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天体運航韻律再現譜 One of a Song of Imbolc  作者: 石田五十集(いしだ いさば)
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LEGACY-0007「ワンダー・アンダーランド」

進捗としては現状「三一日目」まで書き上げてあります!「三〇日目」がクライマックスで、それも書き終わりいよいよ完成が近づいて参りました。完結目指して頑張ります!!

  LEGACY-0007「ワンダー・アンダーランド」


これまで一〇年間の漂流生活の中で根の魔女を目にしたのは僅か二度だけだ。

一度目はワンダーランドに初めて足を踏み入れた日のこと。文字通り土足で踏み込んだ私が地下へと引き擦り込まれ(これが辿り着いたものが受ける洗礼であるとは後で知った)手にしていたランタンでおぞましいムカデどもを追い払った時だ。揺らめく火を振り回して強大な捕食者を圧倒できることに調子づいた私の前に、彼女は現れた。それが人の姿をしていると気づくには近づく必要があった。彼女は不動だった。後になって思えばカラスアゲハの幼精だと分かるが当時の何もかもに理解が及ばない私にとって暗い人影に恐る恐る近づいて尚黒い彼女の姿が私に対して催したのは強雨ではなく寧ろ苛立ちだった。黒い翅に黒い甲殻、黒い布切れをまとった姿は喪服のようではあったが。

「火を消しなさい。」

 話しかけようと決心する数秒前に彼女の触角が私に触れる。脳に直接彼らの言語が流れ込むが不思議と意味が分かる。それは自己紹介でもなければ私に対する質問でもない。幼い高い声でありながら厳しい響きには年長者だけが持ち得る貫禄が備わっていたものの、従う訳にはいかない。火が無ければたちまち醜い虫共の餌になるのは明らかだからだ。だがどう説明すればよいのか分からない。説明が欲しいのは私の方だ。

 無意味に手を動かして混乱した心境を伝えようと試みる私に対して大きな溜め息を吐くと、少女は突然鉄と硝子のランタンを両手で押さえ込んだ。相変わらず何の解説も与えられないまま見る見る内に硝子越しに感じられていた暖かな熱が奪われていく。どうやっているのか知らないが火を消そうとしている。死を覚悟する私の目の前で、ランタンは前より一層明るくなった。熱を発さない純粋な白い光が太い根の枝垂れる洞窟を照らし黒尽くめの少女の顔を映し出す。黒い髪に黒い瞳。肌だけが病的に白かったのを今でも覚えている(大抵の虫の妖精は黄緑から半透明の黄色い血液が流れているため顔色が悪そうに見えるのだと後で知った)。

「カラリアでは火を禁じられてる。火は全てを灰にしてしまうから。」

「それで火を……光にしたって言うのか?」

「それがわたしの役目。」

 こくりと頷く少女。

「あっちに行って。人間なら分かるはず。行って、すべきことをして。」

「ま……待ってくれ。」

 暗闇に消えようとする彼女を引き止める。

「カラリア、それがこの洞窟の名なのか?」

「カラリアは言い換えるなら今この場所、あるいはわたし、あるいはこの島全体を指す。あるいは夜空の星々全て。

 彼女が特別謎めいた言葉を好んでいた訳ではないと分かったのは随分後の話だ。彼らの言語体系は言わば破れかかった布のようなもので、所々に大きな穴がありながら全体の形は保たれたまま。言葉遊びに満ちた会話はその穴を不便に思うどころか楽しんでいるかのよう。ついでに言えば彼女が根の魔女だと聞いたのも後の話。そう、全ては後の話だ。

 一応言い添えておくと、彼女が指差した先にあったのはこの虫達が寄りつかない神聖な領域だった。運良く生き延びた人間は遅かれ早かれ訪れることになるだろう。アダムが開設した博物学の書斎は後継者達によって書かれた夥しい資料の石板でいっぱいだった。結局はこうして私も私なりに知識の集積に手を貸してしまっているのだが。

 根の魔女との再会はつい昨日のことだ。大雨の中地上の妖精達に文句を言い募るのは頻度こそ少なくとも珍しい光景ではないと言う。言わば彼女の忠告は消化器官の悲鳴のようなもので、しばしば地上文明の発展と衝突する。しかしいちいち従っていては、虫や鳥であると同時に人間でもある彼らにも不満が残る。

 歓迎されないとは分かっていつつも、私は彼女に挨拶しに向かった。一〇年前と何ら変わらない姿の、何ら変わらない横柄な態度の彼女に、触角を通してのテレパシーでなく彼らの言語で話した。

「やあ、私のことを覚えているかい。」

「ああ、まだ生きてたの。」

「あの時助けてくれたおかげでね。君は年を取らないんだな。」

「そういうあなたはよれよれね。」

「また会えたら是非話を聞きたいと思ってたんだ。根の魔女については不明なことが多くて……」

「そうして書き留めるつもり?人間のすることはいちいち目的を見失ってて理解のしようがない。あなたも文字が生まれる前の世界を見れば考えが変わるのでしょうけれどね。」

「文字が生まれる前?あの洞窟が成立する前の時代、ここに人間がいた頃のことを言っているのか?それで君はそんな太古の昔から生きてるって?」

 不可解な現象をいくつも目にしてきた私でもさすがに呆れた。それでも彼女は表情を変えない。

「文字は現実から必要な情報を抽出するための道具。わたし達妖精はそもそもその制約を受けない。自分自身の内面に立ち返り、葛藤し合いぶつかり合うエネルギーに身を委ねる。たちまち肉体は崩れ四つに分裂する。太陽が沈むにつれて夜空に無数の星々が煌めきだすように身体を失い言葉を喪失したわたしが千の瞼を同時に見開いた時、それは見える。」

 意味の不明瞭な言葉の羅列から発せられる強烈な力に気圧けおされた私はほとんど無意識の内に二歩三歩と退いていた。紛れもなく私は言葉を失っていたが、目の前にいるのはやはりカラスアゲハの妖精ただ一人だった。

「今のわたしの言葉をほんの少しでも理解できたのなら今日のことは書き留めないことね。わたし達は秘密を解き明かすために生きていない。他ならないその秘密によって生かされているのだから。」

 そう、だからお気づきの通りこの石版は存在してはならないのだ。書き記すにあたって良心が咎めないでもなかったが、やはり私一人で抱えておくには勿体ない。いずれ誰かが彼女の伝えようとした真実に辿り着けることを願っている。


    「ワンダー・アンダーランド」よりチャールズ・ドジスンが記す

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