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ある朝 電子レンジ うずらの卵  作者: 守谷 示右
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side A

 ある朝。

 そんな表現はひどく曖昧で、小説的で、だから、ひねくれものの筆頭であるところのこの僕にとってはあまり好きな言葉ではない。

 そんな言葉で始まる物語はまず斜めから見てしまうし、よほどその後にオリジナリティー溢れる展開が待っていなければ、楽しむことは出来ないだろう。

 

 もっと、出だしの一文から心を掴まれるような、読者を現実から物語の世界へと引き込むような、そんな表現が出来るのではないか。

 ありふれた物語の始まりに出会うたびに、僕はそう思ってしまうのだ。

 

 だから、今だって僕は迷っている。

 本当に他に方法は無いのか?

 どうしても、使わなくてはいけないのか。

 

 けれども残念ながら、語彙力の弱い僕は、この言葉を使用せざるを得ない。

 この言葉以外をもって、あの始まりを表現することは出来ない。

 何故なら。


 あの日目覚めた僕には、今日が一体いつなのか、今が一体何時なのか、差し込む朝日を除いては、さっぱり判断が付かなかったからだ。


 ここはどこ?

 私は誰?

 


 



 なんてね。

 ここは僕の部屋。

 僕は僕だ。

 

 もったいぶってはみたけれど、僕の記憶が曖昧な原因はちゃんと分かっている。

 それも、あまりに下らない、どうしようもない理由。

 

 ほら、だって今僕の視線の先には、空になった缶が転がっているのだから。

 アルコールの過剰摂取。

 飲みすぎ。

 いわゆる、やけ酒。


 いやほんと、どうしようもないほどに自業自得で笑えてくる。

 頭が痛い。

 床が冷たい。

 今は一体何時なのか。

 今日は一体何曜日なのか。

 僕は一体何をやり逃して、これから何をしなくてはならないのか。

 考えると、頭が痛い。


 いつまでもそうしているわけにはいかないなんてことは分かっていたけれど、それでも、どうにも起き上がる気になれなくて、しばらくボーっと空き缶を眺めていた。

 

 しかし、空き缶ってのは何なんだろうな。

 本当、何なんだろう、あの物体。


 ああ、まずい、本格的に思考が滅茶苦茶になってきている。

 

 だがまあそれも良いだろう。

 だって僕は何もしたくないわけだし。

 何も考えたくないわけだし。

 そう、僕の悪い癖なのだ。


 僕には、考えないという事が出来ない。

 頭を空っぽにするという事が出来ない。

 

 だったら、考えないためには。

 思い出さないためには。


 どうでもいいことで、頭を埋めるしかないのだ。


 そうさ、もうしばらくは床の冷たさを感じながら。

 とりとめのない、戯言の時間といこうではないか。


 

 空き缶。

 空き缶。

 空き缶。

 空き缶ってのは一体、何なんだろう。

 

 答えは明確。

 空いた缶だ。

 何かが入った金属製の容器の、内容物が無くなったもの。

 空き缶、という場合には、この金属製の容器は目の前にあるビールの缶のような形状であることが多く、また内容物は液体であることが多い。

 しかしこの形状は――、何だろう、思えば不思議な形をしている。

 

 いや、勿論これは、偉大なる先人共の試行錯誤、努力の末に辿り着いたものであり、僕のような何もできない若輩者が口出しするようなものでないことは分かっている。

 実際、便利だしね。

 だから、さっきも言ったようにこれから僕がぼやくのはただの戯言なのだけれど、この容器ほど、使い捨てられることを前提として作られているものは無いような気がするのだ。


 開け口の形なんてまさにそうだ。

 気密性が高く、にもかかわらず、人間にとってだけは開けやすい。

 これはひとえにこの特殊な形状によるもので、これを考え付いた人には驚嘆するけれど、その代わりこの開け口は開けたら最後、絶対に閉じることは出来ない。

 一度、その役目を果たしたら、もう元に戻ることは無く、同じようにもう一度使うことは出来ない。

 絶対に。


 まあリサイクルは出来るし、上を切り取ればペン立てなんかにも使えるし、僕が知らないだけでいろんな使い方があるのだろうけれど。

 アルミ缶のリサイクル率は九十パーセントを超えているんだったっけ?

 でも、それにしたって、僕にはこの形状が、いかに便利に使い捨てられるかを追求したものに見えて仕方が無いのだ。


 僕は、動物にすら情の沸かない人間であるから、当然、生きてすらいないただの金属がどう加工され、どういう運命を辿るかなんて知ったことではないのだけれど。

 

 それでも。まだ、酔っているからだろうか。

 この空き缶を見ていると、どうしようもなく心が疼くのだ。

 

 嗚呼、なんてくだらない。


 感傷か?

 同情か?

 憐憫か?

 

 馬鹿馬鹿しいにも程があるだろう。

 お門違いにも程があるだろう。

 

 相手が無生物だからじゃない。

 お前だって。

 つまり僕だって。

 何一つ変わらない。

 同じじゃあないか。

 

 自分じゃあない、自分の大切な人でもない、見知らぬ誰かにとって使いやすいように教育されて。

 それをあたかも自分の意志であるかのように思い込んで。

 頑張って、頑張って、頑張って。

 役目を終えた結果は、捨てられたガラクタと何が違うというのだろう。

 目の前に転がる空き缶と、何が違うというのだろう。

 

 ましてや僕のような不良品は。

 使われることも無く、見限られて。

 リサイクルするために、つぶされるのだ。

 傷を。

 へこみを。

 個性を。

 無かったことにして、一律の規格に。

 使い捨てやすい形に。

 リサイクルされるのだ。

 

 痛い。

 痛い。

 頭が、痛い。

 

 どうしてこんなに頭が痛い?

 

 酔ったにしては局所的な、まるでどこかにぶつけたような、そんな痛みだけれど。

 ああ、そうだ、思い出した。


 僕は少し転がって仰向けになる。

 食器棚から少しせり出した、電子レンジが見えた。

 

 あれだ。

 機能が便利だからと勧められて、買ってはみたもののサイズが合わず、こうして少しせり出している。

 あれに、僕は、頭をぶつけた。

 酔った拍子に、頭をぶつけた。

 

 そんなに強くではない。

 けれど、どうしてか僕は立っていられなくて。

 無様に、滑稽に、床に転がっているのが面白くて。

 床の冷たさが気持ちよくて。

 そのまま、眠ってしまっていたのだ。

 

 ごろり、と、元の体勢まで転がる。

 おっと、少し転がりすぎてしまった。

 空き缶が、僕の手に触れた。

 ころころ、と。

 カラン、カラン、と。


 二種類の音がする。

 何故だろう?

 何か、中に入っていただろうか。

 そう思って、手を伸ばして、転がっている空き缶の一つを掴んだ。

 

 カラン。


 やっぱり中に何かが入っている。

 覗いてみようと、開け口をこちらに向ける。


 開け口は、強引に、こじ開けるように広げられていた。


 

 ああ、思い出してきたぞ。

 嫌な予感と共に空き缶を逆さにして少し振ると、カラン、カランと何度か音がした後、小さな丸いものが中から出てきた。

 僕は、カーペットの上に落ちたそれを手に取る。

 

 楕円のような形。

 褐色のまだら模様。

 どう見ても、うずらの卵だ。

 

 顔を上げて見ると、テーブルの上には無造作にはさみが置かれている。

 きっとあれで、開け口を広げたのだ。

 ぐりぐりと。

 ぐりぐりと。

 うずらの卵が中に入るまで。

 

 何故僕がうずらの卵なんてものを、しかも一個だけ、持っているのかは覚えている。 

 彼女がくれたのだ。


 あの、いつも飄々として、見透かしたようなことばかり言う、腐れ縁の幼馴染。

 僕のやけ酒に付き合ってくれた彼女は、店からの帰り、彼女の家から取ってきて、この卵を一つ、僕に渡したのだった。 

 

 正直意味が分からなかったけれど、彼女がすぐには意味が分からないことをするのはいつもの事だったし、僕も酔っていたので、何でもないやり取りと共に受け取った。

 そして、そんなことを気にもせずに、僕はこの部屋でもう一度、つぶれるまで飲み明かしたのだ。

 

 ポケットを探って、スマートフォンを確認すると、案の定、彼女からメッセージが来ていた。


「うずらの卵って、数パーセントは雛が孵化するんだよ。知ってた?」


 知ってるよ。

 うずらの飼育場には、選別漏れでオスが混ざることがある。

 だから、市販されている卵の数パーセントは有精卵なのだ。

 温度とかを調節してやれば、雛が孵化することもある。


「賢い君なら、私が何を言いたいのか分かるよね?」


 ……相変わらず、嫌な言い方をしやがる。

 分かるさ。

 一見同じ、一律のものに見えても、その殻を打ち破るものだっている。

 そういうことだろう?

 

 でもさ、それは、殻を打ち破れる人間は、最初から決まっているってことじゃないのか?

 九十パーセント以上存在する無精卵は、どれだけ頑張っても、どんなに環境が整っても、殻を破ることは出来ない。

 そういう事じゃないのか?


「温めて、温めて、それでも孵らない無精卵だったとしたら、どうするんだ?」

 僕は返信した。

 

 そんなこと聞いて、どうするんだろうな。

 まあいいさ。

 あいつが答えられないところを見られるなら、それはそれで面白い。

 

 それにしても、僕はどうして彼女のくれたうずらの卵を、無理やり空き缶の中に入れるなんて、馬鹿げたことをしたのだろう?


 酔っていたから?

 いや、酔っていたとしても、何かしら、理由があるはずだ。

 それが理由にならないような事だとしても、目的も無しに人は動かない。

 さて、何だっただろうか。

 

 考えながら、僕はごろりと、再び仰向けになって、天井を見る。

 答えが分からない時には天を仰ぐのだ。

 すると、やはり電子レンジがせり出している。


 電子レンジ。

 電子レンジ。

 卵。

 

 電子レンジ、ねえ。

 そういえば。

 電子レンジで卵をチンすると、爆発するんだったな。

 詳しい仕組みは知らないけれど、水蒸気爆発みたいなものなんだっけ?

 黄身の部分から水分が沸騰してどうのこうのとか……。


 ああ、そういうことか。

 僕は、卵を爆発させようとしたのだ。


 そんな、馬鹿馬鹿しい、滑稽な理由で、この世界から、退場することが出来たなら。

 それはきっと、愉快に違い無いだろうと。

 

 そして、そんな終わり方が出来たなら。

 何かに、一矢報いることが出来るんじゃあないかと。

 

 下らない。

 実に下らない。

 いやまあ、実際冗談だったのだと思う。


 冗談。

 ジョーク。

 悪ふざけ。


 本当に事故につながるなんて考えちゃいない。

 卵が爆発したところでそんな威力は出ないだろうし。

 だけど、悪ふざけというのは往々にして、そんな自暴自棄な願望が行き場を無くして行われるものだったりするのだ。


 それなら、卵を空き缶に入れたのは。

 手榴弾的な発想なのか、それとも、安全のための配慮だったのか。

 矛盾するようだが、おそらくそのどちらともなのだろう。

 確かに、手榴弾は爆発よりもそれによる破片の飛び散りによって殺傷能力が高まっているという話を聞いたことがあるけれども、卵の爆発で空き缶の破片が飛び散っても電子レンジの外には出ないだろうし。

 危険性を高めているようで、臆病さが発露している。

 

 もっとも、実際は空き缶なんていう金属の塊をチンしたら、卵よりも先に火が出てしまっていたのかもしれないが。

 嫌になるほど裏目に出る安全志向。

 全く、素晴らしいじゃないか。


 とはいえ、そんな馬鹿馬鹿しい悪ふざけも、結局、もっと馬鹿馬鹿しいアクシデントによって妨げられたらしい。

 つまり、準備を終えて電子レンジまで歩いて行った僕は、酔って足元がふらついて、そのまま電子レンジに頭をぶつけ、倒れたのだ。

 はあ、なんてしょうもない結末だ。

 僕らしいといえば僕らしいけれど。


 ピロン。


 メッセージが届いた。

 彼女からの返信だろうか?


 どれだけ温めても孵らない、無精卵だったらどうするのか。

 そんな腑抜けた質問に、彼女はなんて答えてくれたのだろう?




「決まってるじゃん。その時は美味しく、頂けばいいんだよ」


 ――はは。

 全くもって、その通り。

 

 頑張って、頑張って。

 でも殻を打ち破ることが出来なくて。

 道半ばで力尽きてしまったとしても。

 

 そんな終わりにも意味がある。

 そんな終わりにも味がある。

 人間ならばなおさらだ。

 

 だって、人間は卵と違って、丹念に温め続けたって、腐ったりはしないのだから。

 

 たとえ殻を打ち破れなくたって。

 努力した分だけ意味がある。

 あがいた分だけ味が出る。

 そんな風に生きていけばいい。

 そういう、ことなのだろう。


「お前は本当に腹の立つ奴だ」

 僕は返信した。

 

 やけ酒に付き合ってくれたことも含めて、今度、飯でも奢ってやるとしよう。

 もちろん、今度は酒抜きで。

 なんて考えながら、僕はゆっくりと起き上がる。

 まだギリギリ間に合うけれど、今日は休んでしまおう。

 今日は休んで、また明日から頑張ろう。

 彼女を誘う店でも探してみようか。

 いつもは行かないような、うんと良い店を。

 告白してみるのもいいかもしれない。

 一度でいいから、あいつの驚いた顔が見てみたいものだ。

 

 ピロン。


「とびきり美味しいディナーを期待しているよ」


 任せとけ。


拙い文章ではありましたが、お読みいただきありがとうございます。

感想を頂けると飛び跳ねて喜びます。

もちろん、批評・アドバイスなども大歓迎です。


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