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天体運航韻律再現譜 One of a Song of Imbolc  作者: 石田五十集(いしだ いさば)
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三二日目

 閃光。両手で顔を覆っても血管を透かして赤い揺らめきが目の奥まで差し込んで来る。瞼を閉じても安らぎは得られない。

(きっとこれから先、毎朝起きるたびにこれに耐えなきゃいけないのね……)

 この強烈な光から逃れるには深い眠りに落ちるしかないらしかった。しかし根の魔女が言っていた龍のように永遠に眠り続けることなど小鳥に過ぎない彼女にはできそうにもない。現に言い争いのような話し声が彼女を眠りから掬い上げていく。

「だから…………朝になってからすれば…………のよ。」

「だけど今日はもう…………なんだから、なるべく…………」

「全っ然分かってない!あの子はまだ五歳になったばっかりなのよ?そうでなくったってずっとママのことを気にして…………」

 ブレンとロナンの声だ。きっと居間にいるのだろう。自分のことについて言い争う二人の前へ出ていくのは憚られた。瞼の裏の閃光から逃れるように目を見開いたまま寝返りを打つ。だがそっちにはアナイを始め引っ込み思案のフリョッハにはあまり馴染みのない幼馴染達が心配そうに並んで座っていたのだった。

「あっ」

「「あっ」」

「お姉さん!お兄さん!ヨッハちゃん起きたー」

 言い争いが止み、気まずい足音が近づく。しかし親友の前で迷惑そうな顔をする訳にもいかない。

「ありがとう、アナイ。みんなも。ずっといてくれたの?」

「そりゃそうよ。倒れたって聞いて本当に心配したんだから。」

 顔を近づけ耳元で囁く。

「ヨッハが砂浜に行ったことはみんなには黙ってたけど、一体一晩中どこにいたの?砂浜から避難し終わった後お兄さん、うちにも来たのよ?まだ帰って来てないって聞いたから私、ほんとに……」

 静かに言い募る声に涙が滲む。

「あなたも根の国に連れてかれたのかと……」

「まって、それってどうゆう」

 一瞬、フリョッハは一〇日後に迫った自分の運命について何かを知られたのかと思ったものの、それを尋ねる間もなく姉と兄がやって来た。

「フリョッハ、良かった、目を覚ましてくれて……」

「おはよう。どう?気分は。落ち着いた?」

「どうって言われても……」

 ゆったりとした所作で膝まづいたブレンが寝台で半身を起こしたフリョッハの額に手を当てた。冷んやりとしていて気持ちいい。

「ひどい熱!しばらく寝てないとだめね。」

「みんな、ずっと付き添ってくれてたところ悪いけどちょっとだけ僕らだけにしてくれないか。フリョッハに、話があるんだ。」

「もちろんです。ほら、みんな行こ。またね、ヨッハ。」

「うん……ありがとね。」

 七人もいた子供達が一斉に立ち去って急に広々とした部屋に垂れ込める沈黙を破ったのはロナンだった。

「フリョッハ、昨日は本当に済まなかった。君が無事に帰って来てくれただけでも<大樹>に感謝すべきだったのに……伝え方をもっと工夫すべきだった。」

「全くもってその通り。あんたはかわいそうな妹に追い討ちをかけるような真似をしたのよ。」

 相手が言い返せないのを良いことにここぞとばかりに罵るブレン。

「あの……正直に言うとわたし、昨日は騒ぎに気づけないとこにいて……」

「<大樹>の外に出てたってこと?」

「ううん、そうじゃないんだけど……それで昨日のことなにも知らなくて。だからそこから教えて?父さんのことも、ちゃんと聞かせてほしいの。」

 明らかに何かを隠している様子の妹に二人は釈然としなかったものの、強いて問いただすことはしなかった。


 伸びやかなハチドリの精は何が起こりどう終わったかを知った。フリョッハは自室の窓から見たアサギマダラの精の旅立ちをはっきり覚えていた。例年よりも出発の時間が早いことも。あれが、ある意味異変を知らせる信号だったのだ。パキリリェッタと過ごした二六日間の中で最も切なくも幸福な瞬間に、西の浜辺ではかつてない惨劇が繰り広げられていたのだ……

 二人の口から語られる事実を、フリョッハは自分でも驚くほど落ち着いた心持ちで耳を傾けた。彼女は水の感情を操る術をものにしつつあった。静かに悲しみを湛えた表情は父の死について知らされても尚変わらなかった。

「……父さんに、あと一人戻ってないと伝えたのは僕だったんだ。誰かがそう言ってたのを聞いて慌てて伝えてしまった。全てが終わった後、最上階が閉じられる前に自分で数え直したら全員無事に揃ってた。不幸な行き違いと言ったらそれまでだけど、やっぱり父さんを死なせたのは僕なんだ……」

 失意の弟を姉が静かに抱きすくめる。立派な黄緑色の翼と化した彼女の腕の中でロナンは存分に打ちひしがれることができた。


 真実を知っているのはどうやら自分だけらしい、と周囲を注意深く観察しながらフリョッハは思った。遺体は既に地下に落ちたため葬式と言っても故人の名を呼ぶことで人々の記憶から彼の人を呼び起こし祈りを捧げることしかできないが、それでも親族知人の名が

 呼ばれるのを聞き届けるために集まった人々で<大樹>の周囲は埋め尽くされていた。つい昨日の浮かれた心境を表したかのような色鮮やかな装束を着た者は一人としておらず、<大樹>の幹や根と同じ深緑や茶色で統一された出で立ちで、生き残った者達の全員がそこにはいた。誰もが誰かしらを失ったのだ。儚い結び目でしかない自分をかたちづくる縄が解けた痛みは、祈りによってしか区切りをつけることができない。

 最初の犠牲者が出た西の砂浜でなく<大樹>の前で弔いが行われたのは、大半の人々がここで地下に連れ去られたからだった。根の国の使者でなく仲間の手によってバングラムが殺されたのが<大樹>の暴走を引き起こすきっかけになったのだろう。生者を冥界へ引きずり込む蔓が島中の精達の避難していた<大樹>の内部へと押し寄せ、下にいたものから手当たり次第に呑み込んでいったのだ。物事を個数でなく量で見る考え方が支配的な彼らの言語では数字をうまく扱えず、五〇を超えた辺りから正確に数えられなくなるため、どれだけの人々が犠牲になったのかは実のところ誰も知らない。それでも総量から見れば全体の四分の一の生命は確実に消えた。

「ティアルモフォレヴァ。あなたがより多くと結ばれますように。

 サルムクーネイボ。あなたがより多くと結ばれますように。

 クロッテュフィガル。あなたがより多くと結ばれますように……」

 聖なる人々によって父の名が告げられると、ブレンは持参していた小さめの酒樽を地面に置いた。酒の醸造を営む家系に生まれ育った彼が妻の仕事を引き継いだ後も趣味の範囲で作り続けていた酒を、蔵に残された樽から少量持ち出したのだった。たちまち、丸太から削り出した板で作られた粗末な酒樽が黒黴に覆われていく。そうして数えきれないほどの生命を呑み干して尚飽き足らない口の中へ軽々放り込まれた。島の凡て、島そのものを創り上げた<大樹>の元へ、亡骸と共に還っていった思い出の品もいずれ別の形に変容して再び地上に戻って来るだろう。その頃には自分自身も何かしらに変身してどこかにいる……。古くより伝わる死生観、長い時を経ても変化することのないあらゆる思想の根源にして原点が、今、島に棲む者達全員の間で無言の内に確認されたのだった。

「もう帰ろ、ロッテュ。リヨッハも。」

 遠い親戚や友人知人にも亡くなった者は大勢いたものの、もうたくさんだった。自分の関わりのあった人々全員に祈りを捧げ終えるまで立ち続けることなど考えられもしなかった。

 両親に取り残された三人の子供達は<大樹>の中へ戻っていった。

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