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天体運航韻律再現譜 One of a Song of Imbolc  作者: 石田五十集(いしだ いさば)
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一四日目

 夜明け前、光の精霊も姿を消す時間帯。<大樹>の中では雨の音が不気味に響き渡っていた。壁に耳を当てれば雫がぽつりぽつりと葉を撫でては落ちていく音が聞こえる。そのようにして子供のような無邪気さで空模様を直に感じ取っていたのはその時、最長老のバラールブローメだけだった。メジロキバネミツスイの精は上品な白黒の体色に黄色の翼が目を惹く。老齢の彼女のために<大樹>の二階に設えられたこじんまりとした部屋で寝間着から着替えると、足を踏み外さないようゆっくりと螺旋階段を降りた。

「ああ、何だか今日はとても気の重い一日になりそう。」

 雨を待ち望んでいたとはいえ楽しみにしていたのではない。厄介な人物を相手にするには彼女はあまりにも歳を重ね過ぎていた。そして喜ぶべきか、厄介な相手は呼び寄せる前から既に来ていた。

「いつぶりかしらね、テイラスフェルノイル。あなたがあたしを呼ぶなんて珍しい。」

「私はバラールブローメ。テイラスは四代前の最長老です。」

「ごめんなさいね、あなた達代替わりするのがあままり早くって。いちいち名前なんて覚えてらんないわ。」

 バラールが<大樹>の入り口の暖簾をくぐるなり、二人の間に緊張が走る。

 老女の前に立っているのは幼い姿のケツァールの精。青緑色の鱗に水滴が弾ける度に光る様は大変美しい。

 タイミングを狙い澄ましたかのような魔女の突然の来訪にも驚いた様子を見せない最長老が話を切り出す。

「わたしの思いを見通してお越し下さったのでしょう。ありがとうございます。あなたにしか相談できないだろうと思っていたものですから。」

「そ。地下のことかしら?」

「ええ、それはそうと長くなりますし中に入られては?」

「いいえ、あたしは結構。」

 バラールが気の毒がるのも無理ない。この何十日ぶりかの雨で傘も差さずに立っている少女はずぶ濡れで今にも風邪を引きそうだ。

「あたしは風邪なんか引かないから平気。それより用件を早く言いなさいよ。」

「ええ。実は……」

 何から話して良いやら迷う彼女の傍に小さな影が近寄る。

「ばば様?こんな朝早くにどうしたんですか?」

 尋ねたのはハチドリの精、フリョッハだった。

「あなたはこの間の……あなたこそどうしたのですか?」

「今日はリエッタが脱皮の日なので昨日は最上階で一緒に寝たんです。染みだした体液でべとべとになって……雨の音が聞こえたからからだを洗いにきました。」

「最上階……あなたもしかして蚕の精の世話係?」

 ケツァールの魔女が眉をひそめる。

「そうですけど……あなたは?」

「最っ悪。朝早くから出て来てあの人達の話を聞くなんて。良いこと?根の魔女には天の者の話題を振らないこと。相性最悪なんだから。」

「ばば様、この人は?」

 さりげなくもなく聞く相手を変えるフリョッハ。

「根の魔女のブロデゥユンさんです。私がお呼びしたのです。」

「へえ、この人が……」

 それまで魔女の話は聞いてはいても見たことのなかったフリョッハはまじまじと見つめた。ハチドリの彼女よりも派手な色彩のブロデゥユンは明らかにフリョッハより幼げで背も低い。実った穂のように柔らかい黄金色の髪に対して黒い衣は成人する前の精が身にまとう前掛け状のもので、魔女だと言われなければただの子供に見えたことだろう。

「あたしが地上にいられるのは雨が降ってる間だけって知ってるわよね?この雨、午前中には止むよ。用件を仰い。」

 島中の誰もが尊敬する最長老にさえぶっきらぼうな言い方を改めない幼女にフリョッハはむっとする。

「ええ、そうですね。実は先日ムカデとヤスデが一頭ずつ地上に出て来たのです。ムカデはヤスデと……私達の同胞一人を殺して地下に戻りました。その前にも同じようなことが。今、地下では何か異変が起きているのですか?」

 腕を組んで聞いていた魔女は終始呆れた様子だった。

「全く、嘆かわしいったらないわ。異変を起こしてるのはあなた達の方じゃないの。」

「……と言うと?」

「あなた達、葬儀のやり方変えたでしょ。」

 バラールは返答に困った。最長老の彼女でさえ知らない話だ。

「なら聞き方を変えましょうか。あなた達はどんなふうに死者を弔ってる?どうやってより多くと結ばれる手助けをしてるの?」

「それは……不慮の要因で亡くなった場合は地面に寝かせて地下に送ります。寿命を果たして亡くなった場合は同じようにするか、舟を造ってそこに寝かせて海に送るのが基本です。本人が地下を希望する場合は地下に送りますけれど。」

「それこそが問題なの。地下生物達は餌が不足しない限り日の当たる地上に出て行ったりしない。あなた達の、と言うかあたしもだけど生物の亡骸は等しく貴重な資源なのよ。この島の均衡はね、かなりぎりぎりのところで保たれてるの。資源そのものは海水から得られる栄養で常に少しずつ増えてはいるけどそれと比べものにならない量の資源があなた達が亡くなる度に海に流されてるわけ。舟を造るって樹を伐り倒してるんでしょ?尚悪い。昔のように全員が<大樹>に還元されなければ今後も地下生物達の襲撃は増えるでしょうね。」

 残酷だが理屈は通っている。根の魔女は言わば有機物の分解と吸収、再生産を司る根の国の代弁者なのだ。目に見えにくいために忘れてしまいがちな自然の摂理を誰よりも熟知している。

「しかし舟での葬送は古くからの伝統で……この島に冬が訪れた時から行われるようになったと聞いていたのですが……」

「伝統……ね。でもそれが行われるようになったのは僅か三世代ほど前の話よ。あなた達にとっては大昔の話なのかもしれないけど、冬が訪れたのはもっとずっと前、その一回きり。あたしでさえ知らない。廃止を迷うほどの大した伝統じゃないわ。」

 こともなげに重大な事柄を告げる彼女は嘘をついているようには見えなかった。

「私達がみな地下に還ればこのような騒ぎは起きないのですね?」

「もちろん。ただし今まで流出した資源は相当な量よ。それを取り戻すためには三世代分の年月では済まない。気長にやることね。そのうち地下生物の出現回数も減ってくだろうから。」

「そっか、すぐにはなくせないんだ。」

「でも理由が分かれば怖くはないでしょう?」

「よく分かりました。今日長老達を招集して会議を開きます。そこで今のお話を彼らにも聞かせましょう。」

「そうすべきね。」

 もの分かりの良い老婆に魔女もいくらか物腰が柔らかくなる。

「ではまたいずれね。それともまた地上に来る頃には代替わりしてるのかしら?」

「その冗談は笑えません。」

 魔女の褐色の脚が黒い黴に覆われていく。立ったままの彼女に直ちに蔓が絡みつき地下へと引き摺り込まれていく。

「それからハチドリのお嬢さん、空の者には深く関わらないことね。傷つくのはあなただから。」

 魔女は消え、朝の本来の静けさが戻る。

「なんなんですか、今の人。」

 この世の凡てを知っているかのような奇妙な少女に対する苛立ちを隠そうともしないフリョッハ。

「根の魔女です。あなたも話なら聞いたことがあるでしょう。」

「それはさっき聞きましたけど。それより今の話、ほんとなんですか?」

「地下生物の出現は凶兆。何度も続くようならただでは済みません。」

「ならみんなに早く伝えなきゃ……」

「いえ、この件はしばらく口外しないで下さい。」

 悲惨な未来を招きかねない事実に動揺するフリョッハに最長老がきっぱりと告げる。

「重要な事実には知らせるべき時というものがあります。遅過ぎるのは勿論のこと早過ぎても悪戯に混乱を招いて却って被害を大きくしてしまう。この島のみんなを、結び目を、ひとつでも解きたくないのならこの件は大人に任せるのです。」

「わたしだってもう大人です……」

 圧倒的に経験の豊富なバラールに対して反発の言葉は尻すぼまりに小さくなる。成人した者が着用を許される貫頭衣を着ていても効果を成さない。

「ええ、そうですね。頼りにしていますよ。」

 暖かな眼差しにたじろぎつつハチドリの精は三階に駆け戻った。

「頼りにしているのは本当ですよ。ただ、私にも譲れないものがあるのです……」

 多くの仲間の死を見てきた彼女は自分の身体が再び四精霊に解けようとしていることを敏感に察知していた。彼女には総多くの時間は残されていなかった。


 三度目の脱皮は前回ほど早くは訪れなかった。三齢幼虫のパキリリェッタは一三〇人の幼馴染達と共に静かにその時を待っていた。六角形の小胞の中で佇む彼女は既に全身が透明になっており、準備は万端。いつ始まるとも知れない通過儀礼に当の本人は焦れったさを感じていた。

「また終わるまでそばにいてくれる?」

「もちろん。アナイも来てくれるって。」

 自らも成人を終えて一皮剥けた様子のフリョッハが身を寄せる彼女を優しくなだめる。

「おねえちゃん、あのね……」

 ためらうような口振りで世話係の目を覗き込むパキリリェッタ。

「聞いていいことなのかわかんないんだけど、おねえちゃんのおかあさんってどんな人だった?って、ずっと聞いてみたかったの。」

「そう……そうだよね。」

 フリョッハが彼女に母について語ったことは今までなかった。ただ途切れ途切れの話の文脈からずっと昔により多くと結ばれてここにいないことを察していた。

「お母さんがどんな人だったか、わたしは知らないの。リエッタに言いたくなくてこんなこと言ってるわけじゃないんだよ?ただほんとうに、会ったことがなくて……」

 打ち明けるべきか悩むフリョッハの表情の移ろいは時間の経巡りの中で葉を芽吹かせては散らす木々のように繊細で目を離せないものだった。

 木枯らしのように勢いのある溜め息をすると、意を決して口を開く。

「わたしはお母さんのお腹の中で孵ったの。お姉ちゃんもお兄ちゃんも卵から孵ったけどわたしだけね。これがその証拠。」

 そう言うと、小胞の外からは見えないよう注意して貫頭衣の布を捲り下腹部を露わにした。灰色の混じった白い羽毛に包まれた柔らかい腹部の頂きには小さな浅い穴が穿たれていた。

「え、なにこれ!おねえちゃんにこんなのがあるってぜんぜん知らなかった。」

「おへそって言うんだけどね。お腹の中で孵った赤ちゃんは産まれるまでの間お母さんと紐で結ばれてて、それを通して栄養を分けてもらうんだって。これはその跡。」

 自分の腹部を確かめるパキリリェッタ。しかし勿論、卵から産まれた彼女には臍もなければ乳房もない。肺を持たない虫の精に特有の気門が八対、両脇腹に備わっているだけだ。脱皮の直前で半透明になった肉体は内臓が薄っすらと透けて見える。

「すごいね、ふしぎだね。」

「でもそのせいでお母さんはより多くと結ばれてしまった。」

 衣を戻したフリョッハが暗く呟く。

「卵を産むときと違ってね、赤ちゃんを産むときはお母さんのからだにかかる負担が大きいんだって。わたしを産んだ後お母さんは体調が悪くなって……二日後により多くと結ばれた。だからわたしが悪いの。わたしがいなければお父さんもお姉ちゃんもお兄ちゃんもきっとさびしい思いをせずに済んでたし。」

「それはちがうよ。」

 自傷のようなフリョッハの言葉にパキリッリェッタがきっぱり否定する。

「だって、わたしはどうなるの?もしおねえちゃんがいなかったらずっとここに閉じこめられっぱだったと思うし……こんなにだいすきなおねえちゃんがいないなんて考えられないし……産まれなければよかったなんて言わないでよ……」

「ごめん、ごめんね。」

 抱き締めた蚕の精の身体は角質化した古い皮膚ががさがさしてあまり心地の良いものではなかったものの、フリョッハにとってはこの上なく愛おしかった。

「よくわかんないけどね、おねえちゃん、お母さんに似てるっておもうよ。」

「会ったこともないのにどうして?たしかにそう言われるけど……」

 髪が黒いのは両親とも共通だがしっとりとして癖がないのは母譲りだ。身長がそう高くないのも瞳が灰色がかった緑色なのも爪の形が円いのも鼻が小さくすっと通ってつんと上向きなのも、みんなミリティウに似たのだった。ただアニフに対して女男ファルナの彼女は腰の翼や尾羽に関しては全くツァヒルの父譲りと言って良かった。

「たしかにね、色んなものを遺してくれたよ。部屋の家具とか衣はみんなお母さんのだし、これも……」

 左の太腿に巻きつけた革のホルスターから細身の縦笛を抜き取る。彼女の部屋で木が生えた時から保管せず持ち歩くことに決めたのだ。

「……それは?」

「啼き笛。同じ種族の鳥とならふつうに話せるけどそれ以外とはぜんぜん言葉が通じないから、この笛で相手の言葉を真似るの。一方的に伝えるだけで相手の言葉は分からずじまいだけどね。これもお母さんのものだったって。」

 苦笑いしつつパキリッリェッタに手渡す。

「へえ……ただの飾りだと思ってた。」

「今度吹き方教えてあげる。」

「ほんと?!」

「脱皮が済んだらね。お守り代わりに持ってていいよ。」

「ありがと、おねえちゃ……」

 大きな欠伸をすると、蚕の精はだるそうに横になった。いよいよ脱皮が始まったのだ。目を閉じる彼女の傍にホルスターを置いてやると、フリョッハは小胞を出てひとまず身体を洗いに外に出ていった。

 両手で笛を握ったままむにゃむにゃと深い眠りに就く幼子の小さな身体の中では、大きな変化が起ころうとしていた……

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