世界が変わって見えました。
次の日、通い慣れた学校へと向かいます。幼稚舎から通っている春華学園の初等部です。兄様たちは同じ学園の高等部と中等部で、生徒会と部活があるので既に登校しています。私は、特に急ぐ必要もないので、毎朝、美登利さんに起こされて、ご飯を食べて、運転手の宮原さんに車で送って貰います。
春華学園は、お金持ちの通う学校なので車登校が基本です。校門のところにロータリーが出来ていて、順番に降りるのですが、朝は渋滞で車が長蛇の列を作っています。私は待っているのが嫌いなのでロータリーが見えた所で降ろして貰い、歩いて校舎へ向かいます。
「薫子様、いってらっしゃいませ」
「ありがとうございます、宮原さん。今日もいつも通りにお願いします」
ぺこりと頭を下げて校舎へ向かいます。いくつもの車の中から奇異な目を向けられますが、いつものことだし、気になりません。中には校舎へ入るまでボディガードをつけている子たちもいるけれど、そもそも学校は常に人目があるから大丈夫なのになぁと思います。
(薫子、油断はダメよ)
と、その時、咲良ちゃんから注意されました。そうだよね、咲良ちゃんだって人目のあるスタジオだったもの。う~ん、でも、私をどうこうしようって思う人なんていないから、やっぱり大丈夫!
頭の中だけだけど、友達と話しているみたいで、歩くたびにランドセルがカタカタ鳴るのも面白くて、なんだか楽しい気分で校門へ着きました。
「おはよう、おはよう」
「竹田先生、おはようございます」
普段はしないけれど、先生の前で足を止め、ぺこりと頭を下げてご挨拶。えへ、咲良ちゃんの真似をしてみました。咲良ちゃんね、とっても挨拶が上手なの。綺麗な声で挨拶すると、皆が振り返っていました。私の声は咲良ちゃんほど綺麗じゃないけど、頑張って大きな声を出してみました。
顔を上げるとビックリしている竹田先生がいました。あれ、大きすぎたかな?って心配になっていたら、竹田先生がにこっと笑って下さいました。
「おはよう、髙良。今のは良い挨拶だったぞ」
「あっ、ありがとうございますっ」
「昨日は、休みだったな。もう体調は良いのか?」
「はい。ご心配をおかけしました。もう大丈夫です」
担任だから当然だけど、声をかけられたのが嬉しくて思わずにへらって笑ったら、先生が頭をぐりぐり撫でてくれました。わぁ、頭まで撫でて下さったのも初めてかも!嬉しくて、にこにこしながら教室まで行きました。本当はスキップしたかったけど、もう3年生なので恥ずかしいから我慢です。
「おはようございますっ!」
教室に入る時にもぺこりとお辞儀をしてみました。けれど、笑ってくれた竹田先生と違って、教室はシーンと静まり返っています。ちょっと悲しいけれど、でも、大丈夫。咲良ちゃんだったら全然へっちゃらで、にこにこしながら自分の椅子に座っていたもの。
私もニコニコしながら自分の席に向かいました。ランドセルから教科書とノートを出して机にしまって、ランドセルは後ろの棚に置きます。それから、自分の席に座って読みかけの本を読みました。クラスメイト達がざわざわしているけど気にしません。
今までは寂しかったけど、今日は平気。同じ経験をしてきた咲良ちゃんがいるから。
(その調子!)
励ましの言葉が届いて、思わず笑ってしまいました。ざわざわしていたクラスメイト達が、今度はギョッとしています。冷静になってみると面白いかも。ふふ。
「こらー、予鈴は鳴ったぞ!席に着けー!」
さっき校門のところで立っていた竹田先生が、入ってきました。竹田先生は私のクラスの担任で、まだ若い先生。ツヤツヤの黒い髪を七三にして銀縁眼鏡をかけています。長い人差し指で、きゅっと眼鏡を押し上げる仕草がカッコよくて、女の子たちがキャアーって騒いでいます。
気持ちは分かるけど、授業中だから静かにしなきゃいけないのに。竹田先生が困ってる姿を見て、こっそりため息を吐くと、どうしてか竹田先生と目が合って苦笑いされた。直ぐに視線が逸れたから、見間違いかもしれないけれど。
それから、いつものようにHRがあって、授業があって、それから、私の大嫌いなお昼休みが来てしまいました。はあ、憂鬱。ため息を吐いた時、クラスの男子が私を呼びに来ました。
「髙良さん、いつもの人が来てるよ」
同時に、頭の中に咲良ちゃんが血を吐くシーンが浮かんで、びくって肩が震えて、じわって涙が浮かんできました。それは一瞬だったから涙があふれることはなかったけれど、涙を引っ込めるべく、目をぱちぱちして、それから呼びに来た男子に顔を向けました。
「九鬼君、ありがとう」
「えっ、い、いや、どういたしまして?」
いつもはキリっとしてカッコいい九鬼君が、突然、きょどって疑問形の答えに、緊張がほぐれてクスって笑いが零れた。あれ、九鬼君。顔が赤いけど熱があるのかな?まあ、良いけど。呼ばれたからには直ぐに行かなきゃね。
私は走らず、でも出来るだけ早歩きで、私を呼びに来た人の元へ急ぎます。そこには、隣のクラスの澄田さんが立っていました。
「呼んだら直ぐに来なよ。いつまでたっても愚図なんだから」
「申し訳ありません」
誰にも聞こえないよう小さな声で罵られて、いつものように肩が震える。
(大丈夫!私がついてるじゃん!)
うん、咲良ちゃんの声が聞こえて、ふうって体の力が抜けました。
そのままさっさと歩きだした澄田さんの後を着いていきます。行先は、食堂。ここは、初等部と中等部の生徒たちが利用できる食堂です。成長途中の子どもたちに合わせて栄養面やアレルギーが考慮されたメニュー。
高等部と大学部には別の食堂があって、そちらはエスニックとかスパイシーな味付けとかもあって、大人向けのメニューになっているそうです。行ったことがないけれど、以前、一番上の兄様が面白そうに話していらっしゃいました。
因みに幼稚舎には食堂がなくて、お弁当持参です。好き嫌いとかアレルギーとか、食べる量とかも年長組と年少組で違うからという理由のようです。私も勿論、甘い出汁巻き玉子の入った美登利さん特性のお弁当を食べていました。思い出しても美味しくて、じわっと唾が出てきてしまいます。うふ。
食堂に入ると、そのまま券売機を通り過ぎます。そして、真ん中に設けられた2階へ続く階段付近の、テーブルに座っている女子たちの元へ連れていかれます。澄田さんと合わせて全部で6人。6年生が3人と5年生が1人。あと、同じ3年生の女子も澄田さんと河野さんの2人がいます。
今までだったら彼女たちの姿を見ただけで怖くて震えていたけれど、今は何にも感じないで立っていられます。これも咲良ちゃんのおかげだね。
「薫子、遅いわよ。早くこちらに座りなさい」
言われるまま、リーダー格の国東京香様の隣に座ります。京香様は、ぎゅっと抱き付いてきますが、正直、すごく痛いです。私が小柄なのもありますが、京香様も態と痛くなるように抱き付いて来るのです。
「痛がって可愛い。さあ、ご飯を食べましょ!」
口の端がニイッて上がって、魔女みたいな顔になります。これは京香様が喜んでいる時の顔。そして、私の為に用意された食事には砂とか石とか唐辛子とか、兎に角、色々なものが混じっています。いつもは、怖くて拒否できなくて、一口二口、我慢して食べるのだけれど、咲良ちゃんと相談して今日で最後にするって決めました。
目の端に直ぐ上の兄様が食堂に入ってくる姿を見つけ、えいって砂入りドリアを口にしました。ザリという音と共に、口いっぱいに、ぬるっとした金属のような味がどんどん、どんどん広がっていきます。とうとう我慢できなくて、かはっと口を開けるとボタボタッと液体が噴き出て、白いテーブルクロスが真っ赤に染まっていきます。
「きゃあああああーっ!」
「いやああああっ!」
同じテーブルについていた女子たちが悲鳴を上げて、テーブルから離れます。近くにいた生徒たちも、突然のことにきゃあきゃあ声があがって、食堂はパニック状態。けれど、私の隣にいた京香様だけは、事の成り行きに呆然と立ち尽くしています。
「薫子っ!」
直ぐ上の、有哉兄様が慌てた形相で駆け寄ってきます。
「な、なお、にぃ、げえッ」
口を開きかけた途端、またもやボタボタと血が零れて言葉になりません。あれ、ちょっとヤバい?なんだか頭がくらくらしてきました。
(馬鹿ッ!やりすぎ~!)
咲良ちゃんの言葉を最後に、意識が遠のいていきます。ごめんね、咲良ちゃんの体でもあるのに。