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天体運航韻律再現譜 One of a Song of Imbolc  作者: 石田五十集(いしだ いさば)
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LEGACY-0016「伝統行事の由来と変遷について」

 人類の歴史は征服の歴史であると誰かが言った。この意味での「歴史」は、至福の島には存在しない。穏やかに暮らす人々は征服者と被征服者とに分け隔てられることもなく互いに認め合うのを当然のこととしている。だがいかなる立場の人物であれ決して多数派に成り得ないこの無限の多様性を包含する穏やかな統一の下に成り立つ集団であっても過去に起きた争いはその希少さも相まって他の伝承より遥かに鮮烈に記憶されるらしい。

 決まって一年に一度訪れる天体イベント、春三〇日目の皆既日食の際行われる太陽と月に見立てた二戦士の戦いは太陽と月の起源説話とバングラム信仰が習合した儀式であると考えられる。


【A 太陽と月の競争】

 最初、太陽は二つあった。その二つは同じ明るさで、今の月よりは明るいが今の太陽よりは暗かった。……(長年の海水の浸食により消失)……


……とうとう龍血樹がただひとつの果実さえも実らせなくなった時、緑色の輝きを失ったやつれた木々から一枚の枯れ葉が舞い散った。筋肉の盛り上がった巨体のせいで背後を顧みることのできない愚かな獅猪の背に降り立った葉は、実はカレハチョウの翅持てる人だった。それまで妖精達は戦う術を持たなかった。彼は太い枝から削り出した木刀ひとつで立ち向かい、枯れ葉に擬態できるからこその謀略を巡らし、とうとう獅猪を地の下へ追いやることに成功したと云う。巨大な獣の血と肉によって龍血樹は、至福の島は二度目の再生を果たした。バングラム、その名を讃えられた者は次なる外敵の侵入に備えて勇敢な若者達に武器の造り方と扱い方を教え、現れた時と同じようにひらりと消え去った。しかしその名は永遠となり、彼のもたらした武術が本来の目的を忘れ去られ自己鍛錬と観客を楽しませる芸術に昇華された後も、最も優れた技を会得した者に「バングラム」の称号が与えられるようになったと云うことである。


 以上、この洞窟の記録を引用したがこの【A】の伝承と【B】の史実こそ、私が目撃した行事の原型であると見て間違いないようである。両者が習合されていく様を見た人間はいないので飽くまで憶測にすぎないのだが、まず歩み寄りを見せたのは【B】であろう。当初は外敵との戦いを想定したチャンバラに過ぎなかった対戦の形式が徐々に洗練され、彼らの精神世界を反映して絶えず旋回を繰り返す現在のものとなったことでその様子を自分達の島を中心に公転する二つの天体、太陽と月になぞらえたと推測できる(彼らは地球の大半の古代人と同じく議論の余地なく天動説を採っている)。地球に遺る素朴な神話のいくつかではかつては日月や星々も我々と同じように地上にいたとする話が見られるが、妖精達もまた偉大な天体の数々は我々の肉体を構成しているのと同じ精霊の働きによるものとして並々ならぬ親しみを抱きつつ語る。こうした素地があればこそ、太陽と月の競争を二人の戦士の戦いに見立てることも可能だったのだろう。


    『伝統行事の由来と形式の変遷について』「春の章」より、ハロルド・トムソンが記す

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