LEGACY-0012「変身する星座」
持ち前の高度な観察力に阻害されて、言葉にせよ文字にせよある種の記号化という行為に非常な困難が伴う翼人たちの創り上げた文化の中にも星座が存在する。
振るい資料によればこの洞窟の文字群が全人類の父アダムによって刻まれていた時代の最も古い資料によれば、夜空を覆う星々を遍く繋ぎ合わせた一大叙事詩が既に完成していた。しかも季節の経巡りと星々の運航を連動させてその内容が少しずつ変化するという驚くべき代物だ。だが詳しい研究は既に為されているのでここでは抄訳を記すに留める。
……(中略)……
……しかしながら、他のあらゆる分野においてもそうであるように翼人達は人類の先祖が築き上げた精緻な天文学のいかなる功績とも類似しない。我々人間が抱き得る最も解決しがたい課題が死の克服であるのに対し、翼人達は 究極的には生と死に境はないのだとして問題として取り上げようとさえしない。彼らが考える最も高尚な疑問は決まって変身と関わりがある。
文字を持たない民族にとって歴史とは、過去とは変幻自在の代物と捉えられている。だが不確かで実体を掴みにくさこそが彼ららしさでもある。
この島でかつて何が起きたかを知ろうとするならこの洞窟を調べるか、彼らの口から紡ぎ出される言葉と名刺の代わりに用いられる形容詞と動詞の曖昧で冗長な羅列に耳を傾けるかしかない。何通りもの解釈の仕方があることに苛立ちを覚えることだろう。少し気を緩めれば「私」(カラル)についての話なのか「あなた」(カラル)についての話なのかさえ分からなくなってしまう。そんな状況下でも確からしさを求めるなら、語り部達に尋ねればいくらか私達好みの筋道の通った解釈を導き出す手がかりを得られる。
夜空に瞬く無数の星々は月の涙であり、その配置は大小様々な動物を表す。発想としては我々の知る星座と同じだが、ひとつの星が複数の星座を表すのに用いられていても特に気にもされず、統廃合も行われないため星座を収集すればするほど静かな夜空が落ち着きのない動物達でひしめき合うことになってしまう。私が熱心に尋ねるのを面白がって即席で思いついたものを昔からの言い伝えとして話した者もいただろう。しかし、調査の結果七〇〇を超えた星座の中からどう選り分ければ良いと言うのか。春の星座だけで、それだけある。我々の星座と彼らの考える星座の違いが、事実の把握を更に困難にする。
我々の知る星座は季節の変化と共に少しずつ移動してその内全く別の星座が夜空を賑わせる。蠍に刺されて死んだオリオンは星座になった後も蠍座から逃げ続けている。夏になるとオリオン座は姿を消し、代わりに蠍座が赤い心臓を誇らしげに輝かせることになる。
しかし、彼らの星座はそのいずれも舞台裏に引っ込むことはない。彼らの考える三つの季節(春、夏、秋)の経巡りの中で別の何かに変身するのである。毎日刻々と移ろう天体の配置は動物達が姿を変えつつある証拠と見なされる。この立場に立って星座を眺める限り、やはり彼らにとって死が縁遠いことが実感される。
……(中略)……
双子のキツツキ座
春、一方はキツツキ、もう一方はカマキリ。カマキリはキツツキに見つからないようにひっそりと様子を伺う。夏、キツツキは隣の「樹座」に掘った穴の中に芋虫になって隠れる。カマキリはその芋虫を狙ってキツツキに化ける。だがキツツキが芋虫の居場所を探り当てるより芋虫が蝶になる方が早かった。秋、蝶になった芋虫は「樹座」から離れ虚空を舞う。キツツキは戦法を変えて花になって蝶をおびき寄せる。蝶が徐々に近づくと花はカマキリに変身して蝶に鎌を伸ばす。すんでのところで蝶はキツツキに化けて形勢が逆転する。
樹座
都合の良い舞台装置として他の星座の傍によく置かれる。双子のキツツキ座の傍にある樹座は夏は樹になっているものの秋にはカレハチョウの精に葉を落とされて代わりに彼らが居座っていたずらのために使われる。だが春には飽きて捨てられる。そうして夏には再び葉が茂る。
『変身する星座』より、カロリーナ・サルトレッティが記す




