LEGACY-0008「壁のない部屋、格子のない檻」
龍血樹がもたらす恵みは限りないが、その種類は極端に少ない。赤い果実と緑の葉と、竹から染み出す真水、それから花の蜜。龍血樹自身はどう思っているか知らないが木を伐り倒せば丸太と枝も得られる。だがそれだけだ。地球人としては塩以外の一切の鉱物を得られないのが痛手だが、生きていくには申し分ない。しかしファル・ティエランの住人達は素朴を好むとは言えただ生きているだけで満足する人々ではない。
書き換えられた創世神話によれば私達は等しく龍血樹の果実から産まれたとされる。我々は果実なのだ。実から果肉を取り除けば四つの種が残る。我々もまた、肉を取り除いて後に残るのは四柱の精霊。本質として重要なのは肉でも骨でも内臓でもなく目に見えない精霊とされる。この、現実を脚色なしに受け容れるのを得意とする彼らにしては例外的に神秘主義に傾倒してしまっている死生観は後代になって都合良く書き換えられたものと見て良いだろう。これは死んだ仲間の肉体から「素材」を剥ぎ取るための理由づけである。
息を引き取った家族、友人、或いは全く面識のない人に対する取り残された側の対応は死を目前にしたが故の悲しみはあっても動揺はない。私からすると非常に淡白ではある。
絶え間なく抜け目ない龍血樹の管理下にあっては遺体を長く保存する方法はない。だからこの島には墓がない。故人に親族がいる場合は呼び出されるものの、基本的に葬式はその場に居合わせた者達が行う。
地面に寝かせた遺体が龍血樹に還るまでの間、その肉体は仲間の手で刻まれ続けることになる。羽毛、鱗、髪、翅、甲殻、複眼……一人から採取される量はごく僅かだが、それらは生きていく者達の糧となる……だが違う。違うのだ。私はどうしてもこの行為を認められない。このような行いを正当化するために合理的などという言葉を使ってはならない。
穏やかな人々が唯一残忍性を露わにさせるのは軟弱な理性を容易く挫く克服すべき本能ではなく人間らしい向上心や欲望、より豊かな生活を望む心なのだ。
想像してみて欲しい。普段気さくに話しかけてくれる鳥の妖精の男性と共に歩いている時、偶然道端で虫の妖精の臨終に立ち会うや否や牧師に早変わりして神妙に弔辞を述べたかと思うとすぐさま鮫の歯を研いで作ったナイフで背中の翅をむしり取りにかかったのだ!おぞましい光景を目撃したあの日以来、私は地上に出ていない。
確かに、元気な内から絶えずいがみ合いその結果の過ちから決して学ぼうとしない我々地球人の方が遥かに野蛮だ。それについては弁明の余地もない。だが、これは論理を突き詰めたところで納得に至るようなものではない。私の心が、人間性の人間性たらしめる根幹が拒絶している。私はこのまま地上に戻ることはないだろう。この洞窟で息絶え龍血樹に還る。惨めたらしくとも友人達に切り刻まれるよりはましなのだ。
『壁のない部屋、格子のない檻』よりジェニー・ハドソンが記す