眠る娘
ドラゴンが住むと言われる、誰も近寄らないアーデル山の麓に、一人の魔女が住んでいる。
名前をガネーラ。
この魔女は一見すると、人間嫌いなただの偏屈な婆さんにしか見えない。
だがこの魔女には、ドラゴンにも勝る恐るべき力が秘められていた。
今日も一台の馬車が、とことこと、魔女の元へやって来る。
ドンドンッ。
「うるさいね。扉が壊れちまうだろっ!もっと静かに叩きな!」
静かに叩けば気付かないではないか。
不満を露わにした従者が、扉を開く。
従者の横から、立派な身なりをした男が入って来た。
男の外見は40代程。身なりからして、どこかの貴族だろう。
「魔女殿。」
低く重みのある声が男から出された。
「あたしゃ、魔女殿なんて名前じゃないよ。人に物を聞くときゃ、先ずは自分から名乗りな!」
男の側に控えていた従者がムッとし、剣に手をかけた。
それを男が制し、首を振る。
「これは失礼した。私はリベルト・アグドュトスと申す。ハノイの街を治める者だ。大魔女ガネーラ殿に助言を頂きたく、この場に参った。どうか悩みを聞いていただけないだろうか?」
リベルトをチラリと見る。
身なりからして、子爵?伯爵程の身分だろう。
立ち居振る舞いから、立派な貴族の匂いを感じる。
(また面倒くさそうなのが来たねぇ・・。)
愛猫の黒猫トマスの背中を撫でながら、ガネーラはそう思った。
そもそもガネーラが一人でこんな辺境にいるのは、人と関わりたくないからだ。
人里近くに住んでると、どこかの王様だったり、貴族だったりが、私に仕えよと、毎日煩く訪れる。
それが嫌で此処まで来たのに、やれやれ、またも捕まったか。
さっきだって、あんな言い方をすれば、大概の貴族は腹を立て襲ってきたり、あるいは暴言を吐いて帰ったりする。
そうとくればこっちのもんで、ガネーラは彼らを上手くあしらう事が出来た。
面倒なのは、こういう丁寧な手合いだ。
こうも丁寧な対応をされると、こっちもそれに見合う対応をしなければならない。
ガネーラとしては、面倒毎に首を突っ込むのはまっぴらごめんだったので、どうにかこの場を切り抜けられないかと思案していた。
ガネーラの沈黙を了承と受け取ったのか、リベルトが口を開く。
「実は我が娘の事なのだが、悪霊に憑かれてしまった様なのだ。神官に頼み、祝福を受けたのだが、どうも効果が無い。ガネーラ殿。そなたになら、娘を助ける事が出来るのではないだろうか?どうか一度、娘を診てほしい。」
「お祓いなら、大神官に頼みな。」
「もう試したのだ。だが、駄目だった。ガネーラ殿、お願いだ。我が娘を助けてくれ。」
膝をつき、懇願するリベルトの様子に、ガネーラは溜息を吐いた。
「何で悪霊憑きって思ったんだい?」
「おぉ!助けてもらえるのか!」
「まだ助けるとは言ってないよ。早く教えな。」
リベルトの説明によると、7日前に娘が庭で倒れ、そこからずっと眠り続けているらしい。
偶に目を覚ますのだが、訳の分からない奇声を発したり、突然立ち上がったかと思うと、暴れたり、暴食をする。
薬師や治療師、神官に相談したが、どれも効果が無く途方に暮れているとの事だった。
そりゃ、悪霊なんかじゃ無いねぇ。
ガネーラは思った。普通、人間が悪霊に取り憑かれれば、その人間は精気を吸われ続け、長くても2日で死ぬ。
それが7日も生きてるんだから、どう考えても悪霊の仕業では無かった。
「見返りはなんだい?」
「受けて頂けるか!ガネーラ殿には、我が家が出来る限りのもてなしをしよう!欲しい物があれば、可能な限り、用意する!」
「ふん。もてなしなんざ、ごめんだね。ハノイの街は温泉があっただろう?あれを10日間、あたしとトマスでもらうよ。いいね?」
温泉に貸切で入るつもりなのだろうか?いずれにしても、お安い御用だ。
リベルトは、すぐに承諾した。
ガネーラとリベルト達は、すぐにハノイの街に向かう事になった。
ガネーラが、トマスの背中を優しく撫で、別れを告げる。
「トマス。留守を頼んだよ。」
ガネーラが扉に鍵もかけずに行こうとするので、リベルトが不信に思い声をかけた。
「ガネーラ殿。鍵をかけなくてよろしいのか?」
「あんたの目は節穴かい?この扉の何処に鍵穴があるって言うのさ。」
「む。確かに。しかしそれでは、この家は盗人が自由に出入り出来るではないか。」
二人のやりとりを聞いていた従者が口を挟む。
「ならば私が、ガネーラ殿の家で留守を守りましょう!」
中々良い提案をしたとでも言いたげな顔の従者に、二人は注目し、ガネーラが呆れたように声をかけた。
「馬鹿な事をお言いでないよ。あんたよりも、トマスの方がよっぽど頼りになる。それにあんたがここに残って、誰があんたの主を護るって言うんだい?」
従者は、ガネーラの言い分に顔を真っ赤にして怒ったが、主の護衛と言われ、落ち着きを取り戻し、それもそうだと納得した。
「さ、行くよ。」とガネーラに言われ、馬車に乗り込む。
この馬車は自分の物なのだが、すっかり我が物顔で御者に指示を出すガネーラに、リベルトが戸惑ったのは言うまでも無い。
暫く馬車が進んだ所で、ガネーラが遅いと言い始めた。
こんなんじゃ、日が暮れちまう。と、言うのだ。
馬車で二日程の距離なのだから、当たり前だろうとリベルト達は思っていたのだが、この老婆にはどうやら当たり前では無かった様だ。
いきなり馬車を降り、馬に怪しい呪文をかけた。
それから馬車に乗り込むと、もうこれで安心だ。と、居眠りを始めた。
驚いたのはリベルト達だ。先程までゆっくり馬車が進んでいたのに、突然馬が猛烈な勢いで走り出し、馬車を引っ張る。
まさに疾風の様だった。リベルト達は、ガタゴト揺れる馬車から落とされない様、必死にしがみつくしかなかった。
ガネーラのおかげで、馬車は予定を上回り、僅か2時間程でハノイの街に着く事が出来た。
門番が、予定より早い領主の帰宅に驚いていた。
リベルトに案内され、領主の屋敷の娘の部屋へ入る。
ベッドに、すぅすぅと寝息を立て眠る娘がいた。
ベッドの側で、割れた花瓶とコップを片付けるメイドが一人。
「お嬢様は先程お起きになって、またお眠りになられました。」
そうリベルトに告げるメイドの頬から、血が垂れている。
おそらく、花瓶かコップが当たったのだろう。
ガネーラが杖でメイドの頬をこつんと叩くと、嘘の様に傷が治った。
「この娘と、あたしを二人にしな。いいかい?あたしが良いと言うまで、この部屋には誰も入って来ちゃいけないよ?」
リベルトと従者、メイドが部屋を出る。
ガネーラは皆が出ていくのを確認すると、魔法で扉に鍵をかけた。
「さぁ、もういいだろう。出ておいで。」
・・・・・・。
「出ておいで!!」
ポンと小さな妖精が姿を現す。
その瞳は大きくつぶらで、ピンと立った耳と、緑色の癖毛がとても愛らしかった。
「怖いなぁ!そんなに怒鳴らないでよ!」
妖精がガネーラの前まで飛んできて、ぶつぶつ文句を垂らす。
「この娘がこうなっているのはお前さんの仕業かい?」
「うん!そう!おいらだよ!というか、おいらの姿が見えるんだね!あんた何者?」
「ガネーラだよ。」
「あぁ!ガネーラか!成程!」
悪びれた様子も無く、くるくると楽しそうに、妖精が空中で踊る。
「どうしてこんな事したんだい?」
「うん?この子、綺麗だろ?おいら、欲しくなっちゃって。いっぱい変な行動をさせれば、他の人間達がいらないって捨てると思ったんだ。」
「ほぉ・・。計画は上手くいったのかい?」
「ぜ~んぜん!意外としぶといんだね、人間って。」
チラリとベッドに横たわる娘を見る。
偶に食事をしているせいか、そこまで不健康そうには見えなかった。
「お前さん、馬鹿だね。人間なんて脆弱な生き物、本気で飼えると思ってるのかい?」
くるくる踊っていた妖精の動きがピタリと止まり、その視線がガネーラへと注がれる。
「おいらを馬鹿にするな。そんなの、偶に餌をやって水浴びさせればいいだけじゃないか。」
「お馬鹿だね。そんな雑に扱えば、すぐ病気になって死んじまうよ。人間は病気に弱い生き物だからね。」
「じゃあ毎日餌をやるさ。清浄の魔法だってかけてやる。」
「まだ分からないのかい?あんたが昼寝をしてる間に、この娘はとっくに婆になって死んじまうさ。人間はあんたが思うより脆弱で儚い生き物なんだよ。」
まぁ、妖精がくれる食べ物を食べ続ければ、自然とその人間の老いは遅くなり、寿命も長くなるのだが、ガネーラは、そんな事を教えるつもりは無かった。
「えぇ!じゃあおいら、どうすればいいのさ!?」
「そんなに綺麗な娘が欲しいなら、エルフの里にでも行って探せばいい。奴らは魔力も高く強靭で、寿命も長い。人間なんかより、遥かに飼いやすいさ。」
「そっか!じゃあおいらそうする!」
エルフの里では、エルフを護る守護の妖精が沢山いる。
おそらくそんな企みは通用しないだろうよ、と思いながらガネーラはフンと鼻を鳴らした。
早速エルフの里に向かおうとしていた妖精が、こちらを振返る。
「ねぇ。ガネーラって、『不死の王』から世界を護ったガネーラ?」
「そりゃガネーラ違いだ。」
「そっか!」
今度こそ向かおうとする妖精に、今度はガネーラが声をかけた。
「お待ち。アドバイスしてやったんだ。対価を寄越しな。」
いい加減な情報を教えといて、なんともがめつい婆である。
「えぇ~!じゃあ、はい。これをあげるよ!」
「ふん。世界樹の葉かい。まぁまぁだね。」
「じゃあ!バイバイ!」
忽然と妖精は姿を消した。
これ以上、ガネーラにたかられるのが嫌だったのだろう。
ガネーラは妖精を見送った後、眠る娘の側に近付き、杖を掲げた。
「目覚めよ。」
娘を淡い光が包み込む。
ガネーラは娘の様子を確認すると、杖で扉の鍵を開けた。
「入って来な!」
雪崩れ込む様にして、リカルド達が入って来る。今度は奥方も一緒だ。
「娘は?娘は助かったのか!?」
杖で娘の方を指し、側に行けと指示を出す、
「う、うぅ・・。お、お父様?お母様?私は・・いったい?」
「おぉ!アレーナ!!意識が戻ったのか!」
「アレーナ!私がわかるのね!?」
娘に抱き付く二人を見て、ガネーラはやれやれと溜息を吐き、二人の背中に向け「それじゃあ、約束通り温泉は頂いてくよ。」と言った。
「おぉ!ガネーラ殿!貴殿には本当に感謝する!是非、我が家で・・。」
リベルトがガネーラの方を振り返ると、そこにはもう老婆の姿は無かった。
屋敷の中を隈なく探させたが、どこにもその姿は見当たらない。
おそらく帰ったのだろう。礼ぐらいさせて欲しかった。と、リベルトは溜息を吐いた。
見返りに温泉に貸切で入りたいと言っていたし、近い内にまた街へやって来るだろうと安直に考えていたのだが、その期待はその日の内に裏切られる。
「リベルト様!温泉が消えております!」
娘の目覚めを祝い、祝宴を開いていると、家宰が慌てて飛び込んできた。
家宰と共に確認しに行くと、温泉のあった建物が、まるで最初から何も無かったかの様に消えていた。
温泉が何処に消えたかと言うと・・
「あぁ・・トマス。良い湯だねぇ・・。」
ガネーラとトマスに堪能されてたのは、言うまでも無い。