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天体運航韻律再現譜 One of a Song of Imbolc  作者: 石田五十集(いしだ いさば)
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八日目

更新がんばりますー。

  八日目


 その日はフリョッハの方が早く目を覚ました。パキリリェッタが来てからというもの、彼女に揺さぶられるかそうでなくても物音で起こされるという事態が続いていた。

「ん……んーー……」

 寝台の上で思いきり伸びをする。他人に起こされるのと自分の意志で起きるのとでは寝起きの良さがまるで違う。

「いつも起こされてるんだから、今日くらいわたしが起こしてもいいよね。」

 些細ないたずらを思いついたフリョッハは幼さの残る褐色の肢体をくねらせて脇を見やった。身体を丸くして寝込むパキリリェッタはまたしても眼状紋を見せつけるかのように背中を向けていた。

「ね、リエッタ。朝……」

 透き通るような白い肩に触れようと手を伸ばした瞬間、彼女はぴたりと動きを止めた。芋虫独特の軟らかい甲殻は透き通るように、ではなく現に透き通っており、透明な血管が細部に至るまでくっきりと見えた。

「リエッタ、どうしたの?だいじょうぶ?」

 声にならない呻き声を上げる蚕の精の顔は苦痛に歪んでいた。脇腹から下腹部に並ぶ八対の気門がせわしなく膨張と収縮を繰り返す。かなり呼吸が荒い。

「そ、そうだこういうときは父さん……」

 すぐさま隣の寝室に父を呼びに行く。その後は、フリョッハの出る幕はなかった。力のある男達四人がかりで担架に乗せられたパキリリェッタを丁重に最上階まで送り届けると丁度起きていたピォルモが対応した。

 小胞に入れられたパキリリェッタを見たフリョッハが張り詰めた緊張を溜め息にして吐き出す。それは彼女が無事だったことへの安堵と自分の不甲斐なさに向けられてもいた。小胞で眠る彼女の息は徐々に荒くなっているようだった。

「パキリリェッタさん、かなり早かったようですね。ぼくも朝伺おうと思ってたんですけど、間に合わなくて……すみません。」

「そんな、ピォルモはなにもわるくないよ。わたしがなにも知らなかったから……」

 年下に謝られて目を丸くしたフリョッハは慌てて自分を責めた。気まずい沈黙が二人の間を流れる。

 ピォルモの肩に小さな指がつんつんと当たる。彼の世話する蚕の精達だ。

「この子どうしたの?枯れちゃうの?」

 その言葉はフリョッハをどきりとさせたが、言った本人はあっけらかんとしている。しがどんなものか、はっきりと分かってはいないのだろう。

「まさか……!パキリリェッタさんは脱皮の準備に入っただけですよ。」

「だっぴ?」

「ああ、そっか。ほんとうはみなさんも生まれて三日目に一度してるんですけど、覚えてないのも無理ないですよね。」

「それってぼくたちもするの?」

「もちろん。蚕の精は全員、今日か明日には必ず。」

「ふーん。」

 興味ありげに尋ねていた割には納得していないような、実感を伴わない気のない返事を残してどこかに行ってしまった。同じ蚕の精でこうも違うのだろうか?もっとも、彼らは美しい白い髪――文字通り絹のような細い髪を丁寧にブラッシングされており、つやつやしていてとても上品だ。

(きっとあの子たち、身だしなみを整えるのも嫌がらずにさせてくれるんだろうな……)

 タンポポの綿毛スタイルを堅持するパキリリェッタとは正反対と言える。

 パキリリェッタは相変わらず苦しそうではあるが容態は幾分安定しているようだった。先ほどまで半透明だった身体が今や使い古しの衣のように艶が失せて脱げ始めている。

(……よし、決めた。)

「ねえ、ピォルモ。」

 年下の先輩の姿は既になく、周囲にはいつの間にか大勢の世話係達が自分の担当の蚕の精の傍に寄り添っていた。だが実のところ、彼らにできるのは励ましの言葉を与えたり不安を取り除いてやるくらいしかできないのだ。食事は脱皮が終わるまでお預けだし、身だしなみを整えるのも身体ごと生まれ変わるのだからやるだけ無駄でしかない。

 視線をパキリリェッタに戻す。つい先ほどまで荒かった息は徐々に鎮まり、深い、深い眠りに就いたようだった。脱皮の際には普段の眠りでは辿り着けないほど深い場所まで落ちるのだと云う。どこかで聞いたそんな言葉を思い出しながら、フリョッハ自身もまた記憶の川を遡上し始めた。


 蚕の精の羽化を初めて目にしたのは二歳の時だった。その時彼女は目の前で何が起きたのかを全く理解できていなかった。美しい白い繭から力なく這い出る蚕の精。透き通る翅の上を走る翅脈一本一本に透明な体液が流れ込み、萎れた花弁のように畳まれていた翅がぴんと立ち上がると徐々に色を得て白くなる。その神秘的な姿に恐れを為した彼女は兄の脚の陰に隠れたがそれでも目を離すことはできなかった。覚えているのは蠱惑的な触角と、兄の体温。彼女はまだ分かっていなかった。何も、知らなかった。

 彼女には不思議に思っていたことがあった。春の初めの日に孵る蚕の精達。彼らはいつでも幼いフリョッハにとって恰好の遊び相手だった。しかし彼らはすぐにどこかへ行ってしまう。父親に聞いても釈然としない。彼らの行方を知ったのは三歳の時だった。幼い彼女より少し年上の背格好になった彼らは自ら編んだ繭の中で眠りに就き、一〇日後、目を覚ます。これまでも毎年ずっと行われてきたことではあったものの、その時初めてフリョッハは幼虫の蚕の精と成虫の蚕の精とが同一の存在として結びついたのだった。

 そしてその年は、蚕の精達の葬式にも立ち会った。眠るように死んだ彼らの遺体は一人ずつ小舟に載せられて海に流された。霧の濃い朝のできごと。つい去年のできごとがはるか昔のように感じられるのは、薄命な彼らにとって一年というサイクルが長過ぎるからか、それとも――


「また独りで思い詰めてるんじゃないの?」

 冷たい記憶の川に肩まで浸かっていた彼女を現実に引き戻す声がすぐ傍で発せられた。

「アナイ……」

 アナイエレーズ。一足早く<変化>を遂げた幼馴染は彼女よりずっと大人びて見えた。

「今日はお休みもらったからさ、ちょっと外出ない?今から根詰めてたらパキちゃんが戻る頃にはフリの方がダウンしちゃうよ。」

「ううん、ここにいる。」

「他の人たちだって担当してる子が寝たら一旦離れるんだよ?世話係は自由に休みを取れる仕事じゃないから脱皮透過の間はみんなゆっくり羽を伸ばすもんなんだけど……」

 フリョッハが立ち上がろうとしないのを見てアナイも彼女の傍に座り込む。母譲りのゆったりとして上品な仕草で。

「まあフリが頑固なのは知ってるけどさ。ここにいるつもりなら私も残るよ。どこでだって話はできるし。

 それだけ言うとアナイは口を噤んだ。フリョッハの言葉を待ったのだ。きちんと考える時間さえ与えればお喋りになれることを親友はよく理解していた。

「……わたし、世話係の仕事にちゃんと向き合えてなかった。」

 しばし間を置いた後フリョッハは口を開いた。

「まあ半ば無理に押しつけられたわけだしね。」

「それはそう……だけどそんなのなんの言い訳にもならないもの。わたしが蚕の精の脱皮の周期を知らずにいたせいでみんなに迷惑かけたから。だから、ちゃんと勉強してちゃんとお世話できるようになる。」

 にこやかに頷いて、アナイがあっさり答える。

「うん、いいんじゃない?」

「……それだけ?」

 失態に落ち込んでいたフリョッハには少々物足りない返事だ。

「前に話してくれたこと。世話係をやりたくない理由聞かせてくれたでしょ?覚えてる?」

「そりゃ、自分のことだし……」

「産まれてから五〇日で多くと結ばれてしまう蚕の精の世話なんて絶対無理。そんなことを毎年続けてたら……」

「世話した蚕の精達を古い順に忘れてしまう……枯れて散った葉の一枚一枚を覚えていられる人なんていないから……」

 つい去年、自分の発した言葉が彼女の心を強く捕らえる。

「そう、フリの言う通り。でもね、残酷だけどあなたは世話係に向いてるんだよ。」

 俯いていた顔をアナイに向ける。その表情は驚いたというより呆気に取られていた。

「それは誰よりも優しくて、誰より傷つきやすいあなたにしか言えない言葉だもの。大勢いるこの子たちを一人一人愛そうとしなくちゃ出てこないよ。未だってパキちゃんのために何かしてあげようと思ってるわけだし。パキちゃんもフリの優しさに気づいてたからフリを選んだんだと思うよ。」

「いや、それはまるっきり偶然……」

「<大樹>が結びつける縁に偶然なんてないよ。私たちにできるのは自然な成り行きに任せることだけ。気楽にがんばって。」

 フリョッハはそれ以上返さなかった。アナイの言葉でじんわりと勇気が出てきた。わたしは今正しい道にいる。そう思えた。

「自然な成り行きに任せる……か。」

 彼女の言葉を小さな声で復唱してみる。でもそれでは結局なにもしないのと同じではないのか。だが違う。成り行き任せにしても舵取りは必要だ。そう考えると深い言葉のようにも思える。

「アナイ、このごろ長老みたいなこと言うよね。」

「ちょぉーっとお、しわくちゃになるにはまだ一〇年早いんですけど?!」



 身体中に分散していた意識が再び眼球の裏側に凝集を始める。脱皮の直後、極限まで鋭敏になった蚕の精の触角は周囲の物質の振動を捉えた。地下に広がる<大樹>の根、有象無象の地下生物達のざわめき。<大樹>の内外を飛び歩きする精達。風にそよぐ葉の一枚一枚に至るまであらゆるものが振動している。粘液で湿った肉体を横たえた堅い床さえも絶えず振動している。意識がはっきりするにつれそれらの振動が反響し合っていることにも勘づく。

 ……うるさい。あまりにも騒がし過ぎる。

 耳を塞いでも触角から聞こえる振動は少しも小さくならない。外の空気に触れ始めて間もない甲殻は不快な振動から守ってはくれず、寧ろ共鳴している。

 だがすぐに、それらの騒音の中に聞き覚えのある音を見出した。すぐ傍からだ。熱を持った身体に波打つ愛しい鼓動。目を瞑ったまま、力の入らない手足を掻いて辿り着く。

「あらパキちゃんもう起きたの?」

「リエッタ、まだ動かないほうが……」

 言い終える間もなくフリョッハの華奢な身体にパキリリェッタが力なくすがりつく。倒れ込むように身を預け彼女の胸に耳を当てると安心したのか再び動かなくなった。

「リエッタ……?寝ちゃったの?」

「赤ちゃんはお母さんの心臓の鼓動を聞くと安心して寝るっていうし、世話係として認めてくれてる証なんじゃない?光栄だと思いなさいな。」

「うん……それはいいけどこの姿勢つらいよ……?」

 寄りかかるパキリリェッタの体重を両手を後ろに回して支えているかたちだが、じきに足が痺れるだろう。脱皮したての幼虫は総じて不気味に軟らかいので下手に触るのはかなり危なっかしい。

「まあ、とりあえず今日はここで一緒に寝てあげなさい?私は戻らないと。」

「ううっ……とりあえずこのぬるぬるするのだけどうにかならない?」

「脱皮が成功しても油断は禁物だよ。一晩は絶対安静なんだから。水で洗うのも布で拭くのもなし。」

「わかったよ……」

「早めに夕食済ませといて良かったね。他の子達はまだ誰も起きない、か。始まったのも終わったのもパキちゃんが一番だったね。それじゃまたね、フリ。あなたがより多くと結ばれますように。」

「あなたが……いい人と結ばれますように。」

「ちょっとぉ、茶化さないでってば。」

 冗談を言いつつ、アナイは郷に帰っていった。四つある性別の内の女性アニフが共に暮らす宿舎へと。

 小胞の奥で、脱ぎ捨てられた古い皮が半透明に転がっている。背中に薄い亀裂が縦に入っているだけで、他に目立った痕もない。この古皮を薄い上着に仕立てたものを彼女は以前見たことがあったが、すぐに破けてしまうので評判は悪かった。

 抱きついたままの蚕の精は涎なのか体液なのか分からないものを口から滴らせて一向に目覚める気配がない。

「もう、しょうがないなあ……」

 ゆっくり仰向けに寝転びながら、誰に言うでもなくそう呟く。脱皮の際に髪も全て抜け落ちた頭を撫でるとすべすべとして心地良かった。

「わたし、もっとちゃんと……リエッタのこと、ちゃんと見送……」

 周囲の小胞でもぞもぞと動く気配を感じた。無事に脱皮を果たした蚕の精達がゆっくりと起き始める中で、ハチドリの精は深い眠りに落ちた。

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