一一日目
アダムとイブが去った後のエデンの園で繰り広げられる妖精達の恋の物語 第七話。
今回は少し息抜きできる回ですね。久し振りに自分でも読みましたがこれ面白いんですかね??
ここ最近は艦これアーケードにハマってます。
一一日目
生まれたばかりの黄色い太陽の光が円い窓に降り注ぐ。起きてはいてもまだ目を開ける気にはなれない。それでも居間の物音は耳に入ってくる。緑と白の入り混じる耳羽に塞がれていても。
隣にパキリリェッタの姿はない。朝早くから何か思いついたらしい。フリョッハはぼんやりと壁を眺めていたがふとその見慣れた景色のどこかに違和感を覚えた。とは言え箪笥に机に椅子があるばかり。どうということもない。フリョッハが幼い頃姉が嫁いで空いたのをそのままもらい受けた部屋だ。それなのに、何かがおかしい。
けだるげに身を起こすと枕許に置いた衣を身に着け寝ぼけ眼を家具に向けた。そうしてようやく違和感の正体に気づく。
「たんすって、あんなに背が高かったっけ。」
母から受け継いだ箪笥は抽斗が四段入っていて高さはせいぜい彼女の首の辺り。決して高くはないはず。しかし目の前のそれは天板が天井にぴったりくっついてしまっている。フリョッハは自分がまだ夢の世界にいるのだと思った。そうでなければ床から木が生えて箪笥を持ち上げているだなんて。
「これは一体……」
クロッテュファーガルは面倒臭そうに頭を掻いた。
「パキリリェッタ、君だな?」
「えーっわたしこんな魔法みたいなことできないよ。」
いきなり疑われた蚕の精が腹立たし気に腕を組む。
「これは魔法じゃない。<大樹>の種だ。」
「<大樹>の……?」
「君は桑の葉しか食べないから覚えてないか。」
「ほら、わたしたちが食べる果実の中に入ってる黒い粒。」
「あや。」
「思い出したな。」
「おもいだしました。」
それは一昨日のこと。初めての授業を受けた後外へ繰り出した彼女は同じくらいの背格好の虫の幼精達と遊んだ(その間フリョッハは運悪くおばさん達の世間話につき合わされていた)。こんなことになってしまった原因はパキリリェッタ本人の言葉にあった。
「<大樹>の種からすべての生きものが生まれたなんて、ほんとだと思う?」
「そのお話私も聞いたことある。」
ホタルの幼精が答える。
「四つの種がまとめておいてあると生きものになって、ひとつだけのときは樹になるんでしょう?」
「そうなの?」
バッタの幼精が尋ねる。しかし誰も真偽を知らない。
「ねえ!ならさー。」
三人が見上げると、いつの間にか樹上に昇ったオトシブミの精が大声を張り上げる。
「確かめてみようよ。俺達で種を四個ずつ持ち帰って育てるんだ。」
フリョッハが聞いていたなら、それがまずいことだとすぐに諭されただろう。砂浜の緑地化に携わっていた彼女なら種がか弱くも危険な代物だと良く知っている。しかしまだまだ分別の備わらない幼虫達はこの実験に興奮した。
かくして四人はオトシブミの精が落とした四つの果実からそれぞれ四つずつの種を取り出し持ち帰ったのだった。
「それで、わたしに黙ってたんすの下に隠してたわけ。」
「とりあえず持ってきちゃっただけで外に埋めるつもりで……しょうがないから隠しといたら忘れちゃった。」
えへへー、と笑って許してもらおうとするが誰もその手には乗らない。
フリョッハが床に散らばったお気に入りの置き物の数々を拾い上げる。箪笥の上に飾っておいたもの達だ。その中には縦笛もあった。彫り物のあしらわれた上等の品だ。
(自分で持ってるほうが安全かな……)
同じく床に落ちていたホルスターを太腿に取りつけ笛を吊るす。
「さほど日に当たらなかったからこの程度で済んだんだろう。丸二日もあればこんな天井はとっくにぶち抜いてる。」
しずしずとカーテンを閉め切るフリョッハ。
「それで……どうやって外に出す?」
「立派な大顎のある奴に幹を断ち切ってもらうしかないだろう。その間誰かが箪笥を持ち上げている必要がある。それから足の速いのも必要だ。外に出て日光を浴びれば一気に伸びるだろうからな。根を張って動かせなくなる前に街から出してやらなくちゃならない。」
「足のはやいひと?」
「父さん、それなら一人当てがあるよ。」
再び南の森。今度はパキリリェッタの手を離さないと決めて森に分け入る。
「もっしもーし、いますかー?」
パキリリェッタが声を張り上げる。
「ヴェルチンゼトリン、あなたに助けてほしいの。」
一陣の風が吹く。風は円軌道を描いて二人の背後に回り込んだ。
「あなたにしか頼めないことなの。この島じゃあなたより足の速い人はいない、そうでしょう?」
樹の陰からぬっと姿を現したそれは、あの凛々しい青年の姿をしてはいた。但し言うなれば影のようだった。まるで太陽に追い出された暗闇が一転に凝集したかのような。
昏い影が凍りつく二人に近づく――が、次の瞬間には倒れていた。細かい黒い粒子となってどこへともなく消えていく。その背後に本物のアサギマダラの精が樹上から飛び降りる。
「……今のは?」
「闇の精霊。軽いいたずらだが触れれば闇に当てられる。」
「ありがとう、また助けられたんだね。」
あまりにもあっさり退治されたため、危険が迫っていたという実感も薄かった。
「ここには来るなと言ったはずだ。」
「それはそうなんだけど……」
「この人がヴェルちん?」
二人の間に割って入るパキリリェッタ。
「そう、この間リエッタを助けてくれた……ほら、ちゃんとお礼言って?」
「ありがとうございました!」
「……俺はもう行くぞ……」
丁寧におじぎする幼精の前で居心地の悪さを感じたのか、さっさと立ち去ろうとする。
「ま、まって!今日はお礼を言いに来たわけじゃないの。それもだいじだけど……実はこの子がね……」
フリョッハは手短に訳を話した。今にも走り去るのではと冷や冷やしたものの、彼は最後まで聞いていた。
「<大樹>には……あまり入りたくない。」
「それは、どうして?」
「俺の妙な力を知られたくない。昨日はお前達があまりにも危なっかしいから助けただけだ。……他を当たれ。」
止める間もなくヴェルチンジェトリックスは姿を消した。
「なーんかやなかんじー。」
常軌を逸した能力を持つ苦悩など、二人には理解できそうにもなかった。
「本人がいる前でわるいなーと思ったからいわなかったけどさー。」
「うん?」
「おねえちゃんああいうのがタイプなの?」
「ひゃっ?!」
本人の前で黙っているだけの配慮を見せたとは思えないほど、彼女の声は大きかった。
「かんじわるぅーってかんじだったじゃん。もっとかっこいいの期待してたのに。」
「へ、変なこと言ってないで早く戻るよ!」
パキリリェッタに、と言うより周りの人達に向けて言葉を発したフリョッハは<大樹>への道を急いだ。
「でもいいの?けっきょくヴェルちんつかまえらんなかったし。」
「しかたないよ。ほかに頼めそうな人いないし……」
「ちっちっちっ、おねえちゃん忘れちゃったの?もう一人いたじゃん、ばつぐんに足の速いひと。」
フリョッハには誰のことか見当もつかなかった。
「いやー、この度は僕なんかに責任重大な役をご指名頂きまして!感激です!」
「指名した覚えはない……」
しきりに握手を求める青年に、クロッテュファーガルが面倒そうに手を差し出した。ジグモの精は両手だけでなく背中から垂れた四本の脚まで添えた。普段感情を表に出さないクロッテュもこれには驚かざるを得ない。
「……本当に彼に任せて平気なのか?」
「へいき…の、はずー……?」
「ご安心を!精一杯やらせて頂きます。」
やる気充分の若者を爪弾きするような真似を彼はしなかった。
「そうまで言うなら君に任せる。君にはこいつを、森まで運んでもらう。」
そういって居間からフリョッハの寝室へ案内する。
「あ、女の子の匂い。」
問題の箪笥を見るより先にタルフェットヌーブが口走る。フリョッハの平手打ちが彼の甲殻に覆われた後頭部を襲う。溜め息をつくクロッテュ。
「箪笥の下から<大樹>の種が四つ芽を出した。今は箪笥が枷になってこれ以上成長しないでいるが取り出した瞬間伸び始めるだろう。……やれそうか?」
「お任せを!」
「よし……ロナン、ナイフを。」
この家の長男であるクロッテュロナンが入室する。手には鮫の歯を研いで刃にしたナイフ。
「お兄ちゃん。」
「久しぶり、フリョッハ。急に呼ばれたから何事かと思ったよ。」
「話は後だ。曇ってる内に片づけるぞ。」
息子からナイフを受け取った大クロッテュは一本、また一本とまだ青い細い幹を断ち切る。その間箪笥を支えるのは小クロッテュだ。
「よし、取り出せ!」
大クロッテュの合図でヌーブが株を引き摺り出す。四つの株を抱えて部屋を出ると、予め螺旋階段を支える梁から一階の床へ垂らした蜘蛛の糸を頼りにするすると滑り降りる。異変を嗅ぎつけた野次馬達が一斉に下を覗く。降りる間にも幹が伸び枝が張り出していく。
最下階まで辿り着くと即座に市場を駆け抜ける。
「うっごわっ?!」
日光を浴びた切り株の成長が一層勢いを増す。手放さないよう支えつつ残り六本の脚を総動員させる。
「うっもう少し……あとちょっと……!」
まだ家々が立ち並ぶ領域で彼はもう一歩も踏み出せなくなった。細い根が彼の身体に絡みついて自由を奪う。その間もぐんぐん伸びてもはや切り株と呼ぶにはふさわしくなくなってしまった。
「もう無理ー……足速いって言っても短距離走派だし……」
まるで苗床のようになってしまった彼の疲れきった目に浅葱色の鱗粉が映る。見上げると、いつの間にか彼が来ていた。
ヴェルチンジェトリックスがひと思いに樹を持ち上げる。互いが互いを支柱にし合って一本になったそれはぶちぶちぶち、と悲鳴に似た音を立てて根がちぎれた。
「はは……選手交代、です。」
走り去る彼にヌーブが虚しく笑った。
「ヌーブ!平気なの?」
慌てた様子のフリョッハが彼の許に降り立つ。絡みつく根を取り払ってやる。
「平気ですよー。なんだか僕なんかより速い人が交代してくれました。」
「リックスだ。」
「それにしてもなんでしょう。根から元気を吸い上げられたような気がします……ってあれ?もう行っちゃった?」
フリョッハが追いつく頃には、もう全てが終わっていた。すっかり日の昇った砂浜で、彼は水平線を眺めていた。
「……リックス?」
黒い翼を折り畳んで降り立つと、フリョッハは立ち尽くす彼の顔を覗き込んだ。
「ここなら彼女も伸び伸び生きていけると思ったんだが……」
「森の中に投げてもよかったのに、わざわざ砂浜まで持ってきたのはそのため?」
「樹に対して妙に親しみを感じさせる言い方をフリョッハは訝しく感じた。
「根が頭に絡みついた時。囁きかけてきたんだ。産まれて間もない彼女の記憶を見せられた。そこはもう<大樹>の中で、誰かの部屋だった。自分の居場所を得ようとして懸命に幹を伸ばして枝で何かを持ち上げてた。あれは……箪笥か?」
「そうかもね……」
「だが彼女は追い出された。自分の力ではどうにもならないこともある。」
翅の破けた彼の言葉には確かな実感がこもっていた。
「だからせめて願いを叶えてやろうと思った。砂浜なら誰にも追い出されずに済む。なのに……」
彼の周りに樹が見当たらないことから、フリョッハは察した。崩れ易く絶えず波が寄せる砂浜に苗木を植えつける技術は既に失われて久しい。水上林のある現在なら大きく育った樹に苗の根を絡めてやることで流れるのを防げるが、最初に植林を始めた人々がいかにして何もない砂浜に樹を定着させたのかは完全に謎である。
「聞いたことあるでしょう?わたしたちの<大樹>も最初は一粒の種だった。空と海がひとつだったころのお話。」
「ずっと昔に幼虫だった頃に。」
「だったらあの樹も海の上で大きくなって、島になるかも。それでわたしたちみたいな子供がたくさん暮らすの。自分の居場所を探してた樹が自分以外のみんなの居場所になるなんて、すてきじゃない?この島のほかにも島があるのはなんだかほんとみたいだし……」
「ああ、本当だ。だが俺は……」
横に寄り添っていたフリョッハが顔を覗く。その目は涙に潤んでいた。
「だが俺は、そこには行けない……」
フリョッハが意を決して彼の手を握る。
「でも独りじゃない。あなたの居場所はちゃんとある。この島の中に……そうでしょ?」
縦にも横にも首を振らない。彼はただ聞いていた。
「そう言えばフリョッハ。まあ大丈夫だとは思うんだけど……」
帰り道、彼女に追いついたクロッテュロナンが慎重に尋ねる。まるで気づいてしまった自分をゆっくりとなだめるかのように。
「なに?お兄ちゃん。」
「大丈夫だと思って聞くけど、黙って種を持ち出した子が他に三人いたんだよね?」
「ん?」
「その子達の家は、大丈夫?」
「へ?」
「あれ?」
兄は妹の目が点になっているのを見逃さなかった。
「んんああああっっ忘れてたーーっ!お兄ちゃん、すぐ行くよ!!」
虫の精の子供達の家が<大樹>の外にあったのは不幸中の幸いだった。日当たりの良い森の中に居場所を見つけた三つの種は四本が撚り合わさり頑丈になっているのも相まって周りの樹々よりも抜きんでて高くなった。またその内の一本はパキリリェッタのように家の中に放置してしまったため、見事に倒壊させられ住人達は居場所を奪われる羽目になったそうである。誰あろう、あの洟垂れ小僧のオトシブミの精の家であった。