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ハガキ 水の物語  作者: 伊諾 愛彩
第6章
27/38

水の物語 6.Put together (21)

 若宮奏は、暗い部屋でスマホに保存された昔の写真を検索した。桜桃に話していた物語の続き、ピアノコンクールの結果は、奏にとってはあまり好ましいものではなかった。

「おめでとう、海里君」

「さすがだね」

結果が書かれた紙が張り出された時、ライバルを称賛するたくさんの声が聞こえた。演奏を聞いていれば分かる。奏の心をも揺さぶる演奏だった。男とは思えないほど線が細くて、小柄な浅木海里から編まれる音は、感情に直接語り掛ける。苦しさも喜びも、彼は五線譜に書かれた音符に投じてくるのだ。張り紙を見るまでもなく、結果は分かっていたのだ。

(なんでアイツが……)

それでも奏は、認めたくないと意地を張っていた。ピアノの部において浅木海里が入賞し、奏は奨励賞……楽譜に忠実な演奏という点では、奏の方が優っていた。演奏というのは忠実さが大切というわけではない。圧倒的な表現力、感情に任せた海里のピアノは、魅力的だった。奏が追及していたものではあるけれども、それは、コンクールの対策のために封じていたものでもあった。コンクールはコンクールの作法がある。コンクールでは、自分の感覚よりも、楽譜の方が正しい。

「ここはこういう風に弾く方が良いと思う」

楽譜とは違うニュアンスで弾こうとすると、先生からは決まった台詞が返ってきた。

「楽譜の通りに弾くのが正しいんだ。奏ちゃんはまだ子供だから、この良さが分からないかもしれないけどね」

奏は知っている。先生は裕福な家庭に生まれたから、そんなに苦労せずに音楽を続けることができている人だ。だから困難な壁にぶつかって自分の意志を貫かなければならないような事態に出会ったことなど殆どないのだ。コンクールで成績を残す、そのために奏は自分の意見を飲み込んだ。そんな苦汁を飲んでいたのに、現実は残酷だ。先生と一緒に対策していたこのコンクールの審査員の傾向とは反して、情熱的なピアノがより高い評価を得たのだった。

「AIが弾けるような演奏を求めてるんじゃない。聞きたいのは、浅木君のような若い感性、この年にして高い技術。こんなピアニストの演奏を聞くことができて本当に僕は感動しました」

講評を話す審査員は、お堅い旧態依然の演奏、楽譜に忠実の演奏を求めるような人だった。彼の対策というのもあって、楽譜に忠実な演奏をしてきたのに、なぜ手のひらを返したような台詞をいうのだろう。奏の中に納得のできない気持ちがふつふつと湧き上がってくる。でも、海里の演奏を思い出すとその気持ちも掻き消されるのだ。その意見を変えてしまうほどの演奏を海里がしたということだ。……悔しいが、その演奏は、奏の憧れる演奏でもあった。

 今のままでは、海里の様な演奏ができない。その時、たまたま隣にあったコンサートホールのチラシが置かれたラックには、ドイツのピアノのサマースクールのチラシがあって、奏はその偶然に「運命」を感じたのだった。

 並々ならぬ愛情、思慕の念を五線譜で表現しようとするなんて、そもそも常軌を逸した行動である。五線譜そのものは、ただの記号でしかないけれども、記号が音に変わる時、その変換者の技術が問われる。優れた変換者は音楽家という地位を得ることができる。紙に描かれたものを現実にするというのは、魔法の一種かもしれない。楽譜が呪文で、演奏は魔法……それは、選ばれた人間にしか与えられない特別な力。

 そんな力を得られる機会というのは、突然やってくるものだ。サマースクールのチラシに書かれているのは、結構な金額だったけれども、それは何とかなるものだと思った。父親も母親も一流企業で働いている。奏の家にお金がないということはないはずなのだ。

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