水の物語 6.Put together (13)
コンクールだからといって、特別な事をせず、いつもと同じように両親は家を出ていった。いつもとは違って、奏が出発するのは、両親が会社に向かった後だったから、鍵はちゃんとかけるようにと言われたけれど、特別なことをして緊張をしないようにという2人の配慮があったのだと思う。
いつも通り、リラックスして演奏に臨む。何度もコンクールに挑戦してきたから分かる。本番にしか現れない特別な力を期待してしまうと、妙な力が入って空回りする。荷物は前日にちゃんと整えたし、楽譜もカバンに入れた。楽譜を見なくとも、携帯には良い自分の演奏の録音が入っているから、確認はいつでもできる。必要と思ったら何度も聞いてイメージを膨らませることができる。
(でもコンクールはイメージよりも、正確さ。自分が弾きたいように弾くのではなく、コンクールの先生たちが求めるものを弾く……)
色々なコンクールに出るとなると、そのための楽曲を用意するのが大変になる。他のコンクールの事も考えて、選曲はバッハの平均律クラヴィーアとショパンのマズルカ……。嫌いではないけれども、好きだから弾いているというよりは、弾かなければならないから弾いている、そんな感じになっていた。
最寄駅から数駅のターミナル駅で待ち合わせして、先生と一緒に新幹線の駅まで行く。そして、大会会場まで付き添ってくれて、先生はその後は知り合いとの交流があるとのことでホテルまでは自分一人で戻るように言われた。本選のプログラムが目に入って、それを見ると、知っている名前があった。
「……浅木海里…」
嫌なライバルだ。そう思う自分が嫌だった。
桜桃は奏の話に割り入ってきた。人が話しをしているのを遮るのは良くないなと思っていたけれども、奏の話はまだまだ続きそうだったし、思い切って
「ねぇ、それって……私が中学2年生……2年前の話?」
「2年前?……ええっと、そうだね」
「本選が浜松っていうのをきいて、同じだなって……。あの、私も一次予選出てて……」
「えぇっ、そうなの?」
蒼佑と一緒に島から船で向かおうとしたコンクールのブロック予選……その本選に若宮奏と浅木海里が出場したということだ。
「辞退したの……船が出なくて……」
「船?」
「そう、船。本土に行くためには、船が動かないとだめなんだけど、天気が悪くて出なくて。札幌だって結構遠い」
初めての人に蒼佑と一緒に島を抜け出そうとしたということを話すとまたややこしくなるだろうと思って、軽い説明を桜桃は選んだ。
「でも、大好きな島。自然が豊かで食べ物が美味しくて、綺麗なところがたくさんあって。……だけど、何もない島だから。……話を聞いていてね、羨ましいな、って思っちゃった。奏はね、東京に住んでるから色んなチャンスがあるんだなって……」
「羨ましい、か。そうだね、確かに……桜桃みたいな人、初めて会った。島、でしょ? 船が出なかったから予選会に出られなかったなんて聞いたことないよ。うん」
馬鹿にしているような言葉が奏の口から出てくるのだけれども、奏は目をキラキラさせながら珍しい話に心を躍らせているだけだった。
「そういう他の人にはない経験って、音楽を表現する上では欠かせないものなんだ」
奏は大きな声で自分の主張を言った。