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天体運航韻律再現譜 One of a Song of Imbolc  作者: 石田五十集(いしだ いさば)
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二九日目

お読み頂きありがとうございます。次回「三〇日目」がクライマックスとなります。

 それは、誰も知らないはずの物語。親から子へこっそりと紡がれる冥界の噂話。太陽と月が死にに入り、甦って出ていく場所。アサギマダラの精が目指す故郷……

 <大樹>の根はどこまでも伸びて星の中心でもうひとつの大きな樹の根に絡まり合うと云う。どこまでも伸びる遥か下の海の上にはもうひとつの島がある。<島>(カラル)の反対側にあるその島では何もかもが反転している。水は下から上へ落ちる。海は空になり空が海になる。<島>の海水は彼のルーラッカへと流れ、重力が反転するために 滝となって空へと流れ落ちる。空が青いのは彼の島の空に満ちる水がこちらまで流れるせい。再び重力が反転して空の水は再び海に戻る。雲を通して雨として。

 水平線の彼方に沈んで姿を隠した太陽と月は空が海になる滝の下、本当の意味で海の底に沈んで死んでしまう。そうして無数の星になって散り散りに漂う内、再び凝集して新しい太陽と月が生まれるのだ。

 このような思想を背景にして、春二九日目の二度の試合は半ば儀式として執り行われる。太陽が南中を迎える正午の試合で太陽の戦士が定まる。

 この試合は、さすがに強者同士であるため夕方まで続いた。結局、カミキリムシの精を下したスカラベの老戦士が勝利を手にすることとなった。両者の実力は完全に拮抗しており、最後の一撃までどちらが勝つか予断を許さなかった。強いて勝因を挙げるとするなら、大柄で比較的動きの鈍い甲虫類を相手に小柄であるがゆえの敏捷さを存分に活用したことであろう。だがそれも、彼が勝ったからこそ導き出せる理由づけに過ぎなかった。

 ともかく太陽の戦士は定まった。島中の人々が集まったのではと思えるほどの観衆の「彼こそが太陽!」(パリァ・セランドァ・ニーヴァ・テクラン)との声に包まれる中で三人の執祀官が門を立てて<太陽>(ニー・ヴァ・テクラン)をあちら側へ、<島>の向こう側へ、太陽が死して産まれ変わるルーラッカの地へと導く。彼が門をくぐった瞬間、砂浜一帯に鳴り響いていた歓声は止んだ。スカラベの老戦士は<大樹>の最上階のひとつ下、聖なる人々が暮らす場所で一晩を過ごすことになる。これは得がたい栄誉ではあったものの、今や彼は太陽と同格の地位なのだから当然の待遇ではあった。

 長時間に渡る試合は観客を充分満足させ、その興奮は明日の太陽誕生祭まで持続しそうなほどだった。しかし一人のハチドリの精はその模様を夜になって初めて聞いたのだった。

 ヴェルチンジェトリックスの世話を終えたフリョッハはパキリリェッタの気まぐれで誰も彼も、聖なる人々達でさえもが出払った<大樹>を探検する羽目になっていた。島を縦に貫くこの塔の中には眠りに就いた夜行性の精達と滅多に外に出ない蚕の精達、それにヴェルチンジェトリックスとバラールブローメしかいない。

「ほんとに行かなくていいの?一日目に活躍したスカラベのおじいさんが出るって聞いてたからすごい楽しみにしてたんだけど……まあ一日目のも見てないんだけどさ、リエッタを捜し回ってて……」

「なら行ってきなよ。わたしは八〇人の兄弟たちとここで待ってるから。」

 螺旋階段を下る白い少女がこちらを振り向きもせずに冷たくあしらう。

「そんなこと……するわけないでしょ。」

「どうして?」

「どうしてって、そんな……」

 魔性の言葉にたじろぐフリョッハ。自分を蔑ろにしないと分かっているからこその発言。自信満々の口ぶりに悔しささえ覚える。

 所有の概念が希薄な彼らは他人の物を盗まない。敢えて他人を家の中へ立ち入らせない工夫の必要性を感じない彼らにとって広間という公の空間と個人の空間との仕切りは暖簾一枚で充分なのだった。いつになく静まり返った<大樹>の中で暖簾の隙間越しに他人の生活が見え隠れするのは何となく落ち着かない。そんなフリョッハをよそにパキリリェッタは大胆にも中を覗いてみたりしている。

「……リエッタは実感あるの?明日で……」

「あるよ。内臓だけが宙に浮いてるような感じがする。」

「どんな感じなの、それ……」

「でも怖くはないよ。身体はどうすべきかよく知ってて、準備してくれてる。わたしはただ繭を編んで眠りに就くだけでいいの。それだけ。月が毎日産まれ変わるのと同じくらい自然なこと。今まで何度も繰り返してきたし……」

「え……?」

「リァンノー、笛。貸して?」

 抵抗することを禁じられたかのように、フリョッハは太腿のホルスターから母の形見を抜き取り差し出した。受け取った蚕の精はすっと背筋を伸ばしておもむろに咥える。しなやかな細い指が呼吸に呼応して迷いなく七つの穴を押さえては開く。その憂いを含みながらもなお弾むような旋律には確かな聞き覚えがあった。

「この曲って……」

 それは、春一日目にのみ奏される芽吹き寿ぎの祝い歌。母のミリティウが幼いブレンに教え、ブレンがロナンとフリョッハに教えた。未だ幼い彼女にとっての幼年時代の思い出の一曲だった。

「……リァンノーはこの曲が好きで、春一日目インボルクのお祭りが終わった後も吹くせいでよく怒られてた。何回春を呼ぶつもりだって。」

 吹き終えた蚕の精がひとりごちる。

「音楽もそうだけど、名づけのセンスも抜群だったの。産まれた蚕の精の半分くらいはリァンノーが命名してた。世話係の仕事をしてる間もたまに産まれたての赤ちゃんを連れたお母さんが来て名づけをお願いしに来たり。まるでリァンノーにはその子が大きくなったらどんな子になるのかわかってたみたいに……」

 僅か二九日前に産まれたばかりのはずの少女によって短くとも四年以上前であることは確かな記憶が紡ぎ出されていく。その夢を見ているかのような眼差しをまっすぐ向けられることがフリョッハには怖かった。だが少女は彼女を見ているのではなく、彼女を通してある種の理想化された虚像を見出だしていた。昨日の夜明け前にドクターから聞いた話が手触りさえ感じられそうなほどの実感を伴って思い出された。

「リエッタ、もしかして……」

「ごめんねフリョッハ。わたし、あなたのお母さんを知ってるの。今まで黙っててごめんなさい。」

「いつから……?」

「はっきり前世の記憶だとわかったのは第五齢になる脱皮の間。夢の中で曾祖父に会ったの。彼は世話をしてくれたミリティウリァンノーに恋心を抱いた。でもリァンノーは彼が幼いうちにより多くと結ばれてしまった。」

「わたしが……産まれたせいで……」

 うつむくフリョッハの手を白い亡霊が握り締める。

「リァンノーの死は紛れもない事実。でもそれはあなたのせいじゃない。こうして触れているだけであなたの中にリァンノーが生きてるって思える。今ならはっきりわかるの。わたしはこうやってあなたの手に触れるために生命を繋いでここにいるって……」

 うつむいたままのフリョッハの表情を隠す黒い前髪を掻き上げ、その額に自分の額を摺り寄せる。流暢に語る口の下には明日の出番を待つ吐糸口が大きく開いている。

「そんなの……おかしいよ。わたしはどうなるの?お母さんのことなんてわたしなにも知らないのに、勝手なこと言わないで。」

「リァンノー……」

「もうリァンノーなんて呼ばないで……死んだ人の名前で呼ばないで!」

 白い両手を振りきってハチドリの少女は上へ上へと羽ばたいた。誰にも気取られずに泣ける場所を探して飛んだ。実際<大樹>はがら空きだったが、自室にこもって静かに啼いた。

「……これでよし。」

 蚕の精はある一室へ向かって更に階段を降りていった。曾祖父のパルチティナンが望んでいたのはかつてリァンノーに伝えられなかった想いをフリョッハに告白することだけだった。それが果たされた今、過去の亡霊が囁くことはもはやなかった。だがパキリリェッタには別の考えがあった。行動を企てるだけの強い願いがあった。


 目的の部屋へと辿り着くと、パキリリェッタは寝台へと忍び寄る。ヴェルチンジェトリックス、眠れるアサギマダラの精が倒れた日と同じ姿のままそこにあった。腰から生えた可憐な翅の生々しい傷はいよいよ付け根にまで及んで彼の身体を蝕み始めている。だが生きながら腐りつつある彼を見つめる蚕の精の一四の瞳には憐憫とは別の感情が揺らめいていた。

「フリョッハはわたしだけのものなの。なのにあの子の恋心はあなたに傾いたまま。そんなの許さない。いい?これから起こることはあなたのためじゃない。わたしたちの永遠を成就するためにあなたを利用するだけ。それであなたが喜ぶ結果になったところでわたしたちとはなんの関わりもないんだから。せいぜいわたしの思惑通りに動いてね。……何世代もかけて理想を追い求めるなんてもうまっぴら。永遠の愛を手に入れるのは”この“わたし。」

 パルチティナンとの葛藤を越えて彼と一体化したパキリリェッタは亡霊の存在を感じなくなった後も変容した意識が、人格が元に戻ることはなかった。彼女は自身の欲望のために他者を利用する術を独りでに身に着けた。雲の上に位する者は今やルーラッカに堕ちた。自身さえも気づかぬ内に、蚕の精は魔女ヤプ・ユムになっていた。


 月の戦士が定まる試合もまた、正午の試合の時のように儀式の色合いを帯びている。しかし執り行われる時間帯は真夜中と決まっていた。太陽の後を追った月が<島>の反対側で散り散りの星になる頃、月のない星空の下で静かに始まる。太陽が真上にある日中の試合とは異なり、あちら側へ行くための門は試合が始まる前に立てられる。二人の戦士が入った後、観客達もぞろぞろと門を通る。夜も更けているため昼間ほどの人数ではないが、それでも全員の入場を待つには時間がかかり過ぎる。そのためこの時ばかりは更に七つの門が立てられるのだった。

 足跡ひとつ残らないよう整地された砂浜で刀を構えるはヨナグニサンの精。その刃渡りは自身の翅の全幅を優に超える。相手を見据えたまま組んでいた後ろ手をそろりと構えたのがカレハカマキリの精。左脚を伸ばしたまま右脚を前に出して静止した彼の両腕は見事な二振りの鎌になっており、その鋭利さは相手の木刀の比ではない。その威容に本能的に恐怖を感じた観客の中には後ずさりする者も少なくなかった。だがヨナグニサンは臆することなく、自らを鼓舞するかのように先手を打った。相手を挑発するかのように両手で持っていた刀を左手で軽く構え、まるで自身も二刀流であるかのようにひらりと身を翻してまず円の直径を広げた。カマキリの精の研ぎ澄まされた感覚はその兆しを逃さず完璧に模倣して見せた。その後に続く技量比べの剣舞も両者一歩も譲らない。どちらが主導権を握っているかはもはや本人達にしか判りようがなかった。こちらが難度の高い技を繰り出せばあちらも同じ技をこなした上で迷いなく次の技を仕掛け……。隈なく紋様を巡らせた大振りな翅と刀のヨナグニサンの方が見かけは派手ではあったものの、目玉紋様の翅を畳んだまま応戦するカマキリがあたかも実際にひと振りの刀を手にしているかのように振る舞うために底知れぬ迫力があった。

 一切の静寂の中で波の砕ける音と二戦士の砂を踏む幽かな足音だけが潮風に乗って人々の耳をくすぐる。


 星明かりの下でどれほどの時間が経っただろう。星々の運航を見れば夜明けまではまだ猶予があると分かる。果たして、群れをなして輪を作る精達と、彼らを包む更に多くの精霊達と、精霊達より遥かに多くの星々に見守られる中で月の戦士は定まった。最後は有利に見えたヨナグニサンの精の長大な刀が仇となってカマキリの精の二振りの鎌の奔流を押さえきれず敗れ去った。

 月の戦士はルーラッカで産まれた新しい月が顔を覗かせる前に<大樹>に戻るのが良いとされる。カレハカマキリの戦士は星まで届きそうなほどの歓声を背に受けつつ<大樹>へ向けて飛び立った。彼以外の多くは敗北を喫した戦士を先頭に門をくぐり元の世界へと戻っていく。この時立てられた七つの門は解体されることなく明日の祭りでも使われることになる。白熱した争い(踊り)の余韻に浸っていたい熱心な観客達は門をくぐった後も砂浜のあちこちでたむろする。そうしてそのまま一年の最後の夜明けを拝むことが何となく恒例となっていた。クロッテュフィガルもその一人。そう遠くない場所には多くの育ち仲間達に囲まれてクロッテュロナンも。それぞれがそれぞれの場所で日の出を見た。フリョッハは自室の窓から、涙の滲んだ目で。パキリリェッタは光の閉ざされた最上階から、蛹化のために研ぎ澄まされつつある全感覚で朝の光を感じ取った。

「三〇日目。」


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