六日目
一応第11話までは書き上げられてます。早めに更新できるようがんばります。
六日目
「ね、ね!フリョッハパパ、きのう砂浜でなに拾ったとおもう?……じゃーん!見て見て、これなんだろ?なんかに使えるかなー。」
朝食のために起きたクロッテュファーガルは、寝室の出入り口にかかった暖簾をくぐった瞬間、待ち構えていたパキリリェッタに出くわした。
「朝起きたらまずはおはよう、だ……」
彼女の頭を撫でながら、差し出された赤い円盤を受け取る。
「もうリエッタったら、隠しといたほうがいいって言ったのに。」
「だって見てほしかったんだもん。っていうかおねえちゃん、今のなに?!リエッタってもしかしてわたしのあだ名?」
「だってパキリリェッタって長いし……そんなに変?」
「ううん、かわいい!とってもうれしい!ねね、もっかい呼んで?」
「はずかしい!もう呼んであげない。」
クロッテュが円盤をテーブルに置いたのを合図に、きゃっきゃと言い合っていた二人も席につく。
「私は<大樹>に感謝します。その身を以って実を成し我々に血肉を与えて下さることを。わたしはあなたから産まれあなたによって生かされあなたの許に還る。あなたがより多くと結ばれますように。」
「「あなたがより多くと結ばれますように。」」
静かに食べ始める父に恐る恐るフリョッハが尋ねる。
「……へいきなの?砂浜から持ち帰ったものだからてっきり怒られるかと思ったんだけど……」
「別段構わんだろう。異界の植物の種や何かなら話は別だが。要するに<大樹>に害を成すかどうかが重要なんだ。」
「さっすがパパ!分かってくれると思ってたよー。」
「私はお前の父ではない……」
ぶつぶつ言いつつ食べ進める父の耳に客人の来訪を告げるノックの音が届いた。音はクロッテュの寝室からだ。
「だれかいたの?」
「来たんじゃない?」
「おそとから?」
「外から。」
だるそうに手を止めて自室に戻る。フリョッハとパキリリェッタも後について覗き込む。
「あ、鳥さん!」
窓の外ではクロッテュやフリョッハと同じ黒い翼をもつハイバラエメラルドハチドリがホバリングで高度を保ちつつ室内の様子を伺っていた。ハチドリのけたたましい囀りにハチドリの精のクロッテュも同じ鳴き声で返事する。ハチドリは天井に頭をぶつけないよう注意しつつ中に入るとさらに会話を続けた。
「……おねえちゃん、鳥さんなんて言ってるの?」
「ドクターから紙を届けるように頼まれたって。」
「フリョッハパパはなんて?」
「そんなの届けられても困るって。」
鳥や虫と人間の形質を併せ持った精同士は人間の言語で話せるが、鳥はその種ごとに言語が異なるため同じ鳥の精でなければ解することが出来ない。
クロッテュがハチドリの脚に結わえつけられた封筒を解くと、彼は去っていった。
「なあに、それ?」
「分からない。こんなものを届けて一体どうしろと言うんだ……」
受け取ったパキリリェッタが紐を解いて丸められた紙を広げた。
「何も描いてない……よね?」
フリョッハが朝の光が差し込む窓をカーテンで閉め切る。仄暗い部屋の中で、パキリリェッタの持つ紙がぼんやりと光り出した。
「わあ……」
「光の精霊が出す粉を紙にこすりつけると絵が描けるんだよ。」
「へえ……でもこれ、ちょっときもちわるい。」
放つ光が強まり、はっきりと形を取り始める。そこには小さな渦巻き模様のようなものが神経質にびっしりと並べられていた。
「ドクターはこれを文字と呼んでいた。その絵の一つ一つに意味が込められているらしい。」
「ふーん……」
「でもこれどうする?届いたからには無視するのもわるいけど……」
「そうだな。何か用があって描いたんだろう。フリョッハ、パキリリェッタを連れてドクターの家に行ってきなさい。」
「えっ」
「あの赤い円盤も持って行くと良い。それが何なのか教えてくれるだろう。ドクターは外の世界からやって来た人間だ。」
「……わたし、最近余計なことばっかり言って損してるよね?」
誰に尋ねるでもなくぶつぶつ文句を言いつつとぼとぼ歩くフリョッハ。相変わらずパキリリェッタは一人でずっと先まで進んでしまっている。街を出ても賑やかなことに変わりはない。空は蜂の精や鳥の精がせわしなく飛び回り、飛行がさほど得意でない虫の精が葦を掻き分けて道を外れ散らばって歩いていく。みなパキリリェッタを見ると不思議そうに足を止める。
「みんなどうしてわたちのこと見るのかな?」
「<大樹>の外で暮らしてる人たちは蚕の精を見慣れてないからね。」
「ふーん……」
ドクターのねぐらは<大樹>から南東へ向かった先の森の中にある。日当たりの良いこの辺りは広い空を望めないほど木々が生い茂っているのだが、不自然に開けた平原が円状に広がる地帯がある。ドクターが住むあばら家はその中心に構えられている。
木々が徐々に低く細くなり、木漏れ日が頼りの薄暗い森から平原に出た。一本も木が生えていない場所など、ここの他には砂浜くらいのものだ。照り付ける対応を手で抑えながら、例のあばら家に向かう。
「おねえちゃん!あれのこと?」
午前の太陽の光を受けて消え入りそうなほど白く輝く蚕の精が左手で指し示す。右手には赤い円盤。
「そう、それ。気をつけて。変なものが置いてあるかも。」
恐る恐る入り口のカーテンを捲るパキリリェッタの後ろに追いつくと、フリョッハも内部を覗く。薄暗いながらも所々外からの光がスポットライトのように入り込んでいる辺りが作りの甘さを物語っている。日陰になっているとは言え、<大樹>と根で繋がっている葦が外と同じように平然と生い茂っている。本当に雨風をしのぐためだけのもののようだ。
その時、部屋の奥で鋭く光る八つの目がフリョッハの脚をすくませた。
「リ……リエッタ、逃げて……」
「どうしたの、おねえちゃん。……顔こわいよ?」
一四の瞳を持つ蚕の精が心配そうにフリョッハの顔を覗く。産まれたばかりの彼女には目前の生物の恐ろしさが分かっていない。いや、それ以前に存在すら感じ取っていない。平行に並んだ八つの単眼はひょっとしなくても蜘蛛のものだ。しかも地面に穴を掘って待ち構え、そうと気づかず近接した獲物を目にも止まらぬ速さで捕獲するジグモの類い。彼らは地面に伝わる振動を自分自身の皮膚感覚のように近くできる。既に二人の存在に気づいているのは間違いなく、しかも恐らく射程範囲内に侵入してしまっている。
フリョッハはあまりの恐ろしさに声も出せなくなっていた。そんな彼女の様子を訝しく思いながらも先へ――ジグモの巣穴へと歩みを進めるパキリリェッタを引き止められなかった。
(まって、そっちに行ったら……!)
入口のカーテンががばっと開いて白い光が奥に潜むジグモの姿を照らし出す。
「タルフ、心配要らない。その二人は安全だ。」
老人の声に呼応してジグモも緊張を解く。初めて見る生き物に興味津々のパキリリェッタは離れようともせず彼の単眼を見つめる。
「ふぉーっかっこいいー!!」
興奮する幼児の前でむっくりとジグモが起き上がる。穴から這い出た彼の姿はジグモの甲殻を背負った少年だった。
「なんだ、あなたジグモの精だったの?」
恐怖から解放されたフリョッハは膝から崩れ落ちた。表情の険しいジグモの精が二人を交互に見つめる。八つの単眼でなく、二つの目で。しばしの沈黙。
「ぃやあ怖い思いさせてごめんなさい!はじめっから獲って喰おうなんて考えてなかったんだけどこれも仕事だったんだ。。驚かせて悪かったね。」
気さくに話し始める少年にフリョッハは呆然とするしかなかった。
突然四つん這いになると目にも止まらぬ速さで二人の間を縫って入口の老人の傍に擦り寄る。
「この子はタルフェットヌーブ。私の留守番をしてくれてるんだ。」
「そんなことするほど大事なものがあるようには見えないけど?」
「まあその通りだがそう言うな。前にシロアリが湧いてしまってね。気が向いた時にここにいてもらっている。」
「そりゃこんあ腐りかけの家じゃ、たちまちでしょ。」
フリョッハがわざとらしく辺りを見渡す。どことなく黴臭い。あばら家の柱と地面が接する部分から水分が浸み込んでいるのだろう。
「僕も日陰でじっとしてるのが好きだし、それでドクターの役に立つならそれでいいよ。」
言ってから少し恥ずかしそうに頭を掻くジグモの精。彼の腕は蜘蛛独特の鉤爪つきの肢を二本撚り合わせた状態になっている。若く見えるが<変化>を遂げた者――大人が着る装束を身にまとっている。
「おや、これはこれは……」
老人が妙な声を出してパキリリェッタに歩み寄るとしゃがんで頭の高さを合わせる。
「誰かと思えば、君は蚕の精じゃないのかい?君達は<大樹>から滅多に出ないものと思っていたが。」
「わたちはとくべつなの。」
えっへん、とばかりに胸を張るパキリリェッタ。
「あなたがドクターさん?」
「そう呼ばれている。本名はエメット・ブラウンと言うが、どう呼んでもらっても構わない。私に何かご用かな?まずは椅子にかけたまえ。」
「ご用なんてないよ。あなたが呼んだんでしょ?」
勧められるまま二人は席に着く。フリョッハが素気なく手紙を差し出す。
「もう届いたか!僅か一週間(a week)で届くとは、新記録だ。」
「ういいく?」
精達に曜日の概念はない。彼らにとって時間は数よりも距離の感覚に近い。
「それよりこの絵って何が描いてあるの?おしえて?」
パキリリェッタがきらきらした目を向ける。
「やはり君達は絵と認識してしまうのか。これは文字と言ってね、元は君たちの発明品なんだよ。」
「あう?」
「まあいい。別に大した用事ではないんだ。」
「なんですって。」
「そう怒るなフリョッハ君。持っていた服がどれも擦り切れてしまってね、君のお父さんから新しいものを頼んではもらえないだろうか。」
「自分で仕立て屋さんに頼むわけにいかないの?」
「私は君達より幾分背が高いのでね、皆面倒がるんだよ。」
「それは多分あなたが多くと結ばれてないせいだと思うけど……」
戸惑った口調でフリョッハが呟く。確かに彼は精達の中でも背の高いクロッテュファーガルよりもずっと高いがそんなことは仕立てを渋る理由にはならない。体良く断られたのだろう。
大抵の場合、物品のやり取りに代価が要求されることはない。品物を売る側はそれを<大樹>に捧げ、買う側は<大樹>のために、社会のために自分がどれだけ貢献できているかを鑑みて欲しいものと釣り合うか判断する。言い換えれば物品なり労働なりを捧げて<大樹>から欲しい品を受け取る形だ。彼らは幼い内からこの見えない結びつきによる売り買いを公正にやってのける方法を学ぶのだ。
「そう、それなんだが私にはどうにもよく理解できなくてね。なぜ物の売り買いが信頼だけで成り立つ?なぜそれで不正が頻発しない?自分の社会への貢献がどの程度かどうやって量ってるんだ?」
「よく言ってる意味がわからないけど……とりあえずどっかで働けば?あなたの結ばれぐあいだと今日食べる分のキャタも買えないんじゃない?」
「その通りだ!市場に行ったところで何も買えないからいくらでも手に入る<大樹>の果実で食い繋いでる。しかし他人の結ばれ具合まで判断できるとは恐れ入った。一体どうやってるんだ?」
ドクターの覗き込むような視線がフリョッハは嫌いだった。無論彼に悪気はないのだろうが。
「そんなこと言われてもわかんないよ。ドクターが前にいたとこではどうしてたの?」
「ん?地球には貨幣があって……」
何気なく説明し始めたドクターははっとして口を噤んだ。
「貨幣の価値は信用に立脚していると言いつつ富の偏在を生みやがて商品の価値以上に力を持つようになり人々の生活を却って困難にしてしまったし何より資本主義経済を活性化させる手っ取り早い方法は個人を孤立させて企業に頼らざるを得ない状態に追い込むことだからな……彼らに教えてしまう訳には……」
「おねえちゃん、ドクターの言ってることわかる?」
「ぜんぜん。」
「ドクター、それよりこれ見て!じゃーん。これなにかわかる?」
パキリリェッタが大きな赤い円盤を差し出す。
「ああ、コカ・コーラの王冠じゃないか。随分懐かしいものが流れ着いたな。」
「コカコーラ?なにそれ?」
「泡の出る茶色くて甘い飲み物だよ。これはそれを容れる瓶の蓋だ。」
「こんなに大きい蓋が要るだなんて、よっぽどいっぱい入ってるんだね。」
両手で抱えるようにしてテーブルの上に蓋を置いたパキリリェッタが目を丸くする。
「いや、そういう訳ではない。僕らと君らの先祖はどういう訳かものの大きさに無頓着でね。きちんと計測して書き記さなかったばかりにこんなことが起きるんだ。一種のバグだね。本来はもっと小さいんだ。確かこのくらいの……」
ドクターが右手の親指と人差し指で小さな丸を作る。すると、
「えっ?!」
「なんで?!」
二人が驚くのも無理はなかった。机上の赤い円盤はドクターが作った丸と同じ大きさにまで縮んでしまっていたのだ。
「すごいすごい!今のどうやったの?」
「持ち歩くときに小さして置いて、飲むときは大きくするってこと……?」
謎の推理を展開するフリョッハはさておいても円盤を宝物にしていたパキリリェッタが喜んでくれたのは幸運だった。やはり彼女もまた大きさにはさほどの関心がないらしい。奇妙な現象を目の当たりにしても妖精達が驚いたのはごく僅かな間だけだった。
「おじゃましました。ちゃんと働いてね。」
「ばいばいドクター、また来るね!」
「もう来ないから。」
「えーっなんでー?楽しかったじゃん。」
二人の声が遠のいていく。見送ったドクターは外を向いたまま尋ねた。
「タルフ、君も見てたかい?」
「正直言うとあんまり……ぼーっとしてたみたいです。」
穴に籠ったままタルフェットヌーブが答える。苦笑するドクター。
「君も今日はもう帰りなさい。」
「明日も来ますか?」
「君が他に用事がないのなら。」
がらんとした部屋で一人になったことを確認すると棚から革靴を取り出した。二〇年前、彼がこの島に来た時に履いていた靴だ。
「アダムとイヴの子孫とは言え、私にも意味を与える力が備わっていたとは……」
誰にも聞かれる心配もせず独り言つ彼が靴を履くと、異物と判断した葦の群れが彼の脚に絡みつき、穴を穿ってずるずると彼を地下へと引き擦り込んだ。
雑に叩き落された先は太古の昔に掘削された洞窟だった。光の精霊が二、三漂うその空間には壁にも天井にも無数の図と樹木のように下から上へと伸びる奇妙な記号の羅列がぎっしりと刻まれていた。
「おねえちゃん、しんけんな顔してどしたの?」
その日の晩のこと。フリョッハは自分の昔の装束を寝台の上に並べて考え込んでいた。
「わたしのお古をもう少し小さくしてもらえばリエッタも着られるかと思って。」
「……きもちはうれしいけどちょっとやだよ……」