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風吹く先のミチの果て  作者: 並木やまみ
生命の脈動
9/15

9


「お父さん!」

 膠着した場に石を投じるように、ロレンタがゲオルグに呼び掛けた。

「お父さん、もうこんなこと止めようよ……! 世界の未来の為に研究してること自体は立派だけれど、だからって今生きてる人達を蔑ろにして良いわけないじゃない!」

「……」

「お父さん……お願いだから、もう止めよう……? 」


「……だからこそだ。ロレンタ、だからこそなんだ。これまで何人も犠牲にしておきながら、今更研究を取り止めるなんて、それこそふざけた話だろう……! ここで研究を止めてしまえば、彼らの尊い犠牲は無駄になってしまう。だからこそ、私は何としてもやり遂げる義務があるんだ」


「……お父さんは、もう止まれないの?」

「そうだな。もう私自身でも止まれない。そういう段階に入ってしまっているんだ。私は、私の全てを賭けてでも、この研究をやり遂げる」

 そう言いながら、ゲオルグは懐から何かを取り出した。


 それを見たロレンタとフリックは、ハッとした顔を浮かべた。


 注射器である。中には透明な液体が並々と入っている。

 それが何かを考える前に、ロレンタの脳内にイメージが過ぎる。


 脳裏に浮かんだのは、何らかの手段によって人間から変化させられた、白い化け物。

 恐らくは彼の開発した、先の改良型を生んだ薬よりも進んだ代物だろう。


「まさかっ……お父さん駄目ぇっ!!」


 ロレンタが叫び飛び出すが、彼女とゲオルグの間には結構な距離がある。

 そうこうしている間にも、ゲオルグは注射器の先端部分の覆いを歯で噛んで引き抜き、衣服をまくり上げることすらせず、服ごと体に針を通さんと注射器を掲げた。


「この身を犠牲にしてでも、研究はやり遂げる……! 例え失敗してただの化け物に成り下がろうとも……」


 その瞬間、乾いた音が響くと同時に、ゲオルグの顔面に液体が派手に飛び散った。

 怪訝な顔を浮かべたゲオルグは、やがて自分の持つ注射器の、針側のおよそ半分がすっぱりと無くなっているのに気付いた。その拍子で、中の薬品が顔にかかったのだと認識する。


 ……つまりは、最後のあがきは見事に失敗した。


 何かが壁にぶつかる乾いた音が、ゲオルグの後ろから小さく響く。

 彼が振り返って見てみれば、そこには小型の投擲用ナイフが一本転がっていた。


「セーフ」

 右腕を掲げた状態のまま、ロレンタの傍にフリックが立っていた。


 彼はとっさに、愛用の短剣とは別の、それよりも一回り程小さな投擲用のナイフを注射器に向かって投擲していた。

 手首のスナップを十分にきかし、少しでも当たる面積を広げようと、ブーメランのように水平に回転させて投擲していた。どこかしらに辺り注射器が吹っ飛んでくれれば御の字と考えていたが、その試みは大成功し、刃が注射器自体を切り落とすという結果をもたらした。


「……!? なっ、離せ!」


 いつの間にかゲオルグの背後に回ったイヴが、彼の両腕を背に回し、細い二の腕で拘束した。


「もっと早くこうしてれば手っ取り早かったぜ。ったく……」


 フリックは身動きできないゲオルグの方へずかずかと歩み寄り、


「うりゃあ!」


 ぽかんと呆けた顔を浮かべたゲオルグの顎を突き上げるようにして、思い切り頭突きを食らわし、彼の意識を刈り取った。


「お……お父さん! フリックさん! お父さん死んでませんよね!?」

「死ぬか」


 カッコつけたもののやはり痛むのか、ぶつけた部分を苦い顔で摩りつつ、フリックは答えた。

 ぐったりとしたゲオルグを肩で担ぎ上げる。


「結局力づくで解決することになっちまったが……まあ過程はどうあれ任務完了だ。とっとと街まで帰んぞ」

「あ、……は、はい!」

 ゲオルグを担ぎながら進むフリックの背中を、ロレンタは急いで追った。



 リードに戻る道すがら、ロレンタは人知れず考えていた。

 結局、彼女は最後まで父を説得しきれず、こうして強引に連れ帰ってしまう運びとなってしまった。結果的には良かったかもしれないが、彼らの手を余計に煩わせてしまう結果となってしまったことに、自分が情けなく思えてしまう。


 自分は、父のことを理解しきれていなかった。

 このまま理解できないままだと、父はまたいつか、同じことを繰り返してしまうかもしれない。


 もうこんなことはたくさんだ。ならば、どうすればいいのか。

 周囲の景色も目に入らなくなるほど深く、深く考え―――

 そして、一つの結論を導きだした。


「……あの、フリックさん、イヴちゃん。すみませんが、一つだけお願いがあるんです」



「……うぅ……こ、ここは……一体……?」


 ゲオルグが呻きながら目を覚ます。まず彼の目に最初に入り込んだのは、赤と青の入り混じった夕闇空。

 次に自分が一本の木にもたれ掛かっていたことを認識する。どうやら自分は、緑の草が多い茂った小高い丘、その頂きにある木の根元で眠っていたようだ。


「私は……?」

 地下遺跡で繰り広げられた最後の記憶ははっきりと自分の脳に刻まれている。しかしあの出来事を経て、何故自分がこんな所に居るのかを結び付けられないでいると、


「お父さん……目が覚めた?」


 もたれ掛かっていた木の裏側から声が聞こえた。妙に懐かしく思えたその声の主は、


「ロレンタ……」

 愛娘(ロレンタ)である。

 彼女は木の裏側から半身を覗かせ、こちらを窺っている。その表情は何かを悟ったような、或いは憑き物が落ちたかのような……何か吹っ切ったものを感じさせる、柔らかな笑みを浮かべていた。


「リードの直ぐ近くにある丘だよ。街道にも近いし、フリックさんが周辺を警戒してくれてるから、魔物が襲ってくることは無いはずだよ」

「リードの……―――ああそうか。結局私はあの若者に敗北したのだったな」

 疲れ切ったため息が、ゲオルグの口から吐き出された。


「まさかこのまま家に戻り何事も無かったかのように暮らす……なんてことは無いだろう。人殺しとして私を告発するか? ロレンタ」

「……お母さんが死んでからのお父さんの気持ちは、ほんのちょっとだけ、分からなくはないけれど……それでも、人を手に掛けたことは事実だから、それについてはちゃんと償わないと。それと、もう二度とこんなことはしないようにも」

「そうか……」

 再度、ため息を吐き出す。

 告発されることに関して、特に何も感慨は無い。それ程のことをしたという自覚はあるが、もの悲しさも絶望も感じない。ただ事実として淡々と受け取っている自分があった。


 その上で思う。

 例え自分はどうなろうと、絶対に諦めることはないと。

 この世界の人々が魔物の脅威に怯えず暮らしていくことができる日が来るまで、自分は決して止まることはできないのだと。


 後ろ指を指されようと、罵られようと、―――親しい人、肉親から拒絶されようと。



「お父さん、見える?」


 ゲオルグが漫然と思いを巡らせていると、ロレンタが視線で何かを示す。


 視線の先には、丘の下から見渡せる位置にある、リードの街。

 街灯が眩く照らす街中には、仕事帰りの冒険者や買い物帰りの主婦、家路を急ぐ人々等でにぎわっていた。


「色んな人が居るね。皆一生懸命、一人一人が自分にできることをして、毎日を生きているんだ。世界がどうのなんてこと、多分誰も考えてないんじゃないかな。だって、皆目の前のことで必死なんだもん」


「……ああそうだ。その通りだとも。皆終末の足音なんて耳に入っちゃいない。人々がいつまでもああして日常を送って居られる保証なんてどこにもないにも関わらず。この世界は不安定だ。明日明後日にでもあの街が滅んだとしても、何ら不思議では無いのに」


 そうかもしれないね。と相槌を打ち、ロレンタは言葉を続けた。

「でもそれって……お父さんが罪を犯してまで一人で背負わなきゃならないこと? 世界の危機なのに、どうしてお父さん一人で頑張らなくちゃならないのかな」


「ロレンタ……?」

 思わず街から視線を離し、ゲオルグはロレンタの顔を見つめた。

「お父さん……私、お父さんのこと、何も理解できていなかったね。お父さんがずっと苦しんでいる時に、何も気づいてあげていなかったし、何もできていなかった」

 ロレンタの方もゲオルグに視線を移し、そのまま語り続ける。

「こうしてお父さんを探して連れ戻すことでさえ、自分一人じゃできなかった。だから私、自分でお父さんの為に何ができるか、考えてみたの」


「お父さんと同じ思いは抱けない。共有はどうあってもできない。―――けれど、同じ方向を見て一緒に頑張ることなら、私はできるよ」


 そう言って、ロレンタはゲオルグに笑いかけた。



 数日後。


 生物学の権威、ゲオルグ・ウィンコールドが秘密裏に行っていた実験、及びそれに付随した非道な行為の数々が露見し、スキャンダルを巻き起こした。


 それと同時にゲオルグが実験に利用していたというリード近くの地下遺跡の存在も明るみにされることとなった。

 が、地下遺跡など基本的に現在の人々には使いこなすことは難しい、ロストテクノロジーの塊である。何かに使えるのではないか、という提案はあったものの、結局リードに集った誰一人としてまともに扱うことができず、持て余す結果となり―――やがて長い年月を経て、人々の記憶から完全に忘れ去られ、徐々に風化していくこととなった。




 そしてそんな事情など知ったことではないとばかりに―――ゲオルグを連れ戻した後二日程経った時。街の入り口近くにある駅馬車の停留所にて、彼らの姿はあった。


「いやこの度は本当にありがとうございました。フリックさんにイヴさん、あなた方には本当に感謝の言葉もありません……!」

「あーいやもうそういうのはいい。一昨日から何回目だよその挨拶」

 冒険者二人に向かって低頭しつつ感謝の言葉を述べるのは、ゲオルグの教え子ジョスカ。その傍らにはロレンタの姿もあった。


「何をおっしゃいますか! 事件の詳細を聞けば聞くほど、あなた方が如何にして奮闘されたか、そしてそのような状況で先生やロレンタさんをほぼ無傷の状態で連れ帰ったというのは……」

「あーはいはいそうですねー」

 尚も感謝の言葉を述べるジョスカを、適当な相槌をやや大きめの声で張り上げ強引に遮ったフリックに、ロレンタが少しばかり困ったような、見ようによっては寂しげな表情を浮かべて言った。


「フリックさん……やっぱり行ってしまうんですね」

「ここ最近街がざわついてて騒がしくなったからな。そろそろ潮時だと思ったんだよ。……騒がしくなったのは主に俺らのせいだが」

 その傍らで、イヴが同意するようにこくりと頷いた。

 相棒の意思表示を確認したフリックは、ロレンタに視線を向けて言った。


「それにしても正気か? ……魔物学、学ぶって話」


 その言葉に、ロレンタはしっかりと頷き答える。

「はい。本気ですよ。……だってやり方こそあまりにもおかしいけれど、お父さんの魔物を憎んで、人々を救おうとしてた想いは本当だと思いますし、私も先日の件で、魔物の危険性を改めて認識できたつもりです」

 祈るように胸の前で手を組み、ロレンタは言葉を続ける。

「私はお父さんに対して何一つできなかった。けれど、今からでも遅くはないと思うんです。私は私の方法で、お父さんの思いを遂げられるようにしてみせます。……もうこれ以上、魔物に悲しい思いをさせられる人を増やさない為にも」


 言葉の後、にこりと微笑みながら続けた。

「それにジョスカさんも、是非それに協力させてほしいって言ってくれたんです。大丈夫、うまくいきますよ」

「そうか。お前が決めることに俺が口出す筋合いはねえ。好きにやれよ……おっと」

 そうこう話し込んでいる内に、駅馬車が停留所へと到着した。馬車から降りていく人々を確認し自分達が乗るタイミングを見計らいながら、フリックは声を掛けた。

 

「旅から旅の根無し草だが、運良くまた会えば相談にでも乗ってやる。しっかりな」

「はい……! お元気で! イヴちゃんもありがとう!」

「私ども研究員一同、また会うことが叶ったならば、その時は全力で手助け致します! どうか良き旅路をー!」

 二人の声援にこくり、と頷きながら、傍らのイヴが小さな手を振った。




 段々と小さくなり、地平線の向こうへと消えていくリードの街をぼんやりと眺めながら、

「っはぁ~~~……疲れたぁ」

 フリックは馬車内で伸びをし……そして不意にはたと瞬きをして首を捻り、訂正を加えた。


「いや、楽しかったと言うべきか? 料理もうまかったし、面白い奴とも出会えた。まあ死にかけた場面もあったが、これは割といつも通りだな。うん、今回の冒険も満足だ」


 その様子を、イヴが無言でじっと見つめる。


「お前も楽しかったか? イヴ」

 その言葉に彼女はこくり、と、いつもの無表情のまま、素直に頷いた。


「そうか。……やっぱ外の世界はいいな。旅ってのはこうでなくちゃな」

 馬車の木枠が嵌められているだけの窓から吹き付ける風を感じながら、フリックは窓越しの青空を見上げ、感慨深く呟く。


「次の街でも何か面白いことがあればいいな。……ああそうだ、今回いい具合に稼げたし、次の街に着いた時には少し贅沢してみっか?」

 その言葉を聞いたイヴはフリックに向かって少しだけ身を乗り出し、彼の顔をまじまじと見つめる。心なしか小動物のようなくりくりとしたその瞳が、いつもよりも若干見開かれ、目の中にきらきらと星が舞っているかのように見える。


 その分かりやすい様子にくっくっくと喉の奥で笑うと、彼は馬車の御者台越しに見える街道の先を、上機嫌な様子で見つめ続ける。

 そんな彼の様子を、傍らに居るイヴは金色の瞳で見つめていた。



一話からここまで読んでくれた方、ありがとうございます。

一旦完結しますが、また何か思いついたら続きを書くことになるかと思います。

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