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はのん  作者: のりまき
13/27

旭日の護送艦隊

 ユウヒとスーパーマーケットで別れた足で、一路山の手へと向かう。

 今日は夏の暑さも控えめだから散歩にはうってつけ…かと思いきや。


 平坦に思えた道も、街中を抜けて高台へと進むにつれて次第に勾配を増し、徒歩ではなかなかに厳しくなってきた。


 かといって自転車だと、僕は坂バカじゃないから尚更キツいだろう。ユウヒみたく原付免許でも取ろうかな?

 けど免許取得にせよ車体にせよ、まずは先立つモノが…貧乏人には坂道以上に険しい道のりだな。


 帰りは逆に下り坂だから楽っちゃ楽だけど、おハイソな方々はどうしてこんな苦労を押してまで高台に棲み付きたがりますかね?

 我々文字通り下々の民には理解の及ばないところでんなぁ…


 などと卑屈の極みに達しかけたところで、目の前に瀟洒な宮殿が見えてきた。


 街外れの高台に広がる広大な森林を切り開いて築かれた、それはそれは巨大な…宮殿?

 なんで和乃國にそげな古典的洋風建築物が?


「…まさか…コレがそうなのか?」


 おかしいな、僕が目指してたのはアサヒちゃんが通う私立小学校で、間違っても異国の王宮などではなかったはずだが?


 けれどもようやく見えてきた正門には間違いなく『私立聖盛世学院』のプレートが掲げられている。

 この種の学校にありがちな、どう読めばいいのか不明なやたら厳つい校名だけど…あ、ご丁寧にルビ振ってあった。


 『聖盛世』と書いて、なんとそのまま『SaySaySay』だとさ。攻めてんな〜!

 小学校って聞いてたけど、超巨大な校舎の規模からして中高一貫校らしい。


 こんな学校が近所にあるなんてマジ知らなかったけど、知ってたところでたぶん僕とは一生無縁な世界だったことだろう。


 しかもこれはマズイ。なにしろ僕の格好は着古したヨレヨレなTシャツにジーパン。どう考えても場に似つかわしくない。

 入場にはドレスコードとかあるんじゃ?

 てか、勝手に足を踏み入れてもいいのか?


 リンゴーン…リンゴーン…リンゴーン…


 躊躇していたところへ授業終了と思しきチャイムが鳴り響いた。さすがは宮殿、チャイムの音色までゴージャスだ。


 …を? ほとんど同時に校舎の正面玄関から誰かが飛び出してきたぞ。


 見覚えのある制服を着込んだ、僕から見れば小柄だけど小学生的にはすこぶる発育が良すぎるボンッキュッボンッなスタイルの、長いツインテールを尻尾のようになびかせた女子生徒。


 ここまで描写すれば見紛うはずもない、アサヒちゃんその人だ。

 僕が来るのを待ち侘びていたのか、全速力で校庭を一直線に駆け抜けてくる。


 その勢いに任せて、ご立派なお乳が今にも制服を弾き飛ばさんばかりにプルルンプルルン揺れる揺れる♪


 いわば重量級の砲弾二つがこちら目掛けてかっ飛んで来るようなもので…

 って、アレに直撃されたら、さすがにヤバくね!?


「ちょっアサヒちゃんストップ! ストォーップ!!」


 慌てて呼びかけるも、耳に障害がある彼女に聞こえるはずもなかった。

 むしろ身振り手振りで制止を促したのが、逆に手招きしてると受け取られたか、彼女はますますスピードアップ!


 つったかつったかつったかたっちゅどおーんっっ!!


「ぐぉげぼっはぁあ〜〜〜っっ!?」


 女子小学生が駆け寄ってくるカワイイ足音からは完全に逸脱した怒涛の衝撃が土手っ腹に直撃し、危うく胃の内容物を撒き散らしかけた。


「な、ないすたっくる…ぉげろ〜ん…」


「♪⭐︎♪⭐︎♪⭐︎」


 ダウン寸前の僕とは裏腹に、宮崎アニメの大団円シーンのように僕に飛びついてクルクル回るアサヒちゃんはこれ以上ないほどの笑顔。


 これだけ喜んでくれるなら迎えに来て良かったんだろうけど、今後もこれじゃあ身が持たないな…。


「待ってよぉアオぽーんっ!」


 そんなアサヒちゃんを追いかけてきた同じ制服姿の女子生徒が二人、やっとこさたどり着いた。


「ハァハァ…こ、このあたしが追いつけないなんて…アオぽんマジ足速すぎ!」


「ゼェゼェ…マ、マジ死ねますぅ…」


 肩で息する酸欠少女たちには見覚えがあった。いつぞやの登校風景で、アサヒちゃんと同じ通学バスに乗り合わせていた子達だ、


 たぶん前者がキーたんで後者がアカりんか。身に付けてるアクセサリーが各々のイメージカラーになってるから判別しやすい。

 そういえばアオぽんことアサヒちゃんも青や緑が好きなのか、よくそんな色合いの衣類を着てる。


 よし、三人まとめて『シグナル三人娘』と呼ぼう。往年のスポ根野球アニメっぽいけど。


 しっかし三人とも制服姿が恐ろしく板についてる。よく見ると細部の意匠も微妙に違うし…もしかしてオーダーメイドなのか?

 ユウヒからこの制服の値段を聞いたときには震え上がったものだけど、この校舎と釣り合いをとるには確かにこんくらいじゃなきゃな。


「…あ、初めまして! アオぽんの友達のキーたんでっす!」


 元気よく挨拶してくれたのがショートカットの子、キーたん。

 スポーツが得意というだけあっていかにも快活なイメージで、身長も小学生の割にはスラリと高く(実年齢十三才のアサヒちゃんよりは低いけど)、凹凸が少ないスレンダー体型だ。


「ちょっとキイちゃん、愛称じゃ失礼ですよ。

 …初めましてお兄様、アサヒちゃんの友達の右近うこんアカリと申します」


 対照的におしとやかな典型的文系タイプの三つ編みの子、アカりん。

 こちらは小学生のイメージ通りに身長は三人中最も低く、体型も平均的。言葉遣いがいかにもイイトコのお嬢様だ。眼鏡は掛けてないけど、将来的にはよく似合いそうな雰囲気。


 …って、お兄様?


「あ〜ゴメンゴメン、あたしは左寺田さじたキイだよ。顔だけは一度合わせたコトあったよね?

 いや〜兄さんメチャイケメンだねぇ!」


「ええ、一瞬ジャニ…某笑顔向上事務所所属のアイドルさんかと思いましたよ。さすがはアサヒちゃんのお兄様ですね♪」


 小学生にまで深刻な社会的配慮義務を強要してる業界事情はさておき、さっきから何なのお兄様て?


「あ、あぁ初めまして、潮リョータです。

 あの僕はアサヒちゃんの実の兄じゃ…」


「わかってるって。ユウヒねえのカレシなんでしょ?」


 ユウヒ姉?


「あのユウヒお姉様を堕とすなんて只者じゃないって、クラスでも噂で持ちきりなんですよぉ?」


 お姉様? てか…え、クラスで噂!?

 ちょっと待て、僕とユウヒの交際ってそんなワールドワイドな話になっちゃってんの!?


「アサヒちゃんがよくお兄ちゃん、お兄ちゃんって話題にしてるものですから。

 今だって…ほら」


 言われてアサヒちゃんを見れば…飼い主に擦り寄るワンちゃんのように、ツインテールを文字通り尻尾のように振り乱して僕にべったり甘え放題。


 よくよく考えたら、これだけ可愛くてクラスでは年上で色々と特徴も多い彼女が注目されないはずがなかった。

 気づいたらいつの間にか外堀が埋められてた戦国城主の気分だ。


「…ホントにユウヒ姉のカレシってだけぇ?」


「アサヒちゃんが身も心もこれほどまでに捧げるだなんて…略奪愛?」


 ゔをっ、スルドイ…今日びの女子小学生のマセ方パねぇ!

 特にアカりん、小四でなんでそんな言葉知ってんのコワッ!?


 思わぬところでヤバい連中に接触してしまったぞ。コイツらに実態を知られた日にゃあ何を言いふらされるか判ったもんじゃないぞ…。


 こうなりゃ小学生だろうが知ったこっちゃない。僕の明るい未来のためには、今のうちには思い切った処断を…ゲヘヘッ♪


「…あう〜っ!」


 危惧した僕があえて手を下すまでもなく、アサヒちゃんが申し訳なさそうに二人に向かって手を合わせた。

 これは僕でも判った、「今日はこのまま帰らせて欲しい」だな。


 それを見た黄色と赤色は互いに顔を見合わせて頷き合い、


「じゃあ今日はこのへんでってことで♪」


「その代わりと言っては何ですが…ゴニョゴニョ♪」


 三人娘は僕に隠れて何やら打ち合わせをしている。アサヒちゃんにヒソヒソ話が伝わる訳ないと思うから、事前に打ち合わせ済みなんだろう。


 そして黄赤コンビは家の人が車で迎えに来るからと校舎脇に消えていった。そっちに来賓者用の駐車場があるらしい。


 …やれやれ、やっと嵐が過ぎ去ったか。それじゃ僕らもそろそろ…


 かと思いきや、アサヒちゃんは僕の手を引いて校門内へと戻っていく。なんで?


《ちょっと用事♪》





 アサヒちゃんに連れて来られたのは、校庭の片隅にある校舎の別棟。


 母屋とは少し雰囲気が異なる博物館のような堅牢な造りで、生徒たちは渡り廊下を通じて直接入館できる他、正門以外から訪れるための専用通路もあった。


 入り口は近代的なガラス張りの自動ドアになってて、館内には本棚がズラリと居並ぶ様子が見てとれた。


 つまりは図書室…いや、もうそのレベルを遥かに超越した図書館だ。


「なるほど、部外者も利用できるようになってるのか…!」


《プールとかも家族みんなで使えるようになってるんだよ♪》


 いつぞや僕のスマホに送り付けられてきた、アサヒちゃん&ナミカさん母娘のここのプールサイドでのセクシーショットは、そういう事情だったのか。


 不特定多数が利用できるようにすると盗撮やナンパ目的の良からぬ輩まで呼び込んでしまうけど、生徒の家族に利用を限定すればそうした事態も抑制できるわけだ。


 ふむ…これは使えるかも?

 うちの高校には屋外プールしかないから、水泳部の冬場の活動は入水せずとも出来るトレーニングがメインで、あとは週に何度か最寄りの屋内プールを間借りしている。


 でもここのプールを利用することが出来れば、比較的近所だから往復に時間が要らず、その分を練習にあてられる。

 施設の管理も徹底されているだろうから環境的にも申し分ない。


 機会をみて学校側に掛け合ってみるか。

 いざとなればカイドウ氏の名前を有効に使って交渉を有利に運べそうだしね…クククッ。


《いつまでも悪企みしてないで、早く入ろうよ♪》


 おっと、ついいつもの生徒会長モードを発動してしまった。今は夏休みだから仕事は基本オフだ。


 アサヒちゃんに手を引かれて館内に入ると、広々とした屋内には夥しい冊数の書籍と、全校生徒が余裕で座れそうなほどの椅子やテーブルが整然と並んでいた。

 本の種類も数も、近所の公立図書館よりも遥かに充実してる。


 だのに夏休み中ということもあってか、利用者は見渡す限りご近所の親子連れ数組たけで、生徒の姿は一人もいない。

 これだけの設備が、なんてもったいない! 僕だったらもっとこう…


 などと歯噛みしてるうちに、アサヒちゃんは受付カウンターで司書さんと親しげに接していた。よほど頻繁に来館して、すっかり顔馴染みなんだろう。


 遅れて僕も顔を見せると、二十代半ばくらいと思しき清楚な印象の司書さんはこちらを見てあからさまにハッと顔を赤らめてお辞儀をしてきた。


 校内でもおとなしめな女生徒にはよくこんな反応をされるから慣れっこだけど、ここ最近は何かと図々しい連中に言い寄られることが多かったから新鮮な反応だなぁ。


〈あの…アサヒちゃん、この人は?〉


 おっ、これは珍しい。司書さんは声でもスマホでもなく手話で応対してる。アサヒちゃんのために憶えたのかもしれないけど…確かこの子、手話は教わってないんじゃなかったっけ?


《アサヒのお兄ちゃんだよ♪》


 と思ったら、アサヒちゃんは難なく手話で応えている。たぶん独力で憶えたんだらうな。


 元来あらゆる手段を駆使して意思疎通をはかれる賢い子だから、そんな特定の専門言語に頼る必要はない。


 けれども昨今はちょっとした手話ブームで、アサヒちゃんのような人を見かけるとわざわざそれを披露したがる人もいる。

 聴覚障害者なら誰でも手話を使えると思い込んで…。


〈あらそう? たしか美岬さんってお姉さんしかいなかったんじゃ…?〉


「今は(仮)ってところです。将来的には義理の兄妹になるかもしれませんけど」


 すかさず僕がフォローすると、司書さんはしばし考え込んでからハッと気づき、


〈それはあの、お姉さんのカレシさんってことかしら?〉


「一応そういうことになってます。あと僕は普通に話せますんで」


「あ…すすすみませんっ、あまり人と話し慣れてないものですから…」


 予想外にカワイイ声とカワイイ反応が返ってきた。てゆーかそんな人を受付に置いといて大丈夫なのか?


 でもさすがのアサヒちゃんも自分が僕の裏カノジョだってことは皆に打ち明けていないようだな。


 などと考えてるうちにもアサヒちゃんは手提げ鞄から何冊かの本を取り出し、返却手続きを始めていた。


 司書さんが背表紙に貼られた仕分けラベルをバーコードリーダーで読み取ると、モニターに表示された貸出情報が即時更新されていく。

 図書館なんてほとんど利用したことないけど、現在ではこんなところも電子化されてるんだな。


 貸出カードも基本的には個人のスマホに登録されたアプリで処理され、ペーパーレスになっているようだ。

 従来の紙カードだと頻繁に通う人はすぐリストが埋まっちゃうだろうから、これは嬉しい改善点だ。


〈今日は何か借りていく?〉


 司書さんに問われたアサヒちゃんは、遠慮がちに僕の顔色を窺う。

 もちろん断る理由はないから笑顔で頷き返すと、パァッと顔を輝かせた彼女は司書さんにペコリとお辞儀して、踊るように本の森へと吸い込まれていった。


「本当に本が好きなんだなぁ」


 僕がそばにいるときには全然そんな素ぶりを見せないけど、ユウヒが言うにはいつも大抵なんか読んでるらしい。おかげて手が掛からなくて助かると主婦みたいに喜んでたっけ。


「アサヒちゃん、放課後はよくここに来て本を選んでるんですよ。通学バスの時間があるから読んでいくことは少ないですけど」


 なるほど。彼女の自室で見かけたジャンルがバラバラなあの書籍類はそのためか。ゆっくり選んでる時間がないから、目立ったタイトルを片っ端から引っこ抜いてるんだな。


「ここは休日もやってるんですか?」


「はい、年末年始以外は基本的に年中無休で、開館時間も朝九時から夜七時までになっています」


 それなら休日に来れば…って、あの坂道は小学生にはちょっとキビシイか。


「でも、アサヒちゃんが休日に来たことは一度もないですね。一人では外出したことがないそうですから」


 ふむ。耳の件もあるから家族にそう注意されているか、あるいは自主的に外出を控えてるのかな…家族に心配かけたくなくて。


 あ、心配といえば少々毛色が異なるけど…


「ここって何てゆーか…小学生が読むにはちょっとアブナイ作品もありますよね?

 『ハリーキングロマンス』…とか」


 ぎっくんちょ!?と肩を震わせ、瞬時に真っ赤になる司書さんがカワイイ♪

 …こりゃたぶん未だフリーで未経験だな?

 しかもたぶん読んでるな、ハリーキング。


「そ、そのぉ…一般向けにも開放されてる図書館ですので、世間的に出回っている書籍についてはそのまま取り置く規則でして…」


 書籍の表現については実は法律ではなく出版各社の裁量に委ねられているから、その辺は難しいところだよな…。


「もちろん初等部の生徒さんには内部規定に基づいて貸し出しの可否を判断しておりますが…彼女は実年齢的には中学生相当で、しかも放課後に利用されておりますのでぇ…」


 ひょっとしてアサヒちゃんはそれを知ってて、あえて放課後にばかり訪れてるんだろうか。結構したたかな子だからあり得る話だな。


「司書さんのお薦めってあります? ハリーキングで」


「あ、私のオススメはなんといっても『図書館での密会』ですね! まさに私のためにあるような作品で、ヒロインが恋焦がれる年下の男子学生さんがそれはもぉ!…あ。」


 おお、やっとお戻りあそばされましたか。

 予想以上の食いつきで僕ちょっと引いちゃったかも〜。


「なんなら僕らも密会しちゃいます?」


「え…い、いいんですかぁ〜!?」


 いいわきゃねーだろ冗談だよ冗談。

 とはいえこの人、見た目は地味だけど中身はなかなかオモロいし、からかい甲斐があるな♪


「まぁ密会はアレですけど、たぶん今後もちょくちょく来るとは思いますよ…子連れで」


 ちょうど何冊かの本を抱えてホクホク顔で戻ってきたアサヒちゃんに視線を配りつつ、司書さんに生温か〜い微笑を送る。


「わ、私の子供も作って頂けませんか!?」


 ナニ言ってんのこのヒト怖っ。





 司書さんの圧苦しい(あえて誤字)熱視線に見送られて、逃げるように図書館を後にする。


 途端に夏の陽気がじわっと押し寄せて汗ばむ。館内は冷房が効いてたからなぁ。


 それにしても…とアサヒちゃんの手提げ鞄に目をやり、溜息をつく。

 いつもは乱読が多い彼女の今日のチョイスは、よりにもよって恋愛モノばかりだった。うち半分くらいが例のハリーキングロマンス。


《解らないトコロはカレシさんが教えて♪》


 解らないトコロはそのうち自然に解るようになるから焦らなくてもいいと思うけど…どうせ根掘り葉掘り訊かれるハメになるんだろうなぁ。


 などとげんなりしつつ専用通路から校外へと向かっていたところで…通路脇の木陰に一人の男子生徒の姿を見つけた。


 なんだろう…やけに気になる子だ。

 何故って、こんなあからさまなブルジョワ学校に通ってるってのに、派手に制服を着崩して、頭髪もロックバンドかと思うほどにツンツンしてる。うちの風紀委員長といい勝負だ。


 そんな教師に見咎められそうな格好もさることながら、見るものすべてを凍りつかせそうなほどの鋭く冷たい眼差しが真っ直ぐにこちらを射竦めている。

 この眼力は…普通の小学生じゃないぞ?


 …ぎゅっ。急にシャツの裾を掴まれて驚けば、アサヒちゃんが僕の背後で縮こまっていた。

 顔をこわばらせて、息を荒げて、不安げな眼差しで彼を見つめて…明らかに怯えている。


 僕は思わず、そんな彼女を護るように身体を広げて、少年の前に立ちはだかった。

 なにぶん相手は小学生だから事を荒立てるつもりはないけど、何を仕掛けてくるか判らないほど危険な雰囲気が彼にはあった。


 うちの風紀委員長は一見コワモテだけど、いざ話してみるとなかなか面白くて人間味に溢れる人だった。だからこそピックアップする気になったんだけど。


 でもこの少年の場合は話し合い自体できなさそうだ。人付き合いが苦手とかいうレベルではなく、他人を徹底的に拒んでる感じがする。

 こんなボンボン学校にこんなホンマモンがいたこと自体が驚きだ。


 そんな彼と対峙して暫し…


「…チッ。」


 小さく舌打ちするなり、彼は僕らの横をスタスタと通り抜けて校舎のほうに消えていった。

 たったそれだけのことなのに、凄まじい威圧感だった。


 …今頃になってドッと汗が噴き出た。夏場だってのに冷や汗だ。膝の震えが止まらない。

 肝が冷えるとはまさにこのことだ。小学生相手に何をおおげさなと思わなくもないけど、見逃してくれて本当に助かった。


〈クラスメイト?〉


《リヒトくん。ちょっとコワイ子》


 だろうね。高校生の僕でさえビビるんだ。

 それに、いつもは嬉々として色々答えてくれるアサヒちゃんにしては珍しく言葉数が少ない。あまり話題にしたくはない雰囲気だ。


 無理に詮索するのは諦めて帰宅を促すと、彼女はトボトボと重い足取りで歩き始めた。

 帰り道は楽な下り坂なのに、街中までがずいぶん遠く感じる。


「…………」


 う〜ん、にわかに意気消沈しちゃったな。

 せっかくのウキウキ気分が台無しだ。

 クソッ、あのリヒトとかいうガキ…ちょっと探りを入れてみるか?


 僕はスマホを取り出してチャットアプリを立ち上げ、さる人物に身辺調査を依頼した。

 そこいらの探偵よりは優秀で、しかもタダ。

 数時間後には詳細な調査結果が上がってくることだろう。


《ごめんね》


 そのチャットアプリに急に着信があったから、もう判明したのかと驚いてみれば…


 送り主は隣…いや後ろを着いて歩くアサヒちゃんだった。彼女に補聴を合わせてたはずが、スマホに気を取られてつい早歩きになってしまった。


 僕は「構わないよ」と被りを振って、いつもよりいくぶん小さく感じる彼女の手を取った。

 アサヒちゃんはやっと微笑み返して、僕に子犬みたいに擦り寄ってきた。


「…わ、何あの二人。タレント!?」


 突然そんな囁き声が周囲から聞こえてきた。


「男の子イケメン! 女の子カワイイ♪」


 気づけば僕らはいつしか街中に差し掛かって、繁華街のそばを歩いていた。


「恋人同士?」「兄妹じゃない? 女の子のほう、年下に見えるし」「どっちにしても超似合ってる〜♪」


 道行く人達が僕らを見ては、そんなふうに噂し合っていた。


 自分がイケメンってことは自覚してるし、通りすがりに注目を浴びることにも慣れてる。

 それでもこれほどまでに衆目を集めたことは未だかつて無かった。

 原因は言わずもがな、アサヒちゃんの存在だ。


「あの制服、セイ小のじゃない?」「えっ、あの山の手の!?」「お嬢様がなんでこんなトコにいるの?」「お人形さんみたいでカワイ〜⭐︎」


 人並み外れた美少女であるユウヒの妹なだけあってつい忘れがちだけど、世間的には充分すぎるほど美少女なアサヒちゃんは、普段一人では出歩かない。

 それがあんなセレブ校の制服でこんな雑踏の中にいるのだから、注目を浴びない訳がなかった。これは迂闊だったな。


 ギュッ…。周囲からの好奇の視線に気づいたアサヒちゃんが、なおさら心細そうに僕にしがみついてくる。

 マズイなこりゃ、完全にルート選択を誤ったぞ。彼女がどこに行きたいのか訊いてなかったけど、ひとまずバス停に向かおうと最短ルートを選んだのが裏目に出たか。


「おうおうそこのアンちゃん嬢ちゃん、見せつけてくれんじゃねーかをを〜んっ!?」


 チキショウこの期に及んで、さらにチンピラにまで絡まれちまった。いくら温厚な僕でもしまいにゃキレるぞこんクソボケがぁ!?

 などと破れかぶれで振り向いてみれば…


「にっひひ。会長さん、おひさ♪」


 そこにいたのは本当に久しぶりな感じのシノブだった。でもよくよく考えたら最後に出会ったのはほんの二、三日なんだけどな。

 顔見知りに出会えてホッとした反面、エライとこ見つかってしまった気がしないでもない。


「アサヒちゃんもおひさ〜。意外なトコで会うねぇ?」


「♪♪♪♪♪♪」


 もはやすっかりマブダチな彼女との再会に、アサヒちゃんも元の笑顔を取り戻した。地獄に仏とはまさにこのことか。


「んで、なんでお前がここに?」


「ちょいちょい、さっき例の身辺調査を頼んだのは会長さんじゃん?」


 えっ、もう調べたのか!? 依頼してからまだ小一時間も経ってないぞ。


「まぁ調べるまでもなかったってゆーか…ここいらじゃ何かと有名な顔だったからね」


 あの少年、どうやら予想以上に厄介なガキだったらしい。


「詳しくはボクの店で話すよ」


 言われてみれば、シノブの店はここからすぐ近くだった。仮に調査の件がなくとも、バッタリ出会でくわしてても何ら不思議はなかった訳か。


 ともかく渡りに船だ。ちょうど昼飯時で小腹も空いてたことだしな。





 繁華街の裏通り。

 昭和感が色濃く漂う寂れた飲み屋街の一角に位置する年代物の雑居ビル。


 おおよそ営業店舗など見当たらないかのような廃墟同然のそこに踏み込み、ひび割れた階段をヒイコラ昇って最上階へ。

 ちなみにエレベーターは整備不良により数年前から使用中止のままだ。


 どう見てもオフィスの入り口にしか見えない、飾りっ気のないスチール製ドアを力任せにこじ開ければ…


『いらっしゃいませ〜⭐︎』


 まるで異世界に彷徨い込んだかのような違和感ありまくりの光景が目の前に広がる。 


 一面カジノのように深緑のカーペット敷き。

 腰の高さまではレンガ積み、それより上は漆喰塗りの壁。

 貫禄あるマホガニーのテーブルと椅子。

 豪華すぎない程度に存在感を示す天井のシャンデリアやシーリングファン。


 そんなあたかも中世ヨーロッパのようなファンタジックな空間に住まうのは…剣士や魔法使い、エルフにケモミミ、果てはバニーガールにアニコスと何でもござれのメンコイ娘っこ達。


 混沌として無秩序なこの異空間を一手に取り仕切るのがオーナーの不忍しのばずシノブ。

 そう、ここは彼女自慢のコスプレ喫茶『夢幻泡影むげんほうよう』。


「お帰りなさいませご主人様、お嬢様…ってホンモノのお嬢様かよ!?」


 出迎えたメイドコスの店員さんが思わずキャラ付けを忘れるほどの威力。セイ小の制服効果恐るべし。


「え〜ナニこの子メチャきゃわえーんですけどぉ!? オーナーまた新しい子拾ってきたの?」


「あーその子はボクのお友達だから、丁重にオモテナシしてねん♪」


 本来なら小学生が立ち入っていい店じゃないんだけど、保護者同伴ってことでひとつ。

 その小学生様は、日頃は絶対目にしないであろう別世界を興味津々に見回している。


 シノブの忠告など無くとも、カワイイお客様にメロメロな店員さん達はさっそくアサヒちゃんを猫可愛がりしてる。


 腐っても接客のプロな面々は、彼女が耳に障害を持つことを即座に見抜くと、余計な詮索などせず速やかにそれなりの応対へとシフト。

 さすがはシノブ、店員教育が徹底されているようだ。


「アサヒちゃんはボクが奢ったげるから、何でも好きなもの注文していいよ♪

 …会長さんは水道水と便所脇のコケでも食べとく?」


 ぅおいっ、なんだその扱いの差は!?


「そーとーツケたまってるよ〜? 生徒会長だろうと雇い主だろうと、戴くモノはきっちり戴くからね♪」


 ケッ、ちゃっかりしてやがる。

 でもなんだかんだ言いつつアイスコーヒーとオムライスを奢ってくれたから許す♪


「んで…件の調査報告だけど」


 フロア最奥のテーブルに案内された僕らが腰を落ち着けるなり、対面席に腰掛けたシノブはアサヒちゃんには見えないようにスマホを取り出して僕に見せた。


 画面に映ってる写真は間違いなくさっきのふてぶてしい少年だ。

 しかも制服ではなく私服姿で、大勢の同年代の男子を引き連れて繁華街を闊歩してる。


鈴盛土すずもんどリヒト。現在小学四年生。

 父親は鈴盛土ジモン。母親は同マリア」


「マジか…!?」


 愕然とするしかない。

 鈴盛土ジモンといえば知らない者はいないほどの大物国会議員で、地元であるこの土地では生き神様のように崇められてる代議士一族の現当主だ。


 まだ有権者年齢に達していない僕には馴染みがないけど、選挙権を得た先輩方は皆、半強制的に彼への投票を促されるほどだ。

 間違っても対立候補に票を投じたりすれば、進学や就職の内定が取り消されるなんて噂もあるくらいだからな。


 そんな具合の典型的な強権主義者で絶大な影響力を誇る一方、大昔から黒い噂にも事欠かず、彼に目をつけられた者はことごとく表舞台から姿を消しているらしい。


 その妻マリアは某有名劇団出身の元大物女優で、夫妻の婚約時には国を揺るがすほどの大騒ぎになったようだ。

 結婚引退後も国内外の各種団体・組織の会長や理事長を次々引き受け、地元イベントでは顔を見ない日がないほどの著名人。


 そんな夫妻の御愛息にあそこまで付け狙われるだなんて…アサヒちゃん、あーたいったいナニしたの!?


「彼女というよりは、そのパパ上様がやらかしちゃってんだよね〜」


 目の前に置かれた特製ふわふわパンケーキに顔を輝かせているお嬢様を横目に、シノブは深い溜息をつく。


「ボクらが生まれた頃にさ、日本中が大騒ぎになったデカい汚職事件があったじゃん?」


 あったな。戦後最悪とも言われる不正献金疑惑事件が。


 当時の有力議員とその周辺の関係者が芋蔓いもづる式に大量逮捕され、議席の大半を失った与党は解散。その後の総選挙で大敗し、一時的な政権交代が実現した。

 大企業も影響を受け次々に連鎖倒産。失業者数はバブル崩壊時に匹敵するほどに上り、景気の減速も余儀なくされた。


「でも鈴盛土氏は逮捕されてないだろ?」


「ギリギリね。証拠不十分でお咎めなしだったけど、実際にはあの手この手で揉み消したらしいよ?」


 その後の総選挙にも「有権者の指示が得られない」として出馬を断念。初当選以来初めて対立候補の台頭を許してしまう。


 だが、当時の新政権を築いた現在の野党連合は結局てんで使い物にならなかった。

 さらには期間中に発生した大地震などへの対応の不味さから国民の総スカンを食らった挙句、数年後の総選挙でまたも政権が交代、従来通りの与野党配置が復活した。


 現在の野党がまったく支持を得られず単なるお邪魔虫と化しているのは、そんな経緯があったからだ。


 鈴盛土氏もそのときに晴れて議員復帰を果たし、今日に至るまで強固な地盤を築き上げてきた次第だが…


「あ〜そっか…」


 と僕は頭を抱える。そんな一大政変劇のきっかけとなった不正献金の事実をすっぱ抜いたのが、当時売り出し中だった新進気鋭のジャーナリスト、美岬カイドウ氏。


 …つまりはアサヒちゃんの父親だ。

 ヤッベェ、恨まれまくりじゃん!


「でもさぁ、あっちもこっちもまだ小学生でしょ。自分が生まれる前の出来事で逆恨んだりするもんかなぁ?

 それにまだ、何かされたって決まった訳でもないんだよね?」


「だと良いんだけどなぁ…」


 たぶんアサヒちゃんはこれ以上話したがらないだろうけど…あの少年に出会でくわしたときの怯えかたは普通じゃなかったからなぁ。


「で、アイツはどう悪名高いんだ?」


 僕の質問にシノブは眉と声をひそめて、


「あの子自身が何かやってるって訳じゃないんだ。いつも真ん中でふんぞり返ってるだけさ。

 …問題はむしろ取り巻きのほう」


 さっきはたまたま少年一人しか見かけなかったが、街中を闊歩する際には必ず大勢の取り巻きを引き連れてるんだとか。

 そのいずれもが大手企業や政治家といったやんごとなき御家庭の御子息様ばかり。警察さえも迂闊には手を出せない集団だ。


「そんな連中が盛り場で夜な夜なやりたい放題さ。と言ってもまだ小学生だからオンナなんかには興味なくて、単なる遊びなんだけどね」


 最も解りやすい一例がゲームセンター。

 未成年は入店不可な時刻をとっくに過ぎても遊び呆けてた連中を注意したバイト店員はその場でクビ、補導員はその後に暴漢に襲われて半殺しにされたんだとか。


「コンビニやファミレスでも気に入らない態度をとった店員がいると、わざと商品を床にぶち撒けて掃除させたり、自宅に押し入るぞと脅したり…まだ若いのにすっかりチンピラ予備軍さ」


 警察に連絡しても、相手がコイツらだと判るとなかなか現場に顔を見せず、後でくだらない事で呼ぶなと逆に説教されるほどだとか。


「まさに無法者だね。まあ元々ボクらとは別世界の住人だから、法律なんて通用しないよ」


 しかも親方日の丸だしな…。


 おいおいおいおいアサヒちゃん、トンデモネー奴らに絡まれちゃってんじゃん!?

 何か打つ手は…


「悪いけどさ、ボクもこれ以上は何もしてあげられないよ。この街で商売してる手前、目ぇつけられたら命取りだからね」


「…了解。情報提供さんくす」


 シノブの言い分はもっともだ。とりわけコイツの商売は到底褒められたシロモノじゃないしな…。


「…テンチョさん。ちょとイイか?」


 カタコトで話しかけてきたアジア系店員さんの顔を見るなり、シノブはげんなりした表情で「…何?」と短く問い返す。


「…デキちゃたネ。お客サンの子。」


「え゛。またぁ? アル、あんた去年も同じコトやらかしたぢゃん。まだ懲りてないの?」


 シノブの店の店員は誰しも複雑な事情を抱えている。家出娘だったり不法滞在だったりと。

 そんな彼女達をシノブ自ら路上で拾ってきては、無料でここに住まわせる代わりに店で働いて貰ってるという寸法だ。


 基本給はそれこそ法外な安さだけど、彼女ら自らが得た客からのチップや贈答品には店側は一切関知しない。どれだけ儲けられるかは店員各々の努力次第な訳だ。


 だから時々は行き過ぎてこんな粗相をやらかす娘も出てくるワケで…。


「だてヤサシソなヒトだたから…」


「野郎なんて女にゃみんなイイ顔して期待持たせんだよ。ねぇカイチョさん?」


 カタコトで僕に同意を求めるなよ。やたらと実感こもってるし。


「んでどうすんの、育てられる?」


「…無理ネ。お客サンもう来なイ」


「くっそ〜ヤリ逃げか…顔わかる?」


「写真あるアル」


 アルが多いな、昔の中国人じゃあるまいし。

 とにかくそんな彼女が頷いて提出したスマホに映る男の顔写真を、シノブは憎々しげに睨みつけて、


「…しゃーない。また風紀委員サン達に頑張って貰うか」


「こら、ウチの風紀委員を無断私用すな!」


「だってあの人達にはここの常連さんも多いからさ。プライベートで来たお客さんに何を頼もうがボクの勝手でしょ?」


 こんにゃろめ。そうやって手懐けた委員達にその客を脅させて、慰謝料だの手術費用だのを巻き上げるつもりだな。


 でも育てられるだけの余裕がないなら、堕してもらったほうがその子も幸せだろう。

 じゃないと僕みたいな人間が増えるだけだ。


「浮いた金は迷惑料として店側が頂戴するから。それでいいよねアル?」


 ハイ注目。この店の利益は事実上そーやって稼いでマス。つくづく真っ黒寄りのグレー営業だぜ…。


「はいアル。ゴメワクお掛けしてゴメンネゴメンネ〜♪」


 軽っ。そして古っ。全然反省してないアル!

 アタシャ前々から思ってたんですよ〜、この女…絶対ヤル!って。


 ともかく、いつまでもこんな人外魔境にいたいけな小学生を置いとく訳にはいかないな。悪影響を受ける前にとっとと退散するか。


 などと思いつつアサヒちゃんを見れば、いかにも幸せ真っ盛りな顔のあちこちに生クリームを載っけてパンケーキを頬張ってる真っ最中。

 しかもいつの間にか三皿目。太るぞ?


「はぐぅ…っ」


 あ、伝わったっぽい。

 仕方ない、食べ終わるまで待ったげるか。


「ちょっ…この子こんな食べるの!?」


 自腹を切っていまさら青ざめてるシノブだが、僕だって彼女がこんな大食いだとは知らなかったんだから許せ。


 …あのリヒトとかいう少年のことは、後でナミカさんの耳にも入れておこう。彼女ならいざというとき頼りになりそうな気がする。


 ユウヒには…伝えないほうがいいな。早とちりして殴り込みに行きかねないし。





 シノブの店を後にして、一路バス停へと向かう。

 繁華街を外れた途端に閑散とした港町の風景にとって変わった。


《シノブちゃん本当にオトナだったんだ》


 店を取り仕切ってた彼女の姿に、アサヒちゃんはやっと勘違いに気づいたらしい。初対面以来ずっと年下だと思ってたようだ。

 ま〜あの外見じゃ無理もないし、かといって断じてオトナでもないけど。

 でもやってるコトはオトナ向け♪


《怒ってるかな?》


〈全然。みんなにそう思われてるから慣れっこらしいよ〉


 無用な心配をするアサヒちゃんを慰めたつもりが、


《お兄ちゃんはシノブちゃんとオトナの関係なんでしょ? セックスフレンド?》


「どわぁーから小学生がそゆこと言っちゃダメッ!!」


 いったい何処で憶えてくるの?…ってあの図書館かよ閉鎖させたろかいゴルァッ!!


 とかやってるうちにバス停にたどり着き、おあつらえ向きにバスが来た。仕方なく乗り込む。


 行き先は僕のアパートの最寄りのバス停。

 そこからしばらく歩けば僕のアパート。

 …つまり、そこがアサヒちゃんの目的地だ。


《お兄ちゃんのおウチに行ってみたい♪》


 それが彼女の希望だった。みんな僕ん家を知ってるのに、自分だけ知らないのが不満だったらしい。


 彼女が何処に行きたいと言い出しても良いように幾ばくかの軍資金まで用意したというのに、肩透かしもいいところだ。

 結局、昼メシ代もシノブにたかって浮いちゃったしな。


 つくづく姉妹揃って安上がりなお嬢様たちだぜ…クケケッ♪




「♪♪♪♪♪♪」


 アパートに着くなり、上機嫌で僕の部屋を物色し始めるアサヒちゃん。

 こんな何の変哲もない汚部屋のどこがそんなに面白いのか、シノブの店より食いつきがいい。


「…ぁう〜ん?」


 やがて妙に色っぽい感嘆詞を洩らした彼女は、


《この部屋、な〜んにも無いね?》


 あーたに言われたかねーよ。


《シノブちゃんと何処でエッチしてるの?》


 してない! てか向こうはヤル気満々だけどこっちがその気にならないだけだ。


《でもマヒルお姉さんとはしたんでしょ?》


 ぎくりんこ!? どぼぢでそれをっ!?


《お姉ちゃんから聞いた》


 ユ〜ウ〜ヒィ〜ッ!? おま誰に何ゲロってんだよっ!?


 アイツは感情まかせで生きてるから、腹に据えかねて妹にチクったんだろ。これなら周囲に言いふらされる心配は無いって。

 とんだ誤算だったな。


 てゆーか、さっきからそっち方面にばかり話が展開してないか? これはもしや…


《だからアサヒともできるでしょ?》


 ナニその友達の友達は皆トモダチ論法!?

 やっぱ最初っからそのつもりで此処に誘導しやがったなこの似非小学生!


《スクール水着もあるよ♪》


 展開がマルチだなオイ!? でもエッチはともかくスクール水着は見たいかも〜♪


《じゃあ着替えるね⭐︎》


 パチンとウインクするなり、アサヒちゃんはおもむろに制服を脱ぎ始めた。

 えっちょ待っ…あ、これはいつものもう下に着込んでるパターンかな?


《着てないけど? 登校日にプールの授業なんて無いよ》


 ほなやっぱりダメぢゃんッ!!

 とか思ってたら…ボタンを半分ほど外したところで突如フリーズ。

 僕の視線を気にして制服の胸元を隠し、次第に頬を赤らめて、


《お兄ちゃんに見られずにお着替えできる場所ある?》


 おやおや、最初の頃は僕の目なんて全然気にせずマッパになってたのに?


《あのときはみんな一緒だから平気だったけど、今はお兄ちゃんと二人きりだから》


 少人数になるほど脱ぎにくくなるとは、げに複雑な乙女心よのぉ。

 でもこれならそうそうアウトな展開にはならなさそうだし、ホッと一安心…




 …した僕が愚かだった。

 先日の海水浴では別の水着だったから気づかなかったけど、このスクール水着のアサヒちゃんを衆目に晒すのは完全アウト!


 いわゆる競泳タイプのワンピース水着だけど、機能性よりはデザイン性優先で作られてるようで、生地が薄い。

 マヒル達が水泳部で練習用に使ってるそれのほうがまだ厚いくらいだ。


 それをサポーターなんてものを知らない小学校中学年児童が着てる訳だから当然、一枚下はモロ肌なわけで…。


 まだ異性にそれほど興味を抱かない時期で、しかも身体つきはまだまだ子供な時分だからこそそれで許されるのかもしれないが…

 だがしかし、実年齢十三才のアサヒちゃんに限ってはそのどれもが規定枠から大きく逸脱してるのだ。


 それこそボディラインはハッキリクッキリ、いつぞやマヒルがメーカーから試供されたという極薄水着張りのほぼボディペインティング。

 おまけに…ぶっちゃけ胸ぽちハンパない。


《お兄ちゃんが見るんだって思ったら、どんどん尖ってきちゃって…》


 などと、いつもは平然と晒してる胸を片手で覆い隠すもんだから、なおさら卑猥感激増。

 こりゃも〜年齢だの学校区分だのとは無関係にアウト! もう僕以外には見せられないヨ⭐︎


〈ね、やっぱりブラジャー必要でしょ?〉


《うん。早く欲しい》


 よし言質は取ったぞ。どのみち数日内に買いに行くことになってるけど、その必要性がご理解戴けたなら幸いだ。


〈でもそんな恥ずかしがってて、エッチなんて出来る?〉


「あうぅ…っ」


 僕の指摘にアサヒちゃんはもう耳まで真っ赤になって口ごもるしかない。


 昔は平気だった異性との接触が、急に恥かしくて出来なくなる経験は誰にでもあるだろう。

 僕も中学時代までマヒルと一緒の部屋で生活して、風呂も一緒に入ってた。それが普通だと思ってたから何の疑問も躊躇もなかった。


 ところが一人暮らしを始めた前後にそれが普通じゃなかったことに気がつくと、途端に相手を意識してしまって…。


 でもアサヒちゃんの場合はそれがえらく突然というか、不安定極まりない。

 キスや手を繋いだり抱きついたりのスキンシップはいまだ過剰なのに、薄着になった途端にこれだ。

 

 思えば先日の海水浴の後、僕やシノブやヒマワリちゃんと風呂に入ったときからかな?

 どうもあのとき男女の性差を初めて意識したようなのだ。


 日頃、周囲に年下の子やユウヒたち家族しかいなかったところへ僕が急に現れたものだから、それまでの常識とのギャップに戸惑っているのかもしれない。


《アサヒのこと嫌いになっちゃう?》


 え、なんで?


《だって他のみんなみたいにエッチできないし》


 いや待て、そんなおかしな価値基準の奴はよほどのヤリマン&ヤリチンだけだぞ?

 そしてアサヒちゃん以外はみんなオカシイ。

 ヒマワリちゃんとマヒルの件以来、先を争ってばかりな気がする。


 そもそも付き合うって何なんだ?

 なんで付き合わなきゃならないんだ?

 気の合う者同士がただそばにいる、それだけじゃダメなのか?


 少なくとも僕はそうしていたいだけなのに…

 どうしてそうさせてくれないんだ?


 だから…僕はアサヒちゃんをそばに呼んで、その場に一緒に寝転ぶ。


〈これで充分だよ。なんなら元の制服に着替えてもいいからね〉


《これで平気。暑いし》


 悪かったな、中古の安物エアコンだから効きが悪いんだよ。これでも扇風機よかマシだろ?

 それでもアサヒちゃんは安心したように身を投げ出して、子犬みたいに擦り寄ってきた。


 うーむ、こうして間近で見るとますますエッチな格好だなぁ。その割には他の子みたいに裏表がなくて無邪気だから、ギャップでますますそう感じるのかも。


〈やっぱちょっとだけ触っていい?〉


《じゃあお兄ちゃんにも触らせて♪》


 そして互いに触りっこ。そんなにネチネチ攻める訳じゃなく、まるで子供の悪戯レベルだけど、これはこれで。

 それでも次第にエスカレートして、気づけばかなりエロエロになってたけど、アサヒちゃんも慣れてきたのか、もう嫌がらなかった。


《やっぱり、お兄ちゃんだと大丈夫♪》


 ん? なんだか違和感がある言い回しだったけど…あえて追及するほどでもないかな?


 それにその時、床に置きっぱなしになってたアサヒちゃんの手提げ鞄が目についてしまって気が逸れた。

 鞄の口からは図書館で借りた本が顔を出している。


〈アサヒちゃんって本、読むだけ?〉


 ふと抱いた素朴な疑問を投げかけてみた。


《読む以外にどう使うの?》


 至極当然な回答。だけど僕が訊きたかったのはそんなことじゃなく、


〈自分でお話を考えたりしないの?〉


 僕もそれなりに本は読むけど、自分に創作センスのカケラも無いことはすでに判ってるからもっぱら読み専だ。


 けどアサヒちゃんはどうだろう?

 一風変わったセンスの持ち主な彼女なら、きっと面白い話が作れるんじゃないだろうか?


 そんな単なる思い付きから発した、本当に他愛ない質問が…その後の彼女の人生に大改革をもたらすだなんて、その時は思いもしなかった。


「……!?」


 お触りっこの気持ちよさで蕩けるようにまどろんでいた彼女の両瞼が、ハッと大きく見開かれた。

 今の今までそんなコトを考えたことも無かったってな顔つきだ。


 そして、これは後から知ったことだけど…

 彼女には人知れず思い描いてた夢、というか『世界』があった。


 けれどもそれを他者にどう伝えれば良いのか、具体的な方法がまるで解らなかったため、ずっとただ一人、胸の内で温めて続けてきた。


 それが僕のその一言で、一気に解決した。



 そうか…書けば良いんだ…って。



《ありがとう》


 そう応えてなおさらべったりくっついてきたアサヒちゃんに、今度は僕のほうが戸惑わされた。

 なにしろさっきの羞恥心はどこへやら、いきなり僕の上にまたがって腰を密着させることすら厭わなくなったんだから。


 そんなにされてしまったら、すでに充分すぎるほど大きくなってた僕の股間が、彼女の入り口を水着越しに小突いていることにも気づかないはずがない。


《書いたら、読んでくれる?》


〈もちろん〉


 彼女にとってそれは、性交なんかよりもよっぽど魅力的な応えだったのだろう。

 言葉で返すよりも、積極的に唇を重ね合わせて、互いの心を直に感じ合った。


 効きの悪いエアコンにほどよく冷まされた互いの肌が、保冷剤みたいにヒンヤリ気持ちいい。


 直接身体を繋げなくても、これほどまでに気持ちが昂ぶる方法があったんだな…。


 いつしか眠りに落ちるまで、拙いながらも官能的な僕らの触れ合いは続いた。





「ご飯までに帰って来いって、あれだけ言っといたのに!」


「誠に申し訳ございませんお姉様!!」


「あう〜っ!」


 まさに鬼の形相のユウヒに、僕とアサヒちゃんは揃って玄関先で土下座していた。




 油断してたらすっかり寝落ちしてた僕らが目を覚ましたのは、ユウヒと約束した帰宅時間の直前。


 そのまま慌ててバス停へ向かってもとっくに間に合わないけど、いつの間にかエアコンが切れた室内で抱き合ってたもんだから寝汗でビッショリ。さすがにこれじゃ外出できない。


 二人して服を脱いで風呂場に駆け込み、シャワーで互いの汗を洗い流した。

 それまで散々触りっこしてたこともあるし、とにかく時間が無いから楽しんでる余裕なんて微塵もなかった。一度見てるしね。


 それからやっとバスに飛び乗って最寄り駅に着いた時点で、約束時間を小一時間は過ぎていた。




「…それにリョータ、出掛けたときと服違うけど?」


 ゔっ、鋭いっ!?


「もしかして、二人してアンタん家寄ってたの?」


「みんな僕ん家に来たことあるのにアサヒちゃんだけ知らないから、ズルいって言われて」


 正直に経緯を説明した僕に、ユウヒは大きな溜息をついて、


「…それなら良いけど。なんか変なトコで変なコトしてるんじゃないかって勘繰っちゃったじゃない」


 ゔゔっ…変なトコに連れ込んだり変なコトしたりしてました…なんて明かしたらマジコロだなこりゃ。

 にしてもアサヒちゃんのことになると本当に激アマだな、このお姉ちゃん。


「んで…この子はさっきから何してんの?」


 謝罪もそこそこに、スマホに向かって怒涛の勢いで文字入力に勤しんでるアサヒちゃんの様子に、ユウヒは呆気にとられている。


「なんかヒントを得たみたいでね。帰りのバスの中でもずっとこんな調子だったよ」


 どんなお話になるのかは知らないけど、大長編スペクタクルロマンになることは確実だ。なにしろ僕らが普通に喋るペースで次々と言葉が紡がれていくのだから。


 しかも躊躇して指が止まることがほとんど無い。すでに頭の中に情景が浮かんでいるのか、はたまた書きながら考えているのか…。

 これはもはや誰にも真似できない、彼女ならではの特技だ。


 そうして書き上がったものは僕が読んであげる約束だけど…すでに早まったかなと半ば後悔してる。いったいどんだけの文章量になるのか予想もつかない。


「…お〜い、ご飯だよぉ?」


 呼びかけても普段以上に気づかない。

 まさしく一心不乱、このまま飯を食わなきゃ一身腐乱は間違いない。


「…どーせアンタの入れ知恵でしょ? なんとかしなさいよ」


 じゃあなんとかしましょう。

 揉みん。スコスコん。


 …え〜、今の擬音について説明すると、僕がアサヒちゃんのおぱーいを揉んでみたところ、彼女が僕の股間を触り返してきた次第。


 しかもスマホに目をやったまま事務的に。

 カンペキ心ここにあらず。

 場末のまるでヤル気のない中華マッサージ屋かいな!


「…どゆこと?」


「いや、これならさすがに気も逸れるかと」


「アンタのおバカ加減はさておき、なんでアサヒがナチュラルにアンタの股間をまさぐってるのかを訊いてんのよっ!」


 ゔゔゔっ、やはりスルドイ。




 結局その後夕飯お預けでネチネチ取調べられたけど、なんとか二人の秘密は守り抜いたぜ。


 とっくに飯も冷めた頃にようやく帰ってきたナミカさんも、いつものアサヒちゃんのお出迎えがなかったのでしょんぼりしていた。


 さすがにこのままじゃアカンだろうと、僕らはアサヒちゃんに執筆上のお約束を言い聞かせた。


①執筆は朝九時から夜十時まで。

②食事中や歩きながらはダメ。

③学校の宿題や用事もちゃんと済ませる。


 これで夜通し執筆なんてことにもならないだろう。そんな苦労はプロ作家だけでいい。


 今のところ愚直に守ってくれてるようだし、本人もダラダラ書いても良い出来にならないのが解ってるようで、オンとオフはキッチリしているらしい。


 はてさて、アサヒちゃんはいったいどんな世界を想像するのか?

 なんだかんだで楽しみな僕だった。

 



【第十三話 END】

 今回はアサヒ回です。今まで神秘のヴェールに包まれていた彼女が通う私立小学校が舞台となります。

 この作品では町名や校名はあえて付けないことによって、読者各々の身近なイメージを抱き易いようにしていますが、私立校は必要にかられて命名致しました。詳細は作中にて。


 新キャラも色々登場して、平穏無事?だった世界観に明確な敵役の存在がもたらされました。なのでこのサブタイトルに(笑)。

 アサヒの今後の人生を担うことになる重要なエピソードも盛り込んでおります。今までずっと受け身だった彼女が、初めて自己発信できるようになった瞬間ですかね。


 このアサヒというキャラはなんとも微妙な年齢設定にしてしまったが故に、主人公とどこまで絡ませるかで毎回苦労しとります(笑)。

 精神的には若干幼くともそれなりに真剣な彼女の想いに、はたして主人公が気づける日が来るのか?

 そのへんも新キャラ・リヒトの立ち回り次第でしょうかね。

 以前に触れたように、この作品の動向は完全にキャラ任せなもので、作者の意図通りにはならないことが多々あるんですよ(汗)。

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