ちょっとやり過ぎたみたいです。
目が覚めたら病院のベッドの中でした。母様が疲れた顔で椅子に腰かけ、うとうとしています。窓の外は真っ暗で、夜でしょうか。布団の中でもぞもぞしていたら、さりさりとシーツの音がしたのでしょう、母様がはっと飛び起きました。
「薫子っ!目が覚めたの?」
母様、と言おうとしたけど、喉がカラカラで声になりません。気付いた母様が、ストローに刺したコップを近づけてくれて、口を湿すと少しだけ口が動くようになりました。けれど、何だが唇が思うように動かせません。
「無理しなくて良いの。まだ麻酔が効いているから」
そうか、歯医者さんで治療した後みたいな感覚ですね。でも、母様、お仕事は?口パクで尋ねると、理解されたのか、綺麗な顔がくしゃりと歪んで、いつもメイクでピシッとしている睫の長い目からぽろぽろと涙が零れました。
「ごめんなさい。薫子さんが辛い目にあっていたのに、母様、全然気づかなくて」
ええっ、何のことだろうと思いましたが、多分、京香様達にイジメられていたことだと思い当たりました。だって、多分、口の中を切って、結果、病院にいるのだから。でも、母様のせいではないです。私がちゃんと拒否できなかったからです。
ぶんぶんと拒否するように首を振って、それから口パクで、母様大好きって言ってみました。そしたら、余計に泣いてしまって、どうしようって布団の中でおろおろしていたら父様が来て、母様を連れて行ってくれました。良かったぁ。
「詳しいことは明日にしよう。今夜はもう遅いから寝なさい。いいね?」
こくんと頷いたら、お休みって言われて、おでこにちゅうされました。うわ、赤ちゃんの時以来かも。赤ちゃんじゃないのに恥ずかしいよぉ。真っ赤になっていたら、ぽんぽんって頭を撫でられて、それから病室を出て行かれました。
森とした病室で、昼間のことを思い返してみます。私が血を吐いた理由は、ガラスの破片を噛んで口の中を切ったから。けれど、それは京香様がドリアに入れたのではなく、私が事前に口に入れていた物。みんなの前で、とりわけ有哉兄様の目の前で血を吐いたら大騒ぎになって、言い逃れが出来ないと思ったから。
事の始まりは、学園に入学した時。6歳違いの有哉兄様は、私の入学と入れ違いに中等部へ入学しました。寂しかったけれど、頭が良くて、スポーツでも何でも出来て、生徒会でも活躍する兄様は、学校中の憧れの存在だったから誇らしくもありました。
同じ年の子たちは、兄様を直接見てないからそれほどでもないけれど、上級生は何とかして兄様に近づけないかと考えて、それで、入学してきた妹に目を付けたようです。
最初は、京香様、ううん、もう呼び捨てで良いですね。国東京香の姉、国東静乃の呼び出しでした。静乃は、京香より2学年上で兄様より1学年下。突然の6年生からの呼び出しで驚いたけれど、何も知らなかった私は、疑うこともなくのこのこ着いて行って、本当にバカでした。
その日は、上級生しか使えないサロンに連れていかれて、美味しいお菓子やお茶をごちそうになって、お友達になって欲しいと言われました。静乃は、日本人形みたいにとっても綺麗で、初めて言われたお友達と言う言葉に、つい頷いてしまいました。今なら絶対に逃げ出していますけどね。
2ヶ月くらいは、みんなからちやほやされて、クラスメイト達からは羨望の眼差しで見られて有頂天になっていましたが、突然、お願い事をされました。
「有哉様に紹介して貰えないかしら」だって。
なぁんだ、って思って、夢から覚めました。やっぱり、みんな兄様たちが目当てのようです。同時に、意味が分かりませんでした。私が兄様に紹介したところで何の意味もないですよね。年の離れた妹の友達、つまり妹レベルの子を好きになると思うでしょうか?むしろ、妹を利用して近づいたことがバレたら激怒するに違いありません。
誰にとっても良いことなどない申し出でしたから、きっぱりと断って、もう会わないと言いました。そしたら思いっきり突き飛ばされて、気が付いたら周りを取り囲まれて、口々に悪口を言われました。何時間も。
「髙良家のみそっかす」「取り換えっこ」「愚図」「有哉様のお荷物」
元々、家庭でも独りぼっちで、マイナス思考だった私には、どれもこれも本当のことに思えて、解放された時にはすっかり弱気になってしまいました。それから、彼女たちの言いなりになる日々が始まったのです。
「いいこと?今日あったことは誰にも言ってはダメよ?政治家であるお父様に言いつければ、あなた達の家なんて直ぐに潰れてしまうのよ。あなたもこれ以上ご家族の足を引っ張りたくないでしょう?だったら、ご家族のために頑張らなくてはね」
人形みたいな綺麗な顔で、優しい声で、甘い毒を注がれて、それが私を動けなくさせました。だって、大好きな兄様たちに迷惑をかけたくなくて、私だけが我慢すれば良いと思いましたから。
それから1年後、静乃は突然、学校を辞めて海外へ留学して、これでもうイジメが終わるのかなと思いましたが、今度は妹の京香がイジメてくるようになりました。静乃は、主に言葉の暴力でじわじわイジメるタイプでしたが、京香は服の上から叩いたり、砂入りの食事を食べさせたり、そういうイジメが多かったです。証拠が残らないのは同じですが、ダメージが大きかったのは京香の方かもしれません。
『そう?静乃の方が質悪いわよ?心の底から逆らえないよう洗脳してるんだもの。そもそも、京香のイジメの方がダメージが大きいって考えるところで成功してるわよね』
う~ん、咲良ちゃんの話はよく分からないけど、でも国東姉妹が嘘をついていることだけは分かりました。
大人で世間を知っている咲良ちゃんの記憶を見ると、国東姉妹の父親は単なる地方議員でした。彼女の家の周辺では誰も逆らえないけれど、国政、ましてや世界への影響力など皆無でした。一方、私は知らなかったけれど、父様は髙良グループのトップで世界中の企業と取引があります。父様の発言で政界の中心が揺らぐことすらあるようです。
会社や政治のお話は難しくて、あまり良く分かりませんでしたが、咲良ちゃんも、何度も髙良グループのCMを引き受けていて、凄い会社だって褒めてくれました。母様とも経済誌で対談したことがあるそうです。スゴいっ!
話が逸れましたが、つまり、国東姉妹の父親が父様や兄様たちに何かしようとしても出来ないということです。私も言われたことを鵜呑みにしないで、もっと早く調べるべきでした。反省です。
『でね、一石三鳥のナイスアイデアがあるんだけど?』
咲良ちゃんのアイデアは、私がワザと兄様の前で口の中を切って、イジメを大っぴらにするという案でした。ちょっと切るだけで結構、血が出るし、痕も残らないので、咲良ちゃんもやったことがあるそうです。ライバルの子役の人たちに。
まあ、その時は血のりを口に含んでいたそうですが、血のりだとただの悪戯になってしまうので、本当に怪我をしようってことになり、美登利さんがいない時に、こっそり割ったコップの破片を持ち込んでいました。
咲良ちゃんは簡単だよって言っていたけれど、実際にやってみると加減が分からなくて、思ったより深く切ってしまったようです。咲良ちゃんにやり過ぎだって怒られてしまいました。でも、それからイジメがなくなっただけではなく、色々なことが良くなって、咲良ちゃんの言う通り一石三鳥になりました。ほんと、咲良ちゃんってスゴいよねっ!!