族の保護下から早い時期に放り出されたことが、彼の心を強くしたのだろうか。




 そんな彼にとって、忘れられない出来事がある。


 ある日、敵側の戦闘機が街外れに墜落し、脱出したパイロットを捕らえたというニュースが飛び込んできた。


 自分達を爆撃したパイロットとは当然違うだろうが、せめて石の一つでも投げつけてやって家族の恨みを晴そうと、仲間達と現場へ急いだ。


 …たどり着いてみれば、パイロットはすでに絶命していた。街の人々の暴行を受けて。

 物言わぬその死体に、いまだ群衆の暴行や投石が止まない。


 そんな彼の手元に、何かが光っていた。

 家族か恋人の写真を入れたロケットペンダントだった。

 彼はそれを握りしめたまま死んでいた。


 少年は気づいた。敵だろうと味方だろうと、所詮はただの同じ人間に過ぎないのだと。


 そんなただの人間が自分達を殺し、殺された側の自分達が彼を殺した。

 戦争なんて、結局は人間同士の殺し合いだ。


 いったいどちらが良くて、どちらが悪かったというのか…自分達はいったい誰を憎んでいたのか…。


 解らなくなってしまった少年達は、黙ってその場から立ち去った。


 …帰る道すがら、誰からともなく空を見上げた。

 空爆の日以来、怖くて久しく見てなかった。


 どこまでも澄んだ青空の下、遥か向こうに高い高いビル群が見える。敵はそこから飛んできているという。

 自分達のすぐ隣に敵が住んでいる…なんとも皮肉な話だ。


 ふと、誰かが言った。

「そこに行ってみたい」と。


 別の誰かが咎めた。

「あっちは敵の国だぞ」と。


 だが最初の彼は言う。

「どこに国境があるのか?」と。


 たしかにその通りだった。

 広大な大地にも、その上に果てしなく広がる澄み渡る青空にも、どこにも境界線などない。

 あのパイロットも、こんな素晴らしい空に見惚れて操縦を誤ったのだろうか。


 たとえ自分達が彼のように向こうの街を攻撃しても、こちらのような瓦礫の山が増えて、大勢の恨みを買うだけだ。

 憎しみは更なる憎しみを生み、永遠に尽きることがない。


 いっそ双方が綺麗な更地になれば、この戦争は無くなるだろうか。

 あるいは、それでも際限なく戦いが続くのだろうか。

 …なんだか虚しくなってきた。


 彼らの宗教では、人が死んでも魂は滅びず、いずれ復活するのだという。

 だが自殺は大罪であり、地獄に堕とされ二度と生き返れないとか。

 であれば、頑張って生きていけば、そのうちまた家族と再会する日もあるのだろうか。


 彼らはただただ空を見上げ続けた。

 そうすることしか出来なかったから。




『それなのに、どうしてキミは笑ってるの?』


 カイドウ氏の質問に、少年は答える。通訳の言葉を介して。


『僕にはもう何も無い。何も持ってまセン。

 でも僕は生きてる。きっと神様が、まだ死んではダメと言ってる。

 だから生きる。その理由が解るときマデ。』


 僕は胸を射抜かれたような気がした。


 彼には生きる希望も夢もない。

 それでも、こうして生きている。

 それが神に与えられた使命だと信じて。


 もう、他に失うものはない。

 言い換えれば、自分の思うままに生きていける。


 すべてを失った代わりに、本当の意味での自由を手に入れたんだ。


 こんなに幼いのに、自分だけで生きていく覚悟を決めたんだ。


 …だから笑っていられるんだ。





『それでは一旦スタジオにお返ししま〜す』


『はい。何というか…ずいぶん割り切った取材スタイルですねぇ美岬さん?』


 激戦地の惨状をことさら強調しようとしていたのに当てが外れ、あからさまに困惑した様子の番組司会者に突っ込まれると、カイドウ氏は頭をポリポリ掻いて、


『いや実のところ、現地に入ってから今日までの数日間、いかにしてこちらの悲惨さをお伝えしようかとスタッフ一同で打ち合わせを重ねたんです。

 ぶっちゃけ、そっちの方がテレビ受けも良くて儲かりますしね♩』


 ぶっちゃけすぎやろ…とスタジオからも失笑が洩れる。

 しかし、そこでカイドウ氏は先程の少年の肩にポンッと手を置き、


『でも、ここで彼らに出会ったことで、考え方がガラリと変わりました。

 そんな他の番組やチャンネルでも観られる取材なら、どうぞそっちをご覧くださいってね。

 私はそっちにも出てますんで』


『いやいや美岬さん、他の番宣は結構ですから!』


 司会者が思わずツッコみ、スタジオに陽気な笑い声が洩れる。戦争報道とは到底思えない。


『なのでずいぶんワガママ言ってディレクターさんを困らせてしまいましたけど…

 ここは私のやりたいようにやらせて欲しいって、最後には通して戴きましたね』


 けれどもカイドウ氏は、朗らかながらもそこでビシッと決める。


『一つだけ忘れて欲しくないのは…

 子供の世界にはいさかいはあっても、戦争はないということ。』


 その言葉に、スタジオもテレビの前の僕らも身につまされたようにハッとした。


『国や人種や宗教の違いも、子供達にはさほど重要じゃありません。

 そんな彼らの世界に戦争を持ち込み、差別意識を植え付けるのは…いつだって大人だということです』


 大人の歪んだ正義感は、ときに子供をも歪ませる。先日それを経験したばかりだしな。


『いまご覧戴いた絵や彼らの話のように、子供達は自由です。それぞれの胸にいろんな夢や希望を抱いて生きています』


 含蓄のある言葉は様々な憶測を呼ぶ。

 カイドウ氏は今回、なぜ取材先に学校を選んだのだろうか。


『大人はそんな彼らの夢を奪い、可能性の幅を狭めてばかりいます。

 …それが彼らへの教育だと信じて。』


 銃で武装した連中がたむろしてる校舎なんて、僕らの常識からは到底受け入れられない。

 けれども…この子達にはこれが現実なんだ。


 僕らとさほど大差ない感覚や夢を抱いた子供達は、これからここで次第に翼をもがれ…

 やがて大人達のように、銃を携え地を這う獣と化していくのだろうか。


 そんな僕らの不安にも似た疑問に、カイドウ氏はあえて答えない。




『どちらかを一方的に悪だと決めつける歪んだ報道には何の意味もないと…私は思います。』




 彼の信念とも思える一言で締めくくり、氏の現地取材はそこで一旦終了した。


 最初はテレビの前であれこれ騒いでいた僕らも、しまいにはシンと静まり返っていた。


「…オレ、前の父さんに一度訊いたことがあるんだ。戦争はどうして起こるのか?って」


 やがてリヒトがボソリと呟く。


「そんなこと、子供は考えなくていい…って言われたよ」


 ジモンだけじゃなく、そう答える親は多いだろう。自分でも解らないことは教えようがない。だから頭ごなしに否定する。


 …はたしてそうだろうか?

 答えられないなら、なぜ答えられないのかを正直に言うことも大切なんじゃないだろうか?


「マスコミの言うことなんてロクなもんじゃないから聞くな…ってテレビを消されたこともある。今の奴が喋ってたときだった」


 以来リヒトはテレビを見せてもらえなくなった。

 従ってカイドウ氏の名前や、それがアサヒちゃんの父親だという知識はあったが、顔は知らなかったという。理由は言わずもがな。


 大人が子供の可能性を奪う…。

 まさしくカイドウ氏の言う通りだな。


「お前の父さんって…スゲェ奴だったんだな」


 そう言ってアサヒちゃんを見つめるリヒトに、彼女は誇らしげに胸を反らした。

 おっぱいが強調されて、リヒトもたまらず目を逸らした。


 結局最後は乳ネタで締めやがった。台無し。





 久しぶりに帰郷を果たし、ウェル達との再会を喜んだのもつかの間…

 ルミをさらなる災難が襲う。


 聖王朝が彼女を問題視しているというのだ。


 それはこの世界における宗教の総本山にして、どこの国にも属さない独立組織。

 朝廷は公国の真北にある聖峰の麓に置かれ、入山は彼らの指示がない限り不可能。


 あらゆる国家は王朝に認められるが故に自治力を有し、それぞれの国王も王朝の任命という形で即位を許される。


 このように王朝の権力は絶対的であり、いかに力を有した者であろうとも逆らうことは出来ない。


 そんなやんごとなき彼らに、一市民に過ぎないルミが目をつけられてしまった理由は、彼女の功績そのものにあった。


 すなわち、彼女が王朝の許可なく世間の仕組みを変革した行為は『神への冒涜』にあたり、また彼女が『神の御使』だの『創造神』だのと称賛されていることもそれに類するというのだ。


 言いがかりも甚だしいとウェル達は憤慨し、ルミもまた「自分はそんな大それた存在ではない」と一笑に伏す。

 しかし王朝の怒りは収まらず、ついには出頭命令が下されてしまう。


 やむなく朝廷に顔を出したルミは、「自分は世界を少しでも住み良くしようと手を尽くしたに過ぎない。それのどこが冒涜に当たるのか?」と反論する。


 だが教皇は「生活の不便さは神が民衆に課した試練であり、みだりに背いてはならない」と一向に取り合わなかった。


 怒り心頭に達したルミは「民衆の幸福を願わない神など悪魔にも劣る」と暴言を吐き、教皇のさらなる怒りを買ってしまう。


 そして『罪滅ぼし』の儀礼を強要される。


 霊峰の中腹にある前人未到の『聖域』にて、その主とされる霊獣を討伐すること。

 有史以来、生還者はいまだ皆無の無理難題だった。


 そもそも一帯に棲まう霊的な魔獣…『霊魔』には一切の武器や魔法が効かない。

 唯一効果が認められるのは聖魔法のみだが、現行の魔法具では使用が制限されており、それ以前にルミには魔法具が使えない。


 故にそれは事実上の死刑宣告に他ならなかった。


 実は、教皇は特区の領主と通じていた。

 着任以来、長年に渡り特区から莫大な賄賂を貢がせる代わり、彼らに何かと便宜を図ることで私服を肥やし続けていたのだ。


 だがルミが魔法具の広告運営を導入させたため利潤が大幅に目減りし、挙句に領主が拘束されてしまったため実入りが途絶えた。


 そのことを逆恨んで、ルミを陥れる機会を虎視眈々と狙っていたのだ。

 聖職者が聞いて呆れる俗物ぶりである。


 そうとは知らないルミは、仲間達との最後の別れを惜しんでいた。


 すべてはこの世界のことわりを知らなかった自分が好き勝手に振る舞った罰だと力なく笑うルミに、ソレイユやムエットやヴァンスは感謝を伝え、力になれず済まないと咽び泣く。


 とんでもない、自分が今日まで生きてこられたのは皆のおかげだと、肩を抱き合い涙するルミに、ウェルはせん別にと、ある物を手渡す。

 それは彼が肌身離さず大切にしていた、亡き父の形見の魔法具だった。


 そんな大それた物は受け取れない、戻ってこられる保証もないのに…と辞退しようとするルミに、ウェルはそっと耳打ちする。


「コレは絶対キミの役に立つから」と。


 そしてこうも願う。


「必ず戻ってきて。

 …キミに伝えたいことがあるんだ。」


 自身の魂ともいえる魔法具をルミに託したウェルに、ソレイユは二人の想いの強さを窺い知って胸を痛めた。


 そして翌朝…

 まだ皆が起き出す前に、ルミは黙って屋敷を去った。


 気づけばもうずいぶん長く住み慣れた、我が家と呼べるその場所に別れを告げて…


 ルミは単身、聖域へと向かうのだった。



 


 カイドウ氏の現地リポートはその後も夕方のニュース等で細切れに入ったけど、放送時間が短いこともあってか極めてマトモな報道に徹していた。


 好き勝手やってるのは昼間のワイドショーの枠内だけらしいけど、半エゴサーチをしてみると割と好意的な意見が多かった。


 放送時刻による視聴者層の違いも影響しているとは思うけど、現地の暮らしぶりがよく解るだとか、子供達が可哀想だとか、なんで学校に武器が必要なのかとか、雑多な意見が寄せられていた。


 あの報道に秘められた氏の本当のメッセージを、いったいどれだけの人が汲み取れたかは定かではないものの、何よりも興味関心を持つことこそが大事だろうから、そういう意味では成功していると思う。


 あと、先の放送ではきな臭いシーンはほとんど無かったけど、他の放送では絶えず爆音が轟いていたりと不安を掻き立てられる場面も多かった。


 もはや美岬ファミリーの一員と言っても良いだろう僕としては、とにかく無事に帰ってきて欲しいと切に願っている。


 そんな気疲れもあってか、今夜は皆早く就寝を決め込んでしまった。

 僕も早々と自室に戻って、ユウヒから借りた原付免許取得ガイドをベッドに寝っ転がって読みふけってる最中だ。


 美岬家に住み込んでる今ならメシ代は掛からないし、家庭教師のバイトやらナミカさんから貰った小遣いやらで資金もそこそこある。

 なにより時間的にゆとりがあるうちに取得を試みた方がいいだろう。


 プルルル…プルルル…


 珍しくスマホの電話が鳴った。こんな時間帯に非常識な奴だな。

 知り合いなら皆、まずはチャットメッセージを送ってくるはずだけど…


 やっぱり知らない番号だ。出ようか否かと悩んだ挙句、思い切って応答アイコンを押す。

 すぐそばに人がいる今なら、訳のわからん通話相手に怯える必要もないだろうし。


「…もしもし?」


『…ぃよぉ、久しぶりだな』


 え、誰? 知らない相手にいきなりフレンドリーに挨拶されて戸惑う。

 でも、この声…どこかで聴いた気が…?


 そんなこちらの動揺を見抜いてか、電話相手はフッと鼻先でせせら笑って、


『やっぱ憶えてねーか。…俺だよ』


 ふてぶてしいその態度に、やっと記憶回路が繋がった。


「…父さん…!?」


 そいつは忘れもしない…いや一時的に忘れてたけど…昔、僕を捨てた父親だった。


 往生際の悪さだけは特筆モンだったから、どうせまだくたばってないだろうとは予想してたけど…まさか今頃になって連絡をよこすとはね。


 どこで僕の携帯番号を知ったのかと思ったら…なんのことはない、マヒルの父さんから聞き出したそうな。

 僕の本当の父親だからって気を回したのかもしれないけど、大きなお世話だ。もう一生関わり合いたくなかった奴なんだぞ。


 きっかけはやはり、先日のあのナマ配信動画だった。正確には後にシノブが再編集した総集編。

 アレに僕らの氏名や肩書き、学校名までキッチリ書いてあったのが決め手になったらしい。シノブらしくもなく個人情報ダダ漏れじゃん。


 もちろんコイツは、久しく会ってなかった息子を心配するようなタマじゃない。何を企んでやがるのかと思えば…


『一緒に映ってた美岬って名前の嬢ちゃん達が気になったからよ、網元の野郎に訊いてみたんだよ。

 そしたらお前…いま、美岬カイドウの家に居ついてんだってな?』


 ちょっと待て…なんでコイツの口からカイドウ氏の名前が飛び出す?


 マヒルの父さんが僕の現状をそこまで把握してたってのも驚きだけど、おおかたマヒルがチクッたんだろうと予想はつく。


 でもそんなことより! どうしてコイツがカイドウ氏を名指しする?

 僕の父さんとカイドウ氏に、いったい何の接点があるっていうんだ!?


『おいおい笑えねぇ冗談だなこいつは。まさかお前…カイドウの娘と付き合ったりしてねーだろうな?』


「…だったらどうだってんだよ?」


 図星をさされて怯んだものの、僕も負けじと言い返す。すると電話の向こうでほくそ笑むような気配があって、


『警告しといてやるよ。今すぐ連中から離れたほうが、お前の身のためだぜ?』


「…なんであんたにそんな指図されなきゃならないんだ? あんたに今さら何の権限があるっていうんだ…!?」


『権限っつーか、大事なお約束ってヤツだな…人間様のよぉ』


 のらりくらりと勿体ぶってから、奴は唐突に思わぬことを言い出した。


『今な…お前の母ちゃんもここにいるんだ』


 …え?


『よりを戻したんだよ。つい最近な』


 …どういうことだ? 父さんと母さんが…また一緒に住んでるってのか?


 …息子の僕抜きで…?


『母ちゃん、言ってたぜ。

 お前のことは、もう知らねーって…

 無かったことにしたいってなぁ!』


「…………。」


 もうグウの音も出てこない。父さんはともかく、産みの親からまでこんなに忌み嫌われるだなんて…


「僕が…いったい、あんた達に何をしたっていうんだ…!?」


『解んねぇか? 生徒会長なんてやってるお利口ちゃんで、ジモンのじじいをぶちのめしたヒーロー様のお前にも解んねぇってのか?

 だろーなぁ…ヒャアーッハハハ!!』


 コンプレックス丸出しの不愉快極まる高笑いをしこたま僕に聴かせてから、


『なら、単刀直入に教えてやんよ』


 奴はようやく種明かしに移った。さも愉快そうに声を震わせたままで。


『リョータ、テメーは…俺の子じゃねーんだ』


 …は? 今さら何言って…


 …………。


 …まさか。


『そのまさかだよ。テメーの本当の父親はな…


 …美岬カイドウだよ。』





 一度あることは二度ある、二度あることは三度ある…とはいうものの。


 よもや、自分がリヒトと同じ立場だったなんて…予想できるはずもない。


 ただ一つ違うのは、母さんが最初は僕を父さんの子だと信じて疑わなかったことだ。

 当時まだ結婚前だった二人は、それだけ爛れた生活を送っていたし、彼女は彼に熱を上げていた。


 でも母さんは水商売の哀しき性で、同時に複数の男と関係を持っていた。その中の一人にカイドウ氏もいたんだ。


 後にユウヒ達を引き取ってからはいくらか落ち着いたようだけど、若かりし頃の彼は放蕩三昧だった。


 だけど氏と母さんが大人の火遊びに興じたのは、父さん以外の男と同じくたった一度だけ。

 一発こっきりで大当たりするなんて思ってもみなかったんだろう。


 やがて妊娠が発覚すると、母さんは父さんを半ば脅迫して結婚にこぎ着けた。

 ちゃらんぽらんな父さんも、その時ばかりは家族のためにマトモに働こうと一度は覚悟を決めたんだとか。


 けど…いざ僕が生まれると、父さんは動物的本能でそれが自分の子じゃないことに気づいた。

 それが元で夫婦仲も険悪になり、ついに父さんは家に寄り付かなくなった。


 そして別の女のところに転がり込んで、今度こそは一からやり直そうと奮起して子作りに励んだ。


 挙句、決定的な事実が判明した。

 父さんの生殖機能には先天的な欠陥があり、子供を授かれるはずが無かったのだと。


 一方の母さんは、僕が日増しにカイドウ氏に似てきたことから事実を悟り、精神的に不安定になっていった。


 ついに育児放棄にまで至ったところで、僕を憐れんだマヒルの父さんが網元家に引き取ることを決意。

 母さんはこれ幸いとばかりに僕を押しつけて街から姿を消した。


 そしてマヒルのそばで僕がいいようにこき使われてるうちに…いつの間にか二人はまたよりを戻してたんだ。

 …僕の存在は無かったことにして。


 だから…父さんが今さら僕に連絡を取ったのは、離れ離れになった子供を心配して…なんて殊勝な心掛けなんかじゃ勿論なかった。


『これで解ったろ? 俺達がここまで落ちぶれたのは全部テメーのせいなんだよ、あ゛?

 なのに一人だけエライ顔しやがってよぉ…お高くとまってんじゃねーぞゴルァッ!!』


 無責任に産み落としたのはそっちだろうに、チンピラみたいな因縁つけてきやがる。

 …こんな奴らにちょっとでも期待してた僕がバカだったよ…クソッタレが!


『ワリィと思ってんなら、カネ恵んで貰おうか? こちとらテメーのせいであれから鳴かず飛ばずなんだよ、責任取りやがれッ!』


 つまるところ、コレがアイツの要望だった。

 いくら血の繋がりが無いとはいえ、一時は自分の子だと迎え入れた僕にすらこの態度。

 どうやらマヒルの父さんから聞かされてた以上の糞虫だったらしい。


『どうせカイドウのとこでウハウハのオイシイ生活してやがんだろ?

 なのにオメーの素性がバレたら、色々困る事があんじゃねーか…え゛?』


 しまいには脅しにかかりやがった。

 これで全て解った…コイツらはもう、救いようの無いゴミだってことが。


 よくよく考えてもみれば、僕がカイドウ氏の本当の息子ってことが判れば国内外を揺るがす一大スキャンダルではあるものの…

 僕にとっては、むしろプラス要素でしかない。それだけ氏のネームバリューは絶大なものだ。


 最低限、こんなクズの子だと思い込んだまま生き続けるよりはよっぽどマシだ。

 そんなことすら判らずに恐喝するところをみると、どうやら相当生活が困窮してるらしいな。


 …だが確かに、少々困ったことではある。

 なにしろ僕は、氏の愛娘であるユウヒとアサヒちゃん姉妹の両方と交際しちゃってるしな。


 うち、ユウヒの方に関しては、元々カイドウ氏と血の繋がりは無いから問題なし。

 最初は騒がれるかもしれないけど、彼女が氏の肉親ではないことを自ら認めれば済む話だ。


 だけど、アサヒちゃんは…カイドウ氏とはモロに血が繋がってる。

 つまり…紛う事なき、僕の妹だ。


 今にして思えば、のっけから彼女に惹かれてしまったのも、血縁ということを本能的に察知したからかもしれない。


 そして…僕はまだつい最近、彼女への想いに気づいたばかり。

 もちろん、まだまだ諦めるつもりはない。


 …幸いなことに、この事実に気づいてるのは現時点では、僕とコイツらクソ親だけ。


 僕は神に感謝した。

 コイツらへの家族の情愛を微塵も感じられなくさせてくれて、本当にありがとう…と。




 これで、何ら気兼ねすることなく…


 …コイツらを消せる。




「…わかったよ。金はどこに送ればいい?」


 電話の向こうで高笑いが上がるのを聞いて、僕はニヤリとほくそ笑んだ。


 笑い転げたいのはこっちだよ…と。


 案の定、バカ親どもの銀行口座は凍結されてて利用不能だった。

 なので宅急便で送ってこいと現住所を知らせてきた。どんだけ仕送りさせるつもりなんだ?


 てゆーか、久しぶりだってのに息子を信用しすぎじゃね?

 もちろんビタ一文くれてやる気は無いね。


 ともかくこれで、僕は過去の一切のしがらみから逃れられるんだ。


 もう、誰にも僕の邪魔はさせない。





 一度立ち入れば二度と生還できないと噂される『聖域』に足を踏み入れたルミだったが…

 予想外に無双していた。


 善戦の理由は多分にウェルから託された魔法具にあった。


 以前説明した通り、異世界から来たルミにはこの世界の魔法具の利用資格がない。

 仮に使えたところで、聖域に棲まう『霊魔』に唯一有効な聖魔法が実装不能なため、てんで役に立たないはずだった。


 しかし、ウェルの魔法具は元々、彼の亡き父が愛用していた旧式である。

 故に利用資格による制限が施される以前の製品だったため、ルミにも問題なく使用できた。


 また、聖王朝ならびに聖職者の優位性をたもつための聖魔法の実装制限も、同様の理由で掛かってはおらず、亡き父が得意とした強力な聖魔法がほぼ全て網羅されていた。


 それら聖魔法は、元はウェルを産み落とすとほぼ同時に死んだ母親が直に身につけていたものだった。


 かつてルミとは違う異世界から訪れた彼の母は、この世界にそれまで存在しなかった聖魔法を根付かせた張本人である。

 見目麗しい長寿の亜人種で、それから数百年に渡りこの世界を平和に統治し続けたという。


 それ故に聖母と呼ばれた大聖人だったが、その力を悪用し世界制覇を目論んだ現教皇の陰謀によって、魔力が最も弱まる出産直後に暗殺されていたのだ。


 そんなやんごとなき御仁とウェルの父が何処でどうして知り合ったのかは、また別の話。


 ともかくウェルは、こうなることを最初から見越して、大切な両親の形見をルミに預けてくれたのだ。


 そこに秘められた彼の自分への想いに、ルミはようやく気付かされる。

 そして、何があってもこの地から生還し、再びこの魔法具をウェルに返すことを心に誓う。




 そんな最中、思いもよらぬ新たな出会いが訪れた。


 霊魔に隙を突かれて窮地に陥ったルミを、済んでのところで救ってくれた謎の少女エスプ。

 彼女は自らを聖王朝の隠密捜査官と名乗った。


 聖母は生前から現教皇の野望を見抜き、有事に備えて対抗組織を秘密裏に結成させていた。


 王朝でも選りすぐりの実力者ばかりが集い、聖母亡き今もなお、彼女への絶対の忠誠を誓っている彼らは、教皇を唯一服従させられるだけの圧倒的な権限を有していた。


 エスプはその一員として教皇と特区との癒着の事実を探っていたが、あと一歩のところで教皇に素性が知られ、口封じのために聖域へと追放されていたのだ。


 教皇は知らなかったが、彼らの魔法具もまた聖魔法を扱える特別仕様となっており、おかげで今日まで生き延びてこられた。


 彼女は言う。聖域から抜け出すには『主』を倒す以外に術はないと。

 そして実際、何度か対峙してみたものの、まるで倒せる気がしなかった…と。


 だが、二人で力を合わせれば…

 可能かもしれない。


 意気投合した二人は、共に必ず生還することを誓い合って、いよいよ主に挑むのだった。





 後日。

 アイツらが指定した住所にて、身元不明の男女の不審死体が見つかったというニュースがあった。


 何人分かの偽名を使い分けていたらしいが、運転免許や健康保険証など身分証明書の類は一切持ち合わせてなかったとか。

 それでどうやって生活できていたのか疑問だけど、僕的にはありがたい話だ。


 不審死というのは、二人とも外傷がなく、毒物を使用した形跡もなかったからだ。

 一部では何かに酷く怯えたような形相のまま事切れていたらしいが、詳細は不明。


 …だろうねぇ。仮に僕にまで捜査がたどり着いたところで、法的責任に問われるようなヘマはやらかさないさ…ククッ。


 予想通り多額の借金を抱えており、事件性も見受けられず、遺書も発見されなかったことから心因的な突然死と結論付けられたらしい。

 二人揃って突然死とか…ザル捜査だな。


 一報の後、マヒルの父さんから、二人から何か連絡はあったかとの電話があった。

 あるいは彼も二人の住所を掴んでいてピンと来たのだろうか。


「たしかに電話はあったけど、恨み節ばかりで気が滅入ったからすぐに叩き切った」


 と答えると、


『そうか…辛い思いをさせてスマンな』


 と気遣われただけで済んだ。僕がそれ以上は何も知らないと思ってるようだった。


「気にしないで。僕も忘れたことにするから」


 しれっと応えて、とっとと話題を切り替えたがってる空気を匂わせる。


 あれこれ気を回しすぎるとボロを出しがちだしな。九割ホントの中に一割のウソを混ぜ込むくらいで丁度いい。


 やれやれ、最期まで世話を焼かせてばかりのクズ共だったぜ。もうこれっきりだと思えばせいせいするけどな。


 あばよ、過去のしがらみども。




【第二十一話 END】

 今回は前回のあとがきでも触れた「戦争はなぜ起こるのか?」について、自分なりの回答を示してみました。

 もちろん異論反論あるでしょうけど、あくまでも一例としてご参照ください。

 実際、巷にはびこる戦争は民族闘争や宗教論争が昂じて発生してまして、例外はありません。

 作者的には初登場以来ずっと放ったらかしだったカイドウをやっと活躍させられたのでホッとしました(笑)。


 それに絡んで終盤はサスペンス調になってますが、これについては最後までどうするか悩みましたね。

 ネタバレになりますけど、この経緯は連載開始当初から考えてました。ところが前回までのリヒト編で、止むに止まれぬ事情から先に使っちゃいましたから…。

 さすがに同じネタの繰り返しはどうよ?とか思ったものの、これ以外の展開ではクオリティー低下が避けられないと判断し、初志貫徹しました。


 何度も触れている通り、このお話は完全にキャラのご機嫌任せで進めてますんで、こういった事態は日常茶飯事なんですよ(笑)。

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