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4:ミナ・トリアの騎士(2)

 かりかりに焼いたガーリックトーストと、豚肉を使って熟成させたハムの薄切り、ありあわせの野菜をトマトソースで煮込んだもの。そして、柑橘類を搾った酸味あるジュースのグラスが二つ。それらが大きくはないテーブルの上に所狭しと並んでいる。

 店自体が古く、店内もそんなに広くないので、椅子を差し向かいにしてぎりぎりまで詰めても、迂闊に振り向けば隣席の客と頭がぶつかりかねない。そんな事で赤の他人を苛立たせて要らぬ因縁をつけられぬように、デュルケンはできる限り足元近くの床に荷物をまとめ、パルテナと額をつき合わせるような形で黙々と食事をとっていた。

 周りの客も似たような考えを持っているらしく、知らない人間とはいくらかの距離を取っている。連れがいても大声で喋る事は無く、内容までは聞き取れない話し声がたまに耳に届くばかりだ。

 パルテナの方はこの店の空気に慣れっこなのか、椅子が高めのせいで床に届かない足をぶらぶらさせ、しゃくしゃくと小気味の良い音を立てながらトーストをかじっていた。

「ねえ、デュー」その彼女が問う。「フード、邪魔じゃないの?」

 少女の指摘通り、デュルケンは食事時までフードを目深にかぶったままである。トーストの油分や煮込みのトマト色がはねて布地に染み込めば、「洗濯するのが大変なのよ」とレジーナの不興を買うだろうが、ここで自分の素顔をさらす気は無い。デュルケンは黙ってハムをトーストに巻き、口に運ぶ。

 パルテナは、納得のゆく答えを寄越してもらえず不服だったのだろう。

「デューの髪と目の色、きれいなのに」

 唇を尖らせて、フォークを手に取り野菜の煮込みをつつき始めた。

 綺麗などと言われた事にデュルケンは動揺し、トーストを取り落としかける。

 だが、少女の不満を解消する為だけにフードを取るなど、言語道断だ。どこにいるかわからないベルギウスの手下に、デュルケン・フォードがここにいると暴露するようなものである。自分が家の人間と共にいると知られれば、間違いなく家にまで迷惑が及ぶ。

 しかし、そんな込み入った事情をパルテナは理解できないだろうし、逐一説明するのも面倒だったので、沈黙を貫く事にした。

 静かな食事が続く中、野菜の煮込みに手を伸ばそうとして、デュルケンはある異変に気づいた。元々赤い料理の中でも更に赤が多く残っている。フォークを刺して拾い口に運んで、その赤の正体を確かめる。ニンジンだ。

 つと前を向く。見つめられた事に気づいたパルテナは、何か後ろめたい秘密を隠している子供のように落ち着きなく視線を泳がせていたが、

「おい」

 とデュルケンが呼びかけると、びくりと肩をすくめて、上目遣いにこちらを見上げて来た。

「な、なに?」

 どもる少女の鼻先に、デュルケンはニンジンをずいと突きつける。

「何故これだけよける」

 パルテナは明らかに拳ひとつぶん身を引いて嫌悪感をあらわにしたが、やがてぼそりとこぼした。

「いやな気分になるから」

「何?」

 ニンジンから不快感をもよおす理由が思い当たらず、デュルケンが眉をひそめると、パルテナは、テーブルの上で組んだ手をもじもじさせ、目線をニンジンから外して。

「ニンジンはパリィの髪の色だってばかにされるから。ニンジンを見てるといやな気分になるの」

 そして目元にじんわりと水分をためて、ぽつり。

「だから、ニンジンもパリィの髪も、パリィはきらい」

 そこまで言われてデュルケンもようやく思い出した。初日の夕食の席で、サムという少年がニンジンをパルテナの髪に見立ててからかった事を。

 カシダがよく酒をたとえに出して、視覚は記憶に繋がると言っていた。酒瓶を見ると酒乱だった自分の父親を思い出して不愉快になる、『だから俺は酒は飲まないんだ』と。

 恐らく、パルテナへの嫌がらせはあの晩一回だけでなく日常的に行われていたのだろう。幼い子供がそんな思いをして、不快感の原因を嫌いにならない方が不思議である。

 デュルケンはフォークに刺したニンジンを差し出したまま沈思し、やがてそれをおもむろに口に運ぶと、よく咀嚼して飲み込んだ後に、一言。

「ニンジンは嫌いじゃない」

 潤んだ藍色の瞳が、虚を突かれたようにこちらに向けられる。

「確かに味は独特だが、栄養があるし」一拍置いて彼は真正面からパルテナを見つめ、言った。「この色も嫌いじゃない」

 言い切った後で、人と関わりを持つのが苦手な自分が何故こんな子供に気を遣っているのかと、デュルケンは、先程微笑っているのを指摘された時以上に赤くなる。

 だが、少女にはその気遣いで充分だったようだ。目を真ん丸くして息を呑んだ後、ぱあっと破顔した。

「きらいじゃないって事は、好き?」パルテナは嬉しそうに身を乗り出して来る。「パリィの髪も好き?」

 デュルケンがぎこちなくも頷くと、少女は幸せそうな表情を顔に満たして、ふたつに結わいた髪の片方をいとおしげに手ですき始めた。

「デューが好きって言ってくれるなら、パリィもニンジンとパリィの髪を好きになるね」

 何故この少女がこんなに自分に懐いて来るのか、デュルケンにはとんと見当がつかない。初対面の印象は最悪だったろうに、何故こうも心を寄り添わせて来るのか。

 だが。

 最初こそ鬱陶しかったものの、パルテナに慕われて悪い気はしない自分がいる事に気づく。彼女が笑顔になると、自分の荒ぶる心まで静められてゆくようだ。そしてそれが決して不快ではない。

 その感情が何と言う名を持つのか、デュルケンは知らない。カシダは親としてデュルケンに敬意と安心感を与えてくれたが、それとは明らかに違う。人波に混じる時に感じる警戒心などとは、更にかけ離れたものだ。

 とにかく、パルテナの気持ちが楽になるのなら、これくらいの慰めを口にする事はためらわずにできる。デュルケンはそう思った。

 その後デュルケンは、恐る恐るニンジンを口にするようになったパルテナと共に、残りの料理を片付けて、ジュースのグラスも空にした。

 パルテナが見せてくれた財布の中身ならば、この食事代に充分足りるし、もう一品頼んでもお釣りが来る。何かデザートを食べるか訊こうと口を開きかけた時。

 がしゃん、と食器がひっくり返る音と、

「あちいいいー!!」

 という叫びが聞こえたのは、ほぼ同時だった。

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