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天体運航韻律再現譜 One of a Song of Imbolc  作者: 石田五十集(いしだ いさば)
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LEGACY-0011「生と死の境が生まれた日」

 凡ての始まりは種であり、種が生長し実を成し新たに種を産出する営みを個体だとか世代だとかの概念を超えて俯瞰するなら、生と死の境は忽ち消え去り対立していたはずの二項は寧ろ並立することになる。彼らの思想を尊重するなら彼らをこちらが勝手に呼称する際も「成って在る人」(Human being)ではなく「人に成りつつある別のなにか」(Human becoming)とすべきであろう。こんなものは単なる言葉遊びに過ぎないが、しかし彼らの思想の意味するところを汲み取るには我々の言語では単純過ぎる。時に目の前に立ち塞がる問題が白黒はっきりつけられるものばかりではない。真実は無限の濃淡グラデーションの中に散在する。

 地下洞窟に書き遺された資料を当たると、ある時点まで死後の世界という概念そのものが彼らの頭になかったことが見て取れる。洞窟に記された最も古い言い伝えによれば、まだ生と死の境がなかった時代、恐ろしく巨大な蛇がこの星をぐるりと包んで自らの尻尾に噛みつき、世界を半分に分けたと云う。即ち生者の国と死者の国だ。そう……お気づきの通り、最も古い時代には我々とよく似た死生観を持っていたのである。後世、思想の根幹を成す神話が何度も語り直されるうちに生と死の境が再び消えたのだろう。

 だがそれも、つい最近までのことだったようだ。私がエデンの園に漂着した時には既に、自分達が造り出した矛盾をうまくしょうかできないまま長い年月が経ち、半ば開き直っているようだった。

 彼らは生と死の境など存在せず、全ては常に生まれ変わり続けると説く一方で、愉悦に満ちた死後の世界にささやかな希望を託してもいるのだ。矛盾した事柄を疑いなく受け入れることこそ信仰の本質とするならこの島の純朴な人々もとうとう宗教を発明したことになるのだろう。しかし、何を信じようともそのこと自体が目に見える形で影響を及ぼすことのない我々の世界と異なり、エデンの園には大自然の摂理という循環システムが荘厳な龍血樹という形を取って厳然と存在し続けているのだ。かつては遺体を舟に乗せて送り出す弔い方が一時的に流行した時期もあったようだが、そうした風習は資源の著しい流出を招き、また永遠に失われることを意味する。明らかに侵すべからざる領域まで拡大された個人の自由を規制する動きが当然ながら生じてくる。舟で送り出す葬儀法は先代のエメットブラウンが初めて行われたのを間近で見たと書いているし、島で過ごしている間ずっと動向を見守ったことになるだろう。私も何度となく観察している。とするなら、この自然の摂理に反した慣習が行われるようになってからどれだけ長く見積もっても二〇〇年程度の開きしかない。語り部達は、昔はもっと龍血樹の恩恵が豊かであったと口々に語る。そうした古い思想を押しのけて民衆の間で盛んな新しい思想は勢力を拡大するにつれて信者達に死後の見返りをより多く積み上げてきたらしい。アメリカ大陸の先住民達が迫害を受けた末の傾向に符合する点がある。土地を追われ、仲間を失った彼らはドラッグとユートピア化された故郷への夢想とによって現実逃避を行うようになったと云う。荒廃の度が増す毎に楽園は遠退くのに比例して楽園へと至る道は平坦で気楽なものになる。決定的な破滅を認めざるを得なくなった時、エデンの楽園で暮らす優美な妖精達は一体何に救いを見出だすのであろうか。


    『生と死の境が生まれた日』より、イザク・ヨハネスブルグが記す

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