サキュバスの恋
やれやれ。いつになったら、飲ますんだろうねぇ。
ガネーラとサキュバスは、あれからすぐに目当ての人狼の元へ向かった。
ガネーラの家から南東に向かって一日半。
そこには美しい湖が広がり、一人の人狼が湖畔を見つめ佇んでいた。
何を思い見つめているのか、その瞳からは切なさが漂う。
人狼は、サキュバスが焦がれるだけあって、確かに男前だ。
艶めく銀髪に青く輝く切れ長の瞳。つんと通った鼻筋が顔立ちの良さを強調する。
良く引き締まった肉体は遠目にもスタイルの良さが分かり、これでもかと言う程、男の色香を漂わせていた。
肝心のサキュバスは、岩陰に隠れながら、ただ漠然と人狼を見つめるばかり。
「あたしゃ、帰っていいかい?」
我慢もそろそろ限界だった。
惚れ薬も渡したし、後はこのサキュバスが飲ませばいいだけだ。
だと言うのに、この腑抜けは何をしているのか。情けない。
一向に動く気配が無い。
「ちょ、ちょっと待ってよ。今、ちょっとタイミングを見計らってるから。」
「そのタイミングはいつ来るんだい?あたしにゃ、全く来るようには思えないけどね。」
「ゔ・・。」
茹で蛸みたいな顔で、両目に涙を浮かべるサキュバスは、最早言い返す事も出来ない。
こりゃ、駄目だね。
さっさと帰ろうとするガネーラの服を、慌ててサキュバスが引っ張る。
「待って待って待って。今、まだ明るいから!夜!夜になったら行くよ!」
夜なんて、人狼の時間じゃないか。
呆れて瞳を見つめれば、サキュバスがプイと視線を逸らす。
「じゃ、頑張りな。」
「わぁー!待って!準備!準備がいるから、一緒に買い物行こっ!?」
惚れ薬の他に何がいるって言うんだ。
文句を垂れるガネーラの背中を、サキュバスが押す。
やがて二人は、先程ガネーラ達がいた場所から丁度対岸沿いにある、少しばかり大きい町に着いた。
「ね?ここ、色々あって楽しいでしょ?」
立ち並ぶ露店を物色しているサキュバスは、角と翼がすっぽり隠れる外套に身を包み、変装している。
街の者に正体がバレれば、間違い無く殺されるだろう。
大して珍しい物が売られている訳でも無いのに、このサキュバスは何がしたいのか。
ピタッと、サキュバスが一軒の露店の前で止まった。
店の軒先に、立派な狼の毛皮が売られている。あの人狼と同じ、銀狼だ。
「・・・これ、下さい。」
硬貨を払い、店主から毛皮を受け取る。
「そんな物買ってどうするんだい?」
「あ、ハハ。これね。これ着れば、彼に上手く近寄れるかなぁ~って・・。」
いくら夜中だと言っても、そんな毛皮を羽織った所で、嗅覚の鋭い人狼が騙されるだろうか。
最早失敗する未来しか見えない。
ガネーラは頭が痛くなった。
夜闇に紛れ、サキュバスが人狼に近付く。その頭には、露店で買った銀狼の毛皮がしっかり巻かれていた。
微かな草音に人狼が振り向き、グルルッと唸る。直ぐにでも飛びかかれる様に、体勢を整えた。
サキュバスはビクビクしながら、ゆっくり慎重に近付く。片手に惚れ薬を握り締めて。
あともう少しで人狼が飛びかかる、という所で、彼の両目が驚きに見開かれた。
「ルシャ?ルシャなのか・・?」
今だ!と、言わんばかりにサキュバスが人狼に飛びかかる。
そして、口の中に惚れ薬を流し込んだ。
人狼が慌ててサキュバスを突き飛ばし、ゆっくり起き上がる。
その瞳は、酷く虚ろだ。
(ちゃんと飲んだみたいだね。)
二人の様子を、ガネーラが離れた場所から見守る。
惚れ薬の効果は劇的だった。
人狼がサキュバスに近付き、その足元に口付けをする。
サキュバスは人狼の頭を優しく撫でると、何かを囁き、遠くの山を指差した。
人狼が頷き、山へ向かう。その手には、銀狼の毛皮が握り締められていた。
◆
「ありゃ何だったんだい?」
「ん〜。近くで見たらね。あんまり好みじゃ無かった。」
「要らないから、山に帰しちゃった。」と笑うサキュバスの顔は、憑き物が落ちたかの様にスッキリしていた。
色々と思う事はあるが、本人が良ければそれでいい。
「さて、帰るかね。」
服に着いた草を祓う。
「あ、おばあちゃん!今回一度もあたしの名前呼ばなかったけど、さては忘れてるでしょ?」
「・・ネリだったかねぇ?」
「ぜーんぜん、ちがーう!!」
「ルナメリネリアだからね!今度はちゃんと覚えててよ!?」
サキュバスが上空に飛び立つ。
バイバーイと、元気に手を振るのを静かに見守った。
サキュバスの姿が豆粒位になった所で、ぼそりと呟く。
「ネリでいいじゃないかい。」
やはり覚える気の無いガネーラだった。