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諸事情でネットにパソコンが繋がらない環境に居たり忙しかったりで、かなり遅れてしまってます。
最悪エタらないようにマイペースで進めようと思います。
その男は中肉中背の、一見どこにでも居るような中年に見えた。
通路の奥からその中年の男、ゲオルグが姿を現した瞬間、誰よりも先に反応したのはやはりというべきか、その存在を最も待ち焦がれていたロレンタだった。
「お父さん!」
驚きと、そして紛れの無い喜びを存分に表情に浮かべ、ロレンタはゲオルグの方へとぱっと駆け出した。彼女はゲオルグの前へと辿り着き、心配そうに彼の全身にせわしなく視線を動かしながら、矢継ぎ早に質問を繰り出した。
「怪我とかはしてないの? 何とも無いの? ……というか、一体今まで何をやってたの!?」
ロレンタの問いに、ゲオルグは申し訳なさ気に眉根を下げた。
「ロレンタ……。心配をかけてしまったね。本当にすまなかった。私はこの通り、何ともない。無事だよ」
そう言うと、彼はロレンタの頭に手を添え、そのブロンドを優しく、愛おしげに撫でた。娘に対する、紛れもない父親としての仕草が見て取れる。
「研究に夢中になり過ぎて、気付けば二週間以上も籠ることになってしまったよ……言い訳のようになるが、ここに居るとどうも日にちの感覚が薄れてね……」
「……っ! もう、バカよバカ! だからって何も二週間も音沙汰無しに娘を放っておくことないじゃない! どんなに重要で大事な研究なのかは知らないけれど、研究者としてだけじゃなく、親としての務めも最低限果たしてよ!」
父親が無事だったことに安堵したのか、ロレンタは込み上げる感情を叩きつけるように発しながらゲオルグの懐へと飛び込み、その胸を何度も拳で叩いた。
「おっと……ええとロレンタ、その……本当にすまなかったよ。どうやら本当に、とんでもない心配を君に掛けてしまっていたようだね……」
「当たり前よ! 一体どれだけ帰ってきてないと思ってるの! 連絡も碌に寄こさないでずっとずっと……! もう本当に、馬鹿バカ!!」
「ええとロレンタ……その……ねえ?」
どうしたものかとオロオロと狼狽えだしたゲオルグに、フリックはそろそろ頃合いと見て一度咳払いし、注意を引いてから話しかけた。
「あー、もう良いかお二人さん? 積もる話はここじゃなくてもできるだろ? とりあえずこの辛気臭い所から出るとしようぜ」
「あ、ああ、ところで貴方は……?」
フリックとイヴの存在に気が付いたゲオルグは、不思議そうな顔で数度瞬きしながらそう問いかける。
「俺は冒険者のフリック。こっちが相棒のイヴだ。あんたのお嬢さんに頼まれて、あんたの捜索を依頼されたんだよ」
「はあ……あの、つかぬ事をお尋ねしますが、その女の子とはどういった……」
「あー、いや、深い理由があるんです。決して少女趣味とか性癖だとかそういった邪な理由ではありません。神に誓って」
ゲオルグの続く言葉を半ば遮るようにして、フリックは早口気味に言葉を続けた。その遮りからの語りようは最早鮮やかといっても良く、今まで数えきれない程こなしてきただろう、手際の良ささえ感じられるようだった。
「冒険者、か……成程」
「……というかあんた、娘が急にこんな所までやって来たってことについて、特に驚かないんだな」
「ああ、勿論それなりに驚きはしました。心配しているだろうと薄々は思っていたんですが、まさか自分からこうして探しに来るとは……驚いたことは別にして、ここに来ていること自体は、貴方達がこの地下遺跡に踏み込んだ時点で分かっていましたからね」
「何だと、そりゃどういうことだ?」
目を丸くしたフリックに向けて、ゲオルグは何でもない事かのように説明を開始した。
「地下遺跡の設備によるものですよ。この遺跡には内部を監視するための『目』があちこちに設置されています。それによって貴方達を発見できたのです」
「遺跡の設備だとぉ?」
にわかには信じられないといった風な様子で、フリックは言葉を続けた。
「随分と……遺跡のことについて詳しいんだな。地下遺跡は調査が難航していて、詳しく解明できた者は居ないって聞いてたんだが……?」
それに対し、ゲオルグがハハ、と軽く笑った。
「そう言われていますね。確かに遺跡の構造や秘密は難解ですが、遺跡の調査にかかるコストの問題もあるんですよ。一口に遺跡の調査とはいっても、殆どの遺跡は危険な魔物が跋扈する未開拓地にあります。踏み込むに至るには護衛や食料、宿営……。とにかくお金がかかるし、ただでさえ物騒で余裕のある人の方が少ない世の中、遺跡の調査に協力してくれるという物好きな出資者もそうそう居ませんからね。……しかし私はこの遺跡の調査にお金は惜しみませんでした。私費で多くの護衛や学者を雇って、調査隊を結成しました」
その成果がこれだ、と自らの努力の結果を確認するかのように、ゲオルグは遺跡を見回しつつそう語った。
「じゃああんたは、もしかして遺跡の研究をする為に長い間家を空けていたのか……?」
「いえ、遺跡の調査は、あくまで本来の研究の為の下調べですよ。私が主としている研究は、また別にあります」
そこへ、暫くの間ずっとゲオルグの胸に顔を埋めていたロレンタが、呆れと失望を大いに含んだ、恨めしげな声音で問いかけた。
「……遺跡の研究さえも前段階だったの? 一体何なのよもう……本当に何なのよその研究って……それって実の娘を放っぽいてでもやらなきゃいけないものなの……?」
「それは違うよロレンタ。これは君と、ひいては世界の為の研究でもある。容易には信じてもらえないかもしれないが……理解はしてもらえると助かる」
ゲオルグは娘の肩を抱いてその顔を上げさせると、彼女と真っ直ぐに目を合わせ柔和な表情を浮かべながら、落ち着いた口調で答えた。
「どのような研究か、詳しいことに興味があれば着いてくると良いだろう。私も重要な資料を残したまま、着の身着のまま地上に戻るという訳にもいかないからね。研究室まで来るといい」
「ってまーだ遺跡の中見て回るのか……どうするんだ? ロレンタ」
フリックがそうロレンタに尋ねた。態度は飄々としたものだが、一応彼の雇い主はロレンタということになる。彼女の意向によって行動の方針を定めるつもりらしい。
ロレンタは勢いよく首をぐりんと回し、フリックの方へと顔を向けながら言い放った。表情は明らかに憤然としたものであり、どうやら半ば意地となっているようだった。
「ここまで来たんですから、行く以外の選択肢なんてあるわけがないでしょう……! こうなったらとことんお父さんが何をしていたかを知らなければ、目覚めが悪いままです……!」
「だよなー……」
分かり切っていた、とでも言いたげにハハハと乾いた笑い混じりにそう言ったフリック。
彼は鼻息を若干荒くしながら先へと進み始めたロレンタを横目に、先程から身を固くしたままフリックの服の裾を掴んでいるイヴに視線を合わせ、語りかけ始めた。
「……大丈夫かイヴ? なんならお前だけ階段の入り口辺りで残って待つってことにしておいてもいいぞ」
フリックが腰を落とし、自分の目をイヴの目線に合わせる。
「俺は行く。雇い主の意向だしな。……お前がそんな感じになるんだろうから、きっとこの先、何が待っているのかは分からんが、恐らくはロクなものではないんだろうな、多分」
「……」
「まあ、だが……いや、だからこそ、だ。俺は行くぞ。中途半端に関わっておいていざという時には放っておく、っていうのはロレンタの言う通り、寝覚めの良いもんでもないだろ」
いつものように、彼女は無表情のまま沈黙で返す。しかしその表情は見ようによっては、どこか頑ななようにも見えた。
「……不安か? 大丈夫だ。俺とお前、合わされば無敵のコンビだ。昔っから何度も死ぬ目に会って来たが、その度になんやかんやで乗り越えられた。今回もまあ、死ぬ気でなんとかしようと思えば、いつも通りなんとかなる。……だろ」
そうフリックが言うと、イヴは目を伏せ、暫く考えるかのような仕草をした。
そして目線を上げると、両方の小さな手で彼の右腕の袖を掴み、こくり、と一度だけ大きく頷いた。
「……大丈夫そうだな」
フリックは微かに笑みを浮かべ、一息つきながらそう呟いた。
「……? あの、お二人とも、何か……?」
そこへ、先を行っていたが、恐らくはなかなか先へと進まない二人を心配して戻ってきたであろうロレンタが、二人に近づいた。
「いいや、何でもねえよ。俺達も行く」
「……」
袖を掴み、ロレンタの目を真っ直ぐ見据えたまま、問題は無いとでも言うかのように、イヴは再び大きく、こくり、と頷いた。
「ロレンタ。君は母さんの事をどのくらいまで覚えている?」
研究室へと向かう道すがら、ゲオルグは突然そんなことを言い出した。
白い壁や床に囲まれた広い通路に複数の靴音が反響する中、ロレンタは質問の意味をいまいち汲み取れず戸惑いつつも、口元に指を当て考えた。
「お母さんのこと? ……殆ど覚えてないよ。だって私がまだ小さい時に病気で死んじゃったんでしょ?」
「そうだね。母さんはお前が2つの時に死んでしまっている。……だけどロレンタ。母さんが死んだ原因は病気なんかじゃないんだ」
ゲオルグのその言葉に、ロレンタはたちまち目を剥いた。
「!? どういう事? お父さん確かに言ってたじゃない! お母さんが死んだのは病気だって……」
「あれはお前に必要以上のショックを与えないための方便だ。実際には母さんは……魔物に殺されている」
「……っ!?」
容赦無く告げられた事実に驚愕し、言葉を詰まらせたロレンタ。そんな彼女を横目に、どこか遠くを見ているような目をしながら、ゲオルグは一旦区切って話し始めた。
「馬車便で隣町まで行こうとしていた時だ。私達一家の他にも複数の乗客も乗り合わせていたその馬車を、2、3匹の魔物のグル-プが襲撃を仕掛けてきた。御者は何とか逃げ出そうと必死で馬を急かしていたが、その過程で馬車から母さんが魔物によって引き摺り下ろされてしまったんだ。……私は幼いお前を抱えながら、馬車の中でただ茫然と見ていることしかできなかった。魔物共に寄ってたかられ、ずたずたに引き裂かれ、何の抵抗もできないまま食い千切られていく母さんの姿を」
「……」
あまりにもショッキングな内容だった為か、ロレンタは何かを言おうとして、結局何も言えないのか、口を半端に開けた状態のまま、青ざめた表情で黙っている。
イヴは勿論、フリックも余計な口を挟まず、黙ってそれを聞いていた。
ゲオルグの語る話はこの世界において、至ってありふれた話である。街道は交通路の要であり、常に人の流れが絶えない場所だ。
しかし完全に安全とは言い難い。街道は未開拓地と比べ『比較的』安全というだけであり、迷い込んできた魔物や野盗に遭遇し、それらによって人が害され、殺されるというのはままあることだ。安全の度合いについて言うならば、ある程度人が密集し、確固たるテリトリーを築いている街や都市の方が遥かに上である。
ゲオルグ達の住んでいるという都市ミルエベに繋がる道ならば、このような事例は全く無いとは言えないが、それでも少ない方ではあるだろう。しかしあまり人の通らない僻地や、警備や管理がずさんな国の街道ならば、このような話は枚挙に暇が無い。
「不幸中の幸いにも、魔物が母さんの方へと集中していたおかげで、馬車は魔物に目を向けられること無く、我々は無事に隣町まで行くことができた。結局その魔物は警備隊によって直ぐに討伐されたようだが、その後私に警備隊から、両手のひらに収まる程度の木の箱を届けられ、それが母さんだと告げられた時には愕然としたよ。……こんなちっぽけな箱に収まる程度しか、『残らなかった』のかとね」
ゲオルグはちらりとこちらの方を見たが、こちらが何も言えなくなっていることを察すると、視線を前方に戻し話を続けた。
「……母さんが魔物にあっけなく食われていく間も、箱を受け取った時にも私は思ったよ。……人間は魔物に対し、あまりに無力だ。脆すぎるんだ。一般人とは違う、熟練の冒険者であろうと王国の騎士隊長であろうと、油断すればあっけなく殺されて死ぬ。所詮は脆い人間の域を出ないんだ。人間は凶悪な魔物が跋扈する、この混沌の世に適応できなければならない。でなければ、いずれ人類という種はそう遠くない内に絶滅してしまうだろう。……そう思い、私は独自である研究を始めることにしたんだ」
「……それが、あんたが娘をほっぽいてでも夢中になってた、薬学やら錬金学やらで人間を強化するって研究なんだな?」
そこへ、フリックが唐突に突っ込んだ。それに対してゲオルグだけでなく、ロレンタも目を丸くしフリックを見た。
「……何故貴方がそのようなことを知っている?」
「リードに居たあんたの助手に訊いたんだよ」
「まさかジョスカさんに……!? ……いつの間に」
呆れと感嘆まじりにロレンタはそう呟き、ゲオルグは仕方がないとでも言いたげに、ふう、と息を吐いた。
「ジョスカか……まだリードに残っていたのか。てっきり私はもうとっくにミルエベに戻っていたものだと思っていたよ」
独り言のように呟かれたその言葉に、フリックが即座に答えた。
「あんたを何としても見つけようと、粘り強く色々とやってたぜ。良い助手を持ったな」
「……そうですか。彼にも随分と心配を掛けてしまったようですね」
フリックの方を見ながら、ため息混じりに、ゲオルグはそう言った。
歩きながら喋るうち、一行は通路の突き当りに佇む、一際大きな扉の前で立ち止まっていた。
扉は今まで見かけたものと同じように、取っ手も蝶番も無く、扉というよりかは壁に描かれた模様と言われた方が納得できるかのような奇妙な造りだった。しかしゲオルグが手慣れた所作でその扉のすぐ隣にあった四角い模様のような物に指先をいくつか当てると、音も無く扉がするりとスライドして素早く開いた。
何らかの確かな理論に基づく技術が使われているものだろうが、フリックはどうもこの遺跡に仕込まれた様々な仕掛けに慣れることができず、未だに薄気味悪さが拭えずに居た。
「さあ、着きました。ここが私の研究室です」
ゲオルグがそう言いながら、部屋の内部を指し示した。
覗いてみると、中は意外にも広々としており、ざっと家一軒分程度はあると思われた。ただ外部の通路と同様、壁や床、天井も白い謎の建材で覆われており、やはり薄気味悪さすら感じる程の清潔感と無機質さである。
部屋の中心には人間を寝かすための寝台と思われる物を中心として、その周りをどういう風に使用するかも知れない、謎の機械がひたすらに取り囲んでごちゃごちゃと密集している。
部屋を訪れた理由である資料等を探しているのか、辺りをごそごそと探っているゲオルグを横目に、フリックは不躾に辺りを見回し、半ば独り言染みた呟きを漏らす。
「……よく分からん機械が沢山あるが、こんなんで本当に研究なんかできるもんなのか?」
「はは、そう思うのも無理はありませんか。私も最初はどうしたものかと思いましたが、その筋に詳しい専門家を何人も雇って、共同で調査を進めていく内に段々と理解することができました。実際この施設に使われている技術は素晴らしいですよ。我々の発想からは考えられないようなものが多くありますからね」
手を動かしながらそう告げたゲオルグの言葉に、フリックは大して感慨を抱いていないかのような返事をした。
「ふうん……しかしよくそれだけ調べ上げたもんだな。地下遺跡の調査はそんな簡単なもんじゃないって聞くが」
「まあ大抵の遺跡は未開拓地の只中にありますから。何せさっきも言いました通り、遺跡の調査にはとにかくお金がかかってしまいますから、なかなかに思い切った調査ができないものなんですよ。でも逆に言うなら、お金を惜しまなければ遺跡の調査自体は、案外なんとかなるものです。この遺跡はリードから比較的近くにありますから、それ程お金がかからないというのもあるかもしれませんね」
「成程なあ。……しかしよくこんな優良物件を見つけられたもんだな」
「……どうして見つけられたか、気になりますか?」
作業の手を止め、ゲオルグがフリックの方に向き直り言った。その声色は、微妙に不穏さを感じられるような、意味深な何かが含まれていた。
「また少しばかり長い話になりますが……」
「……お父さん?」
父親からその不穏な空気を感じ取ったのか、戸惑ったような声をロレンタが上げる。
「……別に構わねえが……イヴ?」
「……」
イヴもいつも通りの無表情を貫いていたが、フリックの腰の辺りの衣服を掴んでいた手の力が、やや強めに増した。まるで密かに、何かに警戒するかのように。
そのイヴの様子をちらりと視界に収めた後、ゲオルグは淡々とした調子で語りだした。
「私がこの遺跡を発見したのは、もう5、6年程前のことでしたか……。私がこのリード近辺での調査を初めて任された時でした。当時の私は地理に疎く、恥ずかしながら森の中で迷ってしまいましてね。そして、ふと足元をみたところ、……泥の中に裸足の足跡があったんです。人間の、それもまだ10前後の子供のものを」
「なんでそんな森の中にそんなものがあるの……? 見間違えたとかじゃなくて?」
ロレンタが恐る恐る問いかけたが、ゲオルグは首を横に振って否定した。
「私は生物学者だ。この目が見間違えるはずがない。アレは間違いなく人の足跡だったよ。……それで私は、足跡の主は恐らくは迷子だろうと見当をつけ、見つけ出さねばと思い足跡を追っていきました。するとこの遺跡の地上にある、玄室の入り口へと辿り着きました」
ゲオルグはそこで一旦、自分の話を聞いている全員の顔を見渡した。
「貴方がたも、この玄室に巣食う魔物の依頼と、それに挑戦した冒険者の話くらいはリードで耳にしたことがあるでしょう。実はこの玄室、魔物が住み着いて近隣に害を及ぼし、そしてその度に住民の依頼によって冒険者に討伐され、暫くしたらまた魔物が住み着き……というサイクルを一定の期間の間に自然と繰り返しているんですよ。あの頃もつい二週間程前に魔物が討伐されたばかりで、数はそう多くはないでしょうけれども、0ではない。ましてや子供が行くには、あまりにも危険な場所です。仕事上、緊急用に魔物除けの道具をいくつか持っていた私は意を決し、玄室へと足を踏み入れることにしました。……慎重に歩を進めていくと、私は奇妙なものを発見しました。玄室へと入ると、所々に魔物の死体が散見されたんです」
ゲオルグの言葉に、ロレンタが不思議そうな顔を浮かべ首を傾げた。
「二週間前に討伐されたばかりって言ってたよね? 死体くらいはあっても不思議じゃあ……」
「ロレンタ。魔物は普通の動物とは違う。魔物が死ぬと、その身体は丸一日程度で完全に風化するんだよ。まあウヌヨンみたいな大人しい、穏健派の魔物とかは何故か例外だがな。でなきゃ料理なんてできねえよ」
「その通り。普通の魔物なら、二週間も経てば死体などとっくに灰も同然の姿になっています。ですがその死体は確認してみれば、まだ数時間と経っていないように見えたんです。私は何があったのだろうかと怯えながらも奥へと進んだのですが……最奥地にて、信じられない光景を目にしたんです」
「信じられない、光景……?」
「ああ。……最奥部に着くと、目の前で恐らくは、あの足跡の主だろう女の子が一人居ました。しかしそれだけじゃない。彼女の周囲を、多くの凶暴な魔物が取り囲んでいました。魔物除けの道具を持ち合わせているとはいえ、流石にそれだけでは無理があると私が行動を起こすのを躊躇した瞬間、魔物達が女の子へと殺到しました。思わず私は目を閉じ、名も知らない女の子へと心の中で謝罪しました。……ですが、信じられないことにその女の子は無傷で立っていました。……いや、正確に言いますと、その少女は襲い掛かる魔物達の猛攻を間一髪で避け続け、そして的確に攻撃を加えていました。しかも素手と素足で……」
当時の光景を瞼に思い浮かべているのか、ゲオルグは僅かな間、目を閉じながら話し続けた。
「彼女の動きは通常の人間の少女ではありえない程のものでした。……信じられますか? 仮に少女がどんなに鍛えていたとしても、10歳そこらの少女が大型の熊の魔物を細腕で掴んで軽々と振り回すなんてありえない。しかしその娘は振り回すどころか投げ飛ばし、一斉に襲い掛かるムムヨンの素早い攻撃を何の苦も無い様子で避け続け、一匹ずつ蹴りや拳で確実に仕留めていきました。……こうして語っている今でも、あの光景が信じられない。荒唐無稽にも程がある。まるで出来の悪い芝居を見ているような気分だった……」
「……それって……?」
こわごわと、ロレンタは呟いた。
確かにゲオルグの話は本人の言う通り、冗談にしても突拍子もなさすぎて面白みの無い、荒唐無稽にも程があるものだ。本来ならばロレンタも父親に向かって、何をトチ狂った話をしているのかと呆れるなり何なりするだろう。……ほんの数日前までの彼女ならば。
しかし、話に出てきた超人染みた活躍を見せる少女に、今のロレンタに思い当たる節が無いわけでもない。話を静かに聞いていたロレンタは、ちらりとイヴの方を見た。
ロレンタの視線に気付いたフリックが、何かを言い掛けたその時、
「……そう、君が私の前に再び現れるのを、私はずっと待っていた」
静かに、淡々とした、それでいて底冷えするような声音で、
フリックに小さな身体を寄せるイヴを、冷淡な瞳で真っ直ぐに見据えながら、ゲオルグがそう呟いた。
「ようやく見つけたよ。君が私の研究に必要な、重要な1ピースだ」