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天体運航韻律再現譜 One of a Song of Imbolc  作者: 石田五十集(いしだ いさば)
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LEGACY-0019「天体運航韻律始原譜」

謎めいた世界観のすべてが明かされる一大叙事詩(自分で言っていくスタイル)。

 以下に記すフィニステールの創世神話は、死期を悟った最長老が私に語って聞かせた最初にして最後の物語であった。この島の成り立ちを説明した説話は彼らにとって最も重要な財産であり、新米の語り部が最初に暗唱する決まりとなっている。そのため、島の外からやって来た私に対し、彼らは代々語り継がれてきた物語を聞くことを許してはくれなかった。逆に、彼らが私に何かを尋ねることも同様に。

 但し、熟練の語り部として人々の尊敬を集めたトゥアカトゥアカは例外で、地球について多くの質問を投げかけてきた。彼女の無邪気な好奇心はフィニステールについての深い知識があるからこそであったろう。私は彼らに悪影響を与えないよう充分注意しつつ偽りなく答えた。やがて老衰してさほど広くもない部屋で寝たきりのままになってしまった彼女の口から紡がれた宇宙創成のヴィジョンが、私の誠実さに対する最大限の返礼であったと信じる。

 伝説によれば、フィニステールの歴史上最初の語り部となったアミタという名の女性は、トァンという神秘的な力に満ちた老人から、宇宙の始まりから連なる歴史の全てを聞き、後世に伝える決心をしたと云う。

 トゥアカ曰く、トァンは世界の右側からこちらにやって来た人物らしい。長らく人間の目に触れずに済んだことで変身する力を失うことなく生き続け、世界で起こる全てを見た。ある時は虫となり、ある時は魚となり、鳥となり、星となり……。そうして悠久の時を生きた彼は最後に樹となり、実った果実の中の一粒の種となった。当時未婚であったらしいアミタがその果実をもぎ取って食べた際に誤ってトァンの種を呑み込んだ末に妊娠し、トァンを出産した。産まれながらに誰より年老いていた彼は若い母に己の全ての記憶とそれを語り継ぐ責任を託し、間もなく人の定めに従って亡くなった。こうして彼の死を以って語り部の伝統が始まったということである。

 「はじまりの歌」の採録は体力の衰えたトゥアカを気遣って六回に分けて語られたものを私なりの解釈で齟齬のないよう編集したことをここに明記しておく。



 まず<石>(ン)があった。<石>は完全な真球だった。その頃は凡てがンンに囚われており、石の他には何も見えなかった。つまりは何もなかった。

 永遠の静寂に包まれる中で、堅い殻の内側ではやがて全ての精霊の素となる混沌が絶えず形を成しては崩れるという一連の現象を際限なく繰り返していた。

 やがて混沌の中に秩序が生まれ、五つの大きな渦が混沌を掻き混ぜ始めた。この時、<石>は完全ではなくなった。この瞬間から時が流れ始めた。五つの渦は互いを呑み込もうと回転を繰り返す中で少しずつ堅い殻が削れ、やがてそのひびが地表に達した。そうして内側に押し込められていた五柱の精霊のうち四柱が外へと飛び出した。即ち、


  光の精霊  水の精霊

  地の精霊  風の精霊


 光の精霊が辺り一面を照らし出したことで<石>を覆い隠していた闇の精霊が姿を現した。光の精霊は闇の精霊を追い回し始めた。光の精霊は素早く飛び回れたものの闇の精霊の方が常に素早かった。光の精霊は目前の闇を追うのに夢中で自身の背後に闇の精霊が追いついていることに気づいていない。

 水の精霊はその姿を自在に変えた。最初、その姿は誰にも見えなかったが突如空から千の滴となって降り注ぎ、細かった石のひびを広く深くした。

 ひびが広がると更に精霊が湧き出し石の上は一層賑やかになった。地表が粉々に砕ける度に地の精霊は数を増していたものの、どれも眠ったまま起きそうにない。

 水の精霊のいたずらを面白がった風の精霊は自分なりの方法で真似をした。風の精霊はやたらに吹き荒んで石の表面を薄く薄く削り取った。それを見た水の精霊は風の精霊が起こす風に乗ればより遠くへ飛んで降り注げることに気づいた。

 風の精霊と水の精霊が引き起こした嵐は長く続いて<石>本来のすべすべした表面が跡形もなく荒らされたほどだったが、それもやがて終わりを告げた。

 四つの渦から産まれた四精霊がすっかり<石>の外へ出てしまった後。<石>に穿たれたひびの最も深い場所から最後の渦が、火の精霊が飛び出した。その勢いは凄まじく、地表に湧き出た途端水の精霊が残らず消え去り虚空を漂うことになってしまった。

 水の精霊が姿を消しても風の精霊はお構いなしに吹き続け、火の精霊は一層激しく燃え盛った。それは嵐よりも長く、長く続いた。

 これを見兼ねた闇の精霊は荒れ狂う火の精霊を鎮めるべく、まず光の精霊を石のひびの奥深くへとおびき出し闇の中に閉じ込めてしまった。そうして一切の光が石の外まで届かなくなり、世界は再び闇に包まれた。火によって熱せられていた地上は急激に冷やされ水の精霊が本来の力を取り戻した。

 虚空を漂っていた水の精霊は雲となり雨となって地上に降り注いで火の精霊を懲らしめ闇の精霊が光の精霊にやったように石の中に追い詰めると、容赦なく降り続けた上に厚く張った氷でひびを埋めてしまった。かくして石の上に再び静寂が訪れた。

 自らの過ちを反省しない風の精霊にちょっかいをかけられても水の精霊は動じることなく頑なにひびを閉ざし続けた。

 その時以来、地上は時たま揺れるようになった。火の精霊と光の精霊が外に出ようと内側で激しく暴れるためだ。地震は今でも閉じ込められたままの日の精霊と光の精霊が暴れるために起こる。


 静寂は永遠に続くかに思われた。しかし、いかなるものも時の流れを妨げることはできないのだった。

 冷たい地表に小さな穴が穿たれた。それは水の精霊の仕業でも風の精霊の仕業でもなかった。穴は<石>の内側から開けられていた。

 穴から何かが出てきた。精霊とは似ても似つかない、精霊とは別の姿の何かが。しかし穴からぞろぞろと這い出てきた小さなそれは小さな火を手にしていた。

 水の精霊は正体を確かめもせずに溺れさせて殺した。しかし時が流れると再び違う穴から這い出てくるのだった。

 何度殺しても新しい頭が生えることに嫌気が差した水の精霊はようやくそれらと話す気になった。地を這うそれら小さなもの達の珍妙な姿を真似て小さく凝結すると、こう尋ねた。

「お前は何者だ。」

 すると全身を黄色や橙色に輝かせた者達は口々に答えた。

「わたしはわたしだ。わたしたちはみなわたしたちだ。」

 ここで発せられた「わたし」という言葉は今では「人間」を意味する。この時初めて水の精霊は自我という概念を知った。これは再び石の中に閉じ込められた光の精霊と火の精霊が、どれだけ永い時間が流れてもけっして融け合うことなく別個の存在であり続けた結果「わたし」と「あなた」と呼び合う中で生まれた観念である。そしてこの時水の精霊は気づいていなかったが、以後精霊達が「わたしは」と言った瞬間その掴みどころのない姿からわたし(人間)の姿に変身するようになってしまった。

 水の精霊は辛抱強くそれらの話を聞いた。それらは自分が何者かを理解していなかったが、水の精霊はそれらが火の精霊そのもの、光の精霊そのものであることを見抜いた。理由は明らかでないが本人達は忘れてしまっている。

「わたしたちのからだは燃えるように熱い。また別の者は暗闇の中でも昼のように眩しく休まることがない。この渇きを潤してはもらえまいか。安息を与えてはくれまいか。」

「その望みなら叶えられる。」

 闇の精霊の逆鱗に触れるのを恐れた水の精霊はそれらを根絶やしにせんとして天を仰ぎ激しい雨を降らせた。たちまち洪水が起きる。その時だった。地の精霊が目覚めたのは。

 嵐で削られても炎で焼け焦がされても、また氷に蝕まれても目を覚まさなかった血の精霊はわたし(人間)の来訪を知るとむっくりと起き上がって迫り来る洪水を堰き止める丘となった。洪水にその身を削らせると更に立ち上がる。削られた部分が洞窟になりわたし(人間)達はその中で雨をしのぐことができた。

「なぜわたしの怒りを阻むのか。」

 わたしの、と言った瞬間水の精霊はわたし(人間)の姿になった。

「わたしは育むためにある。」

 わたしは、と言った瞬間知の精霊はわたし(人間)の姿になった。

 地に穿たれた小さな穴は雨水で満たされそれ以上は何も出てこない。洞窟に取り残されたそれらは吹き荒ぶ嵐を耐え忍んだ。

 長い長い間。時折耐えきれなくなった何人かが海に跳び込む。それらはじきに溺れたが、光の精霊と火の精霊の姿に戻り天高く飛び雲を越えた。火の精霊は太陽となった。また昼の空を埋め尽くす星々になった。光の精霊は月となった。また夜の空を埋め尽くす星々になった。

 精霊の変身の末産まれた太陽と月は同じ明るさであった。但し今の月よりは明るく、今の太陽よりは暗かった。

 燦然と輝く太陽と昼の星々は永い間空を厚く覆っていた雲を掻き消し、石のひびの真上に留まってひびを埋める氷を溶かし始めた。

 水の精霊は一転して劣勢に陥ったものの、決して火の精霊を許そうとはしなかった。

 地の精霊は火と水の仲裁を試みた。精霊はそれぞれに条件を提示した。即ち、以下のようであった。


・火の精霊と光の精霊は未だ地下にいる仲間の解放を望まない。代わりに今地上にいる同胞達を見逃してもらう。


・水の精霊は地上の火の精霊を見逃す代わりに太陽と昼の星々による蒸発を止めてもらう。


 火の精霊と光の精霊は承諾した。しかし水の精霊だけは納得しなかった。太陽と昼の星々は火の精霊であるために明るいだけでなく熱かった。昼の間中水が蒸発せずに済むにはせめて昼の星々には消えてもらう必要がある。だがこれは太陽が拒んだ。

 このままでは和解が成り立たない。争いが長引けばまた闇の精霊を怒らせてしまうだろう。火の精霊も光の精霊も地中深くに閉じ込められるのだけは嫌だった。

 ここで月が新たな提案をした。月は言った。

「もし太陽が自分の仲間である昼の星々を殺すなら、私も夜の星々を殺すことにしよう。」

 太陽は渋々ながら受け容れた。こうして昼の星々はひとつ残らず同胞である太陽に呑み込まれて死んだ。おかげで太陽は一層輝きを増したものの、何の慰めにもならなかった。

 火の精霊・光の精霊と水の精霊の和解が成立するのを見届けた後、月は自分の後ろに殺さず隠していた夜の星々を空に解き放った。月の周りが前と変わらず明るいままなのを見て、ようやく太陽は月に騙されたことに気づいた。

 光の精霊たる夜の星々は明るくとも冷たいので、どれだけ大勢いても氷を溶かすこともない。元々殺す必要がなかったので水の精霊も咎めなかった。

 起こったのは太陽である。その時以来太陽は赤く燃えるようになり、絶えず月を追い回すようになった。昼と夜が概ね規則正しく巡るようになったのもこの時からである。

 その後、太陽が最初に月に追いついた時、悲しみに打ちひしがれ怒りに身を任せた太陽は月に掴みかかって右目を食べてしまった。太陽は三つの目を持つようになり一際明るくなった。対する月はそれまでの明るさを失い、それまで眩しいあまり見えていなかった素顔が露わになった。今でも月を見れば目玉を抉り取られた大きな穴がはっきりと見える。

 太陽は月を追うのをやめなかったが、月の左目を奪う代わりに夜の星々を殺すようになった。時折夜に流れ星が落ちるのは太陽の投げた石ころが星に当たるためである。


 途方もない年月の果てに和解が成立し、穏やかさを取り戻した海で喉の渇きを潤そうとしてもわたし(人間)達は決して癒されなかった。そこでそれらは太陽と共に月と共に石の上を旅した。永い間わたし(人間)達を滅ぼさんとして降りしきった風雪とそれらを守るために起きた度重なる地震によって丸く平坦だった地表には切り立った崖や底の見えない谷が造り上げられており、絶えずそれらの進む道を阻んだ。それでも歩き続けると、あるものと出会った。

 光の精霊と火の精霊が石の内側に閉じ込められている間、石の上は完全な静寂に包まれていた訳ではなかった。退屈した水の精霊が水を浸み込ませた黒土で四本足の泥人形を作って遊んでいた。しかし何かが足りずすぐに動かなくなってそのまま忘れ去られていた。

 わたし(人間)達は潤いを求めていた。凍りついた泥人形達は熱を求めていた。

 かくして世界で最初の結婚、火と水の真の意味での和解、融合が成立した。だが最初の内はうまくいかなかった。泥に包まれた。泥に包まれたことで火の勢いが弱まり、水と土でできた身体を動かすには力が足りない。そこに生命の息吹を吹き込んでやったのは、炉を掻き立ててやったのは風の精霊だった。

 こうしてそれらの中に光の精霊、火の精霊、水の精霊、地の精霊、風の精霊の五柱が驚くべき調和の下に融け合うこととなった。その様子はさながらひびが入る前の<石>のようでもあった。

 地上に地下に生ける者達はこうして生まれた。


 火を宿した泥の者達の体内で火が燃え続けるには空気穴が必要だった。そこで泥の者達は互いの顔に指を押し当てて穴を三つ穿った。ひとつは口に、二つは目になった。その瞬間から泥の者達は口でしか食べることができず、目でしか見ることができなくなってしまった。

 火を宿した泥の者達は決まった姿を持っていなかった。その身に宿る四精霊のいずれが特に力を発揮するかによってその姿を自在に変化させた。即ち、


 地の精霊がその身を耕さんとする時

……苔、草、木、ムカデ、ミミズ、トカゲ、ヘビ、ナマズ、その他の獣たち


 水の精霊が乾いた土を潤さんとする時

……魚、貝、サンショウウオ


 風の精霊が飛べずにいる者を上からからかわんとする時

……鳥、虫


 光の精霊が隠されしなにがしを照らし出さんとする時

……人間


 火の精霊が既に築かれたものを焼き払い目新しいものを求めんとする時

……龍


 火を宿した泥の者達がたちまち石の上に満ち、かつてない賑やかさに包まれた。精霊達が削り続けて角ばった荒れ地をムカデやミミズが耕し、鳥や獣が疾駆する。

 泥の者達はそれ自体五精霊の結びつきで成り立っていたが、より多くと結ばれるために更なる融合を求め他を食した。自分が食う側か食われる側かは重要な問題だ。彼らは自分が食う側になるために化かし合った。鳥に食われそうになった虫は獣になる。食われそうになった鳥は獣になる。食われそうになった鳥はより大きな獣に。

 獣達は際限なく巨大化し、やがて岩陰に隠れた小さな獣達に口が届かなくなってしまった。飢えた大獣達は次々に大樹に変身した。飢えた口は根へと変化し、火を宿した泥の者達を根で締め上げて地中にさらって吸収した。呑まれた獣は大樹の喉を通って果実となり、多くの生命を養った。あらゆる生命を結び合わせる輪が回り始めていた。

 それまでさほど高い木のなかった地表を覆った天を衝くほどの高さの広大な森はこのようにして成立した。


 大獣達が大樹になった後、地上に王として君臨したのは蛇だった。彼らは自分より大きな獲物を丸呑みにして丸太のような姿になると、同胞の尻尾に噛みついてそれらが次々に連なり、とうとう山を越え海を越え、丸い石を一周するほどの長さの一頭の大蛇になった。鳥や獣のことごとくが大蛇の下敷きになった。

 獰猛な大蛇に果敢に立ち向かったのは龍だけだった。しかし彼らの吐く炎も大蛇の岩のような鱗には敵わない。龍は蛇の吐く毒を恐れて空へ逃げた。大蛇に仇する者はいなくなった。

 大蛇は最後に自らの尻尾に噛みついた。その瞬間、世界は二つに分断された。大蛇の腹と地面とがこすり合わさる場所で真理は二分された。即ち、


 世界の左側には善が留まり、世界の右側には悪がはびこった。

 世界の左側には真実が留まり、世界の右側には嘘がはびこった。

 世界の左側には生が留まり、世界の右側には死がはびこった。


 大蛇に踏み潰されていた泥の者達もまた、二つに分かれて外へ這い出た。即ち世界の左側には女が、世界の右側には男がさまようようになった。

 本来ひとつだったものが二つになった。その時から両者は再び融合を求めたが、既に大蛇は世界を分断する物言わぬ雄大な山脈に変身しており、いかなる者の横断も認めなかった。それでも尚太陽と月は回転を続け、世界の左側と右側を交互に照らしていた。

 絶え間なく肉体を突き動かす衝動によって、世界で最初の女達は山脈を登り始めた。旅は果てしなく続いたが、汲めども尽きぬ融合への欲求もまた果てることはなかった。

 世界の左側にいる限り火を宿した泥の者達は生き続けることができたが、その生は決して満たされることがない。

 世界で最初の女達は世界で最初の男達と結ばれるべく山脈を登り続け、遂に横断に成功したものの、それは同時に彼女達の死をも意味した。

 女達は死んだ。男達は既に死んでいた。

 闇に包まれた死の世界で、男女は融合を試みた。しかし再びひとつにはなれなかった。その代わり女は自分の身体の中にもうひとつ、新しい火が灯ったことを感じた。

 女の腹には新たな生命が宿り、それは女自身を輝かせた。世界で最初の女達は再び山脈を登り、行きよりも軽い足取りで世界の左側へ戻った。

 女達に宿った火は次第に勢いを増し、やがて分かれ出た。こうして世界で二番目の女達と世界で二番目の男達が産まれたのだった。

 世界の左側に男がもたらされたことでわざわざ世界の右側へ行かなくとも男女の融合は果たされることになった。それでも生ある者はいずれ生と死を分断する山脈を越えて世界の右側へ行かなければならない。そうして女だけは新たな生命を宿して世界の左側へ戻って来るのだった。


 自由に左右を行き来できる存在は女達の他にもいた。大蛇に踏み潰される前に空へ逃げた龍だけは、生死の境がなく性別もなかった。

 龍が世界の右側に降り立った時、生なき者達は畏怖の感情を仰々しく表しつつこう尋ねた。

「あなたがたの鱗は岩のように堅く、その母岩をも砕く。吐く炎の凄まじさは太陽に等しく、眼には星の光が宿っている。しかしかつての大蛇に比べれば比べものにならないほど小さい。例え何匹集まっても山脈の右側から左側を結ぶ橋にすらなれないだろう。」

 龍はすぐに反論した。言葉を述べてこう告げた。

「我らは火の精霊の化身。我らの吐く炎はじきに身体を持ち仲間となる。それはお前達が数を殖やすよりずっと早い。この程度の山脈を越える橋など、我一人で架けて見せよう。」

 言うが早いか、龍はとぐろを巻くと炎を吐いた。炎は吹き消えることなくどこまでも高く飛び、とうとう世界の左側に到達したようだった。

 これを見て大喜びの男達はすぐさま炎の橋を登ろうと試みた。

 しかし、虫の男は燃えた。鳥の男も燃えた。獣の男も燃えた。

 ただ唯一、人間の男達だけは火傷も追わず橋を渡れた。だがそこで目にしたのは馴染みのある風景だった。

 世界の右側からもたらされた火種によって世界の左側に瞬く間に炎の手が燃え広がった。燃え上がる内に炎から龍が産まれ、千年の森も一日で焼け落ち、男達が辿り着く頃には焦土に成り果ててしまっていた。

 世界の右側の男達はそれでも諦めることなく進軍し、生きた大地を求めて旅を続けた。

 立ち枯れた木々を薙ぎ払いつつ進む死者達の前に立ちはだかったのは世界の左側の男達、世界で二番目の男達だった。

 戦乱は長く続いたが、とうとう融合することはなく最後には世界の左側の男達が勝利を収めた。

 争いの最中に死んだ右側の男達は泥に戻っただけだが、左側の男達は死ぬと竹になった。不幸にも争いに巻き込まれた女達は自らを救うべく葦となった。竹は地下の水を汲み上げ、葦は豊かな穂を実らせた。

 世界の右側から訪れた男達が残らず滅ぼされると森を焼いた炎もじきに鎮まった。


 緑溢れる世界にとって、火は危険極まりないものでしかなくなっていた。火を宿した泥の者達の中でも一際強い火を宿す龍達は地下へ潜って火の精霊を封印することに専念した。地上から龍が去り、それと共に火が姿を消した。新しい生命が火を核にして自然に産まれることもなくなった。


 大蛇が山脈となり、龍が姿を消した世界で人間達は崇めるべき存在を失った。人間達はもの言わぬ太陽に神の姿を見た。生の世界と死の世界を行き来する太陽に全知全能を見出だした。

 人間は神に世界の管理を命ぜられた。あらゆるものに名前を与え、丹念に調べ上げねばならなかった。彼らはそのようにした。

 それらの作業を進めていく中で、牙も爪も翼も持たない人間達はようやく自らの力に気づいた。それは、意味を与える力である。彼らに名前を与えられた泥の者達はそれ以後変身することができなくなってしまった。魚が人間に、人間が鳥になることはできなくなった。

 また、変身する最中に名づけられてしまった泥の者達はどっちつかずの姿のまま留め置かれることになった。それが、我々である。

 未だ自在に変身する力を持つ者は世界の右側にいると云う。

 人間は思いつく限りのものを神に捧げようとしたが、自らの祈りを天まで届けるにはどうしても火で燃やして煙にする必要があった。

 じきに人間達は姿を消した。火を得るために世界の右側へ行ったとも地下へ潜ったとも、神の不興を買って楽園を追放されたとも言われる。真相は定かではないが、今日に至るまで人間が戻っていないことだけは確かである。


 神など始めから存在せず、ただあるのは太陽だった。それでも人間が書き遺した膨大な石版や壁画は紛れもなく存在した。以後、楽園は姿を変えてしまった。

 自在に変身する泥の者達の大きさを測ることは不可能だったため、大きさが記録されることはなかったものの、ものの重さは正確に書き記した。広大な森を形成していた大樹は自らの重さを支えきれなくなり、地面が崩れて海に放出された。あるものは沈み、あるものは火を宿した泥の者達を乗せたまま海を漂い、それぞれがひとつの島を形成するに至った。それが、この島の成り立ちである。


    「天体運航韻律始原譜

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