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ラピスラズリ  作者: 闇夜のカラス
1/2

黒と蒼

少年は欠伸をした。顔の向きは変えず、目だけでこちらを見ると言った。

「…オッサン、あのさあ、腹減ってきたんだけど」

(くろ)はパレットと絵筆をサイドテーブルに置くと、眼鏡を外して目の上を少し揉み、首を回した。

「そうだな。今日はここまでにするか」

少年は腰掛けていた椅子から立ち上がって伸びをし、床に脱ぎ捨てられた衣服まで歩いていくと身につけ始めた。

黒は作業着にしている薄汚れた割烹着を脱いで座っていた椅子にかけると、台所に向かった。

(あお)、手伝え」

「え〜」

黒はボウルに人参を洗って放り込み、包丁と一緒に渡した。

「皮むき」

蒼は面倒臭そうに受け取ると、不器用に野菜を剥き始めた。

黒は炊飯器をセットし、汁物を作り、蒼から人参を受け取るとピーマンを手早く切って一緒に炒め、皿に盛る。冷蔵庫からアジを取り出し、フライにする準備を始める。

アジフライを揚げている間、蒼はTVをつけ、夕方のニュースをぼんやり眺める。

ご飯とアジフライを食卓に運ぶと、蒼は真っ先に揚げたてのフライを頬張る。黒は汁物を啜ると

「野菜は残すなよ」

と言う。蒼はしかめっ面をしながら、フライの横に盛られた野菜を口に運んだ。こうして二人で毎日、一緒に夕飯をとるようになってから二ヶ月が経つ。


未成年をヌードモデルにしていることについて、親の同意が必要だと言っても、蒼は『必要ない』の一点張りだった。

「いーんだよ。ネグレクトだから、ウチ。ここ半年位、親に会ってない」

黒は敢えて突っ込んで聞くことをしなかった。こういう関係がいつまで続くか分からないが、彼が来る限りはなるべく拒まず、夕飯を共にしようと思っていた。

蒼をモデルにして絵を描き始めてから、今回の絵で三枚目になる。


黒は業界ではある程度名の知れた画家だったが、作品だけで食べていける程ではない。昼間は美大の非常勤講師として学生を指導し、その合間に個展を開き、画商に作品を売り込み、夕方から夜にかけて作品を描く。

ある時、大学からの帰り、川沿いの道のベンチの上で座って川面を眺めている少年に気付いた。

一度気付くと、今度は彼の事が気になり始めた。気がつけば毎日、帰り道に彼の姿を探した。三週間後、黒は河原を降りてゆき、少年に話しかけてみた。怪しまれるのを承知の上で、モデルになってくれないか、と頼んでみた。

少年はアッサリと頷いた。初めて会った大人の男に警戒もせず、自宅にまでついて行き、制服を着たままモデルを務めた。黒は寧ろ、少年の危機感の無さに驚いた。モデルとしての一日目、バイト代として五千円渡すと、少年は驚いた顔をして言った。

「まだ何もやってないけど、貰っちゃっていいの?」

少年は、男が自分の身体目当てに声をかけて来たと思っていたようだった。

「俺みたいな怪しいガキに声をかけてくる大人なんて、そんな奴しか居ないって思ってた」

そう言って笑った。黒は驚愕した。彼の周りには、そんな大人しか居なかったのか?…そして振り返って思った。自分も目的の為に彼を利用している事に変わりない。目的が違うというのは言い訳に過ぎないと。


「オッサンは、俺とヤリたくないの?」

二日目が終わった時、蒼は聞いてきた。

「ガキとヤる趣味はない。つうか、犯罪だ」

黒は呆れ半分で答えた。

「何度か経験あるけどなあ。俺さ、女はダメみたいなんだよね。だからまあ…趣味と実益を兼ねて丁度いいっていうか」

「今まで無事だったのが奇跡だと思え。悪意のある大人は悪魔みたいなもんだ。お前は無防備過ぎる」

「別に…将来とかどうでも良いし」

「お前に酷い目に遭って欲しくない」

蒼は黙り込んだ。

黒はそれ以上、その事に言及しなかった。


蒼を目の前にして絵と向き合うと、いつも深いラピスラズリの光が辺りに溢れた。こんな事は初めてだ。

夢中でそのイメージを追って絵筆を走らせていると、いつもあっという間に時間が過ぎた。本当は一晩中描いていたかったが、未成年相手にそうもいかない。

蒼が帰ってからもイメージを思い出しては手を入れ、ようやく一枚目が完成した時、蒼はそれを長い事眺めてから言った。

「俺ってこんな?…何か…俺じゃないみたい」

「俺のフィルターを通して見ると、お前はこう見える」

蒼は黒をシゲシゲと見て言った。

「オッサン、本当に画家だったんだね」

「今まで何だと思ってたんだ?」

蒼は笑った。笑うと歳より幼く見え、黒はそれを見ると、上手く説明できない気持ちが湧き起こる。……胸が締め付けられるような感じ。

この感じは、俺に必要だ。


秋が深まり、部屋に差し込む光線の色が、黄金の色を帯びる。その光の中で、蒼は視線を窓に向けたまま、黒に尋ねた。

「一度訊こうと思ってたんだけど、何で俺なの?…モデルってさ、もっと綺麗な人がやるもんじゃない、フツー」

「お前は綺麗だよ」

黒は表情を変えず、手元を忙しく動かしながら答える。蒼は視線を黒に向ける。

「オッサンのフィルターを通して見ると?」

「そう」

「俺の他に綺麗だって思う人、今まで居た?」

黒は一瞬手を止め、少し考えた。

「人を一目見て綺麗だと思ったのはお前が初めてかもしれない」

「………」

蒼は口を閉じて窓を見た。複雑な表情をしていた。微笑んでいるような、今にも泣きそうなような。

日が陰り室内が幾らか暗くなった。黒はそれを機に席から立ち上がり、腰を伸ばす。

「蒼、今日は終わろう。さてメシは何にするかな…」

蒼は黒の後を追うように歩み寄ると、全裸のまま背中から抱きついた。黒はギクリ、と動きを止めた。

「俺が、二十歳過ぎてたら、オッサンは俺の事抱いてくれた?」

黒は蒼の手を解こうとしたが、蒼はますます腕に力を込めた。

「…蒼、離せ」

「答えてよ」

「分からない。…お前だけじゃなく、俺は、誰の事も、欲しいと思った事がない。…人でないものの方が綺麗だと感じるんだ。だから…」

蒼は腕を緩めると、黒の前に周り、再度抱きついた。

「誰の事も好きだと思ったことが無いんだ。俺も、アンタと会うまでそうだったよ。でも、今は。…アンタが好きなんだ」

蒼の目は必死だ。黒の目を真っ直ぐ射抜くように見る。黒は苦しげに顔を歪ませる。

「俺は応えられない。年齢の事だけじゃなく。……すまない。蒼」

蒼は暫く黒の顔を見つめていたが、やがて項垂れて身を離した。衣服の所に行くとゆっくり身に付ける。

「…帰るよ」

蒼は荷物を持つと玄関に向かった。黒は何か言おうとしたが、言葉が出てこない。

「黒、さん」

玄関前で振り返ると蒼は黒に呼びかけた。黒はハッとした。蒼の声に中に、今までに無い力強さがあった。

「俺は、アンタと会ったこと、運命だと思ってる。…運命なら、黒は、俺の事、見つけてくれる筈なんだ!絶対に!」

蒼の顔は、今まで見たどの瞬間よりも確信に満ちていた。黒は目を見開き、胸の前で手を握り締めた。ラピスラズリの光の烈しさ、なんて美しい。俺は今まで何を見ていたのか。


蒼は玄関から出ていった。

黒はカンバスに近づくと絵筆を手に取り、再び描き始める。

俺には出来る。彼の烈しい光と熱を、その魂を、あの瞬間を全てこの手で描き留めてみせる。

乾ききった人間がようやく見つけた水を貪るように、黒は絵筆を動かし続けた。頬に涙が伝い、床に落ちた。

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