前世は国民的人気女優(笑)でした。
目が覚めると、自分のベッドでした。見覚えのある天蓋付きのベッドから目を逸らして、いつもの習慣でベッド脇にあるサイドテーブルに置いてあるスマホを手にとって、母様から届いているラインのメッセージを読みます。
『おはよう、薫子さん。起きたらラインしてね』
指がくるくるとキッズスマホを操作すると、ワンコールで母様が出ました。
「体調はどう?夕べ、倒れた後は特に熱もなく、普通だったのだけれど、具合が悪いところはない?」
「はい、母様。もう大丈夫です。ご心配をおかけしました」
「そう。良かったわ。でも、大事を取って今日は休みなさい。田部にも伝えてあるから。じゃあ」
いつもの、そっけない朝のやり取り。以前は、拗ねて沈黙していたけれど。
「あのっ!」
「……どうしたの?」
「かっ、母様も無理しないで下さい。お仕事」
勢い込んで言ったものの、沈黙が痛いです。母様、何か言ってぇ!
「……ありがとう、薫子。今日はゆっくりベッドに入っているのよ。本を読んではダメよ」
「うっ……はい、分かりました」
「良い子にしていたらお土産を買ってあげるわ。じゃあね、ちゃんと休むのよ!」
電話の向こうで、母様を呼ぶ声がして、母様は早口でお別れの挨拶をすると通話を切りました。私は、そのままぱたんとベッドに倒れ込みました。
「はふ。母様、お土産だって。ふふ」
嬉しくて、ついベッドの上で足をばたつかせてみます。なんだか小さな子供みたいだけど、今はそれが、ただただ嬉しい。
「まあ、薫子様!ベッドの中で大人しくしていらっしゃらないと良くなりませんよ!」
音もなく入ってきた我が家の女中頭、美登利さんの呆れた声が響き渡って、うわ、びっくりしましたっ!ぴゃっと起き上がって、ばさっと布団を被ります。
じっとして眠っているアピールをすると、ころころと美登利さんが鈴の音を鳴らすように笑いました。もう怒ってないですか?そろりと布団の端っこから美登利さんを見ると、サイドテーブルにご飯のお膳を置いているところでした。
「起きたのであれば、ご飯を召し上がりますか?」
怒ってない、優しい声に誘われて、こくりと頷いて起き上がります。すると、布団の上に足のついたお膳を乗せてくれました。これはベッドで食べる用のお膳だから大きいのです。ちょっと零れてもお膳の上だから大丈夫。
さて、小さな土鍋の蓋を取ると、私の大好きな卵雑炊の優しい匂いがふわっと広がります。あと、ちょっと甘めの出汁巻き玉子。父様も母様も兄様たちも、みんな甘くない玉子焼きが好きだから、普段は甘くない玉子焼き。でも、ご飯前にお腹が空いた時とか、私だけしかいない時は必ず甘い出汁巻き玉子を作ってくれるのが美登利さんなのです。
美登利さんは、お掃除とかお料理とか全般を取り仕切る女中頭さんで、60歳ぐらいだった気がします。あれ、もっと若かったかも?う~ん、よく覚えていないけれど、執事の田部さんと同じく、私が生まれる前から髙良家にいる人。いつも和服で白い割烹着を着て、キリっとした顔で、何人もいる女中さんたちにテキパキ指示を出してカッコいいのです。
「ごちそうさまでした」
「はい、お粗末様です。綺麗に召し上がられましたね」
「もう大丈夫です。夕べは、少し驚いただけだから」
私が驚いた内容、多分、菖蒲咲良がストーカーに殺害された話を思い出したのでしょう。子供に刺激的な番組を見せるなんて!と美登利さんの綺麗な眉がぎゅっと顰められました。本当は、ちょっと違うけれど。
「何にしても元気になられたようで何よりです。けれど、学校はお休みにしましたから、今日一日はベッドで大人しくしていて下さいね。本など読まずに」
「はい、母様にも言われました。大人しくしていたらお土産を買ってきて下さるそうです」
堪えきれず、ふふっと笑いながら言うと、美登利さんが目を丸くしています。理由は分かっていますから、もう一度「大丈夫です」と言って布団に潜り込みました。母様は忙しい人だから、お土産を忘れても良いのです。本当の所、期待はしていません。
でも、気にかけてくれたことが嬉しいのです。だって、連絡事項以外の言葉をかけられたのは、久しぶりだから。だから、良いのです。
「では、少しお休みください。またお昼頃、様子を見に伺いますから」
「ありがとうございます……おやすみなさい」
ちっとも眠くはなかったけれど、布団の中で昨夜のことを整理してみます。
菖蒲咲良という女優さんのテレビを見ていた時、テレビに映っていない映像や声が、ぱぱぱぱって早送りしたみたいにいっぱい浮かんできました。特に、殺された時の……うう、思い出そうとしただけで体ががくがく震えちゃうから、ダメダメ!思い出しちゃダメ!
他にもいっぱい、思い出そうとすると体が震えちゃったり、かあっと熱くなったりする記憶があって、思い出したらダメなヤツ!と記憶の底にぎゅうぎゅう押し込めてみました。うん、もう大丈夫です。
残念ですが、大人の記憶は、私の知っている知識では理解できないことも多いみたいです。ふう。
でも、私と同じ9歳の時の記憶を引っ張り出すと、彼女がカッコいい子だって分かりました。だって、大人たちと一緒に堂々とお芝居をしているのです。泣いたり、笑ったり、怒ったり、くるくると変わる愛らしい表情に、みんなが、ほうって見惚れてますし、私も次に彼女が何をするのかワクワクしてます!
母様がファンだって言ってたのが良く分かります。私もファンになりました。咲良ちゃんって呼んでも良いかな?心の中だけだから大丈夫ですよね?
(もちろん!)
何となく、良いよって言われた気がして、これからは私の中の記憶を咲良ちゃんと呼ぶことにしました。えへへ、初めてのお友達です。
「咲良ちゃんって、どうして私の中にいるの?」
(私が薫子の前世だから、かなぁ?)
前世って何でしょうか?スマホを操作して、辞書機能で検索してみます。
【前世】この世に生まれ出る以前の生
つまり、咲良ちゃんが死んで、私として生まれたってことみたいです。咲良ちゃんはカッコ良くて、みんなから好かれてて、みそっかすの私と全然違うけど良いのですか?
(私が望んだの。普通の女の子になりたいって)
そうか。咲良ちゃん、大変だったのですね。いつも仕事で、ファンやマスコミに囲まれてノンビリする暇もなくて。
「だから、普通に生れたかったんだね。普通の顔、普通の人生、普通の家庭を作って、沢山の子どもや孫、優しい旦那様に看取られて死にたい、って望んだのですね」
スマホのカメラ機能で自分を映してみました。いつも見ている、どこにでもいるありふれた普通の顔。目がちょっと垂れてて、離れているのが子供っぽい。唇はたらこ唇?っぽくて、映像で見た咲良ちゃんの、すっと鼻筋の通った大人びた顔と全然違います。
因みに、他の家族にもあまり似ていません。亡くなった父様のお祖母様に似ているそうです。
父様は、有名な会社の社長さんで、すらりと背が高くて、顔もキリっとしてカッコいい。母様は元CAの経験を活かして幾つものマナー教室を経営していてる実業家。勿論、とっても美人なの。兄様たちも、両親同様、完璧な美貌と非凡な頭脳の持ち主。
つまり、髙良家では私だけが『みそっかす』ですが、特に捻くれることもなく、ひたすら才能ある家族を尊敬しています。そう考えて、そうか!と思いました。咲良ちゃんが、平凡を望んだのだから捻くれることもないですよね。
取り敢えず、願い事の1つは叶ったので、残りは、沢山の子どもや孫に囲まれて大往生ですね。そのためには、まずは立派なお嫁さんにならなくてはいけません。頑張りますっ!