第六話 別れの時
2017.4/1 更新分 6/7
翌日、真琴は一日だけ学校を休むことになった。
神社から帰った後、熱を出してしまったのだ。
それほど大した熱ではなかったが、鉛を詰め込まれたように全身が重く、何も考えることができなくなっていた。あまりに手ひどい体験をしたために、真琴の脆弱な神経はすっかり参ってしまっていたようだった。
そうして熱に浮かされている間、真琴の頭にはずっと羽柴レオナの声が響きわたっていた。
「あんたなんかに関わるべきじゃなかった」
「二度とあたしに話しかけんなよな」
真琴は一日、泣いて過ごすことになった。
考えも気持ちもまとまらず、ただ胸を押し潰されるような悲しみに、ひたすら涙を流すことしかできなかった。
だが、そうして一夜が明けてみると、なんとか起きあがれるぐらいに回復することができた。
すべての涙を流し尽くして、頭もずいぶん軽くなっていた。なんとなく、異次元への旅から帰ってきたような心地であった。
一階に下りてみると、両親はまた朝から口論しているようだった。
もちろん真琴は神社における乱闘騒ぎに関して、いっさい口に出していない。警察に告げる必要があるならば羽柴レオナ本人がしているはずであるし、自分の迂闊な行動で彼女に不利益をもたらすわけにはいかなかった。
よって、何もかもが恐ろしいぐらいにいつも通りの日常であった。
真琴は熱いシャワーを浴び、制服に着替えて家を出た。
自分の身に降りかかった出来事が現実のものであったのか、それとも悪夢か何かであったのか、それを確かめずにはいられなかった。
地面を踏む足の感触が心もとない。
同じ学校の生徒や会社員などであふれかえった通学路の様相が、普段以上によそよそしく感じられた。
なんだか、すべてが作り物であるかのようだ。
世界を照らす白っぽい日差しまでもが、嘘くそかった。
そうして学校に到着した真琴は、昇降口で上履きに履きかえて、いつも通りに教室を目指した。
時間はもう、予鈴が鳴るぎりぎりだ。
ドアを開けると、教室にはもう七割がたのクラスメートが集まっていた。
しかし真琴の目には、たった一人の姿しか認識できなかった。
窓際の席で、ぼんやり頬杖をついた、金髪の女の子だ。
羽柴レオナは、変わらぬ姿でそこにいた。
ジャージは肩から羽織っているだけで、その下は黒いTシャツだ。
右腕は――きちんと三角巾で吊られている。
真琴は誘蛾灯に引き寄せられる羽虫のような心境で、のろのろとそちらに近づいていった。
「あの、羽柴さん……」
彼女の横に立ち、真琴はそのように呼びかけてみた。
羽柴レオナは、能面のような無表情で真琴を振り返ってきた。
「羽柴さん、一昨日は……」
真琴はそのように続けようとした。
その瞬間、ものすごい勢いで立ち上がった羽柴レオナに、おもいきり胸もとを突き飛ばされてしまっていた。
背後にいた誰かとぶつかってしまい、一緒に床へと倒れ込む。
その際に、いくつかの机や椅子も横倒しになってしまったようだった。
かぼそい悲鳴があちこちからあがり、それが羽柴レオナの激情に震えた大声にかき消される。
「二度とあたしに近づくなって言っただろうがよ! 手前、頭がどうかしてんのか!?」
その顔は無表情のまま、羽柴レオナは激情に両目を燃やしていた。
その足が、手近にあった机を蹴り飛ばし、またクラスメートに悲鳴をあげさせる。
「手前のせいで、一昨日はさんざんな目にあったんだ! ちょっと優しくしてやったらつけあがりやがって……今度あたしに話しかけたら、前歯を全部叩き折ってやるからな!」
そうして羽柴レオナは、後も見ずに教室を出ていった。
無人になった彼女の席をぼんやり見つめながら、真琴はすべてが現実の出来事であったのだということを思い知らされた。
◇
それから数日は、虚無的な日々が続いた。
誰もが真琴に好奇の目を向け、噂話をしているような気がした。あの、美術部の顧問教員の一件を思い出させる様相であった。
それらの視線を適当に受け流し、真琴はただぼんやりと時間が過ぎ去るのを待った。それ以外には、なすすべもないように思われた。
羽柴レオナには、いっさい近づいていない。
昼食も、別の場所で食べるようにした。
絵を描く気にもまったくなれず、スケッチブックを持ち歩くこともなくなった。朝起きて、学校に向かい、授業を受けて、家に帰る。家でもテレビを垂れ流し、あとは眠るだけの生活だった。
真っ直ぐ家に帰っているので、おかしな人間につけ狙われることもなかった。
そしてまた、自分が再びあのような災厄に見舞われることはないのだろうな、と確信してもいた。
そのために、羽柴レオナはあのような態度を取ったのだ。
真琴などは、もう友人でも何でもない。それを学校中の人間に知らしめるために、あんな乱暴を働いたのである。
真琴に人質の価値などなければ、もう危険な目にあわせることもない。羽柴レオナはそのように考えて、真琴の存在を自分から切り離すことに決めたのだろう。
その事実を、真琴が疑うことはなかった。
羽柴レオナとは、そういう人間であったのだ。
しかし、それで真琴の心が癒されることはなかった。
どのみちもう、彼女と交流を結ぶことは許されないのだ。
そんなことをすれば、真琴のみならず、彼女までもがまた危険にさらされることになる。そんなのは、真琴に耐えられるわけがなかった。
だから真琴は、機械仕掛けの人形みたいに生きることしかできなかった。
ときおり、ものすごい喪失感が襲ってきて、場所もわきまえずに叫びだしたくなる。それ以外の時間は、ボウフラみたいにぷかぷかと生きることができた。
もう、何も考えたくなかった。
何も感じたくなかった。
以前は絵さえ描いていれば、まだ嫌な現実から逃避することもできたのに、その手段さえ奪われてしまった。ならばもう、日常を生きながら現実から目をそらし続けるしかなかった。
羽柴レオナも、変わらぬ姿で日々を過ごしていた。
数日もすると三角巾は外してしまい、ギブスの上からジャージを着込んで登校するようになった。七月に入り、誰もが半袖の制服を着るようになっても、彼女は一人でジャージを羽織っていた。
彼女のほうは、あれからも悪漢にからまれ続けていたのだろうか。
それとも、これだけの怪我を負っていても十人以上の悪漢を撃退できることが知れ渡り、少しは静かに過ごすことができるようになっていたのだろうか。
そのようなことを知るすべはなかったが、とにかく彼女は平然と日常を過ごしていた。以前よりも遅刻の回数が減ったぐらいにも感じられた。
このまま彼女とは、二度と言葉を交わすこともないまま、卒業の日を迎えることになるのだろう。
そうして、その後は――おたがいの姿を見る機会もなくなり、いつしか存在そのものを忘れ去ってしまうのだろうか。
そんな風に考えると、発作的に涙がこぼれそうになったが、真琴は耐えることができた。少なくとも、自分の部屋のベッド以外では、泣き顔をさらさずに済んでいた。
そして真琴は、その日を迎えたのだった。
それは奇しくも、一学期の期末試験の最後の日であった。
梅雨が明けきらず、灰色に濁った空の下、いつもの通りに帰宅してみると――家の前に、救急車が停められていたのだった。
近所の人間が、その救急車を取り囲むようにして人垣を作っている。
それをかきわけて家の中に入ってみると、玄関口に母親がへたれ込んでいた。
廊下の奥では、救急隊員が行き交っている。
彼らが出入りしているのは、寝たきりであった祖父の寝室であった。
「……母さん、大丈夫?」
真琴が呼びかけると、母親がのろのろと顔をあげた。
そのしなびた指先が、すがるように真琴へとのばされてくる。
母親は、真琴の身体を弱々しく抱きすくめてきた。
そんな風に抱きしめられたのは、たぶん幼稚園のとき以来だった。
「おじいちゃんが、亡くなったのよ……」
震える声で、母親はそう告げてきた。
大病を患っていた祖父が、ついに亡くなってしまったのだ。
しかし、医師に宣告されていた余命よりは、半年ぐらいも長く生きることができていた。それも母親が、その身を削って看護を続けた結果であるはずだった。
「真琴にも苦労をかけたね……でも、これでもうおしまいだよ……」
その言葉の意味はわからぬまま、真琴は「うん」とうなずいていた。
真琴の運命は、また数日ばかりでまったく異なる方向に転がり始めてしまったのだった。
◇
その二日後。
真琴は町内の、見知らぬ区域を一人で歩いていた。
同じ町内でも、用事がなければ足を向ける機会はない。そこは真琴の家から徒歩で十五分ほどもかかる、北区の二丁目という場所だった。
古い造りをした家が多く、中学校からも盛り場からも遠い。そして、海辺が近いので潮の香りが強かった。
梅雨は明けたのかどうなのか。とりあえず、日差しが強い上に湿度まで高い。砂利の街路の歩いているだけで、全身にじんわりと汗が浮かんでしまっていた。
道の左側は、大きな畑だ。
その向こうにはぽつぽつと民家が見えて、さらにその向こうは雑木林が黒くわだかまっている。畑では、腰の曲がった老人が仕事に勤しんでいる様子だった。
そんな光景を見るでもなしに眺めながら歩いていくと、やがて右手の側にぽつんと赤いポストが立っているのが見えた。
それを目印に道を曲がると、また同じような家並みが続いている。畑がなくなって、左右が民家になっただけのことだった。
和式で、庭が大きく造られていて、そして平屋の建物が多かった。
そのいくつかは、廃屋であったのかもしれない。建物の壁まで蔦に覆われている家もあった。
そして――その砂利道の突き当たりに、その家があった。
他の家よりは、高い土塀に囲まれている。さらにその向こうからは背の高い庭木の茂りが覗いていた。
門は、大きく開かれている。
表札には「羽柴」とだけあった。
インターホンなどは見当たらなかったので、真琴はおそるおそる敷地内へと足を踏み入れてみる。
大きさは立派だが、やっぱり古くて平屋の家屋が左手側に見えた。
右手側は何もない砂利の前庭で、ただ砂埃まみれの軽トラックとスクーターだけが野ざらしにされている。
敷石を辿って玄関まで行ってみると、そこにはインターホンが設置されていた。
しかし、それを押しても応答はない。
どうしよう、と考え込んでいると、ふいに横合いから砂利を踏む音が聞こえてきた。
振り返った真琴は、思わず身体をすくませてしまう。
真琴のほうに速足で近づいてきたのは、白い空手着を着た男性であった。
その男性も真琴に気づいて、「あれ?」と目を丸くする。
「すいません、お客さんですか? 今、そっちには誰もいないはずなんですよね」
そのやわらかい声の響きに、真琴は少しだけ安堵することができた。
それにその人物は、まったく威圧的でない風貌をしていた。身長は百七十センチあるかないかで、体格もべつだん逞しくはない。年齢も、真琴と大差ないぐらいだろう。髪は長くも短くもなく、柴犬のように愛嬌のある顔立ちをしている。
ただし、その少年は腰に黒帯を巻いていた。
そして、左の肩を痛そうに押さえていた。
「おかみさんは夜まで戻らないと思います。他のご家族だったら、裏の道場のほうに――」
と、そこまで言いかけて、少年はいっそう目を丸くした。
「あっ! あなたは姐さんのご学友ですか! うわ、まいったなあ……やっぱり俺のこと、バレてたんですね?」
「え? い、いえ、わたしは……」
「本当に申し訳ありませんでした! まったく悪気はなかったんです! ……いや、悪気がないどころか、姐さんはあなたを守ろうとしていただけなんですよ。そんなややこしいことをする必要はないって、俺もさんざん説得したんですけどねえ」
少年はひたすら申し訳なさそうに、ぺこぺこと頭を下げている。
もちろん真琴には、何のことだかさっぱりわからなかった。
「あ、あの、姐さんというのは羽柴レオナさんのことですよね? 羽柴さんがわたしを守ろうとしていたって……それはどういう意味なんですか?」
「はい。あの乱闘騒ぎの翌日から、俺があなたのボディガードを頼まれていたんですよ。またおかしな連中があなたにちょっかいをかけないようにって。……だから俺は、決してストーカーとかではないんです! お願いですから、通報とかは勘弁してください!」
真琴は、立ちくらみのような感覚を覚えた。
だけど、何も不思議がるような話ではない。羽柴レオナというのは、やっぱり真琴が考えていた通りの人間であったというだけのことだ。
「……あの、羽柴さんは道場のほうにいらっしゃるんですか?」
「はい、もちろん! 今すぐ呼んできますんで、少々お待ちを!」
少年は左肩を押さえたまま、家の裏手のほうに駆け出していった。
真琴は動悸の速くなってきた胸もとに手をやって、少しでも自分を落ち着かせようと試みる。
だけど、落ち着けるわけがなかった。
羽柴レオナをどれだけ嫌な気持ちにさせてしまうか、想像するだけで呼吸が詰まりそうになるほどだった。
そんな中、また砂利を踏む音が聞こえてくる。
今度はさきほどよりも乱暴な音色であった。
そして、羽柴レオナが真琴の視界に出現した。
「この馬鹿――!」と怒声をあげながら、羽柴レオナが真琴のほうに駆け寄ってくる。
その長身に纏っているのも、やはり白い空手着であった。
「てめー、何を考えてんだよ! あたしには二度と近づくなって言っただろうがよ! 何をのこのこ、こんなところまでツラを出してやがんだ!」
わめくなり、羽柴レオナは真琴の胸ぐらをつかんできた。
その目がまた、凄まじい激情の炎を燃やしている。
とてつもない怒りと、とてつもない悲しみと――そして、その奥底にわずかな喜びの光までもが灯っているように感じられたのは、真琴の願望であったのだろうか。
「今度あたしに近づいたら前歯をへし折ってやるって言ったのを忘れたのか!? とっとと帰りやがれ、この大馬鹿野郎!」
「はい、ごめんなさい……だけどひとつだけ、羽柴さんに伝えておきたいことがあったんです」
胸もとに彼女の体温を感じながら、真琴は言葉を絞りだした。
「それを伝えたら、すぐに帰ります。そしてその後は、二度と羽柴さんに近づきませんから……どうか話を聞いてください」
羽柴レオナは一瞬、ハッと息を呑むような表情を見せた。
しかしすぐに怒りの形相を取り戻し、真琴の身体を突き放してくる。
「いいぜ、とっとと言ってみろよ。それで気が済んだら、消えやがれ!」
「はい、わかりました。実は……実はわたしは……この町を、出ることになりました」
今度こそ、羽柴レオナは驚愕の表情になった。
その長身が頼りなく揺れて、一歩だけ後ずさる。
「……三日前、父方の祖父が亡くなったんです。それでわたしは……母の故郷の長野に引っ越すことになりました」
それがこの三日間で取り決められた内容だった。
真琴の両親は、離婚することになったのだ。
もともと母親は、祖父が亡くなったらこの町を出ていくと決意していたらしい。そして父親にも、会社を辞めて、母親の実家の農業を手伝ってほしいと懇願していたようなのだが――けっきょくその言葉は受け入れられず、父親は一人でこの町に居残ることに決定されたのだった。
「……もう終業式まで何日もないので、わたしはこのまま転校します。別に別れを惜しむような相手はいませんし……ただ、羽柴さんにだけは、どうしても伝えておきたくって……」
「…………」
「電話で済ませようかとも考えたんですけど……これで会えなくなっちゃうなら、最後にひと目だけでも顔を見たくって……けっきょくここまで来ちゃいました」
羽柴レオナは、ぷいっと顔をそむけてしまった。
金色の長い前髪が、その目もとを隠してしまっている。
「……前歯をへし折る手間がはぶけたな。用事が済んだんなら、とっとと帰れよ」
「はい。稽古のお邪魔をしちゃってすみませんでした。……それに今まで、どうもありがとうございました」
「……何がアリガトウだよ。心にもないことを言ってんじゃねえ」
「いえ。羽柴さんに色々な迷惑をかけてしまったことを、本当に申し訳なく思っています。……それに、ほんのちょっぴりの間でしたけど、羽柴さんとおしゃべりできて、ものすごく楽しかったです」
ぎり、と羽柴レオナが奥歯を噛み鳴らす音が聞こえたような気がした。
そっぽを向いたまま、羽柴レオナは軽くうつむいてしまっている。
「ふざけんなよ。あんな目にあって楽しかったとか、頭がおかしいんじゃねーのか? これで最後だと思って、綺麗事ならべてんじゃねーよ」
「いえ、本当の本心です。……こんなつらい思いをするなら、いっそ出会わなければよかったのに、とも思っちゃいましたけど……」
「へっ、それが本心だろ。あたしなんかと関わってなけりゃあ、あんなおっかない目にあうこともなかったもんな」
「いえ、そのことじゃありません。こんなすぐに別れなきゃいけないなら……楽しかったぶん、つらくなるだけじゃないですか」
不思議と、涙はこぼれなかった。
ただ、胸の奥が引きつれるように痛い。
その痛みに耐えかねて、真琴はさらに言葉を重ねてしまった。
「わたしは羽柴さんのこと、大好きでした。それなのに、羽柴さんに迷惑をかけることしかできなくて、友達づきあいを続けられなかったことが、悔しくてたまらないです。あたしが羽柴さんみたいに強ければ、こんなことにはならなかったのに……本当に、自分をしめ殺したくなるぐらい悔しいです」
「…………」
「でも、あたしは羽柴さんのことが大好きでした。こんなあたしに親切にしてくれて、心から感謝しています。羽柴さんのことは、一生忘れません」
「綺麗事を抜かすなって言ってんだろ! いいから、とっとと消えちまえよ!」
羽柴レオナは怒鳴り声をあげると、いっそう深くうつむいてしまった。
その足もとに透明のしずくが落ちるのを見て、真琴は立ちすくむ。
「何が大好きだよ。ふざけんじゃねーよ。あたしなんて、けっきょくただの疫病神じゃねーか」
「羽柴さん……」
「けっきょくあんたは、あたしの前から消えちまうんだろ? だったらそんなの、最初っから出会わなかったのとおんなじことだ!」
「そんなことは、絶対にありません!」
真琴は感情のおもむくままに、羽柴レオナの胸もとに取りすがってしまった。
その頬に、ぽたぽたと温かいものが落ちてくる。
羽柴レオナはうつむいて、唇を噛みながら、幼子のように泣いてしまっていた。
その泣き顔を見た瞬間、真琴の心に食い込んでいた楔が砕け散った。
「羽柴さんと一緒に過ごした数日間、わたしは本当に幸せでした。これまで生きてきて、一番幸福な時間でした。それだけは、絶対に嘘じゃありません」
「嘘だよ……そんな大馬鹿、いるわけねーもん……」
「ここにいます。本当は、ずっと羽柴さんのそばにいたかったです。ずっと一緒にお昼ごはんを食べていたかったです。羽柴さんと美術準備室でおしゃべりしながら、このまま一生チャイムが鳴らなければいいのにって、毎日毎日そんな風に思っていたんです」
気づくと、真琴の頬も自分の涙で濡れてしまっていた。
その頬を羽柴レオナの胸もとに押しつけて、道着に包まれた腰をぎゅっと抱きすくめる。
細くてしなやかで力強い身体だった。
この身体が、あの恐ろしくも美しい流線を生み出したのだ。
そんな風に考えると、またとめどもなく涙があふれてきた。
「羽柴さんは格好よかったです。わたし、また絵を描きます。今度こそ、羽柴さんのあの姿を描ききってみせます」
「知らねーよ……どうせ長野に引っ越しちまったら、あたしのことなんてすぐに忘れちまうんだろ! それで向こうの連中と、面白おかしく生きていくことになるんだよ!」
「いいえ! わたしは絶対、羽柴さんのことを忘れません! この町は大ッ嫌いでしたけど、羽柴さんのことだけは大好きでした! お願いですから……わたしのことも、忘れないでください……」
そうして最後は真琴も大泣きしてしまい、言葉にならなくなってしまった。
羽柴レオナも、ぐしぐしと鼻をすすっている。
そんな二人の頭上では、七月の太陽が何も知らぬげに燦々と輝いていた。