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天体運航韻律再現譜 One of a Song of Imbolc  作者: 石田五十集(いしだ いさば)
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三三日目

進捗状況、拙作の裏話、その他色々はTwitterにて。

https://twitter.com/acrylyric

 夜が明け初めた頃、日の射し込まない<大樹>の中にも光の精霊がぽつぽつと現れ始めると伸びやかなハチドリの精はこっそり寝室を抜け出し上へ上へと飛んでいった。

「そんなひどい熱で動き回っていいわけないでしょ?お姉ちゃんが許しません。リヨッハは風邪が治るまで寝てなさい!」

 父の名が呼ばれるのを聞き届けて家へ戻った後、平然と最上階へ行こうとするフリョッハはブレンのうむを言わさぬ剣幕に押されてすごすごと寝室に戻ったのだった。高熱の本当の理由を明かすなど望むべくもなかった。その話を切り出す瞬間を想像すると身震いするほどだ。

 妹を心配して実家で寝泊まりしてくれている二人の目を盗んで辿り着いた最上階の三つの戸は固く閉ざされていた……固くとは言っても蚕の精達が眠っている側から簡単な閂がかけられているだけなのだが、それでも他者の通行を塞ぐ仕掛けを施された出入り口はこの島においてこの三箇所のみである。

 この三つの戸は皆既日食の儀式を終えた後自分の小胞へ次々に戻っていく蚕の精達の最後の三人の手によって閉められる。彼らはものを食べ言葉を発する口の真下に開いた吐糸口から紡ぎ出した糸で繭を編み、その中に横たわってようやく蛹となる。遺伝子に刻み込まれた変身のプロセスに従って自らの肉や骨をどろどろの液体になるまで磨り潰し、元のまま保たれた一部の神経、一部の呼吸器系を核として美しい蛾の姿へと変貌を遂げるのである。

 薄い戸を一枚挟んだ向こう側で起きつつある変身の奇跡に思いを馳せる。太古の昔には誰もがいつでも自由に、何にでも変身できる時代があったと云う。虫の精達にはまだその力が僅かながら受け継がれている。鳥の精にもいくらかは。

 しかしヴェルチンジェトリックスに自らの光の精霊を譲り渡したあの日以来、高まりつつあった変身する力、変身への衝動がすっかり霧散してしまったことを、誰よりフリョッハ自身が生々しく感じ取っていた。その空白に別の何かが充填されたことも。それが何を指向し、何を命じるのかは全くの未知だ。

 それでも、と彼女は思った。

「造り変えられてる、外の世界も。あなたのからだが造り変えられてくのと同じ早さで。わたしのこころも造り変えられていってる。わたしがどんなふうになりたいかとか、そんなのお構いなしに。

 それでも憎らしいほど、あなたを愛おしく思う気持ちはぜんぜん変わらないの。世界が造り変えられてくのが<大樹>の意志なら、わたしのこの気持ちが変わらないまま残ってるのもきっと<大樹>の意志ね。あなたを想う気持ちが核になって、あたらしいわたしが造られる……

 ねえ、リエッタ……」

 幼い子供が膨らんだ母の腹の中で育ちつつある弟の心音に耳をそばだてるかのように、フリョッハは堅い戸に寄り添いうずくまる。

「リエッタ……造り変えられた後のあたらしいあなたもわたしのこと、好きでいてくれる……?あなたの気持ち、やっとわかったの……」


 喪に服することを優先するなら、改革と呼んで差し支えないような大きな変化は避けるべきだ。しかしこの島に今、禁忌は存在しなかった。

 バラールブローメが辞任して以降最長老の席は空いていたものの、それに加え<大樹>の暴走によって八人いた長老の内生き残ったのは三人のみだった。各分野の仕事を統御する指導者達が一度になくなった以上、組織の再編は残された三人が果たすべき急務だ。

 しかしながら、その三人はかつてのバラールブローメのような指導力のある人物はいなかった。殊に北のの水上林の管理に携わるテッファトンクテに至っては今回の騒動で微妙な立場に置かれていた――いずれ<大樹>の創り出した環境を自分達の都合の良いように造り変える行為そのものが、今後慎重に議論されねばならない。

 仮に立場の悪化がなかったとしても、たった三人の独断で新しい指導者を六人も擁立するのには無理があった。

 そこで三人は討議の上、各分野の有識者達を招いて長老に相応しい候補者を推挙させ、自分達はその判断に過誤がないか審査する立場に回ると決めた。この決定には誰からも反論は出なかった。そこまでが、昨日の内に話し合われたことだった。

 最長老を決めるに当たっては島中の人々全員の総意に基づく必要があるため、成人した者全員に立候補する権利があり、また誰かを推挙することもできると告げられた。そしてその議論を明日から始めるとも。

 地上一階の一室に三人の長老を始めとして名声名高い賢人達が陣取り、最長老の立候補者を一人ずつ検討する手筈になっている。会議は好奇心に駆られた人々の見守る中で順調に進んだ。

「今日は君の出番はありそうなのかい。」

 群れなす精達に交じって会議を傍聴していたクロッテュロナンが振り向くとクロコサギの精のクィリナッハストラバッハが交じっていた。郷で知り合った同い年の青年だ。

「いや、どうなんだろう。見てる限りでは今日中に決まるとは思えなくなってきた。」

「まあ、まずは最長老が決まらないことにはな……」

 気まずい沈黙の後で言葉を告げる。

「親父さんのことは気の毒だった。」

「君だって従兄弟を亡くしてるじゃないか……」

「誰も亡くさずに済んだ人などいないさ……それより少し外で話せないか。郷の管理棟から言伝を預かってるんだ。」

 訝しみつつクィリナッハに従って会議の場を後にした。

 深い恐怖と悲しみに包まれたあの日から僅か三日しか経っていないと言うのに、人々は少なくとも精神的には立ち直りつつあった。元々適応能力が高いのも要因のひとつではあるが、昨日の弔いの儀式で気持ちにひと区切りつけることができたのが大きかった。それでも市場に以前のような活気が戻るのはまだ先のこと。<大樹>の中に避難していたため誰も気づかなかったものの、樹の幹の上に築かれた素朴な建築群はそのほとんどが地上から消えていた。やはり<大樹>の暴走の際に呑まれたのだろう。かと言って元通りに再建することなど考えられない話だ。無分別に樹を伐り倒せば必ずや悲劇は繰り返されるだろう。

 市場は往時のように精達にとっての集いの場として機能しているものの、店もなく品もなく、かと言って復興はためらわれると言った八方塞がりのままぼんやりとした者達ばかり。唯一、余った生活用品や衣類を家を失った人々に譲るバザーを行う一帯だけは騒々しくも懐かしい賑わいで満たされていた。

「結局、僕らは許されていた領域の外に出てしまってたんだよ。」

 クィリナッハが唐突に話題を振る。

「そう言えば君はこうなる前からそんなことを言ってたね。」

「分かりきっていたことさ。均衡が崩れれば反動が来る。つい先日のできごとは僕らが産まれるずっと前から<大樹>との契約を反故にしていた結果だろ。」

 クロッテュは彼の言動に眉をひそめた。普段から小難しいことを話す奴だったが、今日の話しぶりは本題を聞かせるに当たって前提の認識を確認するかのようだった。

「そのくらいのことは僕だって理解してるつもりだよ。そんな話をするためにわざわざ呼んだのか?」

「僕には不自然に思えてならないことがひとつだけあるんだ。ムカデ達が僕らを襲った手口だよ。」

「手口も何も、彼らは飢えに耐えきれなくなったら上に出て手当たり次第に襲うだけなんじゃないのか?」

「惨劇の間近にいながら、君にはそう見えたか。あの日もそうだったと?」

 どんな場合にせよ勝手に期待されて勝手に失望されるのは最悪の気分だ。正直なところ彼の話にはさほどの興味も惹かれないし、さっさと切り上げてしまいたかった。

「いいか、僕らの祭りが終わりに差しかかった時、まず第一陣が来ただろ。熟練の小戦士なら一人でも倒せる程度の小さめの奴。あれは全くの奇襲だった。そこから僕らの避難と抗戦が始まった。小さめのが来たのは最初だけど、後から後から手強い成体がわんさかやって来た。戦士達は押される一方。そうして極めつけが、あの訳の分からないばかでかい奴ら。」

 クロッテュは徐々に彼の言わんとすることを理解し始めた。森の方から出てきたムカデ達に対しアルスロプレウラは海から出現した。小戦士達が抗戦しているのとは、全く反対方向から。

「彼らが作戦を立てて、それに従って動いてたって言いたいのか?」

「いや、奴らにそんな知能はない。だがあの組織的な動きには背後に確かな知性が感じられた。目的を果たすために手段を講じることのできる高度な知性が。」

「何が言いたい……」

 つき合いきれないと言った表情の彼の仕草は父親にそっくりだった。

「無秩序なまでに強い生命力が具現化された姿の彼らが生きていくのに知性は必要ない。だが地下には知性に長けた人物が一人いるだろ。」

 冒涜的な考えを臆面もなく口にする友人に、クロッテュはとうとう足を止めた。

「……根の魔女が僕らを襲うよう手引きしたと、そう言いたいのか。」

 困惑する彼に対し怜悧な瞳で間断なく辺りを見回すクィリナッハに興奮した様子は見られない。飽くまで冷静なのだ。

「どんな形にせよ根の魔女は関与してるだろうね。」

「何の証拠もなしに言うべきことじゃないよ。」

「それはそうだ、確かに。だが本当に彼女が関わっていなかったとしたらどうだ。そっちの方がよほど厄介だぜ。何しろ僕らを出し抜くだけの知性を奴らが発揮したことになるんだからな。」

「勘弁してくれ……ただでさえ心配事が多くてくたびれてるんだ。それに、さっきは郷の管理棟から言伝が、とか言ってなかったか?」

「ああ、そうだ。話に夢中ですっかり忘れてた。君の妹さんのことなんだ。」

「今の話とは関係なさそうだね。」

「ああ、何の関わりもない。」

 ようやく本題に辿り着けたことで落ち着かない気分をいくらか和らげられたものの、結果的には悩みの種がもうひとつ増えることになった。


「今回の一件で両親を失ったのは君達兄妹だけじゃない。中には君の妹より幼い子も少なからずいる。これを郷は重く見ていてね、本来郷に入るにはまだ早い時期の子供達を無条件に受け容れる方針で動き始めている。そこでまずはどの程度の人数がいるのか把握するところからという訳さ。君には妹さん本人が郷に入るのを希望するか聞きだして欲しい。まず間違いなく本来の定員をオーバーするから希望者から優先して受け容れていくとのことだ。だが注意してくれ、彼女が郷に入る場合は君の実家は君が所帯持ちにでもならない限り空き家になるだろ。家を失ったもの達の新たな入居先を手配する動きが進んでるんだがあの日、<大樹>の低層階に住んでいた人達が中心に地下にさらわれたのが原因で、ある程度高層の部屋が人気でね、君の実家は確か二四階だったか。地上へのアクセスもさほど不便でもない高さだし、何より外から日が射し込むレアな物件だから住みたい人は大勢いるだろうし、一度引き取り手が決まったら取り戻すのはまず無理だろう。その辺を吟味した上で、妹さんの郷への入居を希望する場合は管理棟に申請して欲しい。」

 どこへ行くでもなく歩き回る間、クロッテュは友人の話を反芻した。ああいう情報通然とした奴は情報が錯綜しがちな今のような時には全く重宝がられるようだ。話すだけ話して忙しそうに人混みの中に消えてしまったのを思い浮かべると、まさしくつむじ風のような(クィリ・リル・ニル・アッハ)という形容がよく似合う。

「しかし、」

 と彼は口に出して言ってみた。しかし今の話をすぐさまフリョッハに伝えるのが賢明でないことは明白だ。産まれた時から暮らし続けてきた、思い出の詰まった家を離れるよう勧めるのは彼女の心情を慮れば的外れも良いところ。しかし今は寝泊まりしてくれている姉のブレンには家庭があり、いずれは戻らねばならない。フリョッハを独りぼっちにさせず、且つ家を手放さずに済ませるにはクロッテュが郷を出て実家に戻るしかない。

「結局は僕次第じゃないか……!」

 考え込む内に丁度良い切り株を見つけると無意識の内に座り込み、頭を抱えていた。その控えめな性格のせいで踊りの相手を見つけるのにも苦労する彼に、妹のために父親の代役を果たす自信などあるはずはなかった。

「随分、お困りのようだが。」

 見上げると異様に大きな鷲鼻の赤ら顔が彼を見下ろしていた。精達の二倍もある身長で太陽を遮る彼の姿は青い空を背景に黒く塗り潰されていて実のところよく顔は見えなかったものの、声を聞けばその特徴的な鼻と耳がありありと思い出せた。

「ああ……ドクターさん。」

「お父さんのことは……いや、あまり何度も言われていい加減うんざりしてるのかな。」

 思い詰めた表情のクロッテュの顔がかすかに綻びる。

「隣に座っても構わないかね。」

「ええ。」

 老人が億劫そうに地べたにしゃがみ込み、尾羽のない尻をつけるとゆっくり脚を伸ばした。そうしてようやく二人の顔の高さは同程度になった。

「君達の社会はこういう災害にはめっぽう強いね。」

「そうですか?」

「私のいた社会では絶えず働き続けなければ食べることを許されなかったから、今のように普段通りの生活ができなくなると飢える人が出てしまったんだよ。」

「えぇ……困った時こそ助け合わなきゃいけないのに。なぜそんな理不尽な仕組みが成立したんですか。」

「なぜだろうね……」

 再びの沈黙。クロッテュは考え込んだ様子の老人が話しだすのを待っていたが、どうやらそのつもりはないらしかった。

「あの……ひとつお尋ねしても?」

「なんなりと。」

「ドクターさんは僕が物心ついた頃からずっとお爺さんでしたけど、一体今おいくつなんですか?」

「この島に辿り着いた時は既に六二だったが、」

「六二歳?!」

「まあ……そう驚かなくても。」

 実のところ彼の元いた星の一年が三六〇日弱であるため、一年が一八〇日のこの島の場合に換算すれば一二四歳になってしまうのだが、そんなことは言えそうになかった。

「この島に着いてからはこの前の年越しで二七年になる。」

「二七年……そんなに長い間……」

「君のご両親も産まれた時から知っているよ。私は殊更蚕の精に興味を持っていてね、観察する傍ら彼らと関わりのある人々とは昔から面識があったんだ。」

「母の若い頃は、何となく想像がつきます。色んな人から話を聞きましたし。きっと天真爛漫だったんでしょう。父はどんなだったんですか。」

「まあ……無口だったね。」

「でしょうね。」

「ただ大人になってからのそれとは違って、人見知りから来る無口だったのかと、今になれば思うよ。」

「父さんが人見知り?」

「意外かい?」

「ええ。もっとこう、堂々としてると言うかどっしり構えてる印象しかないので。」

「まあ物怖じする性格ではなかったが、ある種近寄りがたいオーラを発していた。それを意にも介さず話しかけに行ったのが君のお母さんだ。」

「あはは……」

「それまではこちらから話しかけられなければいつまででも黙っている男だったので無愛想で通っていたが、彼女と会話を交わす姿を見た人達が徐々に好意的に接するようになったおかげで彼は孤独でなくなったんだ。私には何も言っちゃくれなかったが、そう聞いている。」

 両親の馴れ初めを聞いたのは勿論これが初めてで、それも思いも寄らないものだったが、いかにも二人らしいエピソードではあった。

「いずれ別の姿に産まれ変わったら、その時二人はまた会えるんでしょうか。」

「寧ろ今こそ、二人が再会できたと私なら信じるがね。」

 青年の若々しい身体に活力がみなぎり始めていた。前に進もうとの決意が彼を立ち上がらせた。

「僕、実は迷ってたんです。父の空席を僕が埋めるべきなのかと。蚕の精の世話の仕事についてもそうですし、まだ郷に入る前のフリョッハの面倒を見るのも。でも今の話を聞いて頑張ろうって思えました。母さんの仕事を継いで、家を守ったのはきっと母さんを愛してたからです。僕も父さんを愛してます。だから僕にも役割を引き継ぐ資格があるはずです。」

「全て君の望むようにしたまえよ。君達は運命に従うよりも運命を司る方がよく似合う。」

 穏やかな老人に礼を述べると、父の名を継いだ青年は意気揚々と飛び去った。勇敢な彼の決意に、老人は彼の父の若かりし姿を重ね合わせていた。空高く照りつける太陽を眺めて、彼こそが今頭上で輝く太陽で、自分は死にゆく赤い太陽なのだなどと憂い混じりに若者を諭すことのできた喜びに浸るのだった。

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