五日目
更新遅いですが一応第五話まで書き上がってるので頑張ってPCに打ち込みますー
五日目
夜明けを告げる心地よい光が窓から差し込む。寝台に横たわるフリョッハが目を開けると、すぐ目の前で二つのぎょろりとした目玉が彼女を見つめていた。恐怖から樹木のように固まった彼女は反射的に空腹の雛鳥のように思いきり叫んだ。
「きゃぁああああああ!!」
その声に応えるかのように目の前の眼玉模様がごろんと寝返りを打つとパキリリェッタの顔が現れた。
「んん……おねえちゃんおはよー。朝から元気だね?」
寝ぼけ気味の蚕の精が目をこする。巨大な目玉に見えたのは彼女の背中に描かれた眼状紋だった。
「ああ、そうだった……。」
昨日このわんぱく娘に出くわし、あろうことか世話係を引き受けてしまったのだ。しかも専属の。たった一人の世話をする世話係など聞いたことがなかったが、夜くらいは自分の小胞で寝てくれるのだろうと思っていたが甘かった。
「みんなといっしょの部屋で寝たら?ここより広いよ?」
「やだ!おねえちゃんといっしょがいいー」
にへらー、と愛くるしい笑顔を向けられては強く言えない。かわいいってずるい。
溜め息と共に起き上がり床に足を垂らすと用意しておいた衣を身に着ける。
「どっか行くの?」
「花の蜜を集めにね。昨日はごたごたしてて結局おばさんにあげちゃったし。」
「わたしもわたしも!いっしょに行かせて?」
「はいはい。ちゃんと着るもの着てね。」
「はーい。」
パキリリェッタの衣もフリョッハのと同じ前掛け状。彼女に尻尾はないが蚕由来の呼吸器官などを備えた腹部が伸びている。
「むすんで?」
両手で前掛けを肩の辺りで持って後ろを向く。またしても眼状紋とご対面だ。
「どうにかしてこの模様隠せないかな……」
透き通るような白い肌におどろおどろしい眼玉模様とは何ともミスマッチだ。新しく背中まで覆う衣でも作って隠してしまおうか。
「やっほー!たっかーい!」
「しっ!やめて、みんな起きちゃうから……」
フリョッハ達のいた二四階から地上へは飛ばない場合は螺旋階段を延々と下るしかない。そのためフリョッハがパキリリェッタを抱きかかえてホバリングで降り立ったのだった。やたらにじたばたする幼児を捕まえておくのは容易ではなかったものの、何とか地上に辿り着く。
することは昨日と変わりないが、昨日と同じ場所へ行ったところで花は咲いていないことをフリョッハは知っている。大抵の花は一日と待たずに枯れてしまう。二人は昨日とは真逆の方向へ――東へと向かった。
「どこ行くの?」
「どこってわけでもないけど……花のある場所?」
「ふーん。いいね。」
ふふん、と楽しげな表情を浮かべてそれきり質問はなかった。フリョッハが二つにパキリリェッタが一つの木桶を持って葦原を掻き分け進む。
間もなく橙色の花を見つけたフリョッハはにわかに飛び立った。
「ずるーい!おいてかないで!」
「ちょっと蜜汲むだけだから待ってて?」
「わたしもやるぅーっ」
「はいはい……気が散るから静かにしててよ……」
花粉を浴びることもなく汲めた蜜入りの木桶をパキリリェッタの空のと交換する。喚いていた幼精はすぐさま釘づけになった。
「わーっ、あまいにおーい。」
彼女が木桶を覗き込んでいる隙にとコリの木桶も満たす。パキリリェッタの方もその隙にこっそり蜜を舐めていた。淡い紫色のそれに指を浸すと僅かに押し返すかのような感触を受けた。指を伝って桶に戻ろうとする蜜を恐る恐る小さな水色の舌で舐め取る。含んだ瞬間、芳醇な味が口いっぱいに広がる。しかし……
「うっへぇー、しょっぱいーっ」
ひりひりする舌を出して大騒ぎの幼精の許にフリョッハが降り立つ。
「え?!まさか蜜飲んじゃったの?だめだよ塩抜きしてないのに……」
「びりびりする……」
「植物は海の水を吸って生きてるから蜜が塩辛くなってるのが多いんだよ。葉っぱから塩を吐き出して甘い蜜を作るのもあるけど、そういうのも覚えなきゃね。」
「びりびりするー……」
辺りを見渡せば、竹はあちこちに生えているが伐る道具など持ち合わせていない。
「まっすぐ<大樹>に戻ろ?真水でゆすげばなおるから。」
「うん……」
「これに懲りたら少しは……」
つい小言を挟みかけるが、涙を浮かべる彼女を見たら呑み込まざるを得ない。他の世話係達はどう教育しているのだろうか。
とぼとぼ歩くパキリリェッタに合わせて街に戻る頃には、目を覚ました妖精達がせっせと動き出していた。短命な虫の精は鳥の精よりも早起きであるため、その内の殆どは虫の精だ。彼らは人当たりが良く陽気だが、フリョッハは彼らとは距離を取って接している。どれだけ親しくなろうとも、すぐに死んでしまうのだ。一人一人別れを悼むには、彼らはあまりにも多過ぎる。虫の精達と顔を合わせたくないからこそ、普段から誰も起きないうちに花蜜の採集を済ませていたのだった。だが今日は……
「あんたもしかして蚕の精かい?どうしたのさ、舌なんか出して。」
出店の品出しをしていたテントウムシの精が訝し気に尋ねる。
「おはようございます(おあおうほはいはふ)……」
「じつは塩抜きしてない蜜を舐めてしまって……」
「そりゃ災難だったね。どれ、うちの水を少し分けてやるよ。」
そう言うと、彼女は背中の丸い翅と同じように丸っこいふくよかな身体を揺らして玄関に続く梯子を上った。
間もなく小さな水筒を携えて戻って来た。パキリリェッタが持つと不釣り合いに大きく見えたが、彼女はそれを飲み干した。
「ふーっ、たすかったあ。」
「この子、ひょっとして昨日行方不明になってたっていう蚕の精かい?」
「えーっと、はい……」
「わたしまいごになんかなってないもん。」
「すこしは反省しなさい。」
「むーっ」
テントウムシの精は二人のやり取りがおかしくてたまらないといった様子。
「蚕の精にお嬢ちゃんみたいな元気な子がいるとは知らなかったよ。外では思いがけないことが起きるからこんなおてんばを連れて歩くときは注意しなければね。それじゃ、あたしは戻るよ。」
「はい、ありがとうございました。」
「あなたがより多くと結ばれますように、ハチドリのお嬢ちゃん。」
「あなたが多くと結ばれますように。」
<大樹>の麓に無数に立ち並ぶ家々は全て生きた樹の幹に築かれる。傘形にこんもり広がる枝を取り払って下から上へ延びる放射状の斜材を架け、その上に梁を載せ床を被せて壁で囲う。必ず六角形か八角形になるようにし、円錐形の屋根を覆って外構は完成となる。
すっかり元気になった蚕の精は通りを歩く蚕の精達一人一人に挨拶をして回り始めた。駆け寄る度に彼女の持つ木桶から花蜜が零れているのだが、本人は気づいていないのか気にしていないのか。相手も迷惑どころか嬉しそうなのでやめさせる訳にもいかない。パキリリェッタの弾けるような笑顔のせいでフリョッハの無愛想さが際立ってしまうのも気が重い。
樹の幹の上に据えられた小屋の内の一つの前でフリョッハが立ち止まる。気ままに先を進んでいたパキリリェッタが慌てて引き返す。
両手に木桶を携えたフリョッハは梯子を使わずにひょいと玄関に飛び乗る。
「あーっずるい!わたしも行くぅ」
「ちょっと待ってて。桶持ちながら上がれないでしょ。」
自分の分をひとまず置いてパキリリェッタの木桶も――既に半分も入っていない木桶も上げる。
力強くぎこちない様子で梯子を登った蚕の精はいち早く中を見渡した。扉のない小屋の中には彼女の背丈より高い大きな樽がいくつも並んでいる。
「ふわあーっ」
甘酸っぱい匂いに誘われて先に進むと樽の列はすぐに途切れてカウンターに突き当たる。
「おはよう。今日は少し遅かったね。それに可愛らしいお嬢さんも連れて。」
「うん、まあね……おはよう。」
「おはようございます!」
カウンターに立っていたのはツマアカセイボウの精の青年。セイボウとは蜂の一種で、光沢のある青い甲殻を持つ。カウンターのこちら側からは見えないが、尾骨の延長線上に備えた腹部は虹色に輝いている。
「今日は二杯……と半分か。フリョッハさんのお手伝いをしてるのかな?」
「うん。」
「では、塩抜きはこちらでやっておこう。ただ、今日持たせてあげられるものはないのだが……」
「うん、いいの。昨日はいろいろあって。」
「そう。」
フリョッハはこの青年が漂わせる静けさが好きだった。根掘り葉掘り尋ねられずに済むのは本当に心地良い。
「あなたのお父様が酒造を止めてしまったのは残念でしたが、それでも細々と続けてくれているのは幸運でした。いずれまたご相伴に与れると嬉しいな。」
「うん、言っとく。あなたのお父さんも、わたしの父さんのお酒好きだったから。やっぱり好みも似るんだね。」
「ええ。きっとそうだったんでしょう。私は両親の顔を知りませんが。」
「……あなたはお父さんによく似てるよ。」
お父さんのお父さんにも、ね。と心の中で言い添える。
「ありがとう。先祖から受け継いだこの店にいると不思議と孤独を感じないんです。とても長い間ここに住んでいた気がして。妙ですよね。つい一ヶ月前まで蜂の子だったと言うのに。」
フリョッハはただ聞いていた。
「いずれ遠くない内に私の子の誰かがこの店を継ぐことでしょう。その時は仲良くしてやって下さいね。あなたがより多くと結ばれますように……」
二人は酒蔵を後にした。
朝食の支度もフリョッハの日課の一つとなっている。二四階の我が家に戻ったフリョッハは手早く料理を皿に盛りつける。朝食と言っても葦から採った穀物を固めて乾燥させた主食のキャタに<大樹>の赤い果実を潰して蜂蜜と混ぜたフリョッハ手製のポルだけである。粗末ではあるが朝食とはおよそこのようなもので、どこの家でも似たり寄ったりの品が並ぶ。
父親のクロッテュファーガルは毎朝彼女の軽やかな物音で目を覚ます。広い家には二人しか住んでいない――昨日までは。フリョッハの姉は他家の若者と結ばれて去り、兄は郷で寝起きしている。郷とは全ての乳歯が永久歯に生え変わった子供が親許を離れて同性の者達と生活を共にする場所である。彼らは<変化>を迎えて異性と結ばれるまで郷にとどまることになる。
「おはよう……」
「おはよう」
「おはよ!フリョッハのパパ。」
いかにもまだ眠そうな様子のクロッテュファーガルが寝室から這い出てきた。既に朝食の準備が整った食卓に座ると、彼は二人が席に着くのを待った。
「私は<大樹>に感謝します。その身を以って実を成し我々に血肉を与えて下さることを。わたしはあなたから産まれあなたによって生かされあなたの許に還る。あなたがより多くと結ばれますように。」
「「あなたがより多くと結ばれますように。」」
祈りの言葉を告げ終えると彼は閉じていた目を見開き合わせていた両手を解いた。
「さあ、食べよう。」
クロッテュとフリョッハは木を彫り込んだスプーンで――この家の調度品は全て<大樹>と株を分けた木によって作られていた――ポルを掬い上げるとキャタを細かく突き崩して一緒に口に運ぶ。そんな二人の様子をもの珍しげに眺めながらパキリリェッタは新鮮な桑の葉を、彼女の顔より大きな新緑の堅い葉をばりばりと食べ進める。
「それ、おいしい?」
「わたちもおなじこと聞こうと思ってた。」
最初に尋ねたのはフリョッハだった。
「父さん、蚕の精はほんとに桑の葉っぱだけでいいの?」
「蚕の精は我々とは違う。我々とは違う場所からやって来た。おそらく。我々の父の父、母の母は若木が芽吹くように<大樹>の果実から産まれたが、蚕の精はこの島の外からやって来た。小さい頃随分話して聞かせただろう。」
「へえー。」
当の本人のパキリリェッタは自分の出自に興味津々のようだった。
「あなたがそんなふうだと今の話が急に嘘っぽく聞こえるんだけど……」
「だって、今はじめて聞いたんだもん。ね、ね、もっとおはなし聞かせて?」
「私はもう出かける。フリョッハに聞きなさい。」
「えっ」
いつの間にか食べ終えたクロッテュは立ち上がり身支度のために再び寝室に引っ込もうとしていた。
「他に今日、何かすることでもあるのか。」
「なにって、ふつうにお仕事するつもりだったけど……」
「パキリリェッタを連れてか?やめておきなさい。ハルヘッテフラウンも会議の席にいたんだ。事情は知っている。お前が今まで仕事をするとは思ってないだろう。
「でも……」
「お前は今までよく浜辺の植物の世話をやっていた。それと同じだけの熱意でこれからはパキリリェッタの世話をしなさい。」
父の言葉に反論の余地はなかった。それでもまだ彼女の世話係としての自覚は遠浅の海辺に芽吹いた苗木のようによろよろとして頼りなかった。
「おねえちゃんのおしごとって?なにしてたの?」
「浜辺に植えた木の世話、とか?海から流れてきたものを拾ったり伸び過ぎた枝を伐ったり……」
「へえ、すごいね。そうだ!じゃあはまべ行こ?」
「いいけど……なんもないよ?」
「いいから、あそびにいこうよ。」
島の中心に聳える<大樹>はその根を円錐状に広げながらも日の当たる東と南に延びている。北と西は<大樹>が際限なく根を巡らすよりも海水が微小な堆積物を運ぶ方が早いため、そこには豊かな葦原ではなく不毛な砂浜が広がっているのだった。
二人は<大樹>を出て西へと向かった。
<大樹>が与えてくれる恩恵は限りないが、その種類は少ない。その幹は木材に、その枝は道具に、その実は食糧に。葦は主食となる穀物を、竹は飲み水をもたらすがそれだけでは退屈だ。より豊かな暮らしを営むには、もっと多様な材料が必要となる。そうした材料を手に入れるには――
東西を貫く大通り沿いには種々雑多なマーケットが所狭しと並んでいた。幹の上に築かれた傘形の家の足許に紋様の編まれた敷布を広げ、その上に商品を並べる。それは艶やかな木器であり、刺繍をあしらった装束であり、そして珍妙ながらくたの数々である。
賑わう人だかりの中で離れないよう繋いだ手を何度も解かれそうになりながら、やっとの思いで大通りを抜けた。
「途中でどっか行っちゃうかと思ったけど意外とおとなしくしてたね。あんまり気になるものなかった?」
「うーん、そんなことないけど今は砂浜が見たいから。」
「そんなに期待されても……ほんとになんにもないんだけどな……」
フリョッハの心配をよそにパキリリェッタはずんずん進んでいく。やがて木々がまばらになり、妨げられていた昼の光が弾ける。
「うわあ――」
想像だにしない景色が、そこには広がっていた。植物の浸蝕を一切受けていない灰色の砂浜に、寄せては返す白波。目を細めても霧がかった水平線ははっきりとは見えない。
「おねえちゃん、ここ気に入った!」
「そ、そっか……よかったね……」
何を以ってそれほど感動したのかフリョッハにはぴんと来なかったものの、駄々を捏ねられずに済んで内心ほっとしはした。本当はもっと北に行けば砂浜の植林が進んだ若い森も見られたのだが――そしてそこには木々の世話をする仲間達もいるのだろうが――まあ、今日のところはこれで良いのだろう。
そんなことを考えながら頭を西の方角に戻すと、既にパキリリェッタの姿は遠く小さくなっていた。灰色の砂浜に小さな足跡が一直線に印された先で、手を振って呼びかける。
「ねえねえこれ、なんだろー?」
砂浜の足跡が二本になる。
パキリリェッタが浜辺に打ち上がっていた何かを拾い上げる。それは彼女の股下ほどの高さもある赤い円盤状のもので、意味ありげな紋様が白抜きされている。その縁はカタツムリの口のようにギザギザの歯が並ぶ。明らかにこの島では馴染みのない代物だった。
「ときどき変なものが打ち上がるんだよね。わたしも見たことある。」
「海のむこうにだれかがいて、その人のがこっちまで来たってこと?」
「そう、なのかな……」
蚕の精の顔がぱっと輝く。
「すごいね!それすごいね!」
「でも<大樹>から産まれたもの以外は<大樹>の中に持ち込んじゃいけない決まりになってるんだよ?」
「えっやだ。もうわたしのだもん。もって帰るもん。」
「父さんに怒られても知らないからね。」
「ほかにも海のむこうから来たものないかな?おねえちゃんもさがして?」
フリョッハの忠告もどこ吹く風、パキリリェッタは宝探しに夢中になってしまった。途中鞄に詰めておいた軽食を摂り、更に夕方まで続いたものの、結局見つかったのは最初の赤と白の円盤だけだった。
「見つかんないねー……」
「こういうのは専門で集めてる人たちがいるからその人たちに先を越されちゃったんじゃない?もう日も暮れるし、帰……ろ、」
何気なく振り向くと、立ち止まったパキリリェッタは西の一点を見つめていた。
「お日さま、しずんでくね。」
小さな蚕の精のその言葉は単に昼から夜へ移ろうことを意味しているのではなかった。僅か五〇日の寿命しか持たない蚕の精の生後五日目が、今終わりを告げているのだ。」
「お日さまは一日で死んじゃうってほんと?」
「太陽も月も星も、毎日死んで生まれ変わるんだよ。わたしたちが今見てる太陽はきのうとは別の太陽なんだって。」
夕陽に照らし出される蚕の精の白い肌は赤々と燃えて、長い黒い影が赤い砂浜に伸びる。何と言ってやればいいのか、フリョッハには分からなかった。本当は、私達はみな絶えず生まれ変わり続けているのだと、しかしそれを感得する者はごく稀で、大抵の人は気づかない。だからこそ空を見上げる度に星々の短い一生に思いを馳せるのだとバラールブローメが言っていた。
「また、ここに来れるかな?」
「いつでも。また来ようね。
満足げな表情が儚く浮かぶ。どちらが言い出すともなく、二人は砂浜を後にした。