9.10.
短いのが二つ溜まったのでまとめました。
仕方ないね。
食後の休憩も終えて、またダーヴィド様にエスコートされて、ヨエンパロ劇場へと向かいます。腹ごなしに歩くのに、丁度良い距離でした。
ヨエンパロ劇場は、三つの木製の大振りな入り口と重厚な見上げるほどの石組で出来た建物です。三角屋根は赤く、遠目にも分かり易いですね。
近隣の建物と比べると、ちょっと高く、入り口の横のとんがり屋根がある尖塔が、家々の上に見えるのです。
ヨエンパロ劇場は広場から続くケイノネン通りと、エクロース通りの辻の所にあります。窓はいくつもあって、そのすべてがアーチ形になっていて、劇場だけでも見ていて楽しいものです。
劇場の前には人々が集まり出していました。三つある入り口の内、両側の二つが開いていて、真ん中の扉の前で係の方が背中合わせに立っているかのように見えます。
「チケットを拝見いたします」
左側の扉に並んでいるのが、一階席の後ろの方、庶民の方々がちょっと奮発して来たといった形のようです。そちらは盛況で、列になっていました。
皆さん楽しそうに並んでおられます。
右側には列はほとんどなく。わたくし程度に着飾った紳士と淑女がたまにくる程度です。通りの向こう側からでも、これだけのことが見て取れるほどでした。
左側の扉に並んでいる方々からの視線を感じながら、わたくしとダーヴィド様も劇場に向かいます。並んでいてお暇なので、こちらを見ている、というのは分かります。嫌な視線ではありませんもの。
階段の幅はすごく広くありませんが、一段が高くもなく。並んで待つだけなら問題もなさそうです。駆け上るとか、駆け降りるとかは難しいかもしれません。
ダーヴィド様にエスコートされた状態で階段をのぼり、入り口にいるもぎり係の方にダーヴィド様がチケットを見せました。
「ご案内いたします」
劇場の中は衝立でのみ仕切られていて、あちらの扉の方は簡単に案内をされるだけのようでしたが、こちらは案内係の方が待ち構えておりました。まあ、二階席であったりボックス席であったりと多様でしょうし、案内されるのに慣れている方々が対象でしょうから、言葉で案内するよりは係りの者を付けた方が楽ではありましょう。
皆さんおそろいのお仕着せを着ていて、わたくしたちの前に立って歩かれます。
わたくしたちの席は上手側二階のボックス席。通路にずらっと扉が並んでおります。といっても扉のように見える衝立で、実際に閉じてはいないのですけれど。それでも、その向こう側を見ることは出来ないつくりです。
まあ、心無い人が覗くこともありますけれど、通路には劇場のスタッフが立ち並んでおりますから、止められておりますね。
一階席や二階席にあるのは肘あてのついた椅子。勿論それなりにふわふわしておりますけれど、ボックス席にあるのはソファでした。二人掛けが二席。
ボックス席は全部で六席。
以前ヨエンパロ劇場に来たときは、こちらの階段ではなく、あちらの階段から二階席に参りました。二階席は貴族とそれからお金持ちの席。席数自体は一階と比べてとても少ないのですけれど、それでも満員のようです。
わたくしの所からは見えませんけれど、ボックス席も埋まっているのかしら。
一階席を覗いてみれば、じわじわと埋まっていきます。後方にあるドアから入ってきて、チケットを片手に皆さん右往左往している様子。慣れないとそうなりますわよね。
「君はこの演目はよく見るの?」
「ええ、掛けられたらいつもお父様にお願いしておりました。これからは、ダーヴィド様におねだりしますわね」
「ハッリに伝えておこう」
二人でくすくすと笑いあう。
おそらくはわたくしがダーヴィド様にお願いし、ダーヴィド様がハッリにお伝えになるよりも早く。ハッリの奥方様がハッリに伝えて席の準備をさせるでしょう。
わたくしたちは今はまだ、婚約者ではありませんので。二人掛けのソファに一人ずつ腰かけて、開幕を待ちます。ああ、わくわく致します。
10.
ほとんどの席が埋まり、照明が落ちます。照明はロウソクで、係の方が一つずつ蓋を被せて消していっているのが見えます。どんどんと薄暗くなり、それにあわせて客席のざわめきも減っていきます。
緞帳は降りたまま。
客席の最前列を占めている楽団の指揮者の手がすい、と上がりました。
それは、開幕の音楽ではありませんでした。
劇場や劇団によっては、自分たちの楽曲を持っています。それを開幕の合図にしているのです。
ヨエンパロ劇場もヒュリライネン歌劇団も開幕の合図たる楽曲を持っていたはずなのですが。
流れたのは、それではなく。
あなたを愛しています
あなたを愛していました
あなたを愛してしまいました
この想いに名前を付けてはならないと
この想いは秘めて殺さなければならないと
そう思っていた私を愛してくれたのもあなたでした
あなた
あなた
わたくしのあなた
あなたの大切な人を愛してしまったわたくしを
愛してくれた愛しいあなた
あなた
あなた
わたくしの愛しい棘ある赤き薔薇
わたくしは
あなたを
それはいきなりの、看板女優エイヤの独唱でした。
それは発表されている詩集の中身とは少し違い、いえわたくしもすべての舞台を拝見しているわけではないのですけれど。この独唱は書き下ろされたものだと思われるのです。
ああ、新作、なのですね。
描かれた物語は、これまでと同じです。すでに描かれて長く経っているのですから、逸脱するのは野暮というもの。そういうのは新規作品でお願いいたします。それはそれで伺いますので。
けれど今作は、愛は愛でも、アーダとアーダの愛しい赤い薔薇、ヒルダ様のお話のようです。そういえばあまり、このお二人の主従愛について語られることはなかったように記憶しています。
舞台は、間に休憩を挟んでの二部構成でした。第一部はさらっとアーダとヒルダの関係性が描かれました。
アーダはヒルダの遠縁で、両親が流行り病で亡くなったのをきっかけに、アーダの母親がヒルダの乳母だったことを縁として、ヒルダの家に引き取られたのです。ヒルダの両親は、アーダを侍女にとは思っておらず、ヒルダの友人に、と思っていたのですが。アーダが自分の意思で、ヒルダの侍女となりました。
もちろん、二人は両親の期待通りに友人関係も維持しておりました。
第一部のクライマックスは、ヒルダに縁談が来たこと。そしてその、初めて二人が会うシーンでした。
とても楽しく演劇パートを書きました。
楽しい。
ここが山場の一つではあります。
いやこれ終わるのかな……。