もがけ!生徒会長
この部屋の窓からの眺めが好きだ。
海に面した小高い丘の上に建つ校舎の、最上階の角部屋。
廊下に接した出入口以外の三方すべてが窓に囲まれ、空の蒼さと海の碧さに視界が埋め尽くされる。
海岸線からは割と離れているけど、目を閉じれば波のさざめきがすぐそばに聞こえて、潮の香りが鼻腔をくすぐる。
一日中ずっと眺めていても飽きが来ない。
…え? いやごめん、海のことじゃないんだ。僕はナチュラリストじゃないし、そもそも自宅はここよりもっと海のそばだから、いい加減飽き飽きしてる。
視線をちょっと窓の下に落とせば、年季が入った古い校舎の割には立派な50メートルプールが真下に横たわっている。
今どき珍しく、うちの高校のプールは屋外型で屋根がないから、上から様子が丸見えだ。
練習用のシンプルな競泳水着に身を包んだ水泳部員たちが、ミズスマシのようにスイスイ泳ぎ回っている。
気分はさながら自宅の池で戯れる錦鯉を愛でる大富豪だ。
…良い。実にイイ。本当にいつまでも眺めていられる。こんな好立地の部屋を生徒会室に選んだ署先輩方には、もはや畏敬の念しかない。
「変態ですね」
うるさい外野は放っとくとして…
そんな目の保養に最適な水泳部員たちの中で、一人だけレース用の本格的な水着を着込んだ女子部員が、水から上がったり飛び込んだりせわしなく動き回っている。
カラーリングが結構派手だから、嫌でも目立つ…と思ったら早速目が合った。
あ、こちらに手を振ってる。それも子供みたいにぴょんぴょん飛び跳ねて、大声で僕を呼びながら。
正直とても恥ずかしい。アイツに羞恥心ってものは無いのか?
なんでほとんど裸に近いほうより、フツーに制服を着てる僕のほうが照れなきゃならんのか。
…それにしても、ここ数年でこれほどまでに成長するとは。飛び跳ねるたびにアスリートとは思えないほどたわわな胸の脂肪がブルンルンルン…
「…すんごい揺れてますね」
「ぅおわっ!?」
出し抜けに至近距離で話しかけられて、あやうく開けっ放しの窓から落っこちかけた。
「いきなり耳元に囁きかけられるのはゾクゾクしてキモチイイけどアブナイからやめてくださいよ、副会長さん」
副会長の福海鳥さん。
台湾からの留学生で、一年先輩の三年生。
この人は僕との距離の取り方がなーんかオカシイ。本人は近眼だからと言い訳してるけど、それと会話距離に何の因果関係が?
「水着の子を視覚で凌辱してる最中に別の女の吐息でイッちゃうとか、どんだけ変態ですか?」
逝きかけはしたけどイッてはいない…って発音だけじゃ区別がつかないな。
それにしてもなんちう会話内容だ。てゆーか言い方。
「それはさておき…スタイル抜群なのに、周囲の目をまるで意識してませんねカノジョさん。あの無神経さが速さの秘訣ですかね…カレシさん?」
「付き合ってません。ってゆーか言い方。」
2回目。
「マヒルとは幼馴染ってだけですよ」
まあ確かにアイツ…網元マヒルは水中では無敵の速さを誇っている。
全国大会だの何だのでは万年優秀候補だし、すでに有名大学からも推薦入学の話がいくつも舞い込んでいる。
旧知の仲の大親友がそんなスゴイ存在ってのは誇らしい反面…なんてゆーか、疎外感というか焦燥感というか…まあ色々と複雑なものだ。
「あと揺れてるのは水着の生地が薄いからかな。あいつ基本的にサポーター着けないし。
余計なモン着込んでると感覚が狂うとか、一端のアスリート気取りでさ」
そんな心の不安を払拭すべく与太話に乗ってあげたのに、
「アスリートとしては一端どころか超有名じゃないですかカノジョさん…じゃなくてマヒルさん」
そでしたね。なんかますます肩身が狭い。
「てゆーか付き合ってもいないのにそんなコトまで知ってるんですか変態。あの二人は絶対デキてる、子供も絶対デキてるって全校中の噂ですけど変態?」
僕とマヒルの仲についてそーゆー噂が流れてるのは知ってるけど、否定しようにも相手があの調子だからな。無駄だと思って知らんぷりしてる。
もちろん子供なんているわけないし、そういった行為にも及んでいない。
でもそもそも変態行為に及ばなければ子供はデキない。
だから変態は否定しないけど僕はまだシロだから変態じゃない。
…うん、我ながら見事な三段論法だ。
「それが事実なら、僕は今頃こんな所で油を売ってなんかいられないよ」
「やっぱりサボってたんですね?」
しまった誘導尋問だったか。なんて抜け目ない人なんだ。
「人にばっかり仕事させて、自分はカノジョさんを視姦してるとか…変態ですね」
「だからカノジョじゃないです。あとこんな遠くから視姦するくらいなら、もっと近くでじっくり堪能させてもらうか…もっと身近にいる人をじっくり眺め回します」
「ますます変態、加えてセクハラ、さらには職権濫用か〜ら〜のぉパワハラですね」
すみません冗談が過ぎました訴えないで。
弁解するわけじゃないけど、副会長さんもかなりスタイルが良いから長時間見てても飽きない…なんていうと火に油を注ぎそうだから言わないけど。
てゆーかよくよく考えたら彼女の発言もいちいちセクハラめいてるのに、なんで僕だけ非難されにゃならんのか?
「カレシでもない男子にそんだけ見まくられても平気だなんて…マヒルさんも変態なんですか?」
「だから言い方!」
3回目。
「というかマヒルにとって僕は弟みたいなもんだから、気にならないだけなんじゃないかな?」
実際いつも間近であの格好を見てても全然動じないどころか、普段はもっとキワドイ格好も平気で披露してるからなぁマヒルのやつ。
あいつの中では子供の頃のまんまで時間が止まってるんだ。昔は姉弟同然だったし、風呂にも一緒に入ってたし、同じ部屋で寝泊まりしてたからね。
けど僕のほうはちゃんと時間が流れてるから、めっちゃ気になるけどね。
でもマヒルが見せつけてくるから仕方なく見てるだけなんだ、うん。
「…本当にお親しいんですね…お二人とも」
「まあね。幼馴染というか、元同居人だし」
「同居人…最強じゃないですかソレ。どうやっても太刀打ちできないはずですよ」
…ん? 今なんか…
「まあいいでしょう。書類整理終わりましたよ、変態さん…じゃなくて会長さん」
眼鏡越しの目でいたずらっぽく笑いかけて、ポンと書類を手渡す副会長さん。まだ言うかチキショー。追及しようにもさせないつもりだな?
「いつもすみませんホント助かってます。てゆーかドサクサ紛れにたいがいヒドくない?」
「内心本当にヒドイ人だと思ってるので。」
「本人に打ち明けちゃったら、もう内心でも何でもないよね?」
「じゃあ単にヒドイ弩変態だとゆーことで。」
こんな感じで常に一言多い彼女だけど、実際お世話になり通しだし、悪気がないのは解ってるからさほど腹は立たない。
…いや悪気がないのに罵詈雑言がポンポン飛び出すのはどうかとは思うけど、毒づきまくってるのは僕の前だけらしいし、それはそれで優越感が…。(←ドM)
これで実は学校イチの才女で成績は常にトップ。だけどそれを全然鼻にかけない気さくな眼鏡美人で、とても面倒見のいい優しい人だ♪
優秀なのは成績だけじゃなく手際も非常に良くて、僕なら倍はかかりそうな仕事量を短時間で効率よく片付けてしまう。
おかげで今日もまだ日が高いうちに家に帰れる。
「じゃあ今日はこのくらいで…お疲れ様です」
「とか言いつつ部下をほっぽって一人で先に帰るとか、変態ですね」
「もう変態関係なくないソレ? いや悪いとは思うけど、とっとと行っとかないとあっちの変態がうるさいからね」
と窓の外を指差す僕に、
「変態が変態を変態呼ばわりして変態ですね」
まだ言うかこの変態眼鏡。もはや変態という単語に執着すら感じる。
さて僕はここまでに何度変態呼ばわりされたでしょうか? 名誉毀損で訴えたら勝てるんじゃないコレ?
◇
なんとか変態クイーン…いや副会長の魔手から逃れ、生徒会室を後にした僕は、いつものようにプールサイドへとやってきた。
部活中の一般生徒の立ち入りは禁止だけど、生徒会長の僕は一般生徒じゃないから特別ってことで。
場所柄、おおっぴらに歓迎してくれる女子部員はいないけど、それでも拒絶されたことは未だかつてない。むしろ男子部員のほうが怪訝な顔をしてる。
自慢じゃないけど…てゆーか結局自慢になるけど、どうやら僕はイケメンと呼ばれる部類の人間らしい。
先ほどの副会長の件もあるから、まったくといって自覚できたことはないけど…でも確かに生徒会長選挙の得票率では女生徒の比率が多いかな♪
「もんのっすごい職権濫用お疲れ様で〜す、潮先輩♪」
ほぼ唯一とも言える例外、小柄な女子部員が毒づきつつも(たぶん冗談だろうけど…そうだと言って!)歓迎してくれた。
一言で表せば、まさに天使みたいにふわふわな感じの可愛い後輩だ。
校内では会長呼ばわりされることが多い僕を、名前で呼んでくれる割と貴重な存在でもある。
「昼休みぶり、ひまわりちゃん。そろそろ帰ろうかなーって思うんだけど、部活はどんな具合かなーって思ってね」
マヒルを放ったらかして帰ると後でうるさいから、嫌でも毎日顔を出さなきゃならない。
決して水着姿の女子が見たいわけじゃなく、仕方なく必然的に見ざるを得ないだけなんだ、うん。
「じゃあちょっと待ってくださいね〜。
マヒルせんぱーいっ、旦那様がお迎えにいらっしゃいましたよぉ〜っ!」
水着に包まれた小ぶりなお尻を無防備にこちらに向けて、ひまわりちゃんは水中にいたアイツを呼ぶ。
う〜む…ボリューム的にはあちこち物足りないけど、初めて会った頃よりは女性らしい身体つきになってきたかな? これも鬼部長サマの鍛錬の賜物かもしれない。
まあひまわりちゃんはカワイイから、別に水着じゃなくても制服でも私服でも体操服でも何でもイケるけど♪
「…ウチの部員をエロい目で見てんじゃないっ!」
無垢な天使の誘惑に抗えなかっただけなのに、怒声とともにバケツの水が頭上から降り注ぐ。
マヒルの水着姿はどんだけ見ても怒らないのに、なんたる理不尽。
「…ありがとう、おかげで洗濯の手間が省けた」
「水かけただけで洗濯になるかっ。ちゃんと週末に洗ったげるから、帰ったらすぐに干しとくことっ! シワにならないようにね」
そもそもマヒルが水なんて掛けなきゃ〜干す手間も生じなかったわけだけど。
てゆーか生徒会長たるこの僕に水をぶっかける奴なんてマヒルくらいのもんだけど。
などと抗議してみたところで、まさに水掛け論にしかならないから黙っとくけど。
「ナチュラルに週末の予定をねじ込むなんて、さすがですね〜マヒル先輩♪」
ひまわりちゃんが妙な感心してるけど、マヒルが週末ごとに僕ん家を訪れるのは昔から確定事項なだけだ。
「リョータのやつ、放っとくと家事とかなーんもしないからね。たまに世話を焼きに行ってるだけだよ」
照れてる割に否定はしないのか。
ぶっちゃけ僕だって一通りの家事は出来るけど、いざ来てみて何もすることがないとマヒルが暴れるから、あえて仕事を残してるだけなんだけど。
「もぉいっそ同棲しちゃったらどーですかぁ?
…あ、もうしてたんでしたっけ〜♪」
「同棲じゃなくて同居だっつーに!」
トドメとばかりにいぢくるひまわりちゃんを追っかけ回すマヒルだが、それでもやはり否定はしない。
たしかに同居はしてたけど、今はもう一緒には住んでない。なのでマヒルのほうから頻繁に僕ん家に訪ねてくるんだけど…
ときどき、コレって別居の意味あるの?と自分でも思わなくはない。
だからってまた同居生活に戻ろうなんて気は、今のところさらさら無い。
そもそも住み慣れた家を出て独り立ちしたのは自分の意志だからね。
「それはそうと、お帰りになるなら急がないと、二人きりの時間が短くなっちゃいますよぉ?」
ひまわりちゃんに言われて辺りを見渡せば、黄金色の黄昏時はいよいよ赤みを帯びつつあった。夏の一日は長いけど、いいかげん帰らなきゃな。
「じゃあみんな、今日はここまで! 一年生は後片付けよろしく〜!」
てきぱきと部員に指示を出した水泳部部長は、
「さっさと着替えてくるから、ちょっと待ってて。勝手に帰ったらコロス♪」
満面の笑顔でそら恐ろしいことをのたまうと、水着越しのおっぱいをプルンプルン揺らして更衣室に飛び込んでいった。
「んふふっ、愛されちゃってますね〜潮先輩♪」
なんでか嬉しそうなひまわりちゃん。この子、どーゆー訳だか僕とマヒルをやたらにくっつけたがってる。
ひまわりちゃんはマヒルがとにかく大のお気に入りで、この学校にもマヒルがいるから入ったくらいだし、校内ではほとんど一緒にいる。
あまりのベタベタぶりに一部ではあらぬ噂が立っているけど、本人はまるで気にしていない。てゆーかむしろ喜んでるくらいだ。
となれば普通、僕みたいな男がマヒルと仲良くするのは嫌がるはずなんだけど…この子の場合は何故だか真逆。むしろ積極的に応援してくれちゃってるのだ。
初めてマヒルにこの子を紹介されたときも、ぜひ僕に会わせてくれと頼まれたんだとか。
ってことはひょっとして僕狙い?などと自惚れもしたけど…
これまでの様子を見るに、僕一人だけの場合にはまったくそれらしいアプローチをしてこないことから考えても、その線は薄い。
どうやら彼女の中では、僕とマヒルは常にワンセットの存在で、その仲睦まじさを間近で眺めているのが三度の飯より好きらしいのだ。
いったいどーゆー嗜好なんだろう?
あるいはこれも新たな変態のカタチ…
…いやいや、誰かさんに毒されまくりだな。
「コラ〜ひまわり、なに無駄話してんのっ!?
あんたも一年なんだからとっとと片付け手伝いなさいっ!!」
「ほらほら、鬼部長さんがお怒りだよ」
「あ〜んっ、怒らないでくださいよぉ〜っ!」
大慌てで駆けていくひまわりちゃんのオシリ姿…いや後ろ姿を見送って、やっと静かになったプールサイドをしばし眺める。
この部には男子部員もそこそこいるから、こうしてても覗き扱いされないのはありがたい。
マヒルの人望のなせる業か、さほど全校生徒数が多くない我が校において当水泳部は、他校のそれとは比較にならないほどの大所帯だ。
元々水泳が盛んな土地柄らしく、公立校にもかかわらず50メートルなんて規格外なプールがあるのもその名残りらしい。
かくいう僕はここに進学する以前から、マヒルなら確実にこの学校を選ぶだろうことを見越して着々と準備を進め、現在この生徒会長の座に着いている。
何故かって、そりゃあ…
「…お待たせ! さ、帰ろ♪」
おっと、いつの間にか帰り支度を済ませたマヒルが、ひまわりちゃんを連れ立ってこちらに近づいてきた。
僕の身の上話はけっこう長くなるから、今はよしとこう。
◇
三人揃って校門を出たところで、僕らとは家の方角が正反対なひまわりちゃんとはお別れだ。
「お二人とも、私がいない間にチューとかしちゃイヤですよぉ? するなら私を呼んでから、目の前でしてくださいネ♪」
『しないし、呼ばないっ!!』
よし、ひまわりちゃんも間違いなく変態確定だ。こんなにカワイイのに、おいたわしや…。
名残惜しげに何度も振り返って手を振る彼女を見送ってから、僕とマヒルは反対方向へと歩き出す。
「…さっきから気になってたんだが…なんでお前まで濡れてんの?」
僕はさっき水をぶっかけられたばかりだし、マヒルも水中にいたから髪が濡れているのは解る。
けど、なんで着替えたはずの彼女の制服までグッショリ濡れてるんだ?
「下に水着着てるからじゃない?」
小学生かっ!?
「え…じゃあ、下着とかは…」
「持ってきてないよ。朝から下、ずっと水着」
なんとも返答に困る回答が返ってきてしまった。仮にもJKともあろう者が、ブラもパンツも身につけていない…だと?
お、落ち着け。なにもすっぽんぽんって訳じゃない。さっきまで散々見てた競泳水着を着込んでるだけだ。
あの、やたらと薄い生地の、スベスベな肌触りの競泳水着を…ぐへへ。
「…リョータ、目つきがエロくなってるけど?」
「そりゃ、そんなエロいカッコの女子がすぐ隣を歩いてりゃ〜ね」
「ハァ…最近ますます変態度に磨きがかかってきてない? お姉さんは心配だよ…」
ここまで言っても動じることなく、マヒルは頭を抱え込む。此奴の羞恥心は一体全体どーなっちょるのか?
「…やっぱ無理なんじゃない? リョータに一人暮らしなんてさ。何かあったらすぐ戻ってこいって、父さんも言ってるよ?」
そして今日も飛び出す「帰って来いよ」コール。何万遍言われようと、僕の答えは決まりきってるのに。
「…それは出来ないよ。
自分で決めたんだ、もう帰らないって。
僕だって男だからね。二言はないさ」
頑なに言い放つ僕に、マヒルはそれまでの陽気さから一転してしばらく沈黙し、
「…そっか。」
残念そうに苦笑う。
彼女の気持ちは解ってるけど、こればっかりは譲れない。
けどそこはやっぱり弟分だから、落ち込む姉貴をそのままにもしておけない。僕はマヒルの肩に手を伸ばし、
「…ッ!?」
いきなり抱きすくめると、そのまま道端に押し倒した!
「ちょっ!? リョリョリョータッ、こんなトコじゃダメッ!!」
「じゃあ何処ならいいの?…じゃなくて、静かに…っ!」
真っ赤な顔で震えるマヒルにどぎまぎしつつも、僕はそっと耳元に囁きかける。
「ひぅんっ!?」
くすぐったそうに身をよじるマヒル。制服の下から湿った水着が垣間見えて、たまらなくエロチック…なんて余韻に浸ってる場合じゃない。
息を殺してそっと顔を上げた僕は、通りの向こうを盗み見る。
いつしか校舎が建つ丘を降りた僕らは、海岸沿いの車道に差し掛かっていた。
腰ほどの高さの防波堤が延々続くその先の、小狭い砂浜の波打ち際に…その人影はあった。
僕らと同じ制服を着た、長い黒髪の女生徒。一見してウチの学校の生徒だと判ったからこそ反射的に隠れてしまった。
なにしろ僕もマヒルも色んな意味で有名人だからね。二人っきりでいるところを見つかったら、どう勘繰られるか分かったもんじゃない。
校内ではだいたいひまわりちゃんが同行してるから余計な詮索を受けずに済むけど、残念ながら彼女はこの場にいない。
公人たるものスキャンダルは命取りだ。注意しすぎてし過ぎることはない…
「…なんだ、美岬さんじゃん」
思わぬところから件の女生徒の素性が判明して、僕は虚を突かれた。
「知ってんの?」
「うん、あたしのクラスメイト」
同学年ってことは知ってたけど、僕が在籍する進学コースでは見かけないなと思ったら、マヒルと同じ技能科だったとは。
うちの学校の生徒数はさほど多くないけど、それでも普通科や職業科などの学科に加えて各種コースがあり、クラス分けも多岐に渡る。
なので滅多に顔を合わせない生徒も多い。
でも彼女の存在自体は入学当初から知っていた。なんてったって美人で目を惹くからね。
全校集会で壇上から彼女の姿を見つける度、その人並み外れた美貌に密かに見惚れていたほどだ。
「ミサキさんかぁ…名前まで綺麗だなぁ」
「あ、それ苗字。名前はユウヒさん。」
美岬ユウヒ…凄い、芸名みたいにしっくりハマってる。
「…親しいの?」
誰彼かまわず呼び捨てにするマヒルがわざわざサン付けで呼ぶくらいだから、回答はおおよそ見当がつくけど、一応訊いてみる。
「う〜ん、教室が近い大抵の人とは親しいんだけどねー…あ、でも声をかけたらちゃんと返事はしてくれるよ?」
ふむふむ。礼節はわきまえてるけど、必要以上に他人とは関わらないタイプか。
この手の人間はたいがい厄介だけど…放っとくわけにもいかないだろう。
こんな時刻にこんな場所にいるなんて、どう考えても只事じゃないからな。
僕らの学校は小高い丘の上なんて辺鄙な場所にあるせいで、通学に一苦労だ。
登下校時には通学バスが来るから、たいていの生徒はそれを利用してるけど、他の公共機関はあてにならない。
バス停はそこからかなり離れた街外れにあるし、電車の駅はさらに離れた隣町にしかない。
先の通学バスにしても行きと帰りの生徒が過不足なく乗れる本数しかなく、運行時刻もごくわずか。それを逃してしまえばあとは徒歩か自転車しか手はない。
無論バイクや車は原則禁止だ。
だから部活動などで帰りが遅くなる生徒は家族に送迎してもらうか、僕らのように自宅が近所にあるか…。ちなみに水泳部の生徒は半数が寮生活を送っている。
これじゃあさすがに不便すぎるだろうと、僕も生徒会長に就任した直後に学校側に直談判しに行った。
そこで丁寧に対応してくれた教頭先生によれば…そもそもの原因は新校舎建設当時の市長にあるらしい。
なんでも、以前の校舎は現在のバス停の真ん前にあったそうな。現在は通りの奥手に広がる鬱蒼と生い茂った森の中に、朽ち果てた不気味な木造建築物が佇んでいるのがソレだそうだ。
当時からすでに老朽化が進み、そろそろ立て替えようかという話が出たところで問題の市長が登場。
無類のスポ根バカだった彼は、当時流行っていた学園青春ドラマに憧れて、現在の丘の上への校舎移転を独断で決定。
理由は「夕日が見事だから」だそうな。
もちろん当時から「あんな小高い場所まで毎日生徒を登らせるのか?」と疑問の声が多かったが、なにしろスポ根バカだから「精神や肉体の鍛錬に丁度いい」とまったく取り合わず。
「あれぐらいの坂道が登れんでどうする!?」
と根性論。
「音を上げるのは気合いが足りん証拠だ!」
と精神論。
「そもそも私の若い頃はだな!」
とクソの役にも立たない経験論。
ああいった手合いの人間は、都合が悪いことはすべて相手のせいにして、自分が出来ることは皆が出来ると本気で思い込んでるから困ったものだ。
校舎の規模の割に広々としたグラウンドや体育館、例の50メートルプールなどスポーツ施設が充実してるのも、一重に市長の嗜好が反映された結果だ。
税金の無駄遣いと揶揄されたこともしばしばだが、現役生としてはこれだけは評価できなくもない。
それでも最初のうちは生徒たちも皆、根性論を間に受けて頑張って通学した。
しかし時代とともにやはり大変すぎるとの不満の声が高まり、入学志願者も減少し続け、あげく再移転の話まで飛び出す始末。
そんな最中に市長の汚職疑惑やバブル崩壊などの事情が重なり、誰も手が出せない状態のまま今日まで来てしまった…という次第だ。
ちなみに市長はあまりにも独善的すぎたため以前から敵が多く、マスコミに有る事無い事報じられて早々にお役御免となったらしい。
バス停に関しては地元バス会社に何度か交渉したが、赤字経営続きで首が回らないことと、現地点のバス停のほうが新校舎付近よりも市街に近いため、移転は困難と断られ続けてきた。
せめてもの打開策として、自治体が自腹を切って通学バスを運行したのが限界で、もうこれ以上は勘弁して欲しい…とのことだった。
「いつの時代も子供は大人の都合に振り回され続ける宿命なんですね…」
と嫌味を吐き捨ててやったら、僕ん家の事情を知ってる教頭は、
「本当に申し訳ない」
と平身低頭だったから、それ以上は何も言えなかったっけ…。
すんごい脱線したけど、要は美岬さんが今時分こんな場所にいるのは甚だ不自然だってこと。
「…気になんの?」
露骨に見つめすぎたせいか、マヒルに見透かされてしまった。
「まあね」
「ふ〜ん…ああいう子が好みだったんだ」
はい!? いやいやそれは重大な誤解ですよ姉さんっ!
「てゆーか、いつまで乗っかってんの?」
言われてハタと気づけば、とっくに身体を起こして四つん這いになったマヒルのお尻に、僕の腰がジャストフィットで重なり合っていた。
いまだ乾かない互いの衣類の湿っぽさが堪らなく卑猥な感じで…
あぁマズイ、このポージングのヤバさを意識した途端に、とある部分の血流が…!
「…!? だ、だからここじゃダメだって!」
だからなんでいちいち返答に困る反応すんの!?
「それよか気になるんでしょ、美岬さんのこと?」
「あ、あーうん、一瞬忘れてたけど気になるっちゃ〜気になるかな?」
「だったら…まずはちゃんと起きなさいっ!」
ドンケツ相撲の要領で僕の股間に一撃喰らわせ、その反動でマヒルはピョンっと立ち上がる。
そのせいでなおさら股間同士がダイレクトに擦れ合って、マヒルは「ひゃうんっ!?」とカワイイ悲鳴を上げた。
部分的にはとっくに起立してたから…なんてお下劣な表現はさておき。
「ううっ、ちょっと入った…」
安心してください、水着着てるから入るワケないですよ〜? 布地越しに若干めり込んだだけですよ〜!?
思いがけず到来した先ちょんの余韻を堪能する暇もなく…
マヒルの悲鳴が聞こえてしまったらしく、波打ち際でたそがれていた美岬さんがハッとこちらに振り向いた。
これで退路は閉ざされたか。まあどうせ一言かけるつもりだったから、コレはコレで。
◇
夕闇せまる海岸で、押し寄せる波を背に呆然とたたずむ美少女に、両手を頭上高々と掲げた僕は「何もしませんよ〜」との意思表示をしながらゆっくり近づいてゆく。
僕のカバンは後からついてくるマヒルに持ってもらってる。中身はそんなに入ってないから重くはないと思う。僕はノートは持ち帰るけど教科書は学校に置いとく派だ。
「え〜っと初めまして…かな?」
「…何か御用ですか? 潮リョータさん」
思いがけずフルネームで呼ばれて驚く僕に、美岬さんはさも迷惑そうに、
「…生徒会長の名前くらい知ってます」
律儀に説明して目を逸らした。初対面なのに敵対心剥き出しかぁ…それも美人なだけにのっけから威圧感ハンパない。
よく見たら切れ長の瞳は吊り目気味で、それだけでもとっつき悪そうだし。
「いやね、大した用じゃないんだけど」
「じゃあ放っといてください」
ううっ、早くも敗北感最高潮…。
「そんな邪険にしなくてもいいんじゃない?
あたし達は美岬さんを心配して…」
「一度もろくに話したことがないのに、同級生ってだけで友達ヅラですか? さすが、有名人は違いますね」
堪りかねて助け舟を出したマヒルにも、美岬さんは容赦なく牙を剥く。
あっ、マヒルの血管がブチ切れた音がこめかみ辺りから聞こえてきたぞ…!
「…何なん?…何なんコイツぅ!?
マジちょ〜おムカつくんデスけどぉ〜!!」
「フッ…予想通り、身体能力の高さと引き換えに知能はさほど高くないようですね」
うわっ、この人ちょーヤバい!!
怒らせて良い相手とダメな相手ぐらい見分けようよ!?
「言いやがったなコンチクショーッ!!
よぉ〜っしあたしは今からコイツを殴るっ!
殴られたコイツは痛いが、殴ったあたしは痛くないッ!!」
「当たり前だろっ!? いいからちょっと落ち着け!」
「殴れるものなら殴ってみなさい! ホントに殴ったらアディー◯に相談しますよっ!?」
「そっちも殴られる覚悟とかさらさら無いクセに挑発しないでっ!!」
今にも取っ組み合いをおっぱじめそうな二人の間に割って入って、僕は必死に押し留める。
「だーから二人とも落ち着けってぇ〜っ!!」
むにゅりんっ♪
『ひゃうんっ!?』
にわかに両手に伝わる心地よい弾力。
右手と左手、形や大きさに多少の差異はあれど、みんな違ってみんなイイ…♪
「…ってアレ? ナニコレ?」
もみもみムニュリンッ⭐︎
『あふぅう〜んっ!!』
夢見心地なこの感触に、夢見心地な女の子二人の表情。
いまさらことさらサラサラ言い訳のしようもないっサァーーーッ♪
「…こほん。えーっとまず、マヒル。制服越しの薄手の化繊一枚きりの感触…お見事です」
「あーうん、ありがと…」
「それから、美岬さん。ワイヤー特有のゴワゴワした感触がまったく無いところからみて、意外にもスポブラ…あるいは、ノーブラ…?」
「ええっと、ブラって着けたコト無くて…」
いよいよ水平線の向こうに陽は沈み、辺りが薄暗くなる最中でも、彼女たちの頬の赤みがあれば辺りはさながら白夜のごとく…
『ンなワケあるかァ〜〜〜〜〜ッッ!!』
ちゅどどおーーーんっ⭐︎
二人の息もぴったりなコークスクリューブローが、僕の身体を見事に突き上げ、そのまま文字通り海の藻屑と化させた。
◇
「…本当に大丈夫なの?」
「ジョブジョブ。これでもそれなりに頑丈に鍛え上げたから、ちょっとやそっとじゃ死なないって♪」
「…死なれたら困るんだけど…」
耳元でヒソヒソ囁き合う二人の話し声に、僕はようやく目を覚ました。
起き上がってみれば、そこは見慣れた僕の部屋。畳敷きの部屋の隅に置かれたシングルベッドの上に、僕は制服姿のまま転がされていた。
「…ふぁ、やっろ起ひら(やっと起きた)」
口にスプーンを咥え込んだまま、呂律の回らない声を洩らすのは見慣れた顔のマヒル。
この部屋には日常茶飯事で上がり込んで、まるで自分の部屋のように馴染んでるから、いても別段不思議はない。
しかし…
「…あ、お邪魔してます」
見慣れた僕の食器を手に持ったまま、礼儀正しく頭を下げる彼女の存在は、さすがに違和感ありまくりだ。
「…なんでいるの? 美岬さん」
「もう遅い時刻だったので」
それなら尚更こんなトコにいちゃいけない気がするし、質問の答えにもなってない。
確かに壁際の時計は午後8時を回ってるから、制服姿の女生徒が出歩く時間じゃないけど。
それにしても…二人して、古びた僕の部屋には似つかわしくない洒落た食事を摂っている。
あんな冷凍食品を買い置いた記憶はないけど、使っている食材には見覚えがある。
「あ…冷蔵庫の中のもの、勝手に使わせて頂きました」
「ユウヒって料理すんごい上手だね〜! こんな美味いの、ウチじゃ食べたことないよ♪」
「まあ…毎日作ってたからね。マヒルはお料理しないの?」
「う゛っ…一度挑戦してみて…殺人を犯しかけまして…」
ハイその犠牲者ボクです。
アレを料理と呼ぶことすらおこがましいけど、あんまり非難するとマヒルがマジ泣きするからこの辺で。
それにしても、さっきはあんなにいがみ合ってたこの二人が、早くも親しげに名前で呼び合ってるのにも驚かされる。
共犯関係ゆえの共感性のなせるワザだろうか。そんな両者の供述から、やっと経緯が見えてきた。
海岸で僕を撲殺した彼女たちは、犯行を隠蔽するため二人がかりで遺体を担ぎ上げて現場からズラかり、僕の部屋まで搬送した。
あの海岸からこの安アパートまではさほど離れておらず、しかも波打ち際に面している。
砂浜は防波堤下に細長く延びてここまで続いているため、薄暗いこの時間帯なら誰にも目撃されず運搬可能だ。
だが二人がかりとはいえ男性の遺体搬送は重労働。すっかり腹を空かせた二人は室内を物色し、冷蔵庫内の食料で有り合わせの料理をでっち上げた。
そして完全犯罪成立の祝杯を揚げているところに僕が息を吹き返してしまった訳か。
「お風呂も使わせて貰ったよ〜♪」
美岬さんお手製の夕飯をペロリと平らげ、爪楊枝でシーハーやってるくつろぎ過ぎなマヒルの格好をよく見れば…
水着の上にそのまま羽織って濡れた制服は室内の窓辺に干してあり、洋服棚から引っ張り出した僕のTシャツを勝手に着込んでいた。
さらによくよく見れば、競泳水着も制服の隣に干してある。たしかマヒルは下着を持ってきてなかったハズ。てことは…?
「美岬さんも…?」
期待半分でドキドキしながら尋ねてみれば、
「わ、私はさすがにそこまで恥知らず…いえ、ご厄介になる訳には…」
真っ赤な顔で首を横に振る。なにやら本音がダダ漏れてるけど、服装もたしかにやや着崩れた制服のまま。
ほらね、本来はコレが正しい婦女子の態度なんですよマヒル姉さん?
でも裏若きJKが今どきノーブラはさすがにどうかと…
「違いますよ失礼なっ!?」
おっとを!? 僕もいつしか心の声がダダ漏れていたようで、美岬さんは大憤慨。
「たしかにブラは個人的に着け心地が悪くて、すぐに先っぽが痛くなっちゃうから着けませんけど、今はブラトップって便利なアンダーウェアがあって…
って何言わせるんですかァーッ!?」
「ギャースッ!? 箸持ったままの拳で殴らないで! 刺さる刺さる刺さる刺さるッ!」
一人で勝手に暴露したくせに、なぜ僕が痛い目にあうのか? 結局ノーブラで合ってるし。
「マヒルもこんなヤバい奴の前で、よくそんな無防備な格好でいられるね!?」
「あ〜リョータは精神的にはヤバさが極まってるけど、基本的にビビリだからね〜♪」
「そーゆー割にはさっき豪快に揉まれたんだけど!?」
先チョンもあったしな。
「……確かにっ!!」
ハイそこっ、今さら重大事に気づいて身を守らない! Tシャツしか着てないから、身をよじると尚更ボディラインが強調されて色々ヤバイんだよっ!
「ところで…その料理、僕の分ある?」
「この状況でイキナリすんごい話題切り替えますね!?」
「こんな状況だからこそ、はよ何とか話題逸らしたいんだけど。」
言われて渋々席を立った美岬さんは、勝手に食器棚を開けていくつかの器を取り出し、慣れた手つきで料理を盛りつけると、
「…どうぞ」
と僕に差し出した。どうぞも何も、うちにあった食材だしなぁ…。
手早く合掌して、さっそく箸をつける。
途端に口内に広がる芳醇な味覚。マヒルが手放しで褒めちぎったのも道理だ。
「…スゴイ…まるで料理だ…!」
「…今までナニ食べて生きてたんですか?」
呆れ返った美岬さんだったけど…
僕の目が不覚にも涙ぐんでるのを見て、本心からの高評価だと察してくれたらしい。
「明日の朝くらいまでの分はありますけど、夏場ですからお早めにお召し上がりください」
褒められて満更でもない様子の美岬さんを、マヒルが何やら複雑な顔で見つめていたけど…
…いま気にすべきはソコじゃない。
「んで…あんな時間まで、あんな処で何してたの?」
いきなり核心を突く僕の質問に、それまで朗らかに微笑していた美岬さんは急に口ごもり、
「…ヒマを潰してました」
仕事が終わっても家に帰りたくないサラリーマンじみた理由だったけど、たぶん本当なんだろう。だから態度にも何ら不審な点はない。
そこで僕はもう一押し。
「…お父さん、再婚したの?」
美岬さんは目をパチクリ。やがてそれが驚愕に見開かれ、
「な…んで判ったんですか…!?」
「えっマジ当たってんの!? リョータこわっ!」
マヒルまで一緒になって青ざめる。そんな大した推理でもないんだけど。
まず、僕らくらいの年頃の子が家に帰りたがらない理由なんて、たいがい家族間トラブルだろうと。
そして美岬さんは料理だけじゃなく家事全般に手慣れた様子。ということは昔からずっと家事に携わってきたんだ。
性差別による役割分担について何かとうるさい今日この頃だけど、美岬さんが家事をこなさなきゃならない理由は「最近まで片親だった」上に「父親は家事が苦手、あるいは多忙」という線が最もしっくりくる。
それが証拠に、さっきマヒルに料理を褒められると「毎日作ってた」と答えてる。
毎日作って『る』じゃなく『た』、過去形だ。ということは今はもう作っていない。
これらの要因から導き出される結論はただ一つ。
『父親が再婚し、パートナーが家事を担うようになったから、美岬さんはお役御免になった』に違いない。
「じゃあユウヒは、その再婚に反対して…」
「いや、もう再婚は成立してる。でしょ?」
マヒルの推測をすぐさま否定してみせると、美岬さんの青ざめた顔はもはや土気色になり、
「…まさか、生徒会長権限で私の個人情報を…!?」
「怖っ!? リョータまぢ怖っ!!」
ちっげーよ! なんで今日知り合ったばかりの生徒の個人情報なんぞを調べにゃならんの?
マヒルもつられて真っ青になって後ずさるもんだから、Tシャツの裾が捲れ上がって…
「…マヒル。…見えてる。」
水着を着るために日常的に除毛なんてしてるから…丸見えだよ丸見え! そりゃも〜パックリと!!
「◯△◇×◎〒卍〆〜!!??」
さて、うるさい奴が再起不能になったところでタネ明かしといこう。
「これは推理でもなんでもなくて…美岬さんの性格なら、気に入らない相手を家に迎え入れたりなんて絶対しないだろうと思っただけさ」
「…ここが自分の家だったら、今まさにそうしたい気分です」
うを〜メッチャ睨まれてる! 美人なだけに破壊力パねぇ!
「だから一旦は再婚を認めた。新しいお母さんも嫌いじゃない。けれども…色々あって喧嘩しちゃって、顔が合わせづらい…みたいな感じで合ってる?」
「…もうここまでくると超能力レベルですね。会長さんがどうやって今の地位に上り詰めたかがよぉ〜っく解りました」
またしても在らぬ誤解を受けてる気がするけど、一応ちゃんと正式に立候補して、正当な投票結果で選出されてるからね僕は!
◇
僕の推理はだいたい当たり。
唯一違っていたのは、美岬さんには歳の離れた妹さんがいて、その子が新しいお母さんを大歓迎してるから渋々再婚に同意したんだそうな。
新しいお母さんは予想外の若さで面食らったけど、親しみ易くて妹さんともすぐに仲良くなったから、お父さんも良い人を見つけてくれたと最初のうちは喜んだ。
で、美岬さんは新しいお母さんと家事を分担して、一日でも早く我が家に馴染んでもらえるようにするつもりでいた。
ところが…若すぎるが故に張り切りすぎた新しいお母さんは、美岬さんの仕事を次々に奪い、何もさせて貰えなくなった。
「それは私がやるから」といくら言っても「いいのいいの、あなたのお仕事は勉強なんだから任せといて」と、万事こんな感じで。
悪気がないのはもちろん解っているけど、そう勉強ばかりできる訳もないし、かといって今まで家事に忙殺されていたから、他に何をすればいいのかまるで判らない。
しかも人が違えば仕事のやり方も違うから、どうにも気になって落ち着かず、フラストレーションが溜まる一方。
次第に不満を募らせた美岬さんは、先日ついに堪りかねて、
「アンタなんて来なきゃ良かったのよッ!!」
と、派手にぶちまけてしまったんだとさ。
美岬さんの物言いのドギツさを身をもって経験した僕としては、もうお母さんに同情せざるを得ない。
当然、新母親のみならず妹さんやお父さんともギクシャクし始めて、解決の糸口も見出せないまま、やがて家にも帰りづらくなり…
「…それで今ココ。」
「なるほど。う〜ん…正直、これは難しいね」
率直な感想を述べて、僕は頭を抱え込んだ。
要するに美岬さんは、生活環境の急激な変化についていけず拒絶反応を示してしまった訳か。
こういったことなら僕にも身に覚えがある。
ただ、僕の場合はチャンスが巡ってくるまでひたすら耐え抜いた。
美岬さんの場合は性格上、ハッキリ言ってそれはかなり難しいだろう。
なにしろ彼女は…メチャメチャ短気だからだ。
最初こそとっつきにくかったものの、いざ話してみればかなり面白オカシイ人だってことが解ってきたけど…
その面白味を感じられる前に、大半の人がこの一点を突破できずに回れ右することだろう。
ならば早期決着を図るしかないが…いずれにせよ、彼女には非常に困難な壁を乗り越えて貰わねばなるまい。
まずは彼女がそれを自覚できるかどうか…ちょっと試してみるか。
「美岬さんはその…新しいお母さんに、何の悪気もなかったことは解ってるんだよね?」
「はい…」
「お母さんが何の仕事もさせてくれなくて、それが苦痛だった…」
「はい…」
「…ってゆー気持ちを、お母さんに言ってみた?」
「は…いいえ?」
やっぱり。根本的な原因はコミニュケーション不足か。
お母さんは、美岬さんの多忙さを少しでも軽減させたくて家事をどんどん請け負った。これだけでもイイヒトだってことが解る。
ところが仕事の虫だった美岬さんは、仕事がどんどん無くなることに不安を覚え、それを苦痛に感じた。
こんなお互い認識のズレを、お互いに打ち明けられないまま、良かれと思って突っ走ってしまったことが最大の問題点だ。
「じゃあ…どうすれば良かったのかな?」
「…私は家事が好きだから…家事をしたいから…もっと任せてって言えば良かった…」
「言えばいいんだよ、今からでも」
…え?と意外そうな目を僕に向ける美岬さん。もう取り返しがつかない事をしてしまったと思い込んでいたのだろう。けれども、
「手遅れなんてことはないよ。君たち親子はこれからも、ずっと一緒に生活していくんでしょ?」
そしてこれからも度々衝突を繰り返すことだろう。家族だって個々の人間の集まりだから、主義主張は当然違う。
「なら、自分が思ってることはいくらでも相手に伝えていけばいいんだよ」
それでさらなる衝突を産むことだってあるだろう。それを解決する手段もまた、さらにさらなる話し合いしかないんだ。
人間が他の動物と顕著に異なる点こそが、言葉によるコミニュケーション手段を持っていること。
それを否定してしまえば、人間が人間である意味など何処にもなくなる。
互いに憎しみ合い攻撃し合うだけでは、未来永劫なんの解決もなし得ないのだから。
「だからね…悪いと思ったらちゃんと謝らないと、相手には伝わらないよ?」
「!!」
死んだ魚みたいだった美岬さんの目つきが、見る間に輝きを取り戻す。いやぁ無事に生き返ってもらえて良かった良かった♪
「美岬さんはたぶん、謝るのメチャメチャ苦手だと思うけど」
これこそが先述の『困難な壁』だ。
誰だって他人に頭なんて下げたくなんかないけど、美岬さんはその傾向がとりわけ強い気がする。
今まで誰にも頼らず生きてきた人間は、大概その傾向が強い。なぜなら他人を信用できず、それ故に他人に頭を下げる行為を『屈服』と捉えるからだ。
加えて他人に融通することを、彼女たちは『妥協』と捉える。そして信頼関係が築けないが故に妥協を一切許さない人が多い。
けれども、それは自分の希望を叶えるための交渉なのだから、意見が通ればそれは成功であって失敗ではない。従って妥協でもない。
この世に妥協なんてものは実は何処にもなく、あくまでも個人的観点の中だけの話なのに、そこにばかりこだわり続けて他を見ようともしないのだ。
…なんて指摘をした途端に平手打ちの一つも飛んでくることを覚悟してたけど、美岬さんは意外にも僕の話に黙って耳を傾けていた。
ならば、もう一押し。
「謝るのは恥でも何でもなくて、自分自身を客観的に捉えることが出来てる証拠なんだ。
自分の非を素直に認められる人のほうが…僕は好きだな」
ポッ…。美岬さんの頬がやにわに火照る。
あれ? なんかおかしいな。
さっきまであれだけ警戒していた相手に見せる態度にしては、変化が拙速すぎないか?
さっきまでの美岬さんなら「説教くさい」だの「大きなお世話」だのとブチ切れそうなものなのに…?
「ま、まあ今からでも遅くは…」
言いながら壁の時計を見やれば…もう夜10時近く。
いつの間にかずいぶん話し込んでいたらしいけど、さすがに今からでは遅すぎる。
「…帰り、どうすんの?」
「…どうしましょーか?」
美岬さんも時刻確認して慌て出したけど、今さら後の祭りだ。
バス停まで行ってもバスはもう無いし、電車はなおさら手遅れだ。
「…タクシー代、ある? 僕は無いよ、万年金欠だから」
「…買い物の予定が無かったから、持ってません…」
Oh万事休す。もはや打つ手はナッシング…
かと思いきや。
「…あの…泊まっても…いいですか?」
◇
「…………ほぇへっ!?」
やおら美岬さんの口から飛び出した言葉がすぐには理解できず、思わず変な声が洩れてしまった。
だってさっきもマヒルのことを散々恥知らずとか罵っといて、いったいどーゆー風の吹き回しですか!? 近年の台風並みに予測不能なんだけど!!
「どうせだし…この際だし…せっかくだから、もっとお話できたらなって…」
だからなんでそんな急に好感度急上昇してんの!?
ひたすらジム通いを繰り返して身体を鍛えまくっただけで、ろくに会話もしてないヒロインがメロメロになっちゃう何処ぞのクソ恋愛SLGじゃあるまいし!
「ちょ何言ってんのーッ!?」
しばらくペナルティーエリアで待機中だったマヒルも、これにはさすがに堪りかねてフィールドに飛び出してきた。
だからそんなに慌てたらシャツの裾がめくれてまた見えちゃうって…。
「こんなヤツと一晩過ごしてみなよ、百回くらい妊娠させられちゃうからっ!!」
ソレどこのオモシロ生物?
いくらサカってもそんなにタマ数打てないし、生物学的に有り得ません!
てかそもそもそこまでしないっ!!
…と思う…たぶん。
「じゃあマヒルは今まで何人産んだの? 同棲してたんでしょ?」
「うっ…むワケあるかァーッい!! あと同棲じゃなくて同居だっつーに!」
なんでかキレ気味な美岬さんの質問に、マジギレ大炸裂なマヒル姉さん。
「それなら大丈夫…かな?」
上目遣いに送りつけられる美岬さんの視線をスウェイで避けつつ、
「保証できないしクーリングオフも利かないけど…?」
乾き切った喉からやっとそれだけ絞り出した僕に、
「…万一そーなったら…ソレはソレで…♪」
美岬さんは恥じらいつつも…なんでそんなに嬉しそーなの!?
ヤバイヤバイと思ってはいたけど…
この子、マジヤバなホンマモンでっせ!!
「アカーーーーーンッッ!!!!」
大絶叫したマヒルは、お尻丸出しのまま部屋の片隅に放り出してあったスマホに駆け寄り、猛烈な勢いで番号プッシュ。
「…あ、父さん!? 大事な娘さんを傷モノにされたくなけりゃ、今すぐリョータの部屋に車よこして! あと友達泊まるからヨロシク!」
言うだけ言って電話を叩き切ると、どーよ!?とばかりに胸を逸らした。
だから上はTシャツが引っ張られて巨乳の形がクッキリだし、下も丸見えだって…。
「…残念でしたね?」
美岬さんはイタズラっぽく笑ってペロッと舌を出す。この子もどこまで本気だったのか…?
かくして突然喧騒を増した僕の日常生活は、その後も延々と眠れない夜を送るハメになったのだった。
あと、マヒルは翌日からちゃんと下着をつけて通学するようになった。残念⭐︎
美岬さんは…今度訊いとく。
【第一話 END】
今回は純然たる現代劇ラブコメです。
前作のようにファンタジー要素を入れると、どうしても設定に振り回されてキャラが思い通りに動かせなかったりするので、キャラの心情を最優先できるよう、なるべくシンプルにしました。
…とゆー割にはのっけから怪しげな設定てんこ盛りですが。
また前作では序盤の変態度をあえて抑え目にしていましたが、今回は初っ端から全開です。
どーせ文字媒体なんだから、見えなきゃ問題ナシ!ってことで。
実はこの話も当初はゲーム要素を入れたマルチエンド方式を採用し、自己サイトにて十年以上前に途中まで公開しておりました。
展開によっては主要キャラが死んだりも普通に盛り込んでましたが…今回はどーしょっかな〜?
とゆーわけで、しばらくお付き合い頂ければ幸いです。