少女たちとの関係
食事のあと、アシハナにせがまれてトラックの操縦を教えることになった。
「おぉぉぉぉ、見てください社長、このような鉄の塊が私の手で動いています!」
「脇見はするなよ? これは凶器なんだ、簡単に人を殺せるんだからな!」
「承知しております。ですが、武器の扱いならばこのアシハナ、不肖の身なれど最も得意としているところです!」
自信満々にそう言うとおり、アシハナはすぐに運転を覚えてしまった。
駐車場内という限られた場所で、しかも徐行しているだけだが、その動きは危なげない。
そう言えばアシハナに限らず、タバサも文明的にここよりも劣っている世界から来たにもかかわらず順応性が高い。
文字や言葉は、この世界に来た際に神様に何かされたのか最初から不自由はしなかった。
さすがにこの世界の常識には疎いが、それも教える傍からどんどん吸収している。
それぞれに得意不得意があって、勉強の類はタバサが得意とし、運動の類はアシハナが得意とする……と言うように、少し極端ではあるが。
「社長、どうかしたのですか? 何やら考え込んでいるようですけれども」
「ああ……すまん。ちょっとお前たちのことを考えていたな」
「私たちのこと、ですか」
静かにトラックを停車させ、教えてもいないのにちゃんとサイドブレーキまでするアシハナ。
おそらく俺が操縦するところを見て勝手に覚えたのだろう。
そしてシートベルトを外して俺に向き直ると、真っ直ぐに目を見つめて来た。
「もしかして、私たちの存在は社長にとって重荷でしょうか?」
「いや、そんなことはないが……どうしてそう思った?」
「私は出会うより以前の社長のことは知りません。なので思い過ごしかもしれませんが……最近はそうやって物思いに耽ることが多いように思えます」
アシハナはそう言い、そっと俺の手へ自分の手を重ねて来た。
ぎゅっと、手を握りしめてくる。
「もしかして、私たちがいることで社長は何か辛い思いをされているのでは……?」
「……いや、違う。そんなことはないさ」
心配してくれるアシハナの気持ちが嬉しくて、俺は自然と微笑んでいた。
握られた手を軽く握り返してから、そっと指をほどいて離れさせる。
「確かに二人がいて戸惑いはある。妻と離婚して、娘とも離れて暮らすようになって……こうして誰かと一緒に過ごすのは二年ぶりだからな。だがそれで辛い思いをしているわけでも、悲しいことを思い出しているわけでもないから安心してくれ」
「そうですか……」
ホッとしたように息をつき、アシハナは俺にはにかんだ笑顔を向けてきた。
大和撫子と言っても良いような容貌の彼女にそんな顔をされると、妙にくすぐったい気持ちになってくる。
しかも今は俺のお古のつなぎを着て、胸元が苦しいのか大胆に前を開けているため、かなり目に毒だ。
丈は当然のようにあっていないので、近々サイズの合うのを買ってやらないとな。
ってまぁ、それは良い。
「あー……なんだ、アシハナ。とりあえず今日はここまでにしておこう。あまり遅くなると、明日に響くからな」
俺は不自然にならない程度に彼女から目を背け、そう切りだした。
実際に遅い晩ご飯のあとに運転の練習をさせているため、すでに日付が変わりそうになってしまっている。
「わかりました。しかし、あのベッドというのはどうにも落ちつかないのですけど……」
「和室に布団を敷いてやるから、そこで寝ると良いさ」
「はいっ、ありがとうございます、社長!」
微笑むアシハナと場所を変わり、俺が運転をしてトラックをいつもの場所へと戻す。
ジッと俺の運転を見て、少しでもその技術を学ぼうとしているのは勤勉と言うのか。
そろそろ最低限の常識も覚えてきたし、教習所に通わせても良いかもしれないな……。
タバコを灰皿へ押しつけ、寝ようとベッドにもぐり込む。
そんなタイミングで、控え目にドアをノックされる音が聞こえてきた。
「誰だ?」
『あの、タバサです。お休みのところすみませんが、少し良いでしょうか……?』
「開いているから入って良いぞ」
ドアの向こうへそう呼びかけると、恐る恐るといった様子で静かにドアが開き、タバサが顔をのぞかせた。
可愛らしいピンク柄のパジャマに身を包んでおり、なぜか枕をぎゅっと胸に抱いている。
娘が元妻に連れられて出て行ったのが二年前、十二歳のときだ。
結局着ずに置いていったパジャマだが、タバサが小柄なためかサイズはピッタリのようだった。
まぁ十六歳になるタバサには少し子供っぽい柄かもしれないけれども。
「それで、俺に何か用だったか?」
こんな時間に、枕を持ってどんな用があるのか。
さすがに聞かずとも想像はつくけれども、念のため問いかけてみる。
「その……一人では、寂しくて寝られなくて。アシハナさんは、和室で一人で寝ていらっしゃいますし……」
「ああ、やっぱりそうか……」
タバサは昔から同じような巫女たちと共同生活をしており、寝るときも一緒だったらしい。
だから、一人での夜というのは慣れないようなのだ。
ましてやここは産まれ育った自分の世界ではなく、来てからそれほど経っていない異世界なのだから。
この世界に来た当初もそう言って、俺と一緒に寝たいとねだって来た。
アシハナが来てからは女同士で一緒にベッドで寝ていたのだが、そのアシハナは今日から和室に布団を敷いて寝ている。
「しかたないか……ほら、おいで。できれば一人で寝るのに慣れて欲しいが、いきなりは無理だろうしな」
「もうしわけありません、社長……。ありがとうございます」
小さく頭を下げ、恥じらうように微笑みかけてくる。
俺が寝るベッドへと近づいて来ると、怖ず怖ずと中に入り込んできた。
ほのかに温かな小さな身体が、ぴとっと俺に寄せられる。
タバサはいろいろと小柄なおかげで、こうしてくっついていても変な気分にならなくて助かる。
その分、普段は嗅ぎ慣れない良い香りがして、少しムズムズするような気持ちにはなるが。
「……じゃあ、おやすみ、タバサ」
「はい、おやすみなさいませ、社長」
耳元で、くすぐるような吐息とともに鈴を転がすような声が聞こえてくる。
俺はタバサの体温を感じながら、そっと目を瞑った。
そうして、どれくらいの時間が経っただろうか。
「…………社長」
「……どうした?」
ためらいがちな呼びかけに、俺は目を瞑ったまま簡単に応える。
ぎゅっと、腕を掴まれたような感触がつたわってきた。
そして俺の肩の辺りに、こつんとタバサが額を押しつけてくる。
「社長は、わたしやアシハナさんのときに……。その他にも、何度もあのようなことをしていたんですね……」
弱々しく、ためらいがちに紡がれる言葉。
それで俺は、タバサは俺の言いつけを破って目を瞑っていなかったことを悟る。
恐らくは見てしまったのだろう。トラックに轢かれる寸前の、少年の絶望したような表情を。
そして頭の良いタバサのことだ、あの質量の物体があの速度でぶつかったとき、どうなるかなんて想像するのはたやすいことだろう。
俺でさえ衝突したときの音とその直前の少年の悲鳴は、生々しく今も耳にこびり付いているくらいだ。
少しでも聞こえないようにとカーステレオで大音量の音楽を流していたが、タバサにも聞こえてしまったのは間違いない。
アシハナは元の世界で騎士だったからか、この手のことにはかなり耐性があるようだった。
だからこそ地上でターゲットの動向を探ってもらったり、タイミングを計ってもらったりしても問題はなかった。
横からトラックが人を轢くところを見るのも、かなりの衝撃だと思うのだが……。
そしてアシハナと違い、タバサは命のやり取りをするような荒事にまったく免疫がなかった。
「だから言っただろ、助手席に座る必要はないって。いつものように、事務所で待っていてくれれば良かったんだ」
「ですけど、社長もアシハナさんもされていることです。わたしだけ仲間はずれは嫌です……」
「それで心に傷を負ってしまったら意味がないだろ」
一人で寂しくて寝られないというのは事実ではあるのだろうが、多分嘘だ。
本当は一人で寝ようとすると、あのときのことが思い出されてしまい、寝られないに違いない。
俺だってそうだった。
初めて人を轢いた日。タバサが来た日は、とても一人では寝られなかった。
轢いたこともそうだが、一つ家庭をこの手で壊してしまったということも……。。
心細いとベッドに潜り込んで来たタバサの温もりを隣に感じていなければ、おそらく一睡もすることはできなかっただろう。
あのときほど誰かの温もりが。人の温かみがありがたいと思ったことはない。
「しかたないな……ほら、タバサ。もっとこっちに寄ってこい」
「はい……社長」
俺は身体の向きを変え、手を開いてその小柄な身体を招き入れる。
タバサは甘えるように俺の胸へと飛び込んで来た。
そのまますっぽりと収まってしまい、ほんのりと良い香りが俺の鼻腔をくすぐっていく。
「社長の胸の鼓動が、とてもよく聞こえます……」
「そりゃあ、こんなシチュエーションだからなぁ」
「もしかして、わたしを女として意識してくださっているのでしょうか?」
「それはない。タバサは、俺の娘とそう変わらない年だぞ?」
娘みたいな年齢のタバサに対して、そういう情欲みたいな感情は抱いていない。
それでも若い女の子を抱きしめているのだ。アラフォーなおじさんとしては、多少緊張してしまってもしかたないだろう。
「それは……少し、残念です」
タバサはそんなことを呟きながら、俺の胸へと顔を押しつけてくる。
それはどういう意味だ? なんてことは聞かない。
ただタバサが少しでも安心して寝られるように、少しだけ強めに抱きしめてあげる。
「社長、おやすみなさい。なんだか、今度はすごく良く眠れそうな気がします」
「それは良かった。おやすみ、タバサ。明日も仕事があるからな、たっぷり寝て備えてくれ」
「はい……社長……おとう、さま……」
小さな、小さな、呟き。
それはすぐにタバサの寝息にまぎれて聞こえなくなってしまった。
すやすやと気持ち良さそうに寝入った彼女の様子に、俺は腕の力を緩めてホッと息をつく。
お父様、か。
俺がタバサに少なからず娘を見ているように、タバサも俺に父親を見ているのかもしれない。
俺が娘と変わらない……と言ったから、父親と返しただけの可能性もあるが……。
タバサが元の世界で巫女としてどんな生活をしていたかは聞いたが、家族については何一つ聞いていなかったな。
自ら人身御供に立候補するくらいだから、天涯孤独だったとは思うが……。
もしかすると、俺がこの世界から異世界へ送った相手と同様に家族がいたかもしれない。
「……アシハナもそうだが、タバサも割と辛い人生だったりするのかね」
この細くて小さな肢体の少女の背負ってきたものを考えると、なんとも言えない気持ちになってくる。
俺のできることと言えば、この世界での生活を保障して生き甲斐を与えるだけ。
生き甲斐を与えることは難しいが、せめて生活だけは不自由させないよう、頑張って稼がないとな……。
俺はそんなことを考えながら。
タバサの温もりを感じつつ、いつの間にか眠りへと落ちていく。
そこは白亜の世界だった。
そのことに気が付いた途端、俺は重々しく溜息をついてしまう。
『そのように溜息をつかずとも良いではないですか。わたくしとこうして会うことができて、本当は嬉しいのでしょう?』
「寝言は寝て言え……って、今は寝ているんだったか? なら、常に寝言ってことか……」
『そなたは確かに寝ていますが、わたくしは寝ているわけではありませんよ』
「……冗談だよ。あと、自称・神ともなると皮肉も通じなくなるのか」
苦々しくそう言う俺の視線の先に、この世界と同じく全身白ずくめな女性が立っていた。
着ているドレスは白。髪の毛も白。肌も白人のような白。
瞳だけは赤味を帯びた光をたたえており、ゾッとするほどの美貌とあいまって恐ろしささえ感じさせられてしまう。
薄手でシルクのような布をただ巻き付けただけのように見えるドレスは、その起伏の激しい身体を惜しげもなく強調していた。
今にもこぼれ落ちてしまいそうな胸部には深い谷間が刻まれている。
折れてしまいそうなほどに細い腰。
神が子を産むことができるのかは知らないが、安産型と呼ばれそうなその臀部は、とても魅力的なのだろう。
彼女こそが、俺にあんな気分の悪くなりそうな仕事を押しつけて来た、その張本人だった。
そしてその彼女は、俺の軽口にその美貌に微笑みをたたえながらゆっくりと口を開く。
『続けてになりますが、またそなたに異世界へ送って欲しい人がいるのです』
「ちっ、またかよ……」
彼女の口から聞きたくない言葉が紡がれる。
つい舌打ちをしてしまったとしても、誰も俺を責めないに違いない。
本日は18時にも更新します。